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42 側妃と言う選択

「君がそれを一言も言わずに、実力でその地位まで上がって来たのは、衆目の一致するところだし、平時であれば、知らないままでも一向に構わなかったんだけどね……」

「え…平時だったら良かったのか?」

 思わずそう聞いてしまったエルフレードに、アデリシアもしごく真面目な表情で、言葉を返した。

「平時だったら、むしろ知らないままで良かったね。知れば()()()()内務大臣なんかが喜んで、より面倒な方向に事態(はなし)が転がっていくだけだ。今、キャロルは平民だからと言う理由で、皇妃の話をとやかく言わないでいるだけなんだから」

「そ、そうか」

 いや、現在(いま)でも充分話題にはなっているのだから、それ以上になる事の面倒さは、エルフレードにも理解が出来た。

「だけど、もう――ダメだね」

 ふいに、アデリシアの声色から感情が消える。
 それは、皇太子あるいは宰相としてのアデリシアが見せる表情であり、声だ。

 見ればキャロルも、始めから覚悟していたとでも言うように、目を閉じていた。

「彼女はもう、否応なくこの政変の〝駒〟だ。それも、我々(カーヴィアル)からも、ルフトヴェークからも利用可能な、危険すぎる〝駒〟――これまでのような自由を許す訳にはいかなくなったんだ」

 冷ややかに言い置いて、アデリシアはキャロルのすぐ側まで近づくと、彼女の顎を、片手でクイと持ち上げた。

「もちろん君は、私の〝駒〟でいてくれるんだろう?――これからも」
「……っ、おい!」

 あまりと言えばあまりなアデリシアの言い様に、反発したのは当のキャロルではなく、エルフレードだった。
 立ち上がって、アデリシアの手をキャロルからパシリと振り払う。

「おまえ――」
「ふっ……本当に、君は丸くなったね、エルフレード」

 手を払われた事を特に不愉快に思うでもなく、アデリシアはむしろ微笑んでいた。

「とりあえず、今日はここまでで良いよ。後は私と彼女で話し合うから。それと明日――君たちは、午後早いうちにでも、クーディアでの大使の見送りを済ませて戻ってきた(てい)で、正門から入って来てくれるかな。その、襲撃者とやらが戻って来る可能性がほとんどなくなったにせよ、大使館業務を滞らせては意味がない。ちょうど週末に入るから、その間に、クルツは簡単な書類業務だけでも出来そうな書記官や事務員を、リンデと相談して見繕っておいてくれないか。ディレクトアの駐在武官たちには、明日、フォーサイス将軍を午後にでも呼んでおくから、そこで対応を決めて貰おう」

「……チッ」

 舌打ちするエルフレードに、アデリシアは凄みのありすぎる微笑を更に浮かべてみせた。

「良かったね、エルフレード。ようやく、お役御免だよ?」
「……おまえ、本気で言ってるか?」

「分かっているだろう?軍の一師団長程度の、君の力を借りられるような事態(はなし)が、この先にはない事くらい。私は国家間の戦争を引き起こすつもりはないんだから」

「‼」

「早く(トップ)に立って、老いた大臣達の権力を蹴散らせるくらいになって帰って来てくれるのを待っているよ――今はね」

 切れそうな程強く拳を握りしめたエルフレードは、そのまま無言で踵を返すと、ドアを壊す勢いの大きな音で閉めて、部屋を出て行ってしまった。

 クルツも慌てて一礼すると、その後を追う。

「――さて」

 その足音が遠ざかった頃、アデリシアは、その間一言も言葉を発しなかったキャロルを、再び覗き込んだ。

「あんなものでよかったかい、キャロル?」

 キャロルも、ふっ…と視線をあげた。

「殿下……」
「君が本当に、私にしたかった話を聞こうか?あの2人には、聞かせたくなかった筈の――話を」
「私は……」

「レアール侯爵領に行かせて欲しいと言い出す事は想定の範囲内だよ。そして、エルフレードに言った事も間違いじゃない。君はこの先否応なく、宮廷の政治の道具だ。休暇も、臨時通訳としての建前も、もう通用しない。――どうする?私も無条件に、手は差し伸べられないよ」

 アデリシアが無慈悲だとは、キャロルは思わなかった。

 言えば、手を貸してくれる。ただ、問いかけているだけだ。
 キャロルの――覚悟を。

 一度だけ目を閉じ、そしてしっかりと、アデリシアを見上げる。

「――殿下の後宮の席を、一席私に下さい」
「………」

 そしてアデリシアも正面から、その視線を受け止めた。
 そこに驚きはなく、まるで最初から予測していたと言わんばかりだった。

「一応、その席をどうするつもりなのか聞いておこうか?」
皇妃(こうひ)教育と称して、表舞台から隔離した(てい)にしておいていただければ…と」

()()()の席、か」

「はい。陛下や皇妃様、侍女長など何名か事情の説明は必要でしょうが、そこは帝国のための潜入捜査のカムフラージュと言う事で、ご納得をいただけないかと……」

「陛下はそのあたりシビアだから、すぐに納得するだろうね。今、かなり抜き差しならない事態になっていると言うのは、聞けばすぐに理解するだろうし。皇妃(はは)と侍女長は…うん、ガッカリして()ねるくらいは、私がまあ、責任をもって慰めておくよ。あの2人は、君が思うより、君を気に入っているしね」

「はは…光栄です」
「キャロル」

 アデリシアはキャロルの苦笑には応じずに、少しだけ、声のトーンを落とした。
 気付いたキャロルも表情を引き締める。

「はい」

()()をしてしまうと、もう後戻りが出来なくなるけれど――いいんだね。君次第では、近衛隊にさえ戻れなくなるかも知れないよ」

「分かっています。もし私が父を助けられずに命を落としてしまったら、私の後宮入りを妬んだどこかの貴族に、毒殺されたとでもして下さい。捕虜にでもなった時には、申し訳ないですけど、殿下のお名前をお借りしますので、後宮の()()()に呼び戻して下さい。その時はもう、他にどうしようもないと思うので、潔く殿下の()()として、後宮の奥で真綿に(くる)まれる事にします」

「………」

 側妃と聞いたアデリシアの表情が、初めて少し歪んだ。

「………なぜ側妃なのかな」

「純王族たるマルメラーデの姫君がいらっしゃる以上は、そうでもしないと、後宮内で侍女達が対立して、崩壊しますよ。そもそも、私が二度と帰らない可能性もある訳ですから、どちらにせよ、マルメラーデの姫君を、皇妃としてお迎えにならないと」

「……君は……」

「あ、色々守備良くいって、もし生きて帰れたなら、その時だけは、再雇用条件は要相談でお願いします」

 アデリシアは、嫌な話を聞いたとでも言いたげに、顔をしかめた。

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