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40話 帰る場所







「テオ!」


ルネの悲痛な叫びが玉座の間に響き渡った。鋭い音に反応したかのように、グラヴァスはテオから興味を失ったかのように身を引き、冷淡に玉座へ向けて歩き出す。その姿を追うように、ウタが冷静な動作でコンパウンドボウを構え、弦を引き絞った。


「止まってください。」


ウタの低い声が鋭く響く。

グラヴァスは振り返りもせず、ゆっくりと右手をかざした。その動作に嘲笑が滲む。


「その武器が私に通用するか試してみるか?」


その声には確信があった。

ルネは膝をつきながらテオの元へ駆け寄る。その姿は必死そのもので、視線をテオの胸に注ぐ。そこには恐ろしい傷跡が残り、右胸にはぽっかりと穴が開いていた。止めどなく流れる血が冷たい石床を赤く染めていく。


「テオ!しっかりして!」


ルネの叫びに、テオがわずかに反応した。震える唇が何かを紡ごうとするのを見て、ルネは彼女の顔に耳を近づける。だが、その声はあまりにも弱く、聞き取ることはできない。


「ウタ!テオが息をしてない!」


声が震えた。心が引き裂かれるような恐怖がその叫びに込められていた。しかし、ウタは表情を動かすことなく弓を構え続けた。そのままグラヴァスに声を投げかける。


「グラヴァス、テオを治す手段はある?」


グラヴァスの歩みは止まり、振り返ると冷酷に笑った。


「ある訳ないだろう?治す必要もない。そのキメラは私が作った合成獣だ。霊核さえ手に入ればもう用はない。」


男は悠然と手を上げ、紫色に脈動する霊核を掲げて見せた。それは血に濡れながらも光を放ち、生きた宝石のようだった。その光景にウタの目が鋭く細められる。

弓を構える指が微かに緩む。やがてウタは息を吐き、弦を静かに戻した。その弓が床に落ちる音が、玉座の間に乾いた響きを残した。


「この霊核があれば、アビスゲートは完成し、私は時空を超える。素晴らしいとは思わんか?」


勝利の笑みを浮かべながらグラヴァスは玉座へと戻る。その瞬間、ウタの表情がわずかに変わった。


「アビスゲートが無くても時空は越えられるよ。」

「なに?」


その問いが終わる前に、ウタの瞳が赤く燃え上がった。脳の処理能力をオーバークロックさせ、時間を凍りつかせたかのように世界が静止する。

ウタの動きは滑らかだった。背中から拳銃を引き抜き、確実にグラヴァスの頭部を狙う。発砲音は短く、鋭かった。

二発の弾丸が命中し、グラヴァスの身体は崩れ落ちていく。男の手からこぼれ落ちた霊核をルネが白い光を纏った手で受け止める。霊核は冷たく輝き続け、ルネの手を震わせる。


「ウタ!どうしよう、段々冷たくなっていく…」


ルネの声は悲痛だった。しかし、ウタは冷静だった。


「大丈夫、私を信じて。私も私を信じる。」


その言葉を最後にウタは玉座の上に嵌め込まれたアビスブックを取り外し、テオの元へと歩き始める。その姿にルネは訳も分からず叫んだ。


「なにを言って……」


その瞬間、玉座の間全体が振動し始め、不思議な音に包まれた。テオが横たわる床に光が走り、複雑な魔法陣が浮かび上がる。ウタはその中へと進み、静かに言った。


「ルネ、一緒に行こう。」


ルネの心は一瞬迷った。しかし、やがて決意を固めるとウタの元へ駆け寄った。


「テオを助けられるなら、どこへでも行く!」


その言葉と共に、魔法陣の光が眩く輝き、三人の姿を包み姿を消した──























真っ暗な闇の中、やがてエレベーターが停止し、扉が開くと、暗がりの中に伸びる通路が現れた。

壁には一定間隔で照明が設置され、かすかな光が足元を照らしている。

二人がしばらく進むと、鋼鉄製の扉が目の前に現れる。博士がその横にあるモニターに手をかざすと、電子音とともに扉が重々しく開き、中へと導かれた。


「この先にハイパーチューブがある。お前は乗ったことがあるか?」


博士が先に奥へと進み、紫色した髪の女性は顔を伏せながらその後にただ、ついて行く──







やがて二人はカプセル搬入口にたどり着き、博士は制御盤を操作する。


「さ、乗ってくれ」


女性は博士の信頼に満ちた眼差しを受け、無言でうなずくと、カプセルのドアが開かれるのを待ってから静かに中へと身を滑らせた。
博士が制御盤を操作し、カプセルの扉が重々しく閉まる。


「そのまま座っていればいい。すぐに出発する」


しかし突然、鋭く荒れた機械音声が地下に轟き、静寂を切り裂いた。


『動くな!』


軍用アンドロイドにプログラムされている声は無感情で、聞き覚えのない者にもすぐに分かる特有の響きを持っている。


軍用アンドロイドが近付く事には目もくれず、博士は制御盤を操作し、その音だけが微かに響いている。複数の足音が徐々に大きくなり、その音は無機質な重さを含んでいた。

感情のない機械音で博士に尋ねる。


『試作機の所在を教えてください』
「試作機?何のことだ?」


博士は制御盤から目を離さず、低い声で答えた。アンドロイドは冷たく返す。


『あなたが所持していることは確認済みです』
「知らんな」

『そうですか。我々は人類から独立しました。ここで引き金を引くこともできますが』


軍用アンドロイドは淡々とライフルを構え、博士へと銃口を向けて言い放つ。博士は一瞬、鋭い視線をアンドロイドに向けた後、毅然として言い放つ。


「…試作機などではない。ウタという名前の、私の大事な娘だ。」


背後に控えていた二体のアンドロイドが重火器を構え、博士に近づいてくる。


『富永博士、あなたの存在は我々にとって有益です。しかし、あの試作機の詳細は一切開示されておらず、マリアは「危険」と判断しました』

「あれは私の娘だ!お前たちを指一本で機能停止させることもできるんだぜ」


博士の声が響き、アンドロイドたちは一瞬動きを止めた。


「博士!カプセルを開けてください!」


カプセル内から大きな声がして辺り一帯に響き渡る。すると、軍用アンドロイドが無感情に指示を下す。


『試作機はカプセルの中だ。破壊せよ』


直後、カプセルの近くから何かが割れるような音が響き渡った。

ウタは身を隠していた場所から飛び出し、軍用アンドロイドに向けて最後の銃弾を撃ち込む。その彼女の横をルネは白い光を放ちながら駆け抜け、重火器を持ったアンドロイド二体を流れるように破壊していく。


カプセルが突然加速し、地下の長いチューブの中を滑るように突き進んでいく。

ウタは闇の中へ進んでいくカプセルを見つめ、目を閉じた。音から視覚化した世界に浮かぶ「自分」の姿が視界に映った


それはまるで、自分自身と目が合ったかのように、儚い存在感をもってウタの中に刻まれた──







富永博士は尻もちをついたまま、目の前の光景に呆然としていた。カプセルの中にいたはずのウタが、まるで何事もなかったかのように歩み寄ってきたのだ。


「どういう事だ?ウタ、お前は今確かにカプセルで……」


博士の震える声に、ウタは短く返した。


「ただいま、お父さん。話は後にしましょう。今は医務室に急ぎます。」


ウタの冷静な言葉に戸惑いながらも立ち上がった博士は、ふとウタの後ろに立つルネの存在に気付いた。


「君はウタの…友達か?」


ルネは一瞬考え込むようにしてから、さらりと言った。


「…恋人かな。」


その言葉に博士は完全に固まり、迷子のような顔を見せた。


「……恋人?」









そこは、彼女が三百年もの間、心の拠り所としてきた場所だった──

亜人たちの国、エスカリオン共和国。その首都アルデンフォードの奥にそびえるアルファリオ城。その中でも最も荘厳だった空間、玉座の間は白を基調とし、青と金色の装飾が鮮やかに調和している。亜人特有の優美な曲線で彩られた壁と柱が、見る者に神秘的な印象を与えていた。

風になびく淡いピンク色の髪から大きな猫耳を覗かせている女性── ルナ陛下はその大窓の縁に腰掛けていたが表情は暗く、影を落としていた。


「お主が居なくなってもう十年経つな……」


眼下に広がる街の喧騒を見て、ルナ陛下は吸い込まれそうな気持ちになるのを抑えていた。

ふと、背後から軽やかな足音がひとつ聞こえる。それは幼い頃、いつも心待ちにしていた音だった。

しかし、ルナは振り向けなかった。振り向いて冷たい現実と向き合うぐらいなら──

そんな彼女の葛藤をよそに床を叩く音が徐々に近付いてくる。不安と期待が大きくなる。やがてその人の声が聞こえる


「陛下」


その言葉にようやく振り向き、彼女の頬を涙が流れていく。


「ルナと呼べといったじゃろう。」


テオに抱きしめられたルナは胸で泣く。


「遅くなってごめん。二人がどうしてもルナが成人してからって聞かなくて。」


ルナは顔を上げて唇を重ねる。やがて離れるとテオは笑う。


「しょっぱい。」
「うるさい。」


テオに抱かれたルナはふと、思い出したように短弓を取り出す。


「そうだ、これはお主のか?」


それは動物の角で作られた見事な短弓だった。


「これは…友達のかな。」


彼女は空を見上げて呟いた。


「弓の練習をしようかな。」


その星狼の塔、最上階には巨大な窓が設けられていた。

壁を縦に長く切り取られた空間からは、都市全体を見下ろすことができ、さらにその向こうには広大な空が広がっている。


その景色は、まるで永遠を象徴するかのように静かで壮麗だった──








第一部 完。

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