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19話 王子様に攫われたら、抱き着きハプニングが起こりました!?

 すると、フィサリウスが唐突に走り出した。

「えっ、え、走るんですか!?」

 細い身体のどこにそんな力があるのだと思えるほど、彼はエリザをがっちり脇に抱えたまま颯爽と会場を駆ける。

 後ろから、ジークハルトが瞬時に雰囲気を引き締めて、ものすごく走って来た。

(こわ!)

 目を向けて、ぎょっとした。

 だがフィサリウスは、引き続きいい笑顔だった。一度だけ振り返り、追ってくるジークハルトに「こっちだよ」と余裕そうに声をかけていた。

「裏に通路があるから、そこまで我慢してね、エリオ」
「まさかのもう名前呼び――うっぷ、上下に揺られて気持ち悪いんですけどっ」
「あはは、君って面白いねぇ」

 どこが? ちっとも面白くねぇよ!

 治療係としてサポートに入っていたのに、今、そのジークハルトからものすごい形相で追いかけられている構図はよろしくない。

(泣くよりもマシとはいえ、あれも評判落ちるんじゃないの? 大丈夫?)

 それとも普段、ストレスが溜まってブチ切れた際に見せている姿なのだろうか。

 そんなことを考えている間にも、フィサリウスが空席になった壇上の椅子を通過し、カーテンの奥へと進んだ。

 そこには人の気配がない通路が続いていた。

 会場の演奏音や声が鈍く響いている。エリザは、そこでようやく降ろされた。

「すまなかったね」

 女性を担ぐものではない、というようなことを言いたいのだろう。

「いえ、大丈夫です……」

 エリザは腹をさすりながら言った。精神的な疲労感の方が凄まじい。

 その時、厚くて重いカーテンが勢いよく揺れた。

 直後、触れ帰る間もなく後ろから強い衝撃を受けて、エリザは「うぎゃっ」と前のめりになった。腰がずんっと重くなる。

「なんで僕のそばにいないんですかエリオ! こ、こここ怖かったんですよっ」

 半泣きのジークハルトに、腰に抱きつかれていた。

 どうにか足を踏ん張って転倒を免れたエリザは、その状況を理解するのにたっぷり数秒かかった。

 思考は停止してしまったし、フィサリウスも顔が固まっている。

「振り返ったらフィーと離れたところにいるし! もう少し早めに気付いて助けてくれても良かったじゃないですかぁ!」

 すでに腰が抜けているのか、ジークハルトはエリザの腰に縋るように抱きついたまま泣き出してしまった。

 王太子を『フィー』と愛称で呼ぶくらいには、仲がいいらしい。

(……え? というか、大丈夫なの?)

 大人がマジ泣き、という構図を考えている場合ではない。

 ひどい女性恐怖症が、今、自分の腰をがっちりと抱き締めて顔をすり寄せているのだ。

(いや、だめだ。これはまずい)

 エリザは血の気が引いた。脇腹に縋るような頬ずりをしてくる男の高い体温に「ひぇっ」と悲鳴がこぼれた。その感触から、両腕で痛いほど腰を抱き締められている状況を正しく理解する。

「ジークハルト様すみませんでしたっ、次からはもう絶対に目を離しませんから手を離してください!」

 手を離せ、というのが主な主張になって申し訳なく思う。しかし、緊急事態なのだ。

 だが、ジークハルトはこちらの話を聞く余裕もなかったみたいだ。

「一人はものすごく心細いんですよっ、僕が一人で頑張っているのに、フィーと楽しく話しているなんてひどいです!」

 楽しく話した覚えはない。正体を知ってからは緊張しかない。

 その時、言い終えたジークハルトが、エリザの脇腹にぐりぐりと頭を押し付けた。ぞわぞわして彼女は悲鳴を上げる。

 ハッとして、咄嗟に高い声はやめたけれど。

「あああああのっ、謝罪ならあとでいくらでも聞くんで、とりあえず貴方様のためなので今すぐ手を離してくださいぃいぃ!」

 引き続き頭をこすりつけられて、腰やら脇腹がくすぐったい。

 怪力の指輪をしているので、軍人として鍛えているであろう彼だって引き剥がせはする。しかし、素手で直に触れて大丈夫なのかも分からなくて、エリザは自分ら彼に触る行為には出られなかった。

「引き離すなんてひどすぎます! 僕は一人でがんばったんですよ!」
「うわぁあぁ知ってますっ、それは知ってますから! 頑張ってミッションコンプリートしたご褒美だってあげますから!」

 ジークハルトは、僅かな接触でも蕁麻疹が出る。

 それを考え、甲高い悲鳴が出そうになった口から、思わずなりふり構わず思い付きそう言った。

 するとジークハルトが、初めてぴたりと止まってくれる。

「ご褒美……」

 そう呟いたかと思うと、渋々といった様子で手を離してくれた。

 さすがのフィサリウスも、彼が泣き付くという行動に出るのは予想外だったらしい。戸惑いがちに彼の腕を掴んで、立つのを手助けする。

「ジーク? その、言いにくいんだけれど……君、どこかに異常は?」

 フィサリウスが慎重に確認した。

「は? いいえ、とくには。ああ、走っている間に震えも収まったようです」

 ジークハルトが自分の手を見る。

 エリザは唖然とした。フィサリウスも一瞬神妙な顔をしたが、「とりあえず涙は拭きなよ」と言って自分のハンカチを手渡していた。

(でも、本当に大丈夫なのか?)

 先日、屋敷で倒れたばかりだ。

 エリザは、涙を拭うジークハルトの周囲を歩き回った。服から覗く白い肌を急ぎ観察していく様子を、気付いた彼が目で追う。

 その様子を、フィサリウスが何か言いたそうに見つめた。

「……ジーク、何をそう見ているんだい?」
「いえ、僕の周囲をぐるぐる歩くのが、いいなと」

 フィサリウスが困惑の表情を浮かべる。

 なんて緊張感のない会話をしているのだ。エリザは緊張事態だと思って、ぱっと顔を上げてジークハルトに問う。

「あ、あの、ジークハルト様、治療係として目を離すといった失態をしてしまい大変申し訳ございませんでした。その、吐き気や蕁麻疹は?」
「エリオ、その両手はどうしたのですか? 飛びかかる準備ですか?」

(そんな遊びしてねぇよ!)

 きょとんとしたジークハルトには、ほんとにはらはらさせられる。

(こっちは心配でオロオロしているんです!)

 そんな文句を心の中で言い返しながら、エリザは忙しなく彼の周りを歩いて、身体に異常が出ないか待った。だが、数分待っても何も起こらなかった。

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