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112 母はちょっぴり?天然です。

「十中八九、門が開いたら、エイダル公爵かレアール侯爵、あるいは2人ともが、俺の執務室に直行してくるだろうから……一緒に行こうか、キャロル。言っておくけど、侯爵の結論がどうであっても、俺は一歩も退()くつもりはないから、そのつもりで」

 ブレスレットの付いた右手を軽く掲げながら、そう言い切るエーレに、キャロルも苦笑しつつ、頷く事しか出来ない。

 ちらりと自分の腕のブレスレットに視線を投げた、ちょうどその時、執務室への来客を告げる先触れが、部屋へと入って来た。

 伝言を耳打ちされたエーレが、クスクスと低く笑う。

「犬猿の2人が一緒に来たとか、どれほど……」
「え、お父様とエイダル公爵が?」
「まあまあ、とりあえず行こうか……って、どうかした?」

 エーレは、ごく自然に、エスコートをしようと左の肘を軽く上げたが、目に見えて躊躇をしたキャロルに、首を傾げた。

「やっ…それはちょっと苦手って言うか、前にアデリシア殿下に『犬のお手じゃないんだから』って、馬鹿にされたって…言うか…」

「犬のお手って……ああ、ごめん。馬鹿にはしてない。慣れていないだけだろう?どちらにしても、今はこうやって――腕組みすれば良いよ」

 エーレは自分の右手を左の脇に差し込むと、そこにあったキャロルの手を、グイッと引っ張って、自分の腕に絡ませた。

「えっ…ああ…なるほど…?」
「と言うか、アデリシア殿下と、そう言う風に歩いた事があるんだね。ちょっと妬けるな」
「そ…れは…っ」
「ははっ。いいよ、これからは、俺とだけ歩いてくれれば」

 独占欲の塊のような発言に、呆れたのは使用人達の方で、連れられて行くキャロルは、腕組み自体に赤くなって慌てていて、どうやらそれどころではないようだった。

「まあ…あの愛情が重くないと思えているなら、良いのかしら…?」

 これまで、令嬢を寄せつける空気自体を持って来なかったエーレを知る、リーアムなどからすれば、驚愕の事態だ。

 色々な意味で、エーレにお似合いの令嬢が見つかって良かったと、見送る使用人達の心境は、一致していた。

*        *         *

「どうしました。お早いですね、大叔父上、レアール侯」

 用件は分かっていたが、執務室に入るなり、敢えてとぼけるように声をかけて見れば、先に中で応接ソファに腰を下ろしていたエイダルとデューイが、それぞれに、苦虫を噛み潰したような表情を見せた。

「…どうしました、ときたか」
「殿下…娘は……」
「ああ、私の後ろに」

 キャロルとしては、回れ右をして帰りたいくらいに、バツが悪い事この上ないが、にこやかに笑っているエーレの背中が、それを許していない。

 キャロルは仕方なしに、そっと扉から顔を出した。

「……お、おはようございます……」
「キャロル、扉が開けっ放しになってしまうから、中に入ろうか」

 首元をなるべく(さら)したくなくて、そっと顔だけを出したつもりが、エーレに素気無(すげな)く却下された。

 ――絶対に、ワザとだ。

 エーレの背中に隠れようかとも思ったが、エーレの左手が、キャロルの肩をガッチリと捉えて、そのまま、デューイの目の前に無理矢理座らされた。

 自分はキャロルの隣、エイダルの向かいに腰を下ろす。

「………」

 エーレとキャロルの飲み物が、追加で出されるまで、部屋の中には不自然な沈黙が漂っていた。

 キャロルは、エーレに肩を抱かれて、ほとんど涙目で明後日の方を向いているが、この上もなく良い笑顔のエーレと、彼女の首筋や鎖骨に幾つも付いた赤い痣(キスマーク)を見れば、夜の間に何があったかなど、確認の必要もない事だった。

「その娘を選ぶか、エーレ」

「最初から、そう言っていた筈ですよ、大叔父上。当初は後ろ盾のない彼女を、大叔父上の養女にとお願いをするつもりが、たまたま、レアール侯爵家に連なる者だったと知った。それが、現在(いま)ですから。私が選ぶのは、昔も現在(いま)も、彼女ただ一人ですよ」

「そして後宮に閉じ込めるか」

「それが困難な事は、始めから分かってます」

 ほぼ間髪入れずに返すエーレに、エイダルの表情が、スッと変わる。
 ただその前に――と、エーレが視線をデューイの方へと向けた。

「こちらから彼女を送り届ける前に、おいでになったと言う事は、公都(ザーフィア)に邸宅を持つか、持たないか、もう決断されたと受け取って良いのだろうか、侯爵?」

 エーレの方を向く、デューイの視線は殺気混じりだった。

 それはそうだろう。自分の娘が、無断とは言わないが、外泊朝帰りで、相手の男もついて来た…くらいの状況である訳だから、いくらその相手が次期皇帝であろうとも、心中穏やかでいられる筈がない。

 即答をしないデューイに、更にエーレが畳みかける。

「私の意向は、最初に宮殿で貴公(あなた)と言葉を交わした時から、変わらない。何より一時(いっとき)(たわむ)れで、5年も待たない。彼女がこの国(ルフトヴェーク)に戻って来た以上、もう、待つと言う選択肢も、諦めると言う選択肢もない。彼女は私を受け入れてくれた。貴公(あなた)の結論がどうであれ、私は彼女を手放さない。その事は、先に申し伝えておく」

「「……っ」」

 受け入れる、と言う言い方が、単にエーレとキャロルの腕から覗く、お揃いのブレスレットだけを指しているのではないと、察した娘は羞恥で、父親は怒りで赤くなっており、エイダルがそれをとりなすように、深いため息を吐き出した。

「それ以上レアールを(あお)ってやるな、エーレ。ヤツも昨夜、充分に奥方に絞られている。まぁ…私も揃って、だったが」

 珍しく自嘲ぎみなエイダルに、エーレが興味深そうな視線を投げた。
 キャロルもそれを聞いて、初めて明後日の方向から視線を戻した。

「……母が、ですか……?」

「息子を寝かせて戻って来てみれば、娘は自分の目で無事を確認しないうちに、また出て行った訳だからな。『くだらない意地の張り合いなんかしているから、()()()殿下に(キャロル)()()()()()されるんです。殿下が、今更娘が侯爵領に引き上げるのを、黙って見ている筈がないでしょうに!』と、私もまとめて一喝された。私などには、ニュアンスが良く分からん単語もあったが、言いたい事は分かった。…レアールの表情は、ちょっと見ものだったな」

 今度はデューイが、唇を噛んで、明後日の方向を向いている。

「……すみません。昔から、母はちょっと天然で……」

 お持ち帰り、は、多分それは、この世界では通じないよ――お母(シホ)さん。

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