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36.堺の都

 鬼虫を退治したのち、堺を目指して東へと歩き続けた桃姫と雉猿狗。夜の帳が落ちた頃、次の宿場町に辿り着いた二人が蕎麦屋で食事を取っていると、地元の商人らしき二人の男が、隣のちゃぶ台を囲んで声をひそめながら会話を始めた。

「──よう、聞いたかい……? ……あの話」
「なんの話だい……?」
「……なにって、隣町の宿屋の話だよ。今朝、女将さんが殺されてたって……首を斬られてな」
「……そりゃ、本当か……?」

 商人の会話を耳にした桃姫は、ピタリ──とザル蕎麦をすする手を止め、雉猿狗は湯呑から水を飲む手を止めた。

「……本当だよ。でも、物取りじゃあない。金目の物は何一つ盗まれてなかったてんだ──でもな……」
「なんだい、もったいぶりやがって……」

 眉根を寄せながら聞き手の男が催促すると、話し手の男は辺りを見回してから口を開いた。

「……女将さんの生首──味噌汁が入った大鍋の中にぶち込まれてたんだってよ──まるで煮込んで喰おうとしてたみたいによ……!」
「ッ……なんだいそりゃあ……!? ──まるで、"鬼畜生"の所業じゃねぇかッ──!」

 聞き手の男が大声を張り上げて、ちゃぶ台に身を乗り出すと、雉猿狗が桃姫に静かに声をかけた。

「……桃姫様、出ましょうか……」
「……うん」

 桃姫も静かに答えて返すと、手にしていた箸を置き、食べかけのザル蕎麦を残して席を立った。
 雉猿狗は帯の中から取り出したお代の五十銭をちゃぶ台の上に置くと、桃姫と連れたって蕎麦屋ののれんをくぐろうとした時、男たちの会話の内容が届いて足を止めた。

「……そんでよ、役人が宿屋の台帳を確認したらな、"子連れの女客"を泊めたって記録が残されてたんだってよ」
「……へえ……"子連れ"ねぇ……」
「でもよ、その二人はもう宿屋にはいなかったんだ……近所の茶屋の女店主いわく、"怪しい子連れの女"を見かけたと……そいつら何でも、髪の色が──」

 男の言葉に神経を尖らせて体を強張らせた雉猿狗。桃姫はそんな雉猿狗の様子を見て取って手を掴むと、強く引っ張って"播磨蕎麦"と書かれた店ののれんをくぐって店外に出た。

「……雉猿狗、どうしよう」

 大通りに出た桃姫は雉猿狗に声をかけた。この宿場町は前の宿場町よりも遥かに大きく栄えており、人通りが多い。
 夜にも関わらず並んだ提灯が明るく店先を照らし出していた。雉猿狗はそんな大通りを見ながら考えた結果、蕎麦屋の前の店を見て答えを出す。

「……まずは、私たちの目立つ髪を隠しましょう……」

 雉猿狗の言葉を受けて桃姫が視線の先を見ると、手ぬぐいや木綿布を扱っている卸問屋が店を構えていた。

「そして、播磨を離れるのです……一日でも早く堺に到着いたしましょう」
「……うん」

 雉猿狗の言葉に桃姫は頷いて返し、布の卸問屋へと入っていく──この播磨の蕎麦屋での一件のあと、髪を手ぬぐいで隠した桃姫と雉猿狗は東へと一気に旅路を進めた。
 宿屋には極力止まらずに、神社や寺の境内などで寝泊まりを続けた。そして十日後、遂に播磨を出て摂津へと入った二人は、目的地である巨大な港湾都市・堺に辿り着いたのであった。

「──わぁ……! ……人が、たくさん……! ──こんなに人がいるの、見たことないよ……!」

 白い手ぬぐいで髪と目元を隠した桃姫が、活気ある堺の都を見て驚きの声を上げた。

「堺は、"摂津と河内と和泉"、この三つの所領の"境界"にあるので、"堺"と呼ばれているそうです……実際にこの光景を見れば、現在の日ノ本で一番栄えている都と誰しもが認めるはずですよね」

 雉猿狗は堺に辿り着くまでに見てきたどの町よりも綺麗に整備された町並みと溢れんばかりの人波の多さに瞠目しながら口にした。
 そして、大きな港をひっきりなしに行き交う数え切れんばかりの大小の漁船と商船──その青く光り輝く海の雄大な景色を翡翠色の瞳に映した。

「これだけ人が多くて、賑やかな場所なら、鬼も迂闊には襲ってこれないはずです……それにあちらをご覧ください、桃姫様」
「……ん?」

 雉猿狗が指さした先に視線を送った桃姫。それは商店の軒先であり、そこで商人と武装した侍とがたむろして談笑している様子があった。

「あちらは、"会合衆"と呼ばれる方々だそうです。堺の有力商人が独自に自治組織を持って、都の平和と秩序を守っているのです」
「へぇ……それって……"安全"、ってこと?」
「はい──それに私たちのような流れ者でも、これだけ人が多ければ目立たずに紛れ込むことが可能です」

 雉猿狗はそう言ってほほ笑むと、自身の長い銀髪を隠していた紺色の手ぬぐいを解いて、月光に照らされた雪のように美しい銀髪をサァッ──と潮風になびかせた。

「──ち、雉猿狗っ……! だめだよ……! ──人が大勢いるのに……!」
「あはは。桃姫様、私たちもう、髪を隠す必要はないのです──」

 雉猿狗の行動に驚き、辺りを警戒しながら声を出した桃姫に対して、雉猿狗は笑いながら気持ちよさそうに目を閉じると、海から爽やかに吹き付ける潮風と穏やかな太陽光を全身で浴びながら答えた。

「……本当に……?」
「はい。髪を隠していた理由は、堺に到着するまでの間、厄介事に巻き込まれたくなかったからですからね」

 雉猿狗は青空に向かって気持ちよさそうに伸びをしながら言った後、翡翠色の瞳を開いて桃姫を見た。

「そもそも私たちは、何もやましいことはしていないのですから──堺では自由に堂々と暮らしていいんですよ、桃姫様」

 凛と胸を張った雉猿狗の言葉を聞いた桃姫は、濃桃色の瞳を希望に光り輝かせた。

「……うんっ!」
「あはは。よいお返事です」

 桃姫の元気の良い声を聞いて笑った雉猿狗。桃姫は頭に巻いていた白い手ぬぐいを解くと、桃色の長い髪の毛をふわっと潮風になびかせた。
 次の瞬間、ブワッ──とひときわ強く吹いた一陣の風が、桃姫が手にしていた手ぬぐいを奪い取って持ち上げ、ひらひらと上空に運んでいく。

「──あっ……!」

 突き抜けるような青空を舞い飛ぶ白い手ぬぐいを見上げながら桃姫が声を漏らすと、桃色の髪をなびかせる桃姫の頭に雉猿狗が優しく手を置いて口を開いた。

「──桃姫様。私たち、この場所で暮らしましょう……そして、強くなりましょう」

 空を舞う手ぬぐいに滑空しながらゆっくりと近づいてきたカモメの姿を見た雉猿狗は、青を反射させた翡翠色の瞳を細めながら告げると、桃姫の髪を優しく撫でた。そして、桃姫も口を開き雉猿狗に答える。

「うん……二人で強くなろう、雉猿狗──」

 桃姫は宣言するようにそう言って力強く頷くと、胸がすくような青い海と青い空を二人で眺め見ながら、鬼退治の決意と覚悟をより一層強めるのであった。
 一方その頃──鬼ヶ島、鬼ノ城。腐敗した赤土が広がる裏庭の畑にて、前鬼と後鬼が大きな鍬を振るって何やら穴を掘っていた。

「──そのぐらいでよい」

 役小角がしゃがれ声で告げると、二体の大鬼は穴を掘る太い手を止め、鍬を肩に担いで役小角の後ろにドスドス──と下がった。
 一歩前に出た役小角が掘られた穴の中を覗き込むと、穿たれた赤土の斜面からモゾモゾ──と数匹の鬼醒虫が蠢きながら顔を覗かせていた。

「……行者様、お待たせいたしました」
「……ん」

 役小角は背後から掛けられた妖艶な声音に対して振り返った。黒く巨大な鬼ノ城を背景にしてしなやかに歩いてきたのは鬼蝶であった。
 鬼蝶は両腕に何やら白い布で巻かれた物体を抱いており、いつの間にか左耳の上に付けていた赤いかんざしを役小角はちらりと見やった。

「いや、待ってはおらんよ……かかか」

 役小角は好々爺然とした満面の笑みを浮かべながら鬼蝶に答えた。

「……それは良かった……最後の"おめかし"を施していたので、随分と時間がかかってしまったかと」

 鬼蝶はそう言って前鬼と後鬼の隣を通り過ぎると、鬼蝶が抱え持っている物体に向けて、二体の大鬼は前傾姿勢になって大きく鼻を鳴らし、口からよだれを滴らせた。

「これ、やめろ……! ……まったく、下品な鬼どもじゃな」
「ふふふ──申し訳ございません、これはあなた方の"おやつ"ではないのですよ」

 前鬼と後鬼をしかりつけた役小角。怒られて姿勢を正した二体の大鬼の姿を横目で見ながら苦笑した鬼蝶がそう告げると、鬼醒虫が待つ穴の前まで移動した。

「……それでは……行者様」
「……うむ」

 鬼蝶は役小角に確認を取ると、両腕に抱え持った白い布で巻かれた物体を穴の中に丁寧に降ろした。そして、役小角が右手に持った黄金の錫杖で赤土をトンッ──と突いた次の瞬間。
 ブワアアアア──と赤土の中に隠れ潜んでいた鬼醒虫の群れが一斉に白い布目掛けて襲いかかり、鬼醒虫がびっしりと生えた赤い布へと瞬時に変貌させていく。

「…………」

 鬼蝶はその凄惨な光景を見ながら目を細め、黄色い瞳の中央に浮かぶ"鬼"の文字を赤く光らせた。

「鬼蝶殿──このおつるという娘……おぬしの手駒として育てるつもりであったのだろう……?」

 鬼醒虫の群れに喰い付かれているその物体を見下ろしながら役小角が言うと、鬼蝶は深いため息を漏らしながら答えた。

「はい……ですが、私の見当違いだったようで──本当に残念ですわ」
「……ほう。まぁ、ゆっくりと新しい手駒を見つけるがよろしい──鬼女に相応しい村娘をのう」
「はい。そうさせて頂きます──」

 鬼蝶が役小角に対して答えると、役小角は黄金の錫杖を突いて頭に三つ並んだ金輪をチリン──と鳴らした。

「──埋めろ」

 役小角が後方に立つ前鬼と後鬼に対して命令すると、肩に担いでいた鍬を下ろしながら穴の前までやってくる。
 そして、穴の周囲に盛られた赤土をザッザッ──と掻き落として、鬼醒虫にむさぼり喰われるおつるの亡骸を埋めていった。

「……のう、鬼蝶殿や──」

 その様子を黙って見ていた鬼蝶に対して、隣に立つ役小角がおもむろに声をかけた。

「おぬし……"堺"には、どのような色が似合うと思うかの……?」
「……"堺"、にございますか……」

 役小角の唐突な問いかけに対して、鬼蝶は首をかしげながら言って返した。

「──うむ……信長公が愛し育てた商人の都……活気ある人々で埋め尽くされたあの"堺の都"を染め上げるには、いったいどんな色が似合うかのう……?」

 役小角の問いかけに鬼蝶が答えあぐねていると、役小角は赤い霧が漂う不気味な虚空を見上げながら口を開いた。

「──例えば……鬼ヶ島から見た、この太陽のような色合いなど……どうだろうかのう──?」

 深淵の闇を潜ませた両眼を細め、満面の笑みを浮かべながら告げた役小角。その様子を横目で見た鬼蝶も赤い空を見上げると、役小角の問いかけの真意を汲み取って残忍な笑みを浮かべた。

「……ああ……それはさぞかし信長様好みの……"天晴れな都"となりますでしょうね……──」

 二人が見上げた視線の先には、堺で暮らす何万という人々の生き血を吸ったかのような真っ赤な色をした鬼ヶ島の太陽が不吉に浮かんでいた──。

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