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18 お気持ちだけで

 部屋に辿り着いたエーレは、無言でキャロルを寝台に下ろすと、服の右手の袖の部分を勢いよく破いた。

『痛っ』
「ごめん」

 思わずカーヴィアル語で叫んでいたキャロルだったが、表情で意味は通じたのだろう。
 もう一度、ごめんとエーレが呟いた。

「君が心配だとは言ったけど、君の旅を物騒にしているのは、間違いなく俺な気がしてきたよ。本当に、ごめん」

 桶に汲まれた水に、布を浸すと、キャロルの腕の傷口ににじむ血を、丁寧に拭き取っていく。

「少しだけ、我慢してくれ」

 そう言ったエーレは、キャロルの右腕を持ち上げて、刺さったままの矢尻の部分に目を凝らすと、石の欠片が傷口に残らないよう、静かに慎重に、矢尻を引き抜いた。

「――っ!」

 そう言えば、刃物は抜く時の方が大変だと、クーディア警備隊の皆も言っていた気がする。
 と言うか、本当に痛い。
 再び開いた傷口に、清潔な包帯をキツめに巻いて止血を試みながら、エーレは痛ましげに顔を歪めた。

「キャロル。君のご両親のいらっしゃる街まで、あとどれくらいだろう?俺は君を送って、ご両親に頭を下げないといけない」
「えっ…」
「いや、いっそルフトヴェークを出るまで、送らせてくれないか?とても、このまま君を行かせられない」

 悄気(しょげ)る美形は、捨てられた子犬――たまに図書室で見かけた少女小説の設定(デフォルト)のような
状況に、ブンブンと勢いよくキャロルが首を横に振る。

「いえいえいえ、お気持ちだけでっ」

 うっかり流されてはいけない。そんなものに流された日には、エーレと(デューイ)の間で、吹雪(ブリザード)が吹き荒れるか、血を見る未来しか見えない。怖すぎる。

「キャロル」

 そんなキャロルに、エーレの表情と声が変わった。
 どうやらキャロルの態度に、一般論よりも、正直に説得をした方が良いと、思い直したらしかった。

「俺はイルハルトに…さっきの男に、君が俺の部下ではないと、否定しそこねた。奴は君の顔を覚えただろうし、この先もし、君と奴がルフトヴェーク国内で出会うような事があれば、間違いなく奴は、君に剣を向ける。そう言う意味でも、一人で行かせたくはないんだ」

「……さっきの人…エーレの知り合い?」

 エーレの申し出を受け入れるかどうか以前に、気になっていた疑問を口にすると、エーレが物凄く、複雑そうな表情を浮かべた。

「知り合いと言うか…父親の側室、って単語分かるかい?つまりは父の2番目の妻にあたる女性、その女性の、部下」
「……側室」
「簡単に言えば、俺が邪魔なんだよ。誰でも、自分の子供の方が可愛いだろう?」
「……つまりエーレは、一番目の奥さんの、子供」
「良く出来ました」

 皮肉ではなく、そう呟くと、エーレは布を巻き終わったキャロルの腕に、そっと(てのひら)を乗せた。

「お願いだ。しばらく俺と、行動を共にして欲しい」

 キャロルは、しばらく腕の包帯と、エーレの掌をじっと見ていたが……やがてゆっくりと、首を横に振った。

「キャロル……っ」

「これ以上は、学校が始まるまでにカーヴィアルに帰れなくなってしまうから……私には、迂回をしたり、1箇所に長く留まっている時間がないって言うのもあるんだけど……」

「……けど?」

「一つ、すごく気になっている事があって……。だからそれを確かめる意味でも、行動は別にして貰えないかな…?」

「気になっていること…?」

 柔らかく微笑んだキャロルは、声を落とすと、エーレの耳元に顔を近付けて、何ごとかを囁いた。

「……っ」

「杞憂に終わったら、私がそのままルフトヴェークを出国するだけだから、エーレには不利益にならないと思うんだけど、どうかな……?」

「君は……どこまで……」

 目を見開いたエーレに、キャロルは人差し指を唇に当てながら、笑った。

「ヒューバートさんは、巻き込んじゃっても大丈夫な気はするけど、その辺りも含めて、配置とか、人選は任せていい?」
「……分かった。君には負けたよ」

 大きく息を吐き出したエーレは、キャロルの頭をくしゃりと撫でると、自分も顔を近付けて、キャロルの耳元で囁いた。

「なら、最後の街(ルヴェル)には俺が行くよ。杞憂に終わっても、終わらなくても……君に、伝えておきたい事があるから」
「……っ」

 だから、美形(イケメン)美声(イケボ)はやめて下さいってば。
 キャロルは心から、そう思った。


*        *         *


 明日にはレアール侯爵領に入ると言う、手前の街・キシリー。

 時間的に、行ってしまえなくもないのだが、いったんここに1泊して、侯爵邸に先触れを出しておこうかと、立ち寄ったのだ。

 エーレから聞いている、お勧めの宿が見えてきたところで、キャロルはその足を急停止させた。

「ふえっ⁉」

 そこには、にこやかに、予定外の人物がいて、キャロルを待ち構えていた。

「ご無沙汰しております、キャロル様」
「ロ……執事長(ロータス)さん……な…んで……」
「私などに『さん』は不要ですと、以前から申しておりますのに」
「いや、そう言う事じゃ…」

山間(やまあい)の道が多いマルメラーデは、季節的に最後、お戻りの際に通られるだろうし、ディレクトア側からお越しであれば、途中の経路がどうであれ、キャロル様ならば、必ず先触れを出すために、キシリーに立ち寄られる――と、デューイ様が仰いましたので」

「わぁ…」

 さすが(デューイ)、予想通りにお見通しだ。

「そしてキシリーでは、こちらのお宿が最も評判が良いと申しましょうか、富裕層向けの宿ですので、キャロル様が途中で評判の良い安全な宿を探しながら来られるのであれば、まず間違いなくこちらにチェックインされると、お待ちしておりました。本当は、昨日あたりにお越しになられるのではと思い、こちらに来ておりましたが、1日程度であれば、想定範囲内の誤差ですね」

「あはは…」

 確かに、怪我がなければ、昨日着いていただろうと、キャロルも思う。

 あの後、傷口が熱を帯びてきてしまい、1日エーレに外出禁止を言い渡されたのだ。その結果が、今日の到着だ。

「……おや」

 馬上のキャロルを見ていたロータスが、ふと、目を眇めた。

「キャロル様、怪我をされておいでですか」
「えっ⁉」
「少々、乗馬のバランスが悪うございますよ。右側を(かば)っておいでのように、お見受けしますが」
「……何者ですか、ロータスさんって……」
「執事たるもの、そのくらいは気付けなくては」

 そう言って、キャロルを絶句させたロータスは、宿から少し離れたところに留めてあった、侯爵家の紋章入りの馬車まで、キャロルを誘導した。

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