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108 処罰と責任

「ここは、定められた役職者以外は使わない通路になっているんだ。いずれ、きちんと君にも説明するよ」

 馬車から降りる時にエスコートされた手は、そのまま指を絡ませられて、赤い月が照らし出す月明かり以外に、人気のない庭や廊下を通り抜けながら、建物の奥深くへと入って行った。

 慌てて後ろを振り返れば、ヒューバートとルスランが、困ったような表情で見送りながら、それぞれ片手を振っているのが、何だか、居た(たま)れない。

 正門からは宮殿を見なかったが、それでも歩いていれば、侯爵邸や公爵邸が、比較にならないくらいに広いのは、分かる。

 もしかすると、カーヴィアルの宮廷よりも広いのでは、と、思える程だ。

「即位式典が済んだら、今の部屋も移らないといけないようだから、今の部屋の構造や、周りの警備体制は、必要以上に覚えようとしてくれなくても大丈夫だから」

 歩きながら辺りを見回すキャロルに、近衛隊長としての、長年の癖を察したのだろう。
 エーレがやんわりと、必要以上の警戒は不要だと言った。

「あー…っと、ルスランからの報告を受けて、そのまま大叔父上の邸宅に飛び出してしまったものだから、色々と、そのままなんだけど……」

 決まりが悪そうなエーレに連れられて、部屋に足を踏み入れれば、そこには多種多様な書類が、机の上に積み上げられていて、キャロルを呆れさせた。

「……私室って言ったよね?」

「一応ね。とりあえず、そこに座ってくれるかな。もう一度、ホットチョコレートでも運ばせる?それとも、温かい葡萄酒(ホットワイン)とか?」

「……お酒は当分飲まないと決めてるので、お水下さい」

「そう?何かお酒で失敗でもした?場合によっては、飲ませたくなるような言い方だけれども」

 悪戯っ子のような表情を閃かせたエーレに、キャロルの表情が、さあっと蒼くなった。
 アレばっかりは、墓場に持って行くべき黒歴史だと、キャロルでも分かる。

「えっ、ううん⁉あのっ、間違って度の強いお酒を飲んでしまって…前後の事を全く覚えていないのに、何故か部屋にはちゃんと帰っていた、って言う、よくある話?でも、ほら、自分がお酒には強くないんだって言うのは分かったから、だから、止めておこうかな…みたいな?」

 人間、後ろめたいと多弁になるのは、少なからず真理らしい。

 へえ…と呟いたエーレが、何を考えているのか分からなかったが、とりあえずキャロルは、ひたすら笑って誤魔化す事にした。

「…先に、フェアラート公爵の話をしようか」
「あっ、うん」

 エーレから見れば、皇弟(おうてい)=叔父になる筈なのだが、大叔父上と呼ぶエイダル公爵とは違って、皇弟殿下を叔父とは呼びたくないのか、終始「フェアラート公爵」で話を通していた。

「ずっと言えてなかったけど、最初に、俺が預けた書類の裏付けを、色々と取ってくれた御礼を。――ありがとう」

 キャロルの向かいに座るなり、エーレがそう言って頭を下げた。
 キャロルは慌てて、両手を振る。

「ううん、そんなっ。だって、遅かれ早かれ、エーレも裏は取るつもりだったでしょ?たまたま、私があの時、それが出来る立場にいたって言うだけの事だからっ。それに、カーヴィアルやディレクトアと友好関係が築けるのは、尚、良い事だと思ったし…」

「そうだね。だけど、アデリシア殿下はともかく、アーロン殿下を後継者にまで引き上げられたのは、間違いなく君のおかげだと思うよ。おかげで、内憂外患の憂き目に合わずに、フェアラート公爵には退(しりぞ)いて頂けそうだ」

「…頂けそう、なの?話に聞く限りの勝手な想像(イメージ)だけど、物凄く往生際が悪そうな――」

 思わず首を傾げたキャロルに、エーレも乾いた笑い声を漏らした。

「まあ、ね。最初は『同じ皇族なのに、その態度は何だ』とか、悪態をつくばかりで、話にもならなかった。大叔父上が、山程の証拠書類を突きつけて、フェアラート公爵家、ミュールディヒ侯爵家、ルッセ公爵家それぞれの断絶を言い渡して、初めて顔色が変わったくらいだったよ」

「えっ、潰すの⁉全部⁉」

 各家の規模や、国政への影響を考えれば、傍系の優秀な人材を引っ張って来るなどして、家名だけは残すのが、普通だ。

 エイダルがやった事は、究極の荒療治と言っても良い。
 キャロルも、思わず声を上げてしまった。

「それだけ、やった事が、冬の戦争で餓死者を増やしかねない程の大事(おおごと)だったからね。周りの貴族達を牽制する意味でも、やらなくちゃいけなかったんだよ。例え、大叔父上自身が、どう思われようとね」

 エーレの表情も、どこか冴えない。

 エイダルが、一人でその「劇薬」の副作用を(かぶ)るつもりでの、今回の騒ぎだと分かっていたからだろう。

「断絶…って言う事は……」
「多分、即位式典の前後に、どこかで毒杯でもあおって貰うつもりでいるんだと思う」

「……っ」

「大叔父上の様な人は、国家には確実に、一人は必要なんだと思う。それは、分かっているんだ。だけど俺は、俺の我儘で、キャロル一人にそれを背負わせたくない。そんな血を、一人で流して欲しくない。隣を歩くって言うのは、そう言う事じゃない筈だから」

「エーレ……」

「多分、大叔父上は、その場に君も付き合わせようとする筈だよ。処刑の場に、立ち会えと。全てを引き継ぐとは、そう言う事だよ。本当に、それで後悔しないと言える?引き返すなら、俺はいくらでも、大叔父上と争うよ?」

 エーレの表情は、真剣だった。本気でキャロルを案じて言ってくれていると、それは分かったが、だからこそ、キャロルも退(しりぞ)けなかった。

 ゆっくりと、首を横に振る。

「私に『キャロル・レアール』としての、存在意義を見つけさせて?そうでないと、私は一歩も前に進めない。エーレと一から新しい自分を積み上げていく、最初の一歩目さえも、踏み出せない」

「キャロル……」

「……ごめん。ただ、真綿に(くる)まれていられる様な子なら、もっと良かったのかも知れないけど……」

 エーレは、その答えを予期していたのだろう。いや…と、ほろ苦く笑った。

「君を真綿に(くる)みたいのは、怪我ばかりしている君を見ているからこその、俺の我儘であって……最初から、与えられる庇護を当然と思うような子だったら、きっと俺は…好きになっていない」

 その時、侍女の一人が、コップに入った水と、水差しを持って、部屋に入って来た。

 侍女…と呼ぶには、やや年配に見えるため、もしかしたら、侍女長か、それに近い役を持っているのかも知れない。
 目の前の少女が、気にはなるだろうに、完璧にそれを覆い隠して、部屋を下がる。

 侍女が来て、下がるまでの間に、一度立ち上がったエーレは、デスクの引き出しから、それほど大きくはない平箱を二つ取り出すと、応接机の上に置いて、それぞれの蓋を開けた。

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