34話 治療係、伯爵令息の面倒をみる
来客者を勝手に連れ回すものではないと考え、一度、裏口から入ってセバスチャンに確認を取った。
「なぜピンポイントで遭遇するのですかね……」
「すみません」
セバスチャンはレイヤの手前、溜息もほどほどにして考えてくれる。
「庶民の遊び、ですか……」
「正直、何をどう教えようか考え中です。敷地内でできることってありますでしょうか」
「まずは草船作りはいかがでしょうか?」
騎士として所属しているとはいえ、休日を過ごしている貴族令息だ。それだとあまり動かずに済む。
ちらりと当レイヤの反応を見てみると、好奇心で目を輝かせている彼がいた。
よかった、これて解決ですねと言わんばかりにセバスチャンが軽く両手を合わせる。
「長い葉で船を作って楽しむものですが、レイヤ様はご存知でないようですね。一度体験してみるのはいかがでしょうか?」
「うむ、いいだろう」
「屋敷の裏でしたら出歩いても問題ありませんので、そちらへどうぞ」
続いて目を向けられて、エリザは「分かりました」と答えた。
「茶会は一時間ほどですので、それまでにレイヤ様をお送りしてくださいね」
「私がバラ園の近くまで行って大丈夫でしょうか?」
「ご案内は近くまでで結構です。ああ、レイヤ様テラス席をご準備しましょうか?」
「必要ない。僕だって草の上ぐらいには座る」
というわけで、屋敷の裏側に二人で戻ることになった。
日差しがあたりっぱなしはよくないと考え、建物の影か落ちた場所を捜した、長い葉を風でそよがせる茂みを見付けて、胡坐をかいて座り込む。
その際、エリザはハンカチでも敷こうかと提案したら、見事怒られた。
「女性扱いするなっ、騎士も訓練の休憩で木陰に座るぞ」
「なるほど」
女性扱いではなく、エリザなりに貴族のお坊ちゃん扱いを心掛けたのだが、難しい年頃だと苛立たせるらしいとは勉強になった。
レイヤは、草を使った遊び、という草船作りの初挑戦に苦戦した。
エリザが丁寧に教え、何度も挑戦してようやく一番簡単なものが仕上がった時は、できたことを自慢して見せてきて誇らしげに胸を張っていた。
「すごいな、草が船になるとは」
「最後はこれを川に流して、流れる速さを競うんです」
きらきらとした目は確かに十六歳の少年っぽくて、エリザはなんだか微笑ましくてにこにこした。
「それはもったいない気がするな。持って帰りたいが、すぐに枯れてしまうだろうから無理か……そうだ、魔法使いと呼ぶのは面倒だから僕はお前をエリオと呼ぶぞ。で、次は何をするんだ?」
船を作る、というのはもう達成感もあって飽きそうだ。
エリザは青い空を眺め「そうですねぇ」と思案した。整えられたそこの花壇に蝶が飛んでいるのを見て、レイヤに顔を戻してにっこりと笑った。
「それなら、蝶遊びをしましょう」
傷つけないよう捕まえるのがルールであることを教え、一緒に草を使って仕掛けを作った。彼は茎部分を剥くと柔らかな芯が出てくるのを初めて知ったようで、「おぉ」と感動していた。
そして花壇の方に仕掛けて、二人で草の上に腹ばいになってしばらく待った。
「エリオっ、蝶が……!」
「まずは見ててくださいね」
蝶がうまく罠にかかったところで、エリザは植物の芯を紐代わりにして蝶の胴体に手早く軽く結び、レイヤに「どうぞ」と手渡した。
「すごいな! 紐の先で蝶が飛んでるぞっ」
「少ししたら、こうして紐を外してあげるんです」
やり方を一通り見せると、次は自分でもやりたいとレイヤが言い出し、エリザはそれに付き合った。
レイヤは傷つけず蝶に結ぶことに苦戦していた。時間はあっという間に過ぎて、けれど成功した時には疲労感よりも達成感が大きかった。
「細かい作業だな、もう目が限界だ」
彼が満足げに草の上に仰向けに寝転がった。
秋先とはいえ、日中はそれなりに暖かい。マントコートの中が熱くなって汗をかいたエリザも、風の恩恵を受けるべく彼の隣で横になった。
目の前見えるのは、午前中の青い空だ。だいぶ太陽は高い位置まで移動している。
茶会は正午前までの予定だったから、しばらくしたらレイヤを送らないといけないだろう。
「こんなふうに遊んだのは初めてだ」
空を眺めたまま、レイヤが言った。
「まだ十六歳でしょう? 学校ではしなかったんですか?」
「なかったな。貴族学校ではこんな遊びは教えないし、最近卒業した騎士学校ではとくに一緒にいる者はいなかったし……」
彼の声が萎む。エリザはハッとした。
(やばい、そう言えばボッチだった!)
友達作りがへたなのかなと思いつつ、話題を変えることにした。
「卒業して、今はどこに所属しているんですか?」
「今は第三騎士団にいる。ああ、そうだ、強い魔法使いは長生きするというが、エリオもそうなのか?」
隣からカサリと音が上がって、レイヤがこちらへ顔を向ける気配がした。
「いえ、寿命は普通ですよ。見た目も普通の十八歳」
「不思議な奴だな。強い魔法使いは大抵姿を変えるのに。今の姿だと僕より年下か、百歩譲って同じぐらいだぞ」
「失礼な。ちゃんとあなた様より年上です」
エリザは顔を横に向けた。そこには、自分と同じように楽に手足を投げ出して、こちらを見つめるレイヤの目があった。
彼は、じっと見てくるだけで文句を言い返す感じはなかった。
(ここから出たら、魔法で姿を変えているということにしておこうかな)
同年齢の女性と比べても、平均よりちょっと小さいのは自覚している。幼い頃から始めた戦闘訓練のせいなのか、独り立ちしてからとくに考えもせず、食事を適当に取っていたせいなのか。
(うん……今は、食事もすごく美味しい……)
それから、ベッドもふかふかだ。
思い返しながら心地よい疲労感で眠くなってきた。外でも安心して寝られる私有地バンザイと思い、顔を正面に戻して目を閉じた。
火照った顔に、植物を揺らす風が流れていくのが気持ちいい。
「おい、ここで寝るのか? 危機感がない魔法使いだな」
「数分目を閉じるだけでも、疲労は回復するものですよ~」
治療師として日中は勤務しているから、こんなふうに惰眠を貪ってゆっくりできるのも貴重だ。
「レイヤ様も少しやってみてください。気持ちいいですよ……」
「ふ、ふにゃふにゃした声で言うなっ。男だろうが」
「はいはい、まずは数分だけ」
エリザは手を伸ばし、目を閉じたまま隣の彼をぽんぽんとする。
「おい、令息の腕をぱしぱしする奴がいるか?」
「さあさあ、目を閉じて」
とにかく眠いので、数分黙っていて欲しい。
そう願っていると、しばし静かな時間が流れた。レイヤも目を閉じてくれているのだろう。素直に試してみるとか、案外可愛いところがある男の子だ。
(ああ、これ、ちょっと長引いたら本気で寝そう……)
そう思った時、不意に、頬に湿った感触が触れるのを感じた。
エリザはふっと目を開けた。すぐ近くにあった少年の顔が、ぱちりと目が合った瞬間みるみるうちに赤く染まっていった。
「か、かわい……」
「はい?」
レイヤが警戒心の強い生き物のように素早く離れ、立ち上がりながらも耳まで赤くなった。
どうやら頬にキスをされたらしい、というのは理解た。
(……なぜ、おまじないのキスをされた?)
不思議に思いながら、頬を触りつつ起き上がる。
よく眠れるようにという悪夢を見ないための、起きる際に本日も災いがないようにと、それから親しい中での『親愛のキス』がある。
親代わりの師匠にもたびたびされたが、エリザとレイヤは他人同士である。