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44 夜明け前

 その碧い液体を飲み込んだ瞬間、身体の奥からカッと焼けるような感覚がせり上がったキャロルは、アデリシアが唇を離した直後に、激しく咳き込んだ。

「な…んっ、コレ…」

 その上、グルグルと目が回って、アデリシアの支えなしに立っていられない。

「ああ…どうやら、それほどお酒には強くなさそうだね、キャロル。今度からは気を付けて飲むと良い」

 どの口が言って…っ!と、声を大にして叫びたくても、言葉にならない。

 右手をキャロルの頭の後ろから腰へと回したアデリシアは。腰周りに結えつけられていた、ソードベルトの紐を解いた。

 カシャン、と音を立てて、剣が床へと滑り落ちる。

「……え?」
「帯剣したまま寝台(ベッド)にいたら、おかしいだろう?」
「……ああ…はい」

 耳元で囁かれて、それもそうかと納得してしまう。

 皇族の近衛が、職務中に剣を手放して良い筈がないのだが、既にそう言った事には頭が回らなくなっていた。

 上着に、短剣が収まったショルダーホルスターにと、次々足元へと落ちていく。

「近衛隊の服装をちゃんと見るのは初めてなんだけど…さすがに色々仕込んであるんだね」

 感心したように呟きながら、アデリシアはキャロルの上着が白シャツ一枚になった時点で、寝台の縁(ベッドサイド)にそっと座らせた。

「まぁ…上だけで、良いのかな?羽毛(デュべ)カバーに(くる)まっていれば、それ以上は誰も追求しないか」

 キャロルの頭がふらふらと揺れて、今にも倒れそうで、アデリシアが思わず苦笑してしまう。

「今更だけど…葡萄酒(ワイン)でも充分だったみたいだね」

 白シャツのボタンを外していた手が、ふと、止まる。

 首筋から肩にかけて貼られた湿布が目に入ったからだ。
 大使館で怪我をしたと言っていたから、血止めの生薬が塗られて、貼られているのだろう。

「すまない……今は、剥がすよ?」
「……っ」

 まだ新しい傷なだけに、やはり少し痛いのだろう。僅かに顔をしかめていて、剥がされた布には血の痕も見える。

 どんな争いがあったのか、アデリシアには想像もつかない。

 ただ分かるのは、常に帝国(くに)のため、宰相としても皇太子としても、どちらのアデリシアも動きやすいように、最善を尽くしてきてくれた事だけだ。

「キャロル……」

 自分の上着も脱ぎ捨てたアデリシアは、敢えてキャロルの上半身が視界に入らないように、そっと自らの方へと抱き寄せた。

「……君は、こんな傷を負わせる程の相手を、追いかけて行くつもりかい?」

 まだ、ギリギリ意識はあるだろうと耳元で囁けば、案の定、キャロルは微かに頷いた。

「下手な人が行けば……父と共倒れで…戦争に……」

「なったところで、相手が第二皇子派なら、多分私は勝てると思っているんだけどね。…いや、それは私の根幹を否定する事になるか…私が君に顔向け出来なくなるな……」

「そ…ですよ…。一緒に…悪徳武器商人と貴族潰すんですよ…(いくさ)なんて、始まる前に全部潰すんですよ…そうしたら…街も村も、もっと豊かに……約束…」

 アデリシアが、僅かに身動(みじろ)ぎする。

 それは、かつてキャロルが、皇太子(アデリシア)の暗殺計画を止めるにあたって、手を貸す条件として――交わした「約束」だ。

 キャロルは、その事と引き換えに、アデリシアに膝を折り――それは今まで、揺らぐ事なく続いてきた。

「そうだった……(いくさ)は、始まる前に全て芽を潰すんだったね……だから行く、か……」

 アデリシアの手が、キャロルの髪飾りを外し、長い金の髪が背中の中心まで(こぼ)れ落ちた。

「キャロル……もうすぐ夜が明ける。侍女が私を起こしにくるだろうから、それまでは…()()()()()、しておこうか」

「…それ…らし、く……?」

「ああ。意外と本気になれそうな自分に、少し驚いているけれど、ね……」

 そのまま羽毛(デュべ)カバーを持ち上げて、寝台(ベッド)にキャロルの身体を静かに寝かせたアデリシアは、今にも意識が沈んでしまいそうなキャロルに覆い被さると、ケガの傷とは反対側の首筋に、唇を滑らせた。

「あっ…ん…っ…」

 果たして誰の声かと思うような声が口から零れ落ちて、キャロルの身体が思わず寝台(ベッド)から浮きかけていた。

 お酒の所為で意識が朦朧としていて、それが自分の身に起きている事だとの認識が、その時点で乖離してしまっていた。

「その声は……反則だな……」

 そんな声がどこか遠くに響くのに合わせて、アデリシアの唇が、首筋よりも下へと下りていく感覚が確かにあって、キャロルはどうして良いか分からずに、身体を捻るように、首を横に振る事しか出来なかった。

「や…っ…」
「キャロル……それは男を煽るだけだよ……まあ今は、ちょうど良いんだろうけどね……」
「ん…っ」

 キャロルが何かを言いかけるよりも先に、アデリシアの唇が、キャロルの言葉を遮っていた。

 息が苦しくなりかけると唇が離れ、吐息が洩れた後にまた唇が重ねられ――静かな部屋に、互いの吐息交じりの声だけが響いた。



「――殿下、起床のお時間にございます」


 待っていた()()の声が聞こえて、部屋の扉が開かれたのは、どのくらいたってからの事だっただろうか。

 ようやくこれで「三文芝居」も終わりかと、どこか夢見心地のままのキャロルが思っていると、自分に覆い被さっているアデリシアの口から、想定外の言葉が聞こえてきた。

「……朝にはまだ早いだろう?」

「殿下……?」

 クラクラとする頭では、起こしに来た侍女が誰なのか分からない。
 それでも、言われた言葉に戸惑っている事だけは理解が出来た。

()()()()()?」

「!」

 繰り返される言葉に、侍女が息を呑んだようだった。

「も…申し訳ございません!はい、少しお時間を間違えてしまったようです!失礼致しました!」

 締まる扉の音と、侍女らしからぬ、走り去る足音とが同時に耳に残る。

「で…んか……?」
「キャロル……」

 侍女が来て、一度少し離れていた身体が、再び近くなった。

「どうせ用意をするなら……抜け柄()()()()席を用意しようか……」
「…ん…っ…」

 深く、舌が絡めとられるかの様な口づけに、息が苦しくなって、気が遠くなっていく。

 上着だけだと言っていた筈のアデリシアの手が、()()を脱がそうと動いていたのが――キャロルの記憶の限界だった。

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