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季節はずれの花.5


 なにより(あか)くひかれた唇と、黒い虹彩の中央にひそむ群青色(ぐんじょいろ)の瞳孔が印象としてのこる女性店員が、法具のつめこみ作業を再開する。

 カウンターの(はし)では、旅支度の行商人が時間をつぶしていた。

 近くに法具店もなく、たどりつくのに事欠(ことか)くような場所で仕事している者や特殊な法具を愛用する者は、秘密裏に流れ歩く法具商人や法具専門の運送従事者を頼る。

 どこか辺鄙(へんぴ)なところにいる《神鎮め》、もしくは店舗から発注があったのかもしれない。

 なんとなく作業を眺めながら待ちの体制にはいろうとしたセレグレーシュだったが、ふと思いつきで口をひらいた。

「適性考査で、腕試しの稜威祇(いつぎ)がくることってあるの?」

「さぁ……そうね。あちらに聞いてみたら? 経験者だから」

 女性店員は、カウンター内の一角で数種類の沙と香油のようなものを配合している青年をそれとなく示すと、奥の仕切りのむこうに消えた。

 やりとりが聞こえていたのだろう。
 (しめ)された彼が作業の手を休めることなく話しはじめた。
 大小、形も素材も違うおたま(レードル)(さじ)を使い分け、かたわらにならべ置いた小瓶を順々に満たしてゆく。

「…――稜威祇(いつぎ)妖威(ようい)まがい(・・・)がこれだって目をつけた学生にちょっかいだすことは、あるみたいだけど——いや、それも、滅多にあることではないんだけどね。
 《月流し》に……ってことでもない」

 セレグレーシュの方へ、ちらと目を向けるともなく。
 その青年は聡明そうな整いのおもてに、ちょっぴり遠慮がちな微笑を浮べた。

 それでいながら発する言葉に(おく)するようなところは微塵(みじん)もない。

 (こころざ)しの(かた)そうな瞳は青。()れたような艶をはなつ頭髪は、金髪といえなくもない黄褐色(おうかっしょく)――ダークブロンドで、セレグレーシュより、三つか四つ、年上に見える。

 いまは椅子に腰かけているので程度はわからないが、手脚(てあし)が長く上背(うわぜい)のありそうな若者だ。

 瞳孔が黒いので、瞳の中央が群青であることを特徴とする《天藍(てんらん)理族(りぞく)》ではないのだろう。
 それでも器用な動作をみせるその手は、店員につきものの白手袋に包まれている。

「ふつうは本人の器量しだいで何事もなく終るよ」

(……なら、自信あるんだけどな)

 セレグレーシュは、疑念をふりきれぬままに嘆息した。

 幼いながらに南下しつつ西へ……さらには、この家を目指して北西へと…——三年近い放浪経験がある彼は、単独時の対処能力を観るというその課題をあまり問題にしていなかった。

 落ちても保留(ほりゅう)されるだけで、排除(はいじょ)されることはないという。
 絶対ではなく〝改善の見込みもないような不足・(おこた)りや反社会行動がなければ〟という条件のもとではあるが……。

 《神鎮め》を目指しているわけではなくても、まだ、この家を離れるつもりはないので(いど)む意思はあり、受かれば今の段階で出入りが禁じられている北の蔵書に手が届くようになるという。
 だから、そうなれるよう努力していた。

 技術的なところを(のぞ)けば自分なりに手応えも感じていたので、正直なところセレグレーシュは、いますぐ出かけても余裕でパスできると、心の底ではその試験をなめていたのだ。

 気になるのは、ライオ師範がもらした挑発的な言葉である。
 これと目をつけられている気がして、しかたない。

「でも君は…。気をつけた方がいいかも知れないね。そういった流れがあるのなら、どんなに気をつけようと無駄で…――場合によっては乗り越えるしかないのだろうけど……」

 立ちあがり、カウンター内を移動したその青年は、調合し()えた小瓶を六本——女性店員があれこれ()めこんでいた箱の内側のひっかけ部分に固定しはじめた。

 セレグレーシュが漠然と、目前で行われている作業を見つめている。

そういう(そうゆう)計画の噂でもあるの?」

 品物のチェックシートに目を通してから(ふた)を閉じる。その荷物を重量を感じさせない動作で持ち上げて移動し、カウンターの片側に乗せ、

「承知してると思うけど、これは()けずに納品するように。よろしく」と。

 行商人に荷物を(ゆだ)ねたことで、その青年の手は()いたようだった。

 彼が、くるりとセレグレーシュのほうに向きなおる。

「このっくらいの稜威祇(いつぎ)に好かれて、つきまとわれている亜人。《稜威祇憑(いつぎつ)き》って、君のことだろう? レイス君じゃないのかい?」


 ――《稜威祇憑(いつぎつ)き》――


(オレ、そう言われてるのか……?)

 つかの()セレグレーシュは、その受けいれ(がた)い表現に、返す言葉を無くした。

「そこで提案なんだけど…――ぼくは君のこと(を)、違う呼び方してもいいかな?
 知りあいに同音違句の呼び名、発音の奴が複数いてさ。ひとりは、まったくいっしょというわけでもないんだけど、霊音省略しないと睨まれかねない。もうひとりは人間だから、まぁ、どうとでもなるんだけど……」

 後に続いたどうでもいい要求と事情解説は聞き流して、言葉をかえす。

「オレ、人間なんだけど」

「地毛じゃないのかい? その色は純粋な人間(ヒト)には出ないだろう。(さかのぼ)れば、どこかで向こうの血が入っているんじゃないかな?」

「オレ、あんなヤツと契約する気なんてないよ。口きいたこともないんだ」

「そう(なの)か。――それがいいかもね。その子も君が修士終えるころには、問題ないくらいに成長しているのかも知れないけど、契約する稜威祇(いつぎ)が未成熟だと、たがいの負担が大きくなるからね……」

「負担?」

「うん。子供は霊力の上限が高いように言われるけど、成長期の爆発力なのかな? そのへんも容量しだいで、必ずしも強いとは限らないわけだけど……。
 いずれにせよ、安定性に欠けることが少なくないんだ。急になにもできなくなったり、暴走したりするから《鎮め》のパートナーには向かないよ。
 対処法があるにはあるけど、既存(きぞん)の方法でカバーしきれるとも限らない。その個体に有効かもわからない。
 いざという時、適切な動きがとれないのでは危険だろう?」

(……こっち生まれの闇人によくある不安定のことかな……。なら、聞くまでもないけど…)

 相手の説明をよそに、セレグレーシュは独自にそれと解釈し達観した。
 彼の感覚ではそれは、ありがちな現象にして事実だ。

「駆けだしの未熟さは、お互いさまとしても……。《絆》を築くと、負傷した時、あるていど痛みや感覚を共有することになるんだけど、そのへんの要領も危ういらしいから。
 ――保養上限の上をゆく契約は《鎮め》の命も(けず)る。程度を超えた暴走されようものなら《鎮め》は、あっというまに引退。へたすれば殉死(じゅんし)・過労死だ。
 でも、まあ、個体によると思うよ? 成長段階だからって、必ずしも不安定ってこともないと思うしね。
 《鎮め》の仕事をするうえで、向いた能力があるかないかもわからないわけで……」

「こっちに、サインをお願い」

 セレグレーシュの前に、二枚。
 購入リストと貸し出しリストの記された紙面がさしだされた。

 提示しているのは注文をうけ負っていた女性店員で、カウンターの内側にあるテーブルには、彼女が持ってきたひと抱えほどもある厚紙の箱が鎮座している。

「支給済みの道具に不足はある? 遠征に有用そうなところでは、(ナベ)とか発熱板(はつねつばん)冷却板(れいきゃくばん)光球(こうきゅう)製水壺(せいすいつぼ)あたりね」

「そっちは、だいじょうぶ」

「よかった。紛失(ふんしつ)する子がけっこういるのよ。
 破損(はそん)による追加注文も少なくないのだけど、《天藍(うちの者)》は雑貨や定番品(そういったもの)をあまり造りたがらないから……。やむにやまれずそっちに依頼すると、〝はじめから(必要数)想定しておけ〟だの〝時間がない〟だの、〝それくらい自分で造れ〟だの、苦情を言われるの。――私が壊したわけでもないのにね。
 だから法具以外は、(家の)雑貨店に在庫がないと、たいてい(外部)取り寄せにしてる(なる)
 気軽にうけ負ってくれる運び屋もあまりいないし、その程度の事情でお金をかけるわけにもいかないから、なにかとね。
 《月流し》前に、そのへんでバーベキューとかする人、いるでしょう? するのはかまわないけど、あまり物を壊さないでほしいわ」

 目的は、いま法具専用の包装布(クロス)で側面に結び目がくるよう、ひとつにまとめられようとしている物資の入手だ。
 いっしょに提示された忠告とも世間(世話)(ばなし)ともつかない雑談にさほど興味をおぼえなかったセレグレーシュは、これという言葉もなく支給伝票を手にした。

「手ごろなリュックが入ってるから、よかったらそれを使ってね。
 軽くなるからって、この箱ごと持っていくと笑われるわよ?
 嵩張(かさば)るし、両手がふさがるから、違う意味で荷物になる。このクロスつきでも、お勧め(は)できないな…――
 後日でいいから、箱とクロスは返却してちょうだい。リュックは(もら)っちゃってかまわないわ。
 (いま、これを持って)帰る時は、抱《かか》えると前が見えなくなるから、この結びに腕を通して背負っていくといいよ?
 多少ぶつけても平気だけど、注意して運んでね?」

 こちらの文字を本格的に(なら)いはじめてから二年あまり。彼の筆使いは、まだ、たどたどしい。

「…――手首でも痛めてるの?」

 署名(しょめい)を確認した女性店員の言葉に、むっとしたセレグレーシュだったが、下手な字のいいわけはしなかった。

 走り書きすると、時には自分でもなにを書いたのかわからなくなって(しばし)悩むような腕前なので、彼としては、いま(かな)う範囲で手早く、読めるよう丁寧(ていねい)(しる)したつもりなのだ(筆記体にして、部分部分を端折(はしょ)ってはいる)。

 胸のうちの不快を隠しきれぬまま、無言で(よう)返却(へんきゃく)の法具名が記された(ひか)えの文書(リスト)と目的のものをうけとる。

 法印を築くには、(もん)や図形を描く速度・精確さが重要になってくるので、この学び舎にいれば、(ふつうは)自然に達筆になる。
 ゆえに、その人の疑問も、もっともなのだ。

「まって」

 目的としていた物資が包まれた結びに腕をとおし、右肩にひっかけて、早々、立ち去ろうとしていたセレグレーシュを呼びとめたのは、さっきまで言葉を交わしていた青年のほうだ。

 にっこり、人好きのする笑顔を見せている。

「アントイーヴだ。イーヴでいい。あらためて(よろ)しく」

「……。どうも」

 たずねてなどいないのに、わざわざ呼びとめて名を告げた——セレグレーシュは、彼のその行動に、不自然なものを感じた。

(……。アントイーヴか……)

 唐突(とうとつ)さ以前に……。
 この大陸には、よほど好感をもった相手でなければ、フルでは名前を告げない習慣がある。

 必要がある時と社交を目的とする場合、公的な場面などはべつとして、平素では先に耳にはいるのが省略したものや愛称になるのが(つね)だ。

 セレグレーシュが知るかぎり、このあたりはそうだったし、東へゆけば、さらに極端(きょくたん)になる。

 社交的にも、すすんで名乗りはしないし、本名とは似ても似つかない(いつわ)りの名・仮の呼称が、あたりまえのようにとび交っている。

 通名や愛称のつき合いをしていて、正名を告げれば、許容と信頼の(あかし)で、〝好きに呼んでよし〟という合図にもなり、逆をいうなら、親しくないうちに本名を呼ぶことは、〝支配的な意図がある〟という受けとり方をされる。

 たがいの立場や状況にもよるが、当人の意思を無視した侮辱(ぶじょく)行為で、それが相手に対する罰や攻撃、はずかしめにもなる。

 個人の感覚や考え方、趣向(しゅこう)はそれぞれだが、ふつうは知っていていても了承がないと判断すれば、安易に口にすることを()けるものなのだ。

 しかし、そんな事情(きわ)まる現場でもなく……人間同士(・・・・)のやりとりだ。

 相手の所業に、微量の違和感をおぼえても、そのひと自身の名前だったし、こう呼べというような省略形の指定もあった。

 だからその時、セレグレーシュは、あまり気にとめなかったのだ。

(――イーヴ……。アントイーヴ…——って、確認できなかったリストのひとりじゃないか。あれは、あの時、たしか……十六歳だったから、あいつ、いま、十八かそこいらだな…――)

しおり