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「大丈夫です! ここまででいいですから!」

「家の近くまで送るよ。荷物重いでしょ」

「でも……」

「その格好じゃ大変だよ」

ホームは混み合っているし、来た電車の中も座れる席はなさそうだ。汚したくないドレスにヒールを履いた私には負担が少ない方が助かるのだけど。

「迷惑じゃないですか?」

「全然。少しでも長く綺麗な夏帆ちゃんを見ていたいから」

何も言い返せない。今そんなことを言うなんてずるい。弱っている私の心を惑わせるから。

電車のドアの横に二人で立った。
私は手すりに掴まって、椎名さんは片手に荷物を、もう片方の手でつり革に掴まった。

また二人きりになってしまった状況に戸惑い、背を向けてひたすら窓の外を見ていた。早く家の近くの駅に着きますようにと強く思いながら、後ろに立つ椎名さんを意識していた。

途中の駅で止まる度に人がどんどん乗ってくる。椎名さんと体が触れ合ってしまうくらいまで混んできた。一歩ずつ体と体が近づく。

窓ガラスに映った椎名さんと目が合った。ガラス越しに私に向かって微笑む。それに微笑み返す余裕なんてない。油断すると今にもその瞳に捕まってしまいそうだ。

突然車内が揺れた。私はバランスを崩して後ろによろけ、椎名さんにぶつかった。
椎名さんは腕を前のドアにつけて体を支えた。その体勢はまるで後ろから私を腕の中に閉じ込めているようで、椎名さんの息づかいが聞こえてきそうなほど近い。私の背中と椎名さんの胸がくっついている。離れようとしても混んだ車内では難しかった。

どうか心臓が早く鼓動していることに気づかれませんように。

「大丈夫?」

突然耳元で問いかけられた。

「は、はい! 大丈夫です……」

ものすごく緊張していることが分かってしまったのだろうか。

電車が揺れても人に押されないことに気がついた。椎名さんが腕に力を入れて私が押し潰されないように突っ張って支えてくれている。その気遣いが嬉しかった。

「椎名さん……」

「ん?」

顔を後ろに向けた。私より頭一つ分背の高い椎名さんと至近距離で目が合い、このまま電車が大きく揺れたら私の頭と椎名さんの顔がぶつかってしまいそうだ。

「どうしたの?」

穏やかに私の次の言葉を待っている。混んだ車内で片手に荷物を持って片腕で体を支えているのに、少しも辛そうな様子を見せない。

「ありがとうございます」

守ってくれて。傍にいてくれて。

「どういたしまして」

私を安心させる優しい顔で笑う。

電車が揺れた瞬間慌てて前を向いた。

「やばいな……」

椎名さんが呟いた。

「すっげー可愛い……」

耳元でそう言うと私の首の後ろにキスをした。

「っ!!」

大きな声が出そうになるのを堪えた。髪をアップにしているため椎名さんからはうなじが丸見えだ。続けて耳にまでキスをされた。混んだ車内では体を動かせずに抵抗できない。頭を振るだけで精一杯だ。それでも椎名さんは遠慮なしにキスの雨を降らせる。ちゅっという音が私の耳を犯した。

「椎名さん……!」

手すりをぎゅっと握り締め、小さな声で抵抗することしかできない。それをいいことに椎名さんの唇は私の髪と耳に何度も触れた。

嫌だ。やめて。心臓が破裂しそう。

「椎名さん……お願い……」

哀願する声を無視して、周りに人がたくさんいても椎名さんはやめようとしない。

間もなく駅に着くというアナウンスが流れた。電車が止まり目の前のドアが開いた瞬間、私は勢いよくホームへ降りた。

降りたものの、そのままホームに立ち尽くしてしまった。私とすれ違いに電車に乗り込む人に何度もぶつかった。迷惑そうな顔をされてもその場から動けない。

椎名さんと二人になってはいけなかった。優しさに甘えてしまうから。触れられたらドキドキしてしまう。頭の中が椎名さんでいっぱいになる。
嫌だ。だめなんだ。椎名さんを想ってはいけない。私は修一さんと付き合っているのだから。
これ以上近づいたら、もっと椎名さんを意識してしまう。それじゃ浮気だ。絶対に許されない。

「夏帆ちゃん……」

追って降りたのだろう椎名さんが後ろに立っている。電車は発車し、ホームにいるのは私と椎名さんだけになってしまった。

「置いてくなんて酷いじゃん。これ結構重たいんだから」

椎名さんは私のすぐ横に設置された長椅子に紙袋を置くと、ふぅっと溜め息をついた。

「ごめん、夏帆ちゃんの気持ちを無視した」

その声からは後悔が滲み出ていた。椎名さんの顔は辛そうだ。

「俺っていつも夏帆ちゃんの嫌なことばかりするね」

違う。本当は嫌じゃなかった。
椎名さんのキスに心を奪われて、修一さんへの罪悪感でいっぱいになってしまう。それが嫌だったのだ。
そう、私はキスをされたことは嫌じゃなかった。

「今日の夏帆ちゃんがいつも以上に綺麗で、つい触れたくなった」

「からかわないでください……」

「だから、からかってないよ」

椎名さんは私の肩を掴み強引に体を向かい合わせた。

「夏帆ちゃんが好きだよ」

シンプルな言葉だけど本気なのが伝わった。

「私と椎名さんじゃ似合わないのに……」

「俺はそうは思わない」

「私は修一さんと付き合ってる……」

自分に言い聞かせるように呟いた。

「あいつに取られる前に強引にでも俺のものにすればよかった」

掴まれた肩に椎名さんの手の力を強く感じた。

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