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6.感情

 トゥイーリがアシュラフの家にきてから、はやくも2週間が経とうとしていた。

 最初のうちは落胆と混乱があり、落ち着かない日々で、占いに影響が出ないか心配していたが、なんとか乗り切れたようだ。

 猫のままのマレもこの家の人間や出される食事にかなり警戒していたが、悲しいかな、時折出される、高級魚のぶつ切りをもらううちにかなり落ち着き、ルゥルアには甘えた声で挨拶をするようになった。

 サクルのお店に行く日は約束通り馬車を出してもらっている。
 外側は黒一色なのだが、中の椅子はふかふかで、そんなに遠くまで行くわけではないのに、と毎回落ち着かない気持ちになる。
 逆にマレは猫毛を気にせずに中でゴロゴロとしている。

 他に変わったことと言えば、マレが猫のままでいることだ。
 部屋でトゥイーリしかいないときは時折人間に変身しているが、ほどんと猫の姿だ。
 それが心細くて悲しかった。

 この家に来てすぐの契約書の署名も本当はマレに確認してもらいたかったが、あの場ですぐに人間に変身することができなくて、迷いながら署名していた。

 ずっとトゥイーリはマレに決断を委ねていた。
 6歳の頃から一緒にいるマレの言うことなら、と無自覚に信用している部分があるからだろう。
 けれど、この国でこの家で生活していくなら、トゥイーリがその都度判断して答えを出していくことになる。
 それはとても怖いことだと思っている。

 サクルの店からの帰り道、マレを膝の上に乗せてぼんやりと撫でていると、
「何か不安なことでもあるのか?」
 マレが膝の上から顔を見上げて聞く。
「あ、うん。不安というか。マレが人間にならないと自分で判断しなきゃいけないんだな、と当たり前のことを考えていて」
「そうか。そうだな。この時間も勉強だな。一人で考え、判断していく。最初は自信がなくて迷うだろうけど、それも経験を積んでいけば迷うことなく判断できるようになる。まぁ、がんばれ」
 というと、そのまま膝の上で眠ってしまった。
「うん、そうね。いつまでも頼っていないで、自分で判断できるようにならないと」
 トゥイーリはマレを撫でながら静かに心を奮い立たせていた。

 トゥイーリが静かに決心を固めていた時、ルゥルアはアシュラフに呼ばれ、1階の部屋にいた。
「アリーナの様子はどうだ?」
「このところはだいぶ落ち着いて過ごしているようです」
「そうか。それで、自分のことは話しているか?」
「申し訳ありません、そこまではまだ心許されていないようです」
「そうか。ああ、そうだ。今度の休みにアリーナを連れて旅行に行こうと思う」
「旅行ですか?」
「ああ。ただ、仕事が片付かないので長く滞在はできないがカーラに視察を兼ねて行こうと思っている」
「砂漠の町ですね。何かありましたか?」
「特段問題はない。いつもの視察だ。ただ、こちらの身分を明かさずに行こうと思っている」
「なぜですか?」
「アリーナに知られて、警戒されたくないからだ」
「そうですか……。わかりました、アリーナさまにお伝えてしておきます」
 ルゥルアは一礼し、部屋を出た。
「サーディク、アリーナの身元は探れたか?」
 アシュラフの後ろにいる、側近に尋ねる。
「かなり難航しております。アリーナさまに似た方とグレーの猫がルアール国の王城にいたのは確認がとれました。だた、城内では大きな騒ぎになっておらず、一部の人間のみ知っているという状況のようです」
「そうなのか?」
 アシュラフは顎に手を当て考え込む。
「その、アリーナさまに似ている方は、国王の遠い親戚で両親を亡くした子供を預かっているということです」
「それならばもっと大きく捜索隊などを出すだろうに。何を隠しているのだ?」
 アシュラフは考えこんでいるが、サーディクはぼそっと
「アリーナさまはこの国に入国した記録がありません」
「なんだって?身分証明書はあったぞ?」
「はい。この離宮にきた時にカバンを確認した時には確かにアリーナさまとマレさまの身分証明書がありました」
「ああ、そうだ。マレの身分証明書もあったな。猫にも身分証明書を発行するなんて可笑しな国だな、と思ったが」
「はい。その身分証明書を使うことなく、入国してきたということは何か大きな秘密があるのではないでしょうか?」
 サーディクの言葉にアシュラフは、
「もっと深く探ってくれ」
「御意」
 と一言いい、頭を下げて部屋を出た。
「この国に密入国する理由があるのか?」
 アシュラフは警戒しないと、と呟き、部屋を出た。

「ただいま戻りました」
 アリーナは馬車を降り、玄関に入ると待っていたルゥルアに話しかけた。
「おかえりなさいませ、アリーナさま。お疲れさまでした」
「いえ、こちらこそ、いつもありがとうございます」
「にゃぁ~」
「マレさまもおかえりなさい」
 アリーナに抱かれているマレも一声鳴き、嬉しそうなルゥルアに鼻筋を撫でられ目を細めている。
 ルゥルアに荷物を預けて一緒に2階の部屋に戻る。
 抱いていたマレを部屋の中におろし、ソファに腰掛けると、温かい紅茶が運ばれてきた。
 日中は秋のような気候でも夜になると気温が下がり、だいぶ寒くなる。
 馬車で移動しているとはいえ、体は冷えてしまう。
 手のひらでカップを包むながらすこしずつ飲んでいると、
「アシュラフさまから、次の休みに砂漠の町、カーラに行こう、と伝言がありました」
「アシュラフさまから?」
 そういえば、あの契約を交わしてからはアシュラフと会っていなかった。
「ええ。この国を代表する観光名所なので、気分転換にどうかと」
「そうですか……」
 いつもの癖でマレを見てしまうが、マレはこっちを見ず、ドアを気にしている。
「わかりました。楽しみにしています、とお伝え頂けますか?」
「ええ。お伝えしておきます。では食事をお持ちしますので、お待ちください」
 とルゥルアは部屋を出た。
「マレ、一緒に行ってくれるよね?」
「猫のままでなら一緒にいくぞ」
「うん、そうよね。でも初めての砂漠、楽しみ!」
 とタイミングよく、ドアのノックが聞こえ、夕食の時間となった。

(人が多い気がする)
 カーラへと旅行に行く朝。玄関にはルゥルア以外に数人の男性が荷物を運んでいた。
 2泊ほどの旅行と聞いているが、人数がいる分荷物も多いのだろうか?
 ぼんやりと馬車に荷物が運ばれているのを見ていると、
「おはようございます、アリーナ。旅行日和ですね」
 とアシュラフが声を掛けてきた。
 今日のアシュラフは肩まである髪を後に一つに結び、白いシャツとズボンの上に白いワンピースのような物を羽織り、足元は黒のブーツという姿だ。
「おはようございます、アシュラフさま。お誘い頂きありがとうございます。それと、洋服も贈っていただいて、ありがとうございます」
「いえいえ。砂漠に行くので、ルクンで着ているような洋服だと砂まみれになってしまいますのでね」
 アシュラフはふっと、微笑んだ。その姿はエリアスを思い出させた。
「さて、馬車の準備も整ったようなので、行きましょうか?」
 と左手を差し出してきたので、アリーナは首をかしげてしまった。
 すかさず後ろに控えていたルゥルアが小さな声で、
「アシュラフさまの左手にアリーナさまの右手を乗せてください」
 と教えてくれたので、あわてて右手を乗せると、そのまま歩き出した。
 引きずられるように一緒に歩いて行くと、馬車の前で、
「気を付けて上がってくださいね」
 と優しく微笑み、踏み台に上がるのを待っている。
「ありがとうございます」
 と伝え、馬車に乗り、座った。その後にアシュラフが乗ってきて、アリーナの右横に座ったところでドアが閉められた。
「あの、マレとルゥルアは?」
「ああ、もう1台の馬車に乗っていますので、気になさらずに」
 馬車はかたん、と小さな音を出して、走り始めた。
(マレ以外と二人だけになるなんてないから、落ち着かない)
 アリーナはどうしたらいいのかわからず、流れていく景色を眺めている。
「砂漠は初めてですか?」
「え、あ、初めてです」
「ああ、そういえば、ひさしぶりに会いましたね。緊張していますか?」
「ええ、はい」
「わたしはあなたにとって、ひどいことをした人間ですから、緊張するのも無理はないです。今回の旅行はお詫びを含めて計画させて頂きましたから、少しでも楽しんでもらえると嬉しいです」
 笑顔で話すアシュラフはやはり、エリアスと同じ、キラキラと輝いているな、とぼんやりと思ってしまった。
「どうかしましたか?」
「ああ、いえ、すみません。お心遣いありがとうございます」
「よかった。わたしもひさしぶりに旅行に行くので、楽しみにしていたんですよ」
 屈託のない笑顔は少年のようだな、とまじまじと見つめてしまった。
「わたしの顔に何かついていますか?」
「あ、いえ、ついていないです。すみません」
 慌てて、視線をそらしてしまった。
(何をやってるんだろう、わたし…)
「そうですか。ああ、今回の旅行の日程なのですが、夕方にはカーラに到着します。夕日が落ちる時間に間に合えば、見に行きましょう。とても綺麗な景色なのですよ。明日はラクダを使って砂漠の中を行ってみましょう。最終日はお昼頃にカーラを出発しますので、特産品の砂漠の薔薇を購入しましょう」
「砂漠の薔薇ですか?」
「ええ。薔薇の形をしている岩なのですが、それに砂漠の砂がついているんです。他の砂漠では不思議なことにそういった岩が取れないので、カーラの町の特産品になっているのです」
「砂漠の薔薇……早く見てみたいです!」
 満面の笑顔を浮かべたアリーナにアシュラフは安堵したような声で
「ああ、やっと笑ってくれましたね」
「あっ、すみません、はしゃいでしまいました」
「気にしないでください。少しでもこの旅行を楽しんでください」
「はい!」
 また満面の笑顔を浮かべるアリーナをアシュラフは目を細め見つめていた。
(こういう笑顔をみると、本当に幼いのがよくわかる)
 アシュラフは身分証明書に書いてある年齢も偽りなのでは、と思っていたが、年齢だけは書いてあるまま、12歳だな、と感じた。
(複雑な事情がありそうだが、どこまで本当のことを話してくれるかな?)
 時間は限られているが、少しでも化けの皮をはがさないと、と改めて決意し、馬車の揺れに身を任せた。

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