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季節はずれの花.6


(…——ごめん。プルー…。ぼくは、やっぱり、ここに来ずにはいられないんだ……)

 さわさわ…さわさわ……

 初夏の涼風をうけて、《初白雪》の葉が、青緑のさざなみのごとくゆらめいている。

 北東の湖畔をおとずれた青年が胸元に(たずさ)えているのは、氷霜(ひょうそう)をまとっているようにも見える純白の植物。

 花期には、全体に半透明な繊毛を発達させながら白く変化(白化)し、葉の間から立ちあがった二本の花茎に、それぞれ小さな蝶のごとき白い花を五つ、六つ育む《初白雪(はつしらゆき)》と呼ばれる野草。

 この季節に咲く植物ではなかったが、彼、アントイーヴの手にかばわれた土つきの株は、全体を半透明な霜でおおわれたような姿で、可憐に花ひらいていた。

 一度、足を止め、青緑色の原野をぐるりと見まわしたアントイーヴは、そっと、安堵の吐息をこぼした。

 この場所で、出くわすことを恐れていた女性の姿はない。

 人為的に開花させた《初白雪》の株を、大事そうに抱えなおし、歩を進め、群生する青緑色が、いくらかまばらになっているあたりで足をとめる。

 そこで地面に片ひざをついた彼は、植物が抱える土を保護していた布地をひらいた。
 そして……、

〔メル……。ほら、咲いたよ〕

 季節を違えて咲いた花を、ちぎられた葉がちらばる地面にそっと乗せおいた。

(メル。すべてが満たされていたわけではなくても……。それでも、君は楽しかったんだよね?)

 胸の内で語りかけながら彼は、花株のまわりにちらかっている葉をやさしくなでるようにかきわけた。

(……。こんなにして…。メルが(あこが)れた花……根をはっても、しがらみもしないのに……。メルはきっと…)

 ちぎられ、(しな)びている葉をひとしきりよせたあと、白い花がゆれる株を配置しなおした彼は、その大地に左の手の指のさき――親指をのぞく四指をつくようにして、ひらきおいた。

(メル…。君は……しあわせ…だったんだよね? ――そう、信じても…? メルレイン…そうでも思わないと……ぼくは…——っ!)

 屈み腰の姿勢でうつむいているアントイーヴの左手——
 わずかに浮いてある拇指(親指)のかたわらに、ぽた…と。
 おちた透明な雫は、そこに暴露されているセピア色の地面に小さな染みをつくった。

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