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第五話

 少女の一日は一本のミラクルレモネードから始まる。

「大吉こい。大吉こい……!」

 ひなのはコンビニのドリンクコーナーで散々悩み、祈った末に一本を選び出す。彼女は厳選したそれを持ってレジに置き、バーコードを機械にかざした。

『エラーが発生しました。もう一度お試しください』
「えぇ……?」

 何度か繰り返すも反応しないので仕方なく元に戻し、代わりに《《なんとなく》》隣に置いてあったものを掴んで会計する。今度は正常に作動したのでホッと安堵のため息。外に出て早速口をつけた。

「〜〜〜〜ッ! もう! やっぱり大凶じゃん!」

 酸味の暴力に悶絶しつつ、少女はせっかく買ったのだからと律儀にちびちび飲みながら道を歩く。
 街をゆく人はまばらで、火曜日だというのにどこかうつろな印象を受けた。もっとも少女はただの気のせいだろうとあまり気にしなかったけれど。
 ただ、なんだか今日は風が強いな、と空を見上げた時だった。

『上。2km先で補修材が落下。頭部を直撃し、死亡』
「え……?」

 視界いっぱいに「これからの自分」が映し出される。補修材によって頭が凹み、倒れた地面に大量の血が流れ出す。スッと血の気が引いた。
 道を大きく迂回し、別のルートで学校を目指す。しかし。

『左。12m先で車両に衝突。全身を強く打ち、死亡』

 視界の中で「これからの自分」が猛スピードの乗用車に撥ねられ、大きく吹き飛ぶ。手足が捻じ曲がり、打ち付けられた衝撃で頭蓋から中身が──

「いや……っ!」

 ひなのは後ろへ走り出す。違うルートで登校? 家に帰る? どっちでもいい。とにかくここにいたくない。

『前方。30m先。踏切で押され、電車と接触。死亡』
『右。4m先で配電盤が故障。感電し、死亡』

 勝手にDOOMシステムが起動し、そのたびに自分の死を見せつけられる。死を見るたびに胃が引き絞られ、目に涙が滲む。

「はっ……はぁ……はっ、はっ……は」

 走らないと。逃げないと! どこへ? わからない。でも早く!

「換装!」

 悲鳴のように叫び、アバターを身に着けてひなのは全力で走り出す。前。右。左。上。

『死亡。死亡。死亡。死亡』

 どうして、どうして、どうして! なんで!? 混乱する頭をフル回転させ、震える唇を噛み締め、涙をこらえて広いところを目指す。公園ってどこだっけ。あそこならまだ……!
 そうしている間にもDOOMシステムの見せる運命の間隔が徐々に短くなっていく。一歩前に出たら死ぬ。横を見たら死ぬ。振り返ったら死ぬ。跳んだら死ぬ。
 運命に引っかからない細い道を駆け抜け、ひなのはようやく公園に辿り着いた。それでも、運命は消えない。

「やだ……。やだ、やだ!」

 呼吸が浅い。酸素が脳に回らない。目の前がうっすら白くなってきた。それでも容赦なく視界には死が映し出される。
 慌てて辺りを見回す。360°どこを見ても自分が死んでいる。ひなのは愕然としながら、最後に前を見た。

『前方。建設中の建物の一部が落下。下敷きになり、死亡』

 隣接する建物から鉄骨が降ってきて、ぐちゃ、と目の前で自分が潰れた。

「は、はは……」

 少女は静かにうずくまり、目を閉じた。もう見たくない。もう知りたくない。誰か、誰でもいいから。誰か……!

「助けてよ……」

 そんな少女の願いが、果たして届いたのか。力強く応じる声があった。

「あぁ、待ってろ。今助ける」

 ひなのは顔を上げる。そこには幼馴染の「波切レン」の姿が、確かにあった。


***


『高瀬ひなのを救うために、まずは武器研究棟へ向かってください』

 月曜日。すっかり暗くなり人の気配も消えた頃、アカデミーに侵入した俺の耳元にシノの声が響く。

「それは、なぜ?」
『あなたの運命改変能力はまだ真価を発揮できていません。なので、潜在能力を解放します』

 不自然に一つだけ明かりのついた建物を走り抜け、視界に表示された目的地に辿り着く。シノが準備を済ませ、待機していた。

「え、ここって」
「早く座ってください」
「は!? いや、ちょっと待てこれ電気イ──あばばばばばば!」

 それからしばらくして、火曜日早朝。俺は右手にグローブをはめ、シノの案内に従って全速力で走っていた。

『対象はポイントBを迂回、予想進路は南南西です』
「くっそ! 速すぎるんだよ、あのバカ!」

 明らかに異常な速度で都市中を走り回るひなのに思わず悪態を吐きながら俺はとにかく走る。今は考えるより体を動かす時だ。

『当該地区を検索。青が峰公園がヒットしました。最短経路を表示します』

 視界に表示されるナビに従い、俺は目の前に広がる緑の公園を目指してひた走る。人を避け、塀を飛び越えて、ただただ愚直に真っ直ぐと。

『予想タイムリミットまで残り3分28秒。急いでください』
「これ、でも! 全速力なんだよ!」

 温度の感じられないシノの言葉に怒鳴り返して、なんとか公園の入り口を通り抜ける。

『最終確認です。私たちの体に刻まれたDOOMシステムは強力な運命によるプロテクトが施されています。通常であれば触れることはおろか、解除しようと意識することさえ出来ないでしょう』
「でも、今の俺ならやれる! そうだろ!?」

 俺の言葉にシノは「はい」と淡白な返事をして続けた。

『起動コードはグローブに内蔵されています。波切レン。あなたはそのグローブで高瀬ひなののDOOMシステムに触れ、破壊してください』

 俺の目がうずくまる「ひなの」の姿をとらえた。残り……20秒!

「ひなの! 立て!」

 ボロボロ泣いてる幼馴染を強引に立たせる。

「レン、私。私……!」
「落ち着け。大丈夫だ」

 混乱する少女の右眼が眩い赤の光を放つ。ゴギンッと前の建設現場から妙な音が聞こえた。時間がない……! 俺は咄嗟にひなのを抱きしめた。

「落ち着いて、目を閉じろ」
「へ!? あの、レン……」
「いいから、ゆっくり」

 ひなのが体をこわばらせて、言われるがまま、ゆっくりと目を閉じる。
 俺はまぶたにそっと右手を添える。

「DOOMシステム、解除」

 グローブに光の筋が流れ、俺たちを取り巻く世界が歪む。体が大きく引き伸ばされ、ねじれ、潰れる。平衡感覚がむちゃくちゃだ。まるで宇宙空間に放り出されたようだ。それでも、俺は!

「ぐっ、うぅ! 早く、壊れろ!」

 ガラスが砕けたような音がした。世界が急速に形を取り戻していく。ああ、なんとか勝った、と空を仰いで。
 鉄骨が目の前に降ってきていた。

「いぃっ!?」

 ひなのを抱く手に力を込め、一か八かアバターを! だが、その必要はなかった。
 目の前まで迫っていた鉄骨は次の瞬間、すさまじい衝撃によって、横にぶっ飛んでいったからだ。呆然と見つめる俺の耳にシノの言葉が届く。

「狙撃任務完了。お疲れ様でした」

 ようやく力を抜き、俺たちはへなへなとその場に座り込んだ。

「レ、レン……。もう、目開けていい?」
「ふうぅ。ああ、もう大丈夫だ。全部終わった」

 少女はゆっくりとまぶたを開く。潤んだ瞳に俺の顔が映っている。よっぽど怖かったんだな。ま、そりゃそうか。

「災難だったな」

 少し気恥ずかしくて、俺は軽い調子で話しかける。すると、ひなのは泣き腫らした目をおさえ、頷いた。

「うん……。すごく、怖かった。もうダメだって、諦めちゃった。でも」

 言葉を切り、ひなのはそこでようやく笑った。

「レンがいてくれたから、運は悪くなかったよ」

 頬を赤く染める幼馴染に、俺もまた助けた実感をもらい、俺たちはどちらからともなく笑い合った。

 ひなのを運命から救う作戦は、こうして無事に幕を閉じたのだった。


 数日後。下校の時間になり、俺は一人、駅に向かった。
改札を抜け、電車を待つ。急行は次か。ふと周りを見ると、夕焼けが駅のホームを鮮やかに照らしていた。なんで夕焼けって、きれいなのにどこか寂しいんだろうか。一日が終わってしまうからだろうか。こんな気持ちになるのは、もう引き返せないからだろうか。

「なに、たそがれてるの?」

 俺の耳に非常に聞き覚えのある声が届く。そういえばあいつも電車こっちだったっけ。……時間をずらせばよかったかもしれない。

「ひなの」

 一言つぶやくと、少女は軽く手を振ってこちらへ歩いてきた。もういつもの調子を取り戻したみたいだ。

「なんか覚悟決まったって顔してるけど、これからどこ行くの? レンの家こっちじゃないじゃん」
「あーなんだ。まぁ、俺今日から一応、テロリストだから」

 ひなのがきょとんと首をかしげる。おれはコホンと咳払いをして真面目腐った顔で言った。

「俺、これから革命派に協力して、ちょっと世界救ってくる。忙しくなるから、たぶんあまり会えなくなると思う」

一拍の間を置いて、ひなのは盛大に笑い始めた。急に恥ずかしくなってきてカーっと頬が赤く染まる。わかってるよ、ガラじゃないだろ。ひなのはひとしきり笑った後、意外なことを言った。

「いいんじゃない? レンにはヒーローが似合ってるよ」
「お、おう」

 思わぬ反応に困惑してしまう。もっとからかわれるかと思ったんだが。そんな俺を置いて、ひなのは軽く手を振って売店に歩いて行ってしまった。なんというか、こう……反応が思ったより淡白で少し寂しいような気が。いや、女々しいぞ俺。気持ちを切り替えろ。
 遠くから電車が近づいてくる。俺は自分の手を広げた。今まで俺には何もないと思っていた。力なんてなくて、誰も救えず、助けられてばかりだと。
 ホームにゆっくりと電車が止まる。夕焼けがさえぎられて、少し暗くなる。
 でも、ちゃんと俺にもできることがあった。俺にしかできないことがあった。それならやってみたいと、そう思った。
 詰めていた息を吐き出すようにプシューと扉が開く。俺は電車の中へ足を踏み入れた。ここから、始めるんだ。

「てい!」
「おぶっ!?」

 中に入った瞬間、背中に何かが勢いよく突撃してきた。盛大によろけて、何とかこけずに踏みとどまり背中を見る。

「ひなの? お前、乗るなら各停だろ」
「私もいっしょに行く」

 有無を言わさぬ口調で言い切る少女に俺はぽかんと口を開ける。こいつ、意味を分かって言ってるんだろうか。

「レンだけじゃできることも限られるでしょ。アバターだって一人じゃ危なくて使えないわけだし。誰かが守らないとね」

 ぐっと言葉に詰まる。まさしくその通りで返す言葉が見つからない。少女は「それに」と付け加えた。

「私、これから何が起こるかわからないほうが好きだから」

 そう言って差し出してくるのはミニサイズのミラクルレモネード。あぁ、ほんとに好きだということは痛いほど伝わってくるわ。俺は苦笑気味に差し出されたそれを受け取ってごくりと飲む。
 さわやかなレモンの香りが鼻を抜け、すっきりとした甘みが体に染みわたった。

「うん。中吉」
「悪くはないね」

 ここから、俺たちの物語が始まる。

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