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「わ、私には宇佐見さんとは違う修一さんとの付き合い方がありますから……」

苦しい反撃だ。でも宇佐見さんには私の言葉が思ったよりも効いたみたいだ。瞳が一瞬揺らいだ。

「……なら私が椎名さんとお付き合いしてもいいってことね」

「どうぞご自由に!」

宇佐見さんは一層怖いくらいの笑顔を見せた。

「失礼します」

聞き覚えのある声に入り口を振り返ると椎名さんが扉から顔を出していた。

「観葉植物のメンテナンスに伺いました」

「こちらです、どうぞ」

宇佐見さんは立ち上がって椎名さんに駆け寄った。

「わざわざすいません」

気持ち悪いくらいの笑顔で椎名さんを観葉鉢の前まで案内する。

愛想を振り撒いているのはどっちだ。

「こうなってしまって……」

宇佐見さんが指差した植物の葉は茶色や黄色に斑に変色してしまっていた。総務部に置いてあった頃の葉は緑色に薄い黄色の線が入って、とても綺麗な色をしていた。今のような葉の状態は可哀想だ。

「ああ、これは葉焼けですね」

葉を見た椎名さんは言った。

「この種類は直射日光が苦手なんです。ここは窓が大きいのでもう少し窓から離して置かないと葉が焼けてしまうんです」

「そうだったんですか……それは可哀想なことをしちゃいました……」

「こうなってしまったらもう元には戻りません」

宇佐見さんはわざとらしく困った顔をした。
私は呆れた。
あなたが動かさなければ綺麗な葉っぱも綺麗なままでいられたのに。日当たりが悪い総務部の通路だからこそ映えたのだ。

「新しいものに変えさせていただきたいと思いますが、金額のこともありますので一度北川さんと相談させてください」

椎名さんは私の顔を見ると「外に出て」と目配せした。

「そうですか……分かりました」

そう言うと宇佐見さんは今度は残念そうな顔をした。
私と椎名さんは扉から通路へと出た。

「すみません。わざわざ来ていただいて」

「構わないよ。仕事だし」

「余計な仕事を増やしてしまいました」

「夏帆ちゃんのせいじゃないから」

いや、こうなったのはきっと私への当て付けだ。

「まったく、マッサンゲアナを動かして葉焼けさせるとか、あの女めちゃくちゃだな」

「すみません……」

「だから、夏帆ちゃんが謝らなくていいの。でも残念だな。マッサンゲアナは総務部の通路に置きたかったのに。今手元には違う種類しかないし」

「こだわりがあるんですか?」

「マッサンゲアナは幸福の木とも呼ばれてるんだ。別に、育てたからって幸福になる効果はないけど」

「へぇー素敵ですね」

幸福の木を毎日見てから仕事をするなんていいかも、なんて思った。私の言葉に椎名さんは笑った。その笑顔にドキッとする。

「夏帆ちゃんどうする? これから営業推進部にも鉢置く?」

「えっと……」

営業推進部というよりも宇佐見さんが個人的にデスクの横に置きたいだけだろう。総務部にどうしても観葉鉢が必要なわけではないけれど、長年そこに置いてあるし個人的な事情で移動もさせられない。

「部長に相談します。あの鉢は一旦総務部の通路に戻します。あのままじゃ可哀想ですから」

「じゃあ俺運ぶよ」

「でも動かしたのはこちらですので……」

「いいよ。重いから大変だよ。それにもし陶器を割ったら困るのは夏帆ちゃんでしょ?」

確かにそうだ。弁償しなければいけなくなる。

「どうせあの人夏帆ちゃん一人に運ばせそうだし」

「そう……ですね……」

自然と顔が下を向いた。社員に私の仕事は雑用だと認識されている。それが堪らなく悔しい。

「それと、俺は宇佐見さんとは付き合わないよ」

「え?」

「夏帆ちゃんがご自由にって言っても、俺はあの人とは付き合わないから」

「あの……」

どうやら先程の宇佐見さんとの会話を聞かれていたようだ。

「聞こえてたんですね」

「人が少ないからドアの外でも声が通るんだよ。多分そこにいた人には全部丸聞こえ」

「どうしよう……」

「宇佐見さんと付き合えませんって言ってきた方がいい?」

椎名さんの声は面白がっている。

「だめです!」

営業推進部の扉を開けようとする椎名さんを慌てて止めた。

「宇佐見さんが俺を狙ってるって早峰で噂になるのも仕事がやりづらいんだけど。俺にその気は全くないのに」

「余計ややこしくなりますから……」

「でも会社であれはまずいでしょ」

確かに問題だ。言い合いをしたことも、内容も、営業推進部という場所も。とにかく部長に報告しなければ。

「夏帆ちゃん仕事楽しい?」

いつかのように唐突な椎名さんの質問に顔を上げた。

楽しいか楽しくないかと言えば……。

「楽しくないです……」

私は雑用係じゃないって自分に言い聞かせて、主張もしてきたけれど。

「私はこの会社には必要ないのかも……」

辞めたい。
そう思い始めていた。

「その会社が一生勤められる会社かもしれないですよ」

「は?」

「君が俺に言った言葉だ。会社に必要だって思ってもらえたら採用してくれるって」

私が? 椎名さんに?

「君は早峰に採用された。だから君は必要だよ」

私を見る椎名さんの目は真剣だ。

「そうでしょうか……」

「うん。頑張れ」

目頭が熱くなる。椎名さんはいつだって私のための言葉をくれる。

「それから、俺が付き合いたい女は一人だけ」

手で私の頭をポンポンと軽く撫でた。その慣れた仕草に私の顔は赤くなった。

「じゃあ台車と予備の鉢を取ってくるね」

「お、お願いします……」

椎名さんは通路の先の階段を軽い足取りで下りていった。

あんな態度はだめだって言ったのに。また頭の中があなたでいっぱいになってしまう。初めて椎名さんに会った3年前のことを思い出してしまっては余計に。
早峰に採用が決まったときに「おめでとう」と言ってくれた。見ず知らずの私の内定を喜んでくれたあの優しい笑顔は今でも変わっていないのだ。



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