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30 臨時職員の着任

 そうしてアデリシアが行った事は、沈着の誉れも高き宰相らしからぬ、かなり大胆な事だと、後に真相を知った者たちはこぞって語り合った。

「……何なんだ、この取り合わせは」

 もちろん今現在、その立場に置かれた者たちこそが、最もその疑問を強く抱いているのである。

「とりあえず、カタコトでもルフトヴェーク語が出来れば、何でもアリなのか」
「あの…バレット卿?」
「あぁ、気にするな。独り言だ」

 翌朝。急ごしらえの『ルフトヴェーク大使館員』が、事実上の職員不在状態に陥っていた大使館に集められていた。

 駐在大使は、本国で急を要する事態が起きたとの知らせに、急遽帰国したと周囲には知らしめておき、この日行う筈だった、来月の外遊の打ち合わせに関しては、大使がルフトヴェークへ向かう途上の街・クーディアで臨時に行われる事になったと、宮廷内では発表された。

 もともと、門前に血塗(ちまみ)れの男が馬で駆け込んで来たという事実を、完全には覆い隠せなかったのだから、それはさほど不自然な事と受け取られなかったのである。

 そしてアデリシアは、その同行者(あくまでも表向きの事で、内実は大使館に留まる者たちである)の筆頭に、帝国随一の公爵家、バレット家の長子である、エルフレード・バレットを据えた。

 従来、国政の長と軍務の長のどちらかは、当代の為人(ひととなり)に応じた、皇太子の職務となっている。

 現・クライバー2世、皇子アデリシア共に国務に長じ、携わる道を選んだ結果、ここ十数年、軍務の長となっているのは、過去に皇族が降嫁した事もあり、直系においては、皇位継承権も持つ、バレット家の当主だった。

 その長子であるエルフレードも軍に所属しており、既に幾つかの隊を束ねる立場にはあるが、アデリシアは今回の抜擢によって、次代バレット公爵としての、エルフレードの立場を(おおやけ)に追認したのである。

 アデリシアの右腕、軍務の長としてのバレット家の次代は約束された――宮廷内ではその噂ばかりが飛び交い、権勢欲に敏感な者たちの目も、そちらに向いた。

 ところどころ漏れる、事態の不自然さを、アデリシアはバレット家の名ひとつで、覆い隠した。

 絡む権力の大きさから、日頃あまり昵懇とは言えない家柄同士でありながら、アデリシアがエルフレードを(たの)もうとした事に、当初は違和感を覚えたが、蓋を開けてみれば、ルフトヴェーク大使や職員が、何者かに殺されると言う、とても警備隊案件では済ませられない事件が、裏では発生していた。

 現状絶対に、表沙汰には出来ない事態だった。

「バレット家なら、どこかから圧力がかかる事も、かかっても屈する事はないだろう?戦争の芽を事前に摘む事も――軍務のバレット家としては、重要な仕事にはならないか?」

 おまえのやっている事も、立派な圧力だろう――と思ったが、さすがにそこは口にしなかった。アデリシアの言い分にも、一理あるからだ。

 更に、起きた事態が事態なだけに『臨時大使館職員』の人選には口を挟めず、日時の指定のみ受けてやって来てみれば、カーヴィアルのみならず、ディレクトア王国の駐在武官までいたという状況。

 内、何人かは合同訓練で顔を合わせた事はあるものの、ほぼエルフレードにとっては初対面で、実力も為人(ひととなり)も不透明。有事の戦力を計りかねているが故の『独り言』なのである。

「我々はフォーサイス将軍以下、ルフトヴェークからの使者を無為に死なせてしまった事に、少なからず自責の念を抱いております。また、おいそれと自ら動く訳にゆかぬアデリシア殿下の苦悩も承知しております。どうぞ我らの事は、譜代の臣と同様に(おぼ)し召し下さい」

 居並ぶ「臨時職員」達を前に、そう言って最初に頭を下げたルーイ・オステルリッツは、ディレクトア駐在官邸の事実上のナンバー2と言われており、ルフトヴェーク語はほとんど話せないとの事なのだが、フォーサイスの本気が、そこには垣間見えた。

 帝国側は帝国側で、大使代行に立てられたのが、典礼省の次席書記官ミケーレ・クルツ。
 もちろん、戦力としてはノーカウント。この場で最も守りきらなくてはならない人物となる。

「書記官殿の事はお任せ下さい、バレット(きょう)。私が刀傷一つ、つけさせません」

 そして、既にルフトヴェーク大使館職員になりきって、わざとイントネーションをずらした、片言風のカーヴィアル語でそう答えたのが、キャロル・ローレンス――アデリシアの懐刀と言われている、近衛隊隊長だ。

 エルフレード自身、名は聞けどキャロルとはこれが初対面であり、華奢な体格と外見からは、実力の程が読み取れなかった。まして、エルフレードにそう告げたきり、クルツと早速、大使館の中にある書類の整理を始めているのだ。

 必然的に、エルフレードはオステルリッツの隣りで、愚痴とため息を吐き出す形となっていた。

「アデリシアの苦悩、ねぇ……」
「バレット卿、殿下と親しくしていらっしゃるのですか?」
        
 皇太子相手にしては気安い口調に、オステルリッツが首を傾げたが、エルフレードは不本意そうに肩を竦めた。

 あくまでも「次期」公爵である彼の敬称は、貴族としての「卿」だ。

「親戚まではいかないにせよ、何十代か前は兄弟関係でもあった――縁戚らしいしな。年齢も近けりゃ、多少の話はするさ。だが、まあ、一つの公爵家が皇族と馴れ合うのは、騒動の元だ。敢えて、それほど親しく見えないようには、気を付けてる」

「それでいつも、そのような忌憚なきご口調で、お話しを?」

「皇太子サマに、阿諛(おべっか)使わない者も、一人や二人は必要だろうと思って――と言うのは表向き、高等教育院時代からの同期に敬語を使うのは、俺が、気持ち悪い。アデリシアも了承済みだ」

「なるほど……」

 アデリシアは、飛び級で入学、卒業をしているため、実際にはエルフレードの方が年齢がやや上な事も関係しているだろうが、そこまでいちいち説明はしない。

「そういや、おまえらは1週間の期間限定職員なんだって?それまでに動きがあると見ているって事か、フォーサイス将軍は?」

 世間話が一転、思わぬ事を聞かれたオステルリッツは、二、三度瞬きをした。

「私には…将軍のお考えまでは……」

「ルフトヴェークでの内乱に介入されぬよう、カーヴィアルを混乱させておくためには、動きはある筈と聞いちゃいるがな。いかな非常時とは言え、こんな博打(ばくち)のような策、俺はどうにも落ち着かん」

 オステルリッツに返事のしようがない事は良く分かっていたので、エルフレードは(かぶり)を振って、掛けていた椅子から立ち上がると、キャロルとクルツが整理を続ける書類の一部を、ひょいと掴み取った。

 バレット家長子として、高等教育院である程度の語学教育を受けはしたが、そこから先は士官学校で軍事教育一辺倒だった為、それを完全に使いこなすまでには至っていない。

ましてそれが専門的な政務書類となれば、読み取れるのは、一部にすぎない。

 典礼省の次席書記官であるクルツはともかく、近衛隊長がこれらの書類を理解して、クルツの補佐についている事の方が、エルフレードには不思議でならない。

「……これを、どうするつもりだ?」

 そう言って書面から視線を外したエルフレードに、それまで黙っていたキャロルが、ようやくそこで口を開いた。

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