バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

121 つぎは、わたしのばんです

 社交ダンスくらいしか教育の必要性がない事、雪で即位式典に参列出来なかった貴族()のために、披露目の場を設けようとしている事、山ほどの貴族家の取り潰しで、民衆まで不安にならないよう、慶事で目を()らしておきたい事。

 改めて言われれば、反論の余地が見いだせない。

 それに――と、キャロルの耳元でだけ、エーレが囁いた。

「もし子どもが出来たとしても、4ヶ月後くらいなら、そのまま結婚式のドレスは着られる筈だよ?」

「――っっ⁉」

 キャロルの顔全体に、一瞬で(しゅ)が挿した。

 エーレが何を言ったのか、想像がついたらしい貴族たちから「ご成婚おめでとうございます、陛下」と言う声と共に拍手が起き始め、やがてそれは、万雷の拍手に変わった。

(……あれ?)

 その拍手の音が、突然遠ざかった錯覚が、不意にキャロルを襲った。

 物語が次の章に移った事を、ある日突然理解したと、志帆(カレル)は言っていた。

 ()()()()()()と、深青(キャロル)も突然に、理解したのだ。

 ふと気付けば目の前に、レウコユムの小さな花を数輪握りしめた、2~3歳の小さな少女が、その花をキャロルに差し出すようにして、目の前に立っている。

「……私にくれるの?」

 社交の場に子どもは入れない筈なのだが、どこから入り込んで来たのだろう。
 小さく頷いた少女の前に、キャロルは(かが)み込んだ。

 差し出された小さな花を受け取ろうと手を差し出すと、少女はトコトコと、キャロルの耳元近くまで歩いて来て、囁いた。

 まだ、たどたどしいながらも――()()()()

「どうか、おしあわせに、みおさん。つぎは、わたしのばんです」

「…っ⁉」

 絶句したキャロルが、それ以上何かを言う前に、少女は走り去って行ってしまった。

「託児室から抜け出したのかな。どこの家の子どもだろう……キャロル?」

 子どもの視線に合わせて、膝を突いた姿勢で呆然としていたキャロルを、心配そうにエーレが覗き込んだ。

「どうかした、キャロル?」
「えっ⁉ううん、何でもない。この花…もう咲いてるんだな、って……」

 立ち上がりながら、受け取ったレウコユムを見せると、エーレも「ああ…」と、微笑んだ。

「今の子は、ルヴェルの方から来た子なのかも知れないね。もう少し雪が溶けたら、一緒に見に行こうか」

 すっかり思い出深い花となり、今は「好きな花」と断言出来るキャロルは、「楽しみにしている」とエーレに微笑んだが、少し、エーレの表情が(かげ)った事にも、同時に気が付いた。

「……エーレ?」

「いや、今の子だけど…本当にルヴェル周辺から来た子なら、ちょっと難しい事になるかも知れないな、と思って」

「え?」

「あの辺りは、フェアラート公爵に連なっていた一族の領地が、ほとんどなんだ。さすがに、あの子自身がどうと言う事はないけど、両親が共に連座をしてしまう可能性があるな……」

 エーレの言葉に、キャロルも小さく息を呑んだ。

「そ…れは……」

 次は私の番です、と、確かにあの少女は言った。

 願わくば、自分や志帆よりは穏やかに過ごして欲しいのだが、年代記(クロニクル)主人公(ヒロイン)補正は、波乱万丈が基本(テンプレ)なのだろうか。

「どこの子か…分かるかな……」
「うん?」

「だって、せっかくこんな可愛いお花を持って来てくれたのに……。もちろん、この手で親が連座になる、全ての子どもを救うとか、そんな傲慢な事は言えないし、自己満足だと言われればそれまでなんだけど……」

 キャロルが少女を気にかけるのを、エーレは、ルヴェルと言う街の特殊性故だと、理解した。

 初めてエーレが「好きだ」とキャロルに告げた街であり、近衛隊長の就任祝いにも、その想い出の街(ルヴェル)の「街の花」である〝レウコユム〟をモチーフにした髪飾りを贈った――言わば「特別」な花であり、街だ。

 本当に、親がフェアラート公爵に連座すると言うのなら、見て見ぬふりは出来ないのかも知れない。

「俺のただ一人の皇妃(こうひ)の、初めての我儘とも言えるけど、自分の事じゃないと言うのが、()()()と言うか……」

「……ごめんなさい」
「いいよ。後でルスランにでも、調べさせよう」

 そう言って微笑(わら)うエーレに、キャロルも困ったように微笑(ほほえ)み返したが、周囲からはそれ
は、他の令嬢に、つけ入る余地がない事を見せつけているようにしか見えない。

 恐らくは、エーレが「狙って」そうしたと言う事に、キャロルの方は気付いていない。

 少女の姿は、もう人ごみに紛れてしまっていたが、後でカレルとランセットにも、少女の存在は話しておきたいと、この時のキャロルは密かに決意していた。

 少女の両親を助けるのと、少女を助けるのとは、特に両親が有罪であるのならば、全く意味が違ってくる。

 不当では()()連座を曲げるのなら、それは国家の私物化であり、皇妃の我儘で片付けられる問題ではない。

 不当ではないのなら、キャロルは例え少女に恨まれたとしても、両親の連座には口を挟めないし、元より挟むつもりもない。

 せめて男爵位を授与され、侍女キルスティン・ダーリといずれ結婚するであろう、ランセットに養女の相談をするか、ファヴィル・ソユーズに〝一族〟誰かの養女に出来ないか、相談を持ち掛けるくらいなら、許して貰えないだろうかと、キャロルは思っていたし、恐らくはエーレも、その辺りが落とし所だと、キャロルの想いは読めているだろう。

 ――いつかカレルとランセットと、4人で〝お茶会〟を開くような未来が、あっても良い。

 それは互いの配偶者への、ささやかな「秘密」として、許容して欲しいけれど。

(次はあなたの(ばん)なのね)

 聖樹(セイジュ)学院の図書室で、〝エールデ・クロニクル〟はまだ、物語を紡いでいるのだ。

 どんな将来(みらい)を、あの子が年代記(クロニクル)に望んだにせよ、出来る事ならば、あの子が、自分たちよりも、穏やかな章が紡げれば良いと、せめて祈りたい。



 願うキャロルの視線の先には、満ち始めたばかりの、赤い上弦の月が見えていた――。

しおり