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(部下達も、大変そう)

 エステルは、ノックの音に許可を出し入室してきたメイドが、応接席に座ったアルツィオに紅茶を出す様子を眺めた。

 彼が自分の父である国王や、兄弟王子達を困らせているのも納得できた。

『国王が引き合わせたのは、隣国のアルツィオ・バラン・ヴィング第三王子殿下だった!』
『もしかしたら次の縁談の候補者!?』
『初の顔合わせから、彼は療養している公爵令嬢の別荘へ頻繁に通う――』

 アルツィオが魔法入国の言い訳にエステルを使っていることで、色々とさらに噂が立っているらしいとは、公爵家の調査員から聞いている。

 今のところ、噂好きの貴族が勝手に盛り上がっている感じはある。

 それにつられて雑誌や新聞社が取り上げて、売り上げを伸ばそうとしているのだろう。

 彼らは調子がいいことに、アンドレアとエステルが完全に終わったと感じた直後、今度はヴィング王国第三王子とエステルの『恋の行方』とやらを期待しているようだ。

 民衆の期待の高まりが、婚姻へと後押しすることもありはする。

 だが、向こうの国は、実のところエステルを第三王子にあてがうつもりは、あまりない。

(私も、そう)

 エテルは、紅茶を飲む彼から手元の書類へと視線を戻す。

 二回目の訪問を受けたタイミングで、国王から様子をうかがう手紙を一度もらったのだが、『友好関係を築いているところ』とエステルは返事をした。

 国王はそれだけでもよいと思っている感じも、そのあとの返答から見受けられた。

 だからエステル自身、今回の婚姻候補との交流に関しては、緊張も覚えずに済んでいる。

(陛下達も、悪いと思っているのかも)

 できるだけよく過ごせるようにすると、手紙には言葉が添えられていた。

 今は、体調のためにも心安らかで過ごしていて欲しい、と。

(彼はリリーローズ嬢のことを、本当に見初めて、とても好きでいる)

 エステルは深いアメシストの目を持ち上げ、そっとアルツィオの姿を映し出す。

 恋をしていた婚約者と関係が、終わってしまった。

 膨大にあった魔力をほとんと捨てて、結婚資格を手放したわけだが、その矢先に新しい縁談候補者に会ってみたら、すでに別の女性に一目惚れしていて、協力を求められた。

 だが、ショックは何も感じていない。

 エステルはいいですよと答え、友人として協力している。

 同じ部屋にいても、もう彼に異性としての意識はなくなってしまってもいた。

 そもそも初対面で『他に好きな女性がいる』と打ち明けられてもショックを感じていないのは、エステルがまだ、アンドレアを好きでいる証でもあるのだろう。

(今頃、よろしくしているかもしれないのに……)

 たとえば交流が、キスまでする仲になっていたらとも想像した。

 それなのに『浮気者』『さいてー』と思うどころか、エステルは伯爵令嬢が裏山くなって、そして彼の『好き』が、全然消えてくれなくて――。

 思わず溜息が小さくこぼれる。

「エステルも休憩をしたらどうです?」
「今読み始めたのは分かっていますわよね。あなたが先に見たいだけでしょう?」
「おや、バレてしまいましたか」

 にこにことした笑顔のままのアルツィオに、エステルは二度目の軽い感じの息を吐く。

「アルツィオは、性格が少々お悪いと言われません?」
「いいわけがないでしょう?」

 ようやく分かったんですかと、かえって心配するような目をされて、エステルは口元がひくつく。

「考えてもみてください。婚姻候補の相手、しかもその女性は〝恋に胸を痛めている〟ところなのに、そんな女性を利用して、見初めた女性とどうにか近づこうとしているわけですから、性格がいいわけがないでしょう」

 恋に、というのは余計だが、確かに正論だ。

「潔いのですね」
「私はあなたの味方ですか、嘘は吐きません。それはお約束します」
「別に、そんなことおっしゃらなくてもいいですわ」
「いいえ、大事ですよエステル。あなたは、あまりにも頼れる相手がいなさすぎる」

 通っているだけてなくて、色々と調べてもいるのか。

(まぁ――相手は第三王子で、軍もみているから当然か)

「あまりにもあっさり私の協力を受けてくださったので、そこまで傷心されているのだと気にしていました」
「……痛めている、やら、傷心やらはやめてください」

 二週間も王都を離れて、少しずつではあるが乗り越えられているのだとは、エステルは感じてもいた。

 たぶん、徐々に小さくなってくれている、はず……と。

「ふふ、それは申し訳ございませんでした。最近は少し元気になられてきたようで安心です」

 言い返されたのに、かえって彼は楽しそうだった。

 やはり少し性格が……と思うものの、同時にエステルは優しさを感じた。

(確かに……別荘に引きこもってはいるけれど、彼と話しているおかげで回復しているのもあるわ)

 エステルは書類へ再び目を向けた。

 だが、ふっと視線を彼に戻した。微笑みを浮かべたアルツィオはティーカップを持ったまま、まだじっとエステルを見つめていた。

 また、心の音、というやつだろう。
 察し、予感して、待っていたのかもしれない。

「あなたは私の味方なのですわよね」
「ええ、頼みを引き受けてもらっているので、何かあれば私もご協力します」

 エステルは、自分の中で大切なキーワードになっている『リリーローズ』の名前が書かれている書類を下敷きにできず、大切そうに少し寄せて、書斎机で手を組んだ。

 それを彼が見つめ、優しい目をしたことには気づかなかった。

「しばらく結婚ができなかったら、と考えていました」
「何かしたいことでも?」

 本当に察しのいい男だ。

「待っている間、何をしていいのかもまだ考えてはいませんが――国の外へ出たい思いは変わっていません」

 アンドレアのいない土地へ、行く。

 彼がユーニを妃に迎え入れるにせよ、他の女性を新たに王太子の婚約者にするにせよ、別の誰かと結婚する姿を祝福できそうにはない。

「もしアルツィオが無事にリリーローズ様とうまくいったら、私に、あなたの国の殿方をご紹介いただけませんか?」

 どこか外国に、というのなら彼の国でいいように思えた。

 いい知り合いが一人でもいると、一人嫁ぐ気の持ちようも変わってくる。

 アルツィオは第三王子だ。軍人としてもいい地位にいるので、彼の周りも国王が納得してくれるような者達ばかりだろう。

 人を紹介て欲しいと頼まれるとは思っていなかったようで、アルツィオは目を少しだけ丸くした。

「ご迷惑な頼みでしたか?」

 エステルが困ったように微笑みかけると、彼は「いえ、そんなことは」とハタとした様子で動き出し、持っていたティーカッブをテーブルに置いた。

「私との婚姻がだめになる場合には、当然次を探さなくてはなりませんからね。顔合わせしたにもかかわらず、その場で別の女性と結婚したいと協力を求めた男です、私もあとのことまできちんとするのが誠意というものでしょう」
「ありがとうございます」
「ですが……」

 アルツィオは姿勢を直しながら、脚を組んで、頬から顎にかけて指でなぞった。

「それが必要になるのかどうかは」
「はい?」

 思わず疑問の声を上げたら、彼が思案の言葉を切った。

 表情は読めない。笑顔ではない場合、彼はかなりクールフェイスだ。

「外国から縁談話がもらえるとは思わないのですけれど、まぁ、アルツィオが問題ないとおっしゃるのでしたら」
「いえ、そうではなく」
「そうではないのですか?」

 彼は開いた口を、そのままゆっくりと閉じて、とても悩ましそうな顔をした。

「あー……エステル、失礼ですがあなたは」
「はい」
「……心優しいうえ、その、素直なんですね?」

 意味が分からない。

 エステルの表情と、そしてまた心の音で察したのだろう。この部屋には上がっていない何かの音を聞くみたいに耳を澄ませた彼が、立ち上がる。

「あら、どちらへ?」
「あなたに挨拶しに来国したと、いったん陛下へご挨拶へ」

 彼は振り返り、にっこりと笑いかけて指を差す。

「それはしばらくお読みいただいていて結構ですよ。あなたも、私のリリーローズのファンになったようですからね」

 いつあなたのものになったのですか、と言いたくなった。

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