ハイリグス帝国へ
「……姫様が向かわれたのは、ニンゲンの国じゃ」
コンラートさんは、静かにそう告げた。
「人間の国、ですか……?」
「うむ。ギル坊も一か月前の話は覚えておるじゃろう? クラウスがニンゲンの国に言い渡した期限が、ちょうど今なんじゃ」
そうだった。あの男は周辺にある国々を攻撃し、滅亡か服従を迫ったんだ。
今は僕を含めてたった四人しかいないドラグロア王国だけど、『王選』を経てこの国の女王となったのはメルさん。なら、後始末だってしなきゃいけない。
そして……きっとメルさんは、ハイリグス帝国に対して苛烈な処断を行うだろう。
僕のこれまでの境遇を知り、あんなに怒ってくれたメルさんだから。
だけど、僕は一か月前に言った。
人間の国がどうなろうと知ったことじゃない。大切なのはメルさんとコンラートさん、それにエルザさんだけだって。
「ギル坊、どうするんじゃ……?」
コンラートさんが、普段とは似つかわしくないほどしおらしく尋ねる。
でも、どうするかなんて決まってる。
「この前言ったとおり、僕はメルさんに全てお任せしています。たとえ人間の国が……ハイリグス帝国がどうなろうと、僕は知りません。だけど」
僕は顔を上げ、コンラートさんを見つめると。
「せめて最後まで、僕はこの目に焼き付けようと思います。メルさんが僕のためにしてくれたこと、その全てを、僕は知っておかなければいけないと思うから」
そう……メルさんは、僕のためなら自分の手を汚すことだっていとわない。
だからこそ僕は、彼女がすることを見届けなきゃいけないんだ。
たとえメルさんのしたことがとても罪深いことなのだとしても、僕も一緒に背負わなきゃいけないから……ううん、一緒に背負いたいから。
「だからコンラートさん、僕もメルさんのところに連れて行ってください。もちろん、遠くから見ているだけでいいんです。もし僕がいるということが分かれば、きっとメルさんは遠慮しちゃうから」
「ふう……ギル坊なら、そう言うと思ったわい」
息を吐き、かぶりを振るコンラートさん。
だけど、すぐに豪快な笑みを浮かべると。
「任せよ! このわしが、ギル坊を特等席に連れて行ってやるわい!」
「はい!」
大きな赤い竜に姿を変えたコンラートさんの背中に乗ると、僕達は大空へと飛び立つ。
向かう先は、生まれてから僕が暮らしていた国。
――ハイリグス帝国。
◇
『む、見えたわい』
デュフルスヴァイゼ山を飛び立ってからまだ十分程度しか経っていないのに、眼下には城壁が破壊され、街の半分が壊滅状態となっている皇都プラルグが見えた。
クラウス達は自分の……竜の力を誇示するために、わざわざあんなことをしたのか。
『こんなことは言いたくはないが、効果は絶大じゃろう。竜の力をまざまざと見せつけられ、ニンゲンどもは竜には敵わぬことを悟り、いずれも慄くばかりで抵抗すら見せなんだからの』
「コンラートさん、詳しいですね」
『うぐ……ま、まあ、今さら隠すものでもないか……』
そう呟いて頭を掻くと、コンラートさんは話してくれた。
一か月前、メルさんの指示を受けエルザさんとともにハイリグス帝国に赴き、期限となる今日、メルさんが裁きを下しに帝都を訪れることを告げたそう。
その時、現れた皇帝……つまり僕のお父さんだった人は、他の家臣たちと一緒に恐怖で泣き叫んだらしい。
『……一番許せんのは、誰一人としてギル坊のことを尋ねんかったことじゃ。森に捨てたのなら、その中央にあるドラグロア王国とギル坊が繋がっておるかもしれんことは、考えれば分かることじゃろう』
そう言ってコンラートさんが憤るけど、それはあり得ない。
だって。
「あの人達が、そんなこと考えたりしませんよ……僕が暗黒の森に捨てえられたのは、魔獣の餌になって死ぬためなんですから」
『ギル坊……っ』
コンラートさんはすごく怒っているのに、まるで今にも泣きそうな表情を浮かべた。
でも僕は、彼にこんな顔をしてほしくなくて。
「えへへ、大丈夫ですよ。僕、今は暗黒の森に捨ててくれて、むしろ感謝してるんです。だって、そのおかげで僕は、メルさんやコンラートさん、エルザさんに出逢えたんですから」
僕は今の自分にできる目いっぱいの笑顔を浮かべ、そう告げたんだ。
『ふぐう……分かっておる! わしもギル坊に出逢えたこと、神という奴がいるなら本当に感謝しておるわい!』
「えーと、神には感謝したら駄目ですよ。クラウスの背後にいたのは、女神なんですし」
鼻をすするコンラートさんに、僕は少しおどけてみせる。
やっぱり彼には、いつも豪快に笑い飛ばしていてほしいから。
『おう! そうじゃったわい! クラウスに加担し、毒を含めあのようなものを授けたんじゃからな! 今後出くわすことがあれば、刀の錆にしてくれるわ!』
「えへへ、頼りにしてますね」
『任さんかい!』
ようやくいつもの調子に戻ってくれたコンラートさんを見て、僕も顔を綻ばせた。
そうこうしているうちに、僕達は帝都の真上へとやって来た。
眼下には。
「……面白いですね。まさかこの私と、戦うつもりだなんて」
人間の姿で不敵な笑みを浮かべるメルさんと、傍に控えるエルザさん。
二人の目の前には、皇宮を守るかのように展開し武器を構える帝国軍がいた。