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37 それは下策

 ヒューバートは、口惜しげに唇を噛んでいる。

 そう言った事は、ずっとエーレが考えてきたからだ。ヒューバートは常に、エーレが立てた計画を、忠実に実行する「駒」だった。

 キャロルもそれを分かっているから、ヒューバートに回答を求める事も、(とが)める事もしない。

 ただ「駒」である事を求めるなら、ヒューバート程最強の「駒」はない。
 恐らく彼の腕は、イルハルトと互角、あるいはそれ以上なのだから。

『結果、周辺諸国の中で、ルフトヴェークに次ぐ国土を持つカーヴィアルで騒動を起こして、その責任問題を問う事で、自国を優位に立たせて、第二皇子の覇権を外から認めさせようとした。カーヴィアルが認めれば、少なくともディレクトアも、右に倣うと考えたかな。マルメラーデには既にルフトヴェークから降嫁した皇族がいるから、なだめすかしてでも、言う事は聞かせられる。いや、実際は知らないけど、多分そう考えてるだろうな、と』

 マルメラーデの件で、ヒューバートもハシェスも、やや不愉快そうに眉を(ひそ)めた為、キャロルは慌てて訂正をして、話を進めた。

『多分第一皇子が、怪我をおしてまで故国(ルフトヴェーク)を出たのは、彼らにとっての予想外。恐らくは公爵領に立て籠もって、春までに捲土重来を図ると、彼らはそう考えていた筈だから。その間に、カーヴィアルに第二皇子側に付いて貰うつもりで、襲撃部隊の方はカーヴィアルに向かっていた。だから、そのリュッケ・トレーテンって言う人が、大使館関係者じゃない可能性を考えもしなかったし、何の躊躇(ためら)いもなく――大使館職員全員を斬った』

『なっ…⁉』

 とうとう、ここまで敢えて口にしなかった事実を語ったキャロルに、ヒューバートが大きく目を見開いた。
 ハシェスは座り込んだまま、呆然とキャロルを見ている。

『大使館職員全員を斬っただと⁉まさか、大使も――⁉』

『そう。それで、カーヴィアル帝国内で、誰か適当に犯人としての生贄(スケープゴート)に仕立てあげて、カーヴィアルからの宣戦布告だの何だのと、騒ぎ立てる。カーヴィアルとしては、第一皇子の外遊予定があり、これから友好的な関係を構築しようとしていた矢先から、戦争を起こす訳にはいかないから、第一皇子が第二皇子に代わる程度の違いには目を(つむ)って、手打ち――そこを、狙った』

『正気の沙汰じゃない…っ』

 ヒューバートが、切れそうな程に強く、己の拳を握りしめている。

『うん。ただ、斬った本人は、事の善悪とか、本当にどうでも良いみたいだったから、責めるのは、そこじゃないと思う』

『誰がやったか、分かってるのか⁉』
『さっきまで、ここにいた』
『はあっ⁉何で――』

『カーヴィアルとしても、勝手に誰か生贄に仕立て上げられた上に、不利な喧嘩を吹っかけられるとか、もっての他だから。だったら、大使館職員はまだいると思わせて、喧嘩の芽を潰してしまえ――と。そのための、カロル・レアールと、イング大使代行。多分そうしておけば、襲撃者達が本国(ルフトヴェーク)に帰る理由がなくなってしまうから、残った職員を再度殺しに戻って来ざるを得ないと思って、帝国の(アデリシア)殿下公認の罠を張りました。で、さっきまでちょっと、捕物(とりもの)を――(いた)っ』

 ちょうど、冷たい布が首元に当たったのだろう。キャロルが思わず声をあげ、それを見たヒューバートが、ハッと我に返った。

『お嬢ちゃん、それ……』

『一応、()()()()()以外の子飼い連中は、今、この館にいる皆さんで捕獲して下さってるので、殿下への報告が済んだら、後は煮るなり焼くなりお好きにどうぞ』

『……イルハルト、だと』

『正直、第二皇子の覇権云々って言うのは、あの人がいたから気が付いた。あの人異次元の強さだけど、(あるじ)が誰か、名札付けて歩いてるような人だから、相手側で一人でも生き残れば、一気に首謀者まで辿り着いてしまう、諸刃の剣だと思う。第二皇子の周囲がそれに気付かず、ただ強いからってあの人を使っているのなら、遠からず自滅すると思うよ。って言うか、叛乱(クーデター)の件と、大使館職員が殺されたって聞いた時点で、殿下は全部察して、ほとんどキレてたから。もうその時点で、側近がやった事にしろ、第二皇子を認める事はないと思うけどね』

 あー…と、小声で納得の呟きを漏らしたのは、エルフレードだ。

 ルフトヴェーク公国内で叛乱(クーデター)が起きていたと言う話も驚きだが、それ以上に、アデリシアがキレかけていると言う事に、納得していた。

 そんな小細工で、言う事を聞かせようと考えた事自体が、既にアデリシアの逆鱗に触れている。

(アレは、この帝国(くに)で一番怒らせたらダメな男だ)

 そんなエルフレードの心の声は、どうやら周囲にダダ漏れだったらしい。見ればクルツもキャロルも、無言で頷いていた。

『確かにイルハルトは、第二皇子の母親、フレーテ妃の子飼いとして、あまりにも有名だ。だとすれば、策を立ててイルハルトをカーヴィアルまで送り込んだのは、第二皇子(ユリウス)本人か、妃の父親である、ミュールディヒ侯爵かの、どちらかだろうな』

『手が汚れそうな事はイルハルトに丸投げで、中途半端に策だけ立てるから、こんな事になるんだよ。ウチの殿下が、どう言う性格(ヒト)かを確認してから動くだけでも、やり方は違ってきた筈なのに。だから、姑息だって言ったんだよ』

『……お嬢ちゃんが、カーヴィアルの殿下を褒めているように聞こえないのは、何でなんだろうな』

『えぇ?殿下は天才だ、って言う現実を、分かっておいて貰うのが大切だと思って。ほら、褒めてる。皆も頷いてるし』

『………』

 どうやら、知りませんとばかりに首を横に振っているのがディレクトア関係者、大きく首を縦に振っているのがカーヴィアル関係者らしいとヒューバートも察しはしたが、何となく、深く追求しない方が良い気がした。

『だけど()()…イルハルトと撃ち合ったのか?無茶したな……』

 泣き笑いに近い表情で、ヒューバートがキャロルの頭をくしゃりと撫でた。

 大使館職員を全員斬り捨てるくらいは、イルハルトならばやってのけるだろう。
 いくら大使館職員を装う必要があったとは言え、正面から対峙するのは、あまりにも無茶だ。

 ヒューバートにされるがままの状態で、唇だけを、キャロルも噛みしめる。

『…最初から分かっていれば、もう少しやりようもあったのに。口惜しいけど、私の腕では、せいぜい瞬殺が、()()足掻(あが)けるくらいにしかならないから…』

『…その割には、庭で俺に会わなければ、追いかけて行くつもりだったよな?あれ、イルハルトだったんだろう?何やってんだよ……』

『それは……聞きたい事が…あったから……』

『聞きたい事?イルハルトに?あの男はただ、(あるじ)(めい)を果たすのみで、他に何――』

『…っ!それは、そうするよね⁉』

 真顔で尋ねたヒューバートの胸倉を、カッとなったキャロルが、不意に立ち上って、右手で掴んだ。
 ヒューバートを含めた全員が、驚いたように目を見開きながらも、それを制止出来ずにいる。

()()()深傷(ふかで)とか…他に、誰が……っ』
『……!』

 崩れ落ちそうになるキャロルの身体を、無言のヒューバートが支える。

『………話して』

 それは、決してこの手を離す事ではないと、ヒューバートも分かっていた。

『どうしてこうなったのか、話して‼』

 ヒューバートは、逡巡するように――目を閉じた。

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