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プロローグ 月夜の出来事

 月が雲に隠れた。
 同時に暗闇がすべてを覆い隠す。

 その暗闇に紛れ、彼女は目標を目指した。
 屋敷と敷地には厳重な警備システムが設置されていたが、彼女は難なく突破していく。そして屋敷の中に入り込むことに成功した。
 屋敷の中にはスーツ姿の警備員たちが厳重に見回っている。
 彼女は音も立てずに近づくと、警備員の影に入り込んだ。
 影の中に入るのは物陰に隠れる感覚に近い。違うのは影の主が生き物ならば、視点を共有できる事と、ある程度、行動をコントロールできるという事だった。右に行きたければ右。左に行きたいと思えば左と、相手は無自覚に行動してくれる。
 微妙なコントロールをし、警備員を目的の部屋に向かわせる。
 二階に上がると部屋の前にはスーツにネクタイ姿の警備員が二人立っているのが見えた。
 体格からすると元軍人か、同等の戦闘技術を持っている者には間違いない。銃も持っているだろうし普通なら警戒すべき相手だ。
 だが彼女は“普通”ではない。
 近づいていくと二人の警備員はこちらに気づき顔を向けた。男は軽く挨拶すると二人の前を通り過ぎた。そして彼女は影の中から抜け出し姿を晒したのだった。
 影の主だった男は彼女の気配に気づかず、そのまま別の廊下を歩いていってしまったが、部屋の前にいた警備のふたりは違った。
 廊下に突然現れた女に驚く。
「お前誰だ! どこから入った?」
 グロック17のグリップに手をかけながら警告したが彼女は答えない。
「止まれ!」
 歩みを止めない彼女に警備の二人はグロックの銃口を向けた。
「侵入者が……」
 無線でそう伝えようとした時だった。彼女の赤い瞳が警備の二人を凝視した。途端に彼らの体と意識の自由が利かなくなってしまう。
 最初は体、次は思考だ。
「ここに何の異常もない。だから報告の必要もない」
 彼女がそう言うと、思考をコントロールされた二人の警備員たちは同じ言葉を無線機に繰り返した。構えていたグロックも下げ、朦朧とした状態で立ち尽くしている。
「開けろ」
 彼女が、そう指示すると警備員は言われるがままに電子ロックの暗証番号を押して扉を開けていく。
「ありがとう。そのまま部屋を見張って」
 言葉の通り、警備の二人は扉を閉じ、先程までと同じ様に見張りに戻った。
 まんまと部屋の中に入り込んだ彼女は部屋を見渡した。
 そこは書斎で机の上には頑丈そうなジュラルミン製のケースが置かれていた。
 情報通りだ。
 ケースを開けて中身を確認すると狙いの物が入っていた。
 間違いない。
 彼女はケースを閉じると取っ手を掴んだ。
 再び扉を開けて、悠々と部屋から出ていこうとした時だった。
「動くな!」
 別の警備員だ。銃を向けて立っている。
 彼女はその赤い瞳で警備員を見た。見つめた相手をコントロールできる特異な能力だったが、どういうわけかその男には通じない。
「侵入者だ! 書斎に入り込まれた!」
 無線で仲間を呼ばれた。長居はできない状況だ。
「おっと、動くなよ」
 瞳を赤く光らせ、再度、男を見つめてみたがやはり効果はない。
 何の相性が悪いのかわからないが、こんな人間はたまにいる。
「おまえ……なんだ? その眼の色」
 彼女の赤い瞳に気がついた男が驚いた。
 離れた場所から階段を駆け上がる音が聴こえてくる。きっと無線を聞きつけた警備員の仲間だ。
 彼女は身を翻し、部屋の中に逃げた。
「待て!」
 警備員は彼女を追った。部屋に飛び込んで銃を構えると彼女は窓から飛び降りるところだった。 
「動くな!」
 銃の狙いを定め彼女を狙う。彼女は、追ってきた警備員の方を見てニヤリとした。
 いい動きだな。訓練をかなり積んでる。そんな事を思いながら構わず窓から飛び降りた。
「ああ、くそっ!」
 警備員は、慌てて窓から下を見た。
 だが、賊の姿は見当たらない。部屋の灯りに照らされてコウモリの群れが飛んでいるだけが見えるだけだった。
 庭にいる仲間の警備員を大声で呼んだ。
「侵入者が庭に飛び降りた! 探せ!」
 その頭上を悠々と黒いコウモリの群れが飛んでいく。群れは塀を飛び越え置いてあったバイクの上に集まった。すると群れは人の形になっていった。
 
 屋敷の庭では見失った侵入者を警備の男たちが探し回っていた。
 その時、エンジン音が鳴り響く。
「外だ!」
 門のそばにいた警備員たちが屋敷の外に飛び出した。
 見ると一台のバイクが走り出すところだった。背中には黒いバックが背負われている。盗まれたケースが入っているのは容易に想像できた。
「そいつを止めろ!」
 MP5サブマシンガンを持ち出した警備員たちがバイクにむかって射撃をした。
 だが走り出したバイクはすぐにサブマシンガンの短い射程距離から逃れてしまう。
 夜の闇の中、赤いテールランプが遠ざかっていく。
 こうして赤い瞳を持つ女は暗闇の中へ消えていった。

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