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93 公都へ

「――あのエイダル公爵(クソオヤジ)っ!」

 その時、来客が帰ったのか、デューイがキャロルの寝室に戻って来たが、開口一番の罵声に、寝室の扉が、蝶番(ちょうつがい)が外れそうな勢いで、音を立てて閉められた。

「……本当に、どこで覚えてきたんでしょうね、あのような下町言葉(スラング)……」
「……私は無実だからね」

 呆れたように嘆息するロータスに、乾いた笑い声を発しながらも、「お父様」と、声をかけたキャロルに、デューイは寝台横(ベッドサイド)のテーブルに広げられている書状の上に、更なる書状を叩きつけた。

「我が侯爵家は、公都(ザーフィア)に滞在用の邸宅を持っていない。ほとんど行かない以上、維持費の無駄だからな。今回の件に関しても、明日にでも誰か公都(こうと)にやって、貴族用の宿を予約させてくるつもりだったんだ。それが――」

「宿をご紹介頂いた、とかですか?」

 問いかけるキャロルに、デューイは思わずと言った(てい)で、(てのひら)の下にあった羊皮紙を、グシャリと握りしめた。

「即位式典が決まった段階で、宿の多くは既に押さえられているだろうから、我が公爵家の公都(ザーフィア)の邸宅を、滞在の地として提供する。どのみち自分は宮殿にほぼ缶詰になるだろうから、遠慮は無用。仮にも侯爵家の滞在地が、隣街の宿では外聞が悪かろう――との、()()()お申し出だっ!」

 確かに、公都(ザーフィア)で貴族が滞在出来るような宿の数には、限りがある。

 国の実務を取り仕切る、エイダル公爵がほぼ邸宅にいないだろう事も、想像に難くない。
 個人的な感情さえねじ伏せれば、公爵の提案自体は非常に合理的だ。

 使者に対しては、表向きの表情で「諾」の返事をしたのだろうが、ロータスなどは、いつもの反発だと思ったようだった。

 だが、ああ……と、納得したように肯いた、キャロルの反応は、少し違っていた。

「それだけエイダル公爵もまだ、確実に敵対していないと分かる〝駒〟が少ないって話なんですよね。新皇帝の婚姻問題よりも、目先の()()を優先したいと言うのもあるし、万一の事があっても、公爵一人が詰め腹を切れば済む話で、()()()()()()も推挙出来そうなら、なおよし――と」

「……キャロル」

「とりあえず、リハビリ頑張りますね。100%とはいかないまでも、雑魚(ざこ)に遅れはとらないくらいに戻しておかないとダメですよね。あと、そう言う事なら、全て男装で通します。そもそも、ドレス1着も持ってませんでしたけど……はは」

 どうやらこの書状の思惑を全て察したらしいキャロルに、デューイの頭も、やや冷えた様だった。
 自分を落ち着かせるように、ニ、三度(かぶり)を振った。

「どのみち、今から一点物(オートクチュール)の衣装をどうこうするような時間はない。それに関してはエーレ殿下が、亡くなられた実母・セレナ妃の衣装や宝石が、宮殿の衣装部屋にまだ残っているそうだから、それをアレンジすれば良いと、書状にもあった。亡くなられた皇妃の衣装と言うのは、ただの着回しと、意味合いが全く異なるからな。そこは甘えさせて貰っても良いだろう」

「……どちらにしても、一度は、着るのが前提なんですね」

「当たり前だ。近衛隊長の時とは訳が違う。今回は侯爵家に連なる者としての出席になるんだ。主旨が仮面舞踏会でもない限りは、ドレスが前提だ」

「そう……ですよねぇ」

「とは言え、それ以外は普段の格好で良い。囮になれと言うからには、ドレス姿での我儘放題を期待している訳でもあるまい」

 デューイの「囮」の言葉に、目をむいたのは、ロータスだ。

 苛立たしげな(あるじ)に声をかけるのが憚られ、答えを求めてキャロルに視線を投げた。

「ええと……恐らくまだ第二皇子派は完全に瓦解した訳ではなくて、即位式典前に、最後の足掻きを狙ってくる勢力があるんじゃないかと。宮殿の警備自体は、こんな時期にちょっとやそっとじゃ突けないだろうから、まず崩しにかかるのであれば、エイダル公爵か――私かな、と」

「……っ」

「今頃……その……婚姻申込状? の件については、ある程度の階級では話題になって広まってるんだろうし……そんな最中(さなか)に、私を公爵邸に滞在させれば、エイダル公爵もそれを認めたと、周りに主張するようなものでしょう? 侯爵家に力を持たせたくない公爵自身の意志に反してまで、それをする理由は、ただひとつ――その事で釣りたい()()がある場合だけじゃないかな」

「キャロル様を……囮に?」

「公爵自身が狙われる場合もあると思うけど、どちらにしても、1ヶ所にいれば手間が省けると思ってそう。いっそ、私が襲って来る連中の手にかかっても気にしないくらいの、(ゆる)い警備で網を張るんじゃないかな」

 キャロルの推測が、あながち的外れでもなさそうなのは、デューイの表情を見ても、明らかだ。

「それは……そこまでは、カレル様には申し上げられませんね……」
「そうだね。と言うかお父様、今回、母とデュシェルは……?」

 言外に、留守番していて貰っては?と聞いてみたキャロルだったが、デューイはゆっくりと、首を横に振った。

「ただの記念式典程度なら欠席でも良いだろうが、今回のような規模内容となると、それも無理だ。カレルとデュシェルの事は、ロータスに任せるしかないな」

「それは……もちろん、お任せ下さい。しかし、キャロル様は……」

「まあ、(つたな)いなりに、私が何とかするしかあるまい。ランセットはあの通りだし、ヘクターがギリギリ数に入れられるかどうか、だろうしな。後は、公爵家に着いてから、使えそうな味方がいたら、引き込んでおくしかないだろう」

「デューイ様が、ですか……」

「2人して、そうあからさまに不安気な表情をするな。おまえ達が異質なだけで、これでも、中の上くらいの腕は持っているつもりなんだがな」

 デューイがそう、不満気に顔を(しか)めたところで、デュシェルに湯浴(ゆあ)みと、食堂で使用人達と軽食を取らせて、昼寝をさせるよう言い置いてきたカレルが、キャロルの寝室へと戻って来た。

 キャロルとロータスの、視線と言う名の()()()のバトンを渡されたデューイが、仕方なく、皇弟(おうてい)殿下がキャロルと第二皇子との縁談を押し付けて来てから以降の、ここまでの話を、かいつまんで説明する。

 もちろん、式典の間、エイダル公爵邸で過ごす事に関しての、エイダル公爵の思惑に関しては、暗黙の了解で、口を(つぐ)んでいる。

「……どこから……どっちに怒って良いのか、分からないわ……」

 一通りを聞き終えたカレルは、そんな言い方で、バツが悪そうに座っている父娘(おやこ)を見比べた。

「それで……その式典に出れば、全てが解決するの……?」

「正確には、婚姻申込状を破棄させたい連中の()()()()を防ぎきれれば、だろうな」

「……そう」

 低い、何かを決意したようなカレルの声に、父娘(おやこ)がビクリと身を震わせた。

「正直、まだ充分に回復していないキャロルを、公都(ザーフィア)に向かわせるのは、どうかと思うのだけれども……ウチの娘を馬鹿にされて、引き下がると言うのも、()()ものね……」

「そ、そう! そうなんだよ、カレル! 私の気持ちも理解してくれるだろう⁉」

 嬉しそうに、カレルの両手を握りしめたデューイに、キャロルとロータスは、糖分過多のお菓子を無理矢理口に詰め込まれたかのような苦笑を交わしあったが、ここはとにかく、カレルが反対しない事が全てなのである。

「……母やデュシェルの正装とかは、大丈夫なの?」

「ええ。それは普段からカレル様が好んで袖を通されないだけで、デューイ様が作らせた衣装が何点もありますから、大丈夫ですよ」

 2人はヒソヒソと、そんな言葉も交わし合った。

「そっか……じゃあ、悪いけどロータス、リハビリ手伝ってくれる? ヘクターと……ランセットは、厳しいか」

「リハビリの件は、承りました、キャロル様。ランセットは……恐らく、残ると言う選択肢は、本人にとっても酷でしょうから、道中の馭者と、当夜のデュシェル様のお相手が務まる程度には、回復させますよ。さすがに護衛復帰までは厳しいと思いますが……」

「ううん。それでも充分だと思う。ありがとう」

「こちらこそ、2人をそこまで信頼して、お側に置いて下さいますのは、何より安心です。今後とも宜しくお願い致します」
 
 こうして年明け、一家での公都(ザーフィア)行きが決まった。

 肝心の、自分自身の想いには――蓋をしたままに。

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