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6.三つ巴の摩訶魂

 鬼蝶が居酒屋を血祭りにしていたその頃、桃姫と雉猿狗は宿屋の二階にて布団を並べて敷きながら眠りにつく準備をしていた。

「……雉猿狗、本当はお祭り……行きたいんでしょ?」

 ちゃぶ台の前に座り、湯呑のお茶を飲みながら桃姫が呟くように言った。
 布団を敷き終えた雉猿狗が、格子窓越しに大通りの賑やかな祭りの様子を見ていたからである。

「……そんなことはございません、桃姫様──断じて思っておりませんよ」
「……思ってくるくせに」

 声をかけられて慌てて振り返った雉猿狗が桃姫をなだめるように言うと、桃姫の隣に座って着物の懐から湯気を立てる紙袋を一つ取り出した。

「じゃーん。見てください桃姫様、これ"銅鑼焼き"と云うそうです。奥州発祥のお菓子なんだとか」
「あ……いつの間に買ってたの」

 雉猿狗は宿屋への帰り際に大通りの出店で買ったほかほかの銅鑼焼きを紙袋の中から取り出すと、半分に割って片方を桃姫に差し出した。

「桃姫様は食べたことありますか──"銅鑼焼き"」
「……ないけど……」

 桃姫は言いながら受け取ると、中にたっぷりと粒あんが詰まった銅鑼型の焼き菓子を見た。

「雉猿狗ももちろん初めて食べますよ。いただきまーす──あぐ……あむ──美味しいです!」
「……いただきます……」

 笑顔で食べる雉猿狗を見てから桃姫も食べだす。よく炊かれた小豆と温かな甘い生地とが桃姫の口内に否応なしに幸福感を運んだ。

「うん……おいしい──」

 桃姫はもぐもぐと咀嚼しながら言うと、雉猿狗は満面の笑みで頷いた。

「ちょっとずつ世界に慣れていきましょう、桃姫様。好きなことをたくさん見つければ、この世は悪いことばかりじゃないって──きっと好きになれるはずですから」
「……うん。今日のお祭りは……少し好き……かな」

 大通りから部屋の中に届く賑やかな祭り囃子を耳にしながら、桃姫は銅鑼焼きの二口目を食べ、お茶をすすった。
 そして残りの銅鑼焼きを口の中に入れ咀嚼して飲み込む。ふうと息を吐いて、隣に座る雉猿狗の顔を見た桃姫。

「雉猿狗も、食べられるようになったんだね……」

 桃姫の言葉を聞いた雉猿狗はきょとんしたあと、ほほ笑みながら返した。

「そうですね。アマテラス様からこの身体を授かって半年……少しは人間らしい生活が出来るようになったのかもしれません」

 雉猿狗は翡翠色の瞳を細めながら感慨深げにそう言うと、右手を伸ばしてスッ──と桃姫の左手を取った。

「……雉猿狗──?」
「──これは大事なことなので……桃姫様にお伝えしておこうかと思います」
「え……?」

 雉猿狗は左手で自身の着物の胸元をはだけると、掴んだ桃姫の手をあらわになった自身の胸の谷間にグッ──と押し当てた。

「……っ──!?」

 雉猿狗の谷間に押し当てられた桃姫の手は、しかし、その白い肌を"通り越して"、雉猿狗の胸の奥深くへと肉体に埋まるように入り込んでいた。

「──桃姫様、感じますか……? ──これが、雉猿狗の"鼓動"──雉猿狗の"魂"です」
「……"魂"──?」

 雉猿狗が"魂"と呼んだその存在──雉猿狗の胸奥に生じる熱源を桃姫の指先は、今確かに触れていた。

「──私の"魂"……それは御館様が花咲山に建立して下さった、あの三獣の祠に祀られていた──〈三つ巴の摩訶魂〉なのです──」
「……ッ──!?」

 桃姫は雉猿狗の言葉を聞いて驚愕すると共に、桃太郎と共に祈りを捧げた三獣の祠で見た円を描くように三つ連なった勾玉の姿を思い出した。
 雉猿狗の胸奥で鼓動する〈三つ巴の摩訶魂〉は、摩訶不思議な淡い緑光を放ち、桃姫の手に"太陽の熱"を優しく伝えた。

「──〈三つ巴の摩訶魂〉によって、雉猿狗はこの身体を形成しております。この"魂"が光を失わない限り、私は現世に存在し続けることが可能なのです」
「……お日様の熱を、感じる──」

 桃姫が指先から伝わる心地よい熱に目を細めながら言うと、雉猿狗はほほ笑み頷いて返した。

「──はい。それこそが、アマテラス様の"太陽の熱"です……私の"原動力"であり、太陽から頂いている"栄養"なのです──」

 雉猿狗はそう告げると、桃姫の手を胸元からゆっくりと離して、はだけていた着物の胸元を整えた。

「……雉猿狗、大事なことを教えてくれてありがとう」

 桃姫は指先にいまだじんわりとした"太陽の熱"を感じながら雉猿狗に対して感謝の言葉を述べた。

「桃姫様には知っておいて頂きたかったのです。それに何よりこれは、御館様の天界への強い祈りが叶えた"奇跡"、ですから──」
「──父上の祈りが……そうだよね」
「はい──」

 桃姫と雉猿狗が互いに信頼の眼差しで見つめ合い、そして今は亡き桃太郎への想いを馳せていたその時であった──。

「──ッ──きゃあッ──!!」
「──桃姫様ッ──!!」

 突如として轟いた爆発音と共に宿屋が激しく揺さぶられ、大通りに面していた二階の外壁がえぐり取られるように吹き飛ぶと、猛烈な熱風が室内に噴きつけた。

「──……ッ──!?」

 雉猿狗は桃姫を胸元に抱きしめて部屋の隅に移動すると、燃え盛る一階部分の屋根瓦の上に立つ一人の女の姿を見て息を呑んだ。

「──はァい……♪ 桃姫ちゃんと──低俗な獣の霊……雉猿狗……ふふふ──♪」

 鬼蝶は見開いた左目から赤い炎をゴウゴウと噴き上げながら、桃姫と雉猿狗をからかうように手を振って挨拶した。

「……久しぶりねぇ、桃姫ちゃん──私のこと、覚えていてくれたかしら──?」

 鬼蝶は桃姫に向かってにんまりと陰惨な笑みを浮かべながら話しかけた。
 突然の事態に混乱しながらも、桃姫の脳裏に走る"あの夜"の花咲村での記憶──小夜のちぎれた黒髪を指先に絡み付けた鬼蝶の姿を思い出した。

「──母上を……母上を殺した、鬼ッ──!!」

 赤い炎に全身を照らされた桃姫は殺気立った声で叫び、心の底から湧き上がる強い怒りによって体を震わせながら、見開いた濃桃色の瞳を血走らせた。

「あーら。覚えててくれたのね、嬉しいわ……そう、あなたの母上を殺したわるーい鬼♪ 今度はあなたを殺しに来たの──あはははははっ!!」

 鬼蝶は悪びれることなく高らかに笑って告げると、桃姫の心臓が許容できないほどの凄まじい怒りによって激しく脈打った。

「──嗚呼ァァアアッッ──!!」
「ッ、桃姫様ッ──!」

 叫んだ桃姫は途轍もない力を発揮して雉猿狗の腕の中から抜け出すと、布団の枕元に置いてあった〈桃月〉を掴み取って瞬時に白鞘から引き抜いた。

「──死ねェェエエエッッ!!」
「──……死ぬのはあなたよ……──」

 銀桃色の刃が光る〈桃月〉を右手で構えて、鬼蝶に向けて叫びながら駆け出した桃姫。対して鬼蝶は動じることなく、にんまりとした笑みを浮かべながら吐き捨てるように言い放った。
 そして鬼蝶は、炎を噴き上げる"鬼"の文字が浮かんだ左目をゆっくりと閉じた。

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