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言の葉合戦

「……本当ですか?」
やがて少しの余白の後に出てきたのは安直な疑問で、ただ会話として続けても違和感のない言葉を返しただけのもの。
青年は、また少し気分を害したように眉を潜めて言う。
「ンな意味不明な嘘なんかつくわけないだろ」
想像通り、というべきか、やはりとても嘘をついているようには見えない。
青年の言う通り、私をここから遠ざけたいからついたにしては、意味が分からない内容なのだ。
幽霊が出ると言うとあまりにも子供騙しだが、人が殺されたんだと言うと少し大味に感じる。
それくらい極端なら嘘だと思えそうだが、わざわざ殺人未遂と言うのだから、妙なリアリティがあった。
「申し訳ありません、そうですよね」
まるで疑うようなことを言って余計に苛立たせてしまったのは、悪いことだ。
私は俯き、素直な気持ちで謝罪を吐く。
その自分の声は、ほんの数分前とは打って変わって随分弱弱しい声色になっていた。
我ながら、ここまで動揺するとは思わなかった。
私の態度を見てなのか、青年の態度も、心做しか落ち着いたようだった。
「……そういうことだ、血の匂いももう無えけど、中々誰も近づいたりしねえぜ。嫌な気が残ってんだよ」
顔を上げると、青年の顔からは少し怒りが引いているようだ。
随分平気そうに、淡々と語っている。
……血の臭いももう無いだなんて、あった時を知っているみたいじゃないか、なんて思うのは私だけなんだろうか。
私は青年の言葉運びに疑問を感じて仕方なかった。

 ――なんなんだろう、彼は。
 
そんな理由で、私を遠ざけようとしたのだろうか?
確かに、命の駆け引きがあった場所なんて、恐ろしくはある。
ただ、それでも「未遂」だ。
人を寄せ付けない理由にするにはいささか薄い気がする。
それになんだか、青年はわざと、さも怖いことであるかのように語り聞かせているように見える。
そんなことに、何か意味があるのだろうか。
私は、胸に津々と青年への興味が募るのを感じた。
最初から少しだけあったそれが、徐々に大きくなっていくのだ。
訳有りだとか、変わり者だとか、そんなものでは説明しきれない事情が、彼の態度を作り上げているのではないか?
謎に対する好奇心が、この数秒であっという間に育てられていくのを直に味わいながら、青年の偽りない瞳を見ていた。
楽しさに口角がつりあがりそうになるのを抑えながら、私は口を開く。
「……恐らく事実であろうことと、ここを勧めない理由は|理解《わか》りました」
多これから私が喋ることに、青年は苛立つだろう。
それでも、このまま帰るより得るものがありそうだ。
だからもう少し、もう少しだけ話をしてみよう。
どのみち、もっと納得のいく理由でない限りは、ここで引き下がれないのだ。
それにこの青年は、問題を力技や圧力で解決する方法を取らない。
私に対する態度は圧力をかけているように見えるが、多分、機嫌が悪いとそうなるだけなのだ。
だって、私への接し方は、ほとんど素でぶつかってきているように見える。
わざと強く見せているわけではなく、圧をかけようとする意図が無いのであれば、きちんと話ができる理性がある証拠だ。
きっと危ない人じゃない。
「それで、私がここに居るべきではないと?」
やりとりを続けるべく発した私の問いに、青年は目を瞬かせた。
「……あん? 聞くまでもねえだろ」
青年は案の定、私の答えが気に食わないとばかりに機嫌を損ねたような声を出して言う。
だが、青年にとっては残念なことに、私はそれでは満足できないのだ。
「そうかもしれません。しかし、だからなんだというのでしょう。ここが怖い場所だから、私のような無力そうな少女は居てはならないと?」
私は大きく腕を広げて、麗らかな陽光が草や水を優しく照らす河川敷全体を指して言ってみせた。
青年は、また何か言おうとして、すぐに口を噤んだようだった。
代わりに、探るような鋭い目つきで私を捉えた。
「何が言いたいわけ、お前」
感情的にならず、私の真意に目を向けることにしたのか、いやにプレッシャーを感じる視線でそう言ってきた。
これは、会話のテーブルに青年を縛ることができたと思って構わないだろう。
これで私も腰を据えてゆっくり話ができる。
こんな面白い晴れの日、もう少し堪能させてもらおう。
「私、いくつか頭に疑問が浮かびました」
そう切り出すと、青年は、どういう感情なのか少し鼻を鳴らしたが、私に反論は無い様子なので話を続けることにする。
「満足したら出ていきますので、私の質問に答えていただけませんか? 追い出したいにしてはやり方が遠回しな理由が知りたいんです。かつて殺人未遂があったなんて、確かに恐れる方は恐れますが、追い出す理由には足りない気がしますもの」
私がそう発言すると、青年の眉が小さく動いた。
繊細に動く眉と、顎周りに手を持ちやり、何かを思案するような仕草。
それを見て、青年の図星をつけたのだと確信した。
無理矢理追い出そうとするには無理があると、青年も理解していたのだ。
青年は決して考え無しにものを喋るわけではない。
それは、会ってから少ししてすぐに感じたことだ。
手より口が動くこと、そして、感情を理性で抑え込むような様子が度々見られたこと。
私が鬱陶しいならば見なければいい、無視してしまえばいい。
縄張り意識があるならば、傷を負わせない程度につまみ出せばいい。
それくらいのことが浮かぶ頭はあるはずなのにそうしなかったのは、彼が言葉使いに反して理知的な証拠だ。
だからこそ、だ。
「あなたの言動に対して違和感が拭えないのですよ」
この一言に尽きる。
更に言葉を並べるつもりでいた私の言葉たちを、彼は遮るように手を前に出して言った。
「黙れうざい。お前、殴られでもしねえとここから出ねえつもりなんだな?」
青年の口調には、やはり静かな威圧感がある。
ただ、殴られでもしない限り、とは言うが、ならば殴ってくるかと言えばそんなことはなさそうだ。
青年は今から人に暴力をふるいそうな動きを見せてはいない。
私も強気に出て良さそうだ。
「まさか、殴られたって立ち向かいますよ。貴方の言動に納得がいっていないんですもの」
私は、自分の口角が上がっているのを自覚しながら、青年の思考を考える。
もしかして、あまり腕っぷしには自信がないのか。
あるいは、プロミネントの学章を見たから私に暴力をふるうのを避けているのか。
学章に気付いているなら彼にもそれなりの常識はあるのだろうが、正直プロミネント高校について知っていそうだとは思えない。
なら、後々の騒ぎになるのがただ面倒なんだろうか。
ともあれ、物理的に痛い目に合わずに済みそうだと思えた分、私は発言に余裕と自信を持つことができた。
青年が私の返答をどう解釈したかは分からない。
しかし青年は、少しの時間をかけて訝しげに私を見たあと、それはそれは恨めしそうな溜息をついて項垂れた。
「はあ〜……分ーかったよ、あーあ」
青年は、鬱屈とした怒りだか悔情だかが篭ったがなり声をあげた。
その後、心底不服そうに顔を歪めたまま、力なく元の位置にへたり込んだ。
私を追い出すことを諦めてくれた、と考えていんだろう。
「ありがとうございますっ」
できるだけ嫌味を込めて言ったわざとらしい私のお礼の言葉ももはや聞いておらず、ぶつぶつと、むかつく、だとか、最悪、だとか呟いている。
気を張り続けて私も疲れた。
肩の力を抜いて、脱力の溜息をつくと、そういう癖がついた体は有りもしない背もたれに凭れようとした。
いつもの角度に背もたれがないことを思い出すと、慌てて体を止め、煤けたコンクリートの壁に身を預けるまいと体を起こした。
流石に服を汚してしまうのはいただけない。
凭れてしまわないようにピンと背を張って座り直す。
もたついたのが青年な見られていたかは分からないが、恥ずかしかった私は、会話で恥ずかしさを誤魔化すことにする。
「……あの、早速お聞きしてよろしいですか?」
このまま無言が続いては意味もないので、変に力が抜けきって疲れてしまう前に、青年に問いかけを投げてしまうことにした。
聞きながら青年を見てみると、ふてくされたようで、それでも美しさを感じる顔で遠くを見ていた。
「なに」
ひんやりとして固いであろうコンクリートの壁に背を預けた青年は、何もない場所を見つめたまま、雑な返事をしてくれた。
短いが、内容は私への否定ではない。
それだけで私の気分はなんだか浮かれて、幾分軽やかな声で言葉を紡げた。
「何故、私を力づくで追い出そうとしなかったのですか? 見た所、体格には恵まれていそうですが」
そう、これはお世辞ではない、本当に見かけだけで青年は強そうなのだ。
青年は今、どちらかというとゆったりとした服を着ていて、服の隙間から時折覗く体の部分部分から体格の良さが伺えた。
見かけはすっきりしてスタイルが良さそうなもので、別段目を引く程大きいというわけではない。
ただ、手や少し見える腕、首元は、常人より幾らばかりかしっかりしていそうなのだ。
そんな腕っぷしの強そうな彼が本当に強いのかは置いておいても、私を捻り上げるくらいの力ならあるはずだ。
私の問いに、青年は驚いた風でもなく、そんなことかと言いたげな目をして私を見た。
そしてすぐに不愉快そうな表情を顕わにして、私の左腕辺り……カーディガンの左側、二の腕部分に縫い付けられたプロミネントの学章を指さした。
私は、正直かなり驚いた。
まさか、これを指しているの?
「お前、プロミネント高校の生徒だろ。そんなでかでかと」
彼の口からそんな単語が出てくるとは。
これで確定だ、彼は、プロミネント高校という存在を認知していたのだ。
だから私に手を出せなかった。
私は思わず学章を手で抑えて隠した。
この学園が如何なる存在かということは、一部の人間にはよく知られていることだ。
強固なセキュリティシステムから、プロミネント高校の学生が危害を加えられたなら、それがすぐに各所に発信されるので加害者側の人生の方が終わりかねない。
ともすればトラブルの元になりかねないから、立場の大きな人間ほど、プロミネントの学生を腫れ物に触るような扱いをしていた。
しかし、それは学生が将来的な期待値が高い者であるからに他ならない。
プロミネントの卒業生を有能な人材として欲する企業も個人も多いからこそ、圧倒的な保護が成り立つのだ。 
ただ、こういう諸々の事情は、業界人こそ知っているが、所謂一般人には通じない事情であるはずなのだ。
プロミネント高校による保護、という面倒極まりないそれを知っていたとは、ますます青年は何者なんだろうか。
驚く私に、青年は、してやったりというような顔でニヤリと笑った。
「なんでわざわざそんな服着てきたか当ててやろうか。自分一人じゃ、自分の身一つ守れる自信がねえんだろ」
私は青年の言葉にどきりとした。
実際、彼の言葉は当たっているからだ。
癪な話、私は護身の術を殆ど持っていない。
いいや、父は勿論、私の身を案じて、ある程度身を守る術を私自身が扱えるように尽力してくれたのだ。
言ってしまえば、女性でも可能な護身術の講師をつけてくれた。
私の体躯や、体の調子が悪い時期などを考慮し、様々な条件に合う講師を探し駆け回ってくれた。
父自身の手足を使って、時間を浪費して。
そうしてそれなりの護身術を身に付けたはずの私だが、今の青年の言葉は、痛いほど胸に刺さった。
単に、私に体術の才がなかったからだ。
講師もびっくりするほど、弱い。
その言葉に尽きる。
その自覚があって、それがコンプレックスでもあったのだ。
「どうしてそう思えたのですか。学校の力を行使できるのだから、そうしているだけかもしれないのに」
例えば今私に、青年に対して見栄を張る気があったなら、もっと笑顔の中に自信を混ぜて言うだろう。
そんなわけないだろうと言うように。
しかし、隠す気などないのが実情で、意味もなく言葉だけで反抗したようになったのが現状だ。
「お前がそんな風に見えなかっただけだよ。自分が強いって思ってる奴は、良くも悪くももっと堂々してるもんだ」
対する青年の言葉に、他意があるようには聞こえなかった。
思ったままを言ったまでなのであろう態度が、多大な説得力を生み出している。
当たり前だ、そんな言葉を言う青年自身が、自らの強さによる自信に溢れているのだから。
「なるほど。……言う通りです、貴方の。私に自分の身を守る力はないですよ」
こんなにもはっきり言い切れるくらいだ。
青年の目には私が、さぞ守られているだけの弱者に写っていたことだろう。
「なんなら、この場で腕相撲でもしてみますか?」
私はなんとなく、このままの会話が続くのを避ける意図で、少しふざけて言ってみた。
笑いながら右腕を差し出すと、青年はいっそ失礼なほど気持ち悪そうに顔を顰めて言う。
「やだよ、ンなもんしなくても分かることだろ気色悪
い……」
どうして貴方って人はそう一言余計なのかしら、なんて不満もまた呑み込んで、そうですか、と一言笑う。
そうして、小さく細い、弱そうな腕は早々にしまった。
「しかし、納得しました。貴方は私がプロミネント生であることを懸念したわけですね」
私が話題の軌道をさっさと戻すと、青年はもう何も答えてくれなかった。
飽きてしまったのか、萎えてしまったのか、ただ、つまらなさそうに流れる水を見ているだけ。
その瞳からは、青年がどういう意図で無視したのか読み取れそうな情報は漏れていない。
もとより、温厚に会話を続ける努力をするタイプでもないのだろう。
ならば、青年が答えてくれそうな話題を数打つまでだ。
「プロミネントのことを知っているなんて、一般の方では珍しいですよね。どなたかお知り合いでも?」
青年はまだ黙り込んだまま、相変わらず不満そうな顔をしている。
「私には、貴方が普通の人には見えないのです。だから少し、興味があります。勿論、理不尽に追い出されそうになって悔しかったのもありますけれど」
私が喋れば喋るほど、一切の感情を見せてくれなくなっていく青年の横顔は、喜怒哀楽が抜けた分美しさだけが主張している。
「こんなところで、まるで番犬みたいに居座っている人には、きっとそうそう会うことはないと思いませんか?」
それを見ながら言葉を投げ続けるのは苦でもない。
楽しいと形容するには当てはまらないが、意外と良い気分だ。
「これは、貴方の言い分を聞いて、一番お聞きしたかったことなんですが」
青年は今、どんな気分で私の声を聞いているんだろうか。
「どうして貴方は、わざわざ殺人未遂が起きた場所で過ごしているんですか?」
私がそう言って、やっと青年は反応らしい反応を見せた。
静かに、静かに目の色を変えた。
それはまるで、眠る竜の逆鱗に触れたように。
やっとのことで居住を許された場所で、ご法度に触れてしまった異民のように。
神域を荒らしてしまった愚かな人間になってしまったかもしれない私は、後悔も反省も抱かなかった。
ただ、此方に目線を向ける青年の目を見続けた。
青年は、きっと胸中に表現し難い激情を覚えて、心の内に踏み込んでいく私の足を睨みつけている。
触れてはならぬものに触れようとするのを咎めている。
青年の美しい憤怒の顔が、それを物語っている。
「意味分かんねえ質問だな」
青年の機嫌は途端に悪くなった。
山の天気のようだとはまさにこのことだ。
だが今の私には、これくらい分かりやすい方がありがたいくらいだ。
「明らかに貴方は、ただ河原で寝ていただけの人ではないではありませんか。理由があって、この場所に誰にも立ち入って欲しくない、といったところではないですか?」
私が余裕ありげに、弄ぶように笑って言ったなら、青年の苛立ちは増すだろう。
だから、その感情を刺激しすぎないように、しかし多少は青年に口を開かせるように、少しは煽りを混ぜてみる。

当ててみせましょうか?  
こう思っているんでしょう、分かりますとも。

そんな上から目線な態度を見せられれば、事実かどうかはさておいて、理性を壊さない程度に感情を揺さぶることができるはずだ。
見ず知らずの貴方の、深くて面白そうな本音が聞きたいのだ。
青年は、おもむろに色のない目玉でこちらを見ながら口を開いた。
「趣味の悪い奴だ。隠す気なんざねえのに、まるで宝探しの謎解きみたいに俺で遊びやがって。別に、ベラベラ話すようなことは無い、何も」
酷く落ち着いていて冷静な口調と声、その中に静かな怒りを混ぜたような話し方。
青年は言の葉合戦でも中々手強い。
ただ怒鳴っている時の方が遥かにマシだ。
言葉の、音の一つ一つで圧倒するようなそれは、もはや相手を支配するための技術である。
それをうまいこと使いこなして話すから、私程度では恐ろしく感じてしまう。
気の弱い人なら泣き出しているかもしれない。
だが、私はこれでも、人の上に立てるようにようにと育てられた人間だ。
自ら仕掛けた野良試合で負けるわけにはいかない。
「話す気がないから明かさないというなら、隠しているも同然ですわ。どうでもいいことなら、聞かれた時点でさっと答えてしまえば良いではないですか」
私は負けじと言葉を返した。
そうしたのは、プライドだけが理由ではない。
世の中にはこんな人も居るのだと分かっただけで、私の気持ちがかなり盛り上がっているからだ。
感情をかつてないほど引き出されているのだ。
すごいわ、こんなの。
格好良くて、怖くて酷くて、とても変な人。
「隠されると余計気になります。さっきも言いましたが、追い出す理由には弱いと思うんですよね。殺人が起きたんじゃなくて、殺人未遂だと。……私の感覚がおかしいのかもしれませんが」
青年は、あくまで黙って聞いていた。それでも私は何故か、流れを掴んだと確信していた。
「貴方がここでの事を語る口調には、妙に確信がある。まるで何かを知っているように、何かを隠したいかのように……もしかして貴方は、ここの何かしらの秘密を隠したいんじゃないですか?」
どうだろう、この安直な推測は。
青年は、何も言わない。
しかし、何も言わない、ということ程怪しいことはない。
だって、青年の目には、きちんと私に対する関心の色が宿っている。
無視しようとした故の無言ではないはずだ。
言い訳を思考している、出方を考えている証拠だろう。
もちろんそう決めるには早計だが、ただこれで青年に勝てたなら格好いいと思う。
返事が思いついたか、青年は口を開いた。
「勘違いするなよ、別にお前をここから追い出そうとしたわけじゃない。あくまで、ここは殺人未遂事件があった場所だから普通なら誰も近づきたがらないぜって教えてやっただけだよ。なのにお前、自分は平気ですみたいな面しやがってよ」
今更、追い出そうとしていないなんて、随分苦しい言い訳だ。
言い訳じゃないならとんでもない屁理屈だな、とも思う。
もっと頭の良い言葉で反論してくるかと思っていた私は、少し落胆した。
「あら、なら私が後から傷つかないように気遣いを? 嬉しいですわ」
「ンなわけあるかよ」
ここまできてレベルの低い言い訳を放つ青年に、皮肉じみた返事をする。
青年は、適当にあしらう態度を見せるだけだった。
皮肉に乗っかってくれないようなので、私は次なる青年の言葉を引き出すために仕掛けることにした。
「貴方が平気なら、貴方以外にも平気な人間がいるのは当然です。かつてそんなことがあろうと、今こうして見ている景色が綺麗なんですから」
私は、青年と川を交互に見ながら言ってみせた。青年は大して興味もなさげだ。
「それに、追い出す気がないなら、あんなに怒るわけないでしょうに。私の目には、貴方が必死になってここから私を遠ざけようとしているように見えましたよ」
青年に視線を向けて、問いを投げる。
青年は、今度は対して考えた風でもなくすぐに返してきた。
「お前にむかついたからイライラしただけだよ」
なんとも単純な理由だ。
「へえ、それだけですか」
短いやり取りだが、きっと青年の発言は嘘ではないことは分かる、苛立ちをあんなに顕にされたのだから。
……ただ、きっと核心でもないだろう。
追い出そうとしていないなんて嘘、私を追い出そうとしていたのだ、確実に。
何故そんな嘘をつく必要があり、何故追い出そうとしたのか。
それが分からない以上、まだ争いは終われない。
私は、少しづつ情報を集め、ピースを繋げていくことにして、別の問いを投げる。
「事件のこと、知っているということは、貴方はこの辺りにお住まいが?」
「どうとでも解釈しろ」
どうとでも、と言うのは否定か肯定か、いまいち分からない。
この追及は無意味だ。
ならば次だ。
どう攻略してやろうか、アドレナリンが湧く私の頭には次々弾が浮かんできた。
「私はここが気に入ったから留まりたいのですけれど、貴方がここに居る理由は、そういった単純なものではないのですか?」
青年を探りたい私の言葉の波に、青年の眉はまた不快そうに寄った。
しかし、無視を決め込んでいるようではない、言葉を選んでいるような間があった。
そして、私への答えは十分な間の後に一言で発された。
「……人が、寄り付かないから」
ああ、これはもしかしたら本当かもしれない。
極力人と関わりたくないから、人が寄り付かない場所に居るのだ、というのは充分理由として成立する。
「じゃあ、私が来てしまったから怒っていたわけですか」
「ああ、そうだな」
青年は、迷いなく肯定を返してくる。
言葉は本当な気はするが、核心をつけてはいないないだろう。
青年はきちんと、心の内を見せる時があるのだ。
あの時、静かな怒りで私を圧倒した時みたいに、ただのハッタリなんかじゃなく、本当に感情を見せた時が青年の本心だ。
私は、ああやって本心で語ってほしいだけだ。
変な嘘をついて追い出されるくらいなら、本当の理由を知ってから出ていくか判断したい。
「もし人が寄り付かない場所を選びたいなら、もっといい場所はきっとありますよ」
今まで、質問を投げて青年から何かを得ようとしていたからいけないのだ。
ならば、こちらから与えることで、リアクションを引き出せばいい。
「ああ? 何言ってんだ」
狙い通り、青年は嫌そうに目を見開いて私を見た。
良いリアクションに、私も機嫌が良くなる。
「はい。どうでしょう、もし、本当に誰も寄り付かない場所をお望みなら、ここ以外のところを紹介しますよ」
青年の顔の皮が引きつった。
「はあ?」
青年の心を引き出すには、青年の怒りに触れなければならない。
ならば、私がここを出なければならない理由を話すより、青年がここに居なくてもいい理由を話した方が良いだろう。
それに、会話の運び次第では、青年がこの場所にどれだけの気持ちの強さで居座っているか分かるはずだ。
「別段あなたはここが気に入っているわけじゃないでしょう?」
青年も私の言いたいことが分かってきた様子である。
怒りや鬱陶しさといった態度の中に、動揺が見え始めた。
「もちろん、この場所に居たい理由があるならいいんですけど。どっちなんですか?」
「……ここはな」
私の問いかけに、青年の目が不安定に揺れた。
そして、青年の感情を追う私がそれを見逃すはずもない。
私に腹を立てたから一緒に居たくなかったと言えばいいのに、変に追い出す気はないと嘘をついたのだから、きっとそこに青年の隠し事があるのだ。
青年には、なんとしてでも、一人でこの場所に居なければならない理由がある、はず。
「ここは?」
核心に迫れたことが嬉しかったが、青年は頑固だった。
「……いいや、別に」
アニメの次回予告も真っ青の焦らし方だ。
かといって、無理に聞き出しなんてしては芸がない、会話の流れで話してもらわねば意味がない。
「……やはり貴方は、私を追い出そうとしたんでしょう。ここに一人で居続ける理由があるから。一人で居たいからというのも嘘、私に言えず口に出すのも憚られるような別の理由があってのこと。そうですよね?」
青年の表情は吃驚するほど変わらない。
ずうっと機嫌が悪いまま、しかめっ面で寂々たる怒りを込めて、私を視線で穿ってくる。
そんな時間が体感では五分ほど、きっと時間にすると一分もないくらい流れて、その間はどれだけ目を離さずにいられるかの戦いだった。
それは青年にとっては大切な間であったことだろう。
やがて折れたのは、青年の方だった。
「……ああ、そうだよ」
束の間の無言の小競り合いを経て、青年は、肯定を返してきた。
その顔は、何かを諦めたかのように疲れを孕んでいて、きっと青年の心で何かが決壊したのだろうと想像するに容易かった。
苦虫を噛み潰したような表情に、私は少しの申し訳なさを覚えながらも、勝利の快楽を得た気がした。 
「教えてくれてありがとうございます」
「言うんじゃねえ、癪だ」
教えてくれたという事実に対する純粋な感謝の意を言葉にすれば、それをすぐにキツい口調で遮る青年。
私の、私なんかのために自分のことを漏らしてしまったのが嫌で仕方がないのだろう。
「そこまで何をはっきりさせたいのかしらねえが、ズケズケと他人の心に土足で踏み込むってのがどういうことか分かってやってんだろうな? タチ悪いぞ、お前、最悪だ」
恨み言もまた重たかった。
一言一言にふんだんに憎しみをに込めたような言葉は、私の方を指す人差し指と共に、痛く悪意を突き刺してきた。
青年の言う通りだ、情けない真似をしたものだと思う。
人の弱みに意図してつけ込む行為は、よほどの事情でなければしてはならない。
ただ、自分でも何故青年にこうも惹かれるかは分からないが、どうしても譲れなかったのだ。
「すいません……しかしまあ、私も貴方に傷をつけられましたし、おあいこです。触れられたくないところに踏み込んできたのは貴方も同じですよ」
私はずるくも、早急に追い出されそうになったことや、力無いと言われて勝手に気分を落としたことを引き合いに出して対抗した。
青年は、心外だとばかりに顔を歪めて言った。
「ああ? 俺様はなんもしてねえだろザコ。聞きたいことは終わりかよ」
私を傷付けたとは露ほども思っていないような言葉が帰ってきて、私はまたムッとする。
雑魚って、小学生じゃないんだから。
私のどこに雑魚要素を見出したのか、心当たりが多い故ハッキリとは分からないが、あまりに流れるように言われるのも腹がたつ。
ああ、落ち着け、私はアーネストの令嬢だ、アーネストの令嬢なのだ。
苛立っても冷静さは欠かぬよう。
そう自分に言い聞かせ、怒りを鎮めて言葉を返す。
「散々名誉毀損に当たるような暴言を吐いておいてそれはないですが……まあ、確かに此方も此方ですし、これで終わりにしておきます」
ついさっきの青年の言葉が嘘ではなさそうなので、正直に言えばもっと事件の話など聞いてみたいのだが、本気で何も知られたくない様子を見せているのに聞き出せるまい。
もうやめておくのが吉である。
青年も、喧嘩を続けるつもりはないようだ。
「あっそ。いつまで居る気か知らねえが、余計な口開くなよ」
会話が収束した後の青年の言葉に、思わず目を見開いた。
出ていく気は毛頭無かったのだが、さっさと帰れと言われ続けるものだと考えていたのだ。
だから、それに対する返し言葉さえ頭の隅で練っていたぐらいだ。
見た感じにしたって、私がこの場に居座るのを許可してくれそうではない。
故に、青年から出ていけ意外の言葉を引き出せたのが、私の心にとっては嬉しかったのだと思う。
「まだここに居てもよろしいのですね!?」
青年の顔が勢いよく近付いてきて、びっくりしてから自分が身を乗り出していることに気付いた。
純粋な驚愕の表情を見せる青年の顔は少し幼く感じた。
青年は困惑したように目を丸くしたのち、本日何度目かのため息をついた。
「そういう話じゃねえ、出ていけって言っても出ていかなかったのお前じゃねえか……てか近い、何、お前」
青年は至って冷静にそう言うと、容赦なく私の方へ手を伸ばして、額に向けて指を弾いてみせた。
……彼の印象にして、かなり優しいデコピンである。
「いっ……!」
私が我に返って距離を取るより早く攻撃を受けて、名も知らぬ彼の前で涙を流す羽目になった。
いや、そこまで痛くはない、デコピン自体は痛くないのだけど。
爪の先が器用にかすめていった額部が、ピンポイントで、痛い。
「し、失礼しました、うふふふ……」
涙を必死で抑え、死にものぐるいの笑顔で痛みを誤魔化し、いまだ痛む額を抑えながら笑う様は実に滑稽だろう。
ここで逆ギレしても、痛みに耐えるあまり黙り込んでしまっても、私が私を許せないのだから、笑うしかない。
しかし、明らかに無理をして笑みを浮かべる私に、青年は若干引いているらしかった。
「気持ち悪い奴だな。……河川敷マニアで礼儀知らずでプライド高い高いで、よくもまあこれまで生きてこれたな」
青年の言葉に私はまた苛立つ。
「は……!? 河川敷マニアではないですわ、私はあくまでここが気に入っただけ……! 後は貴方に興味があっただけです、礼儀知らずに関しては貴方に言われる筋合いはなくってよ!」
額に傷を付けられてこの言われ、さっき抑えた怒りも相まって反論が止められない。
ダメです、お父様。
はしたないですが、少し感情を乱すくらいはお許しください。
ただ、ここまで感情を剥き出しにしてしまうと、青年にとっては脅威でもないんだろう。
「はいはいはいはい、はい」
あしらうような声がした直後、まくしたてる私の頬を片手でひとつまみ、青年が一瞬にして私の言動を封じる。
「ひあっ……!」
それだけで、私から言葉は奪われた。
ああ、しらっとした興味なさげな目が腹立たしい。
どのみち喧嘩がしたいわけではない私は、力で勝てもしない彼にこれ以上反抗しないことを選ぶ。
すぐに私が黙ると青年も手を放して、少しの静寂が訪れた。
息を整えた私は、なにか喋ろうともしたが、張り詰める空気はそんな展開を望んでもいなさそうで、思わず青年を見た。
静かな空間で、視線だけがかち合う。
改めて見た青年の表情は、ひどく儚げで憂いを帯びた瞳をしていて、私が心の内を荒らしたせいで大分疲れたと見えた。
なんとなく気まずく、口を噤んでしまった。
こんな時でも、びっくりするくらい綺麗な顔に見とれてしまう自分が心外だった。
人をこんなに憔悴させておいて、呑気にも、美しいと感じて心が落ち着いてしまう。
「……ふふっ」
意図せずに見つめあって少しして、青年の方から小さなな笑いが漏れた。
急に至って普通に笑い出すので驚いたが、青年の瞳に写る私の驚いた顔が、呆れるくらい間抜けで急に嫌になってしまった。
それこそ、青年が笑い出したって仕方ないくらい阿呆みたいな間の抜けた面だ。
「な、なんですか?」
見ていられなくなって顔ごと目を逸らした。
青年は私の気持ちを察したのか、意地も悪く覗き込むように目を合わせてきた。
「お前、男に耐性ねーの?」
全てを見透かしたような瞳で、からかうように青年は言った。
男に耐性がない、ということは、もしかしたら人間的なステータスとして何か足りないということなのかもしれない。
からかうようなことなんだろうから、私が何か未熟に見えたのだろうか。
だが、家には父や召使いを含め男性は多くいるわけで、男性に慣れがないわけじゃない。
何故青年にそんなことを思わせたのだろうか。
「耐性って……お家にいる男性と接する機会はそれなりにありますが……」
青年の意図を察しきれず正直に言うと、青年は一瞬目を丸くして、さも呆れたように目を細め乾いた笑みを零したのだ。
「はは……そういう意味じゃねー……」
また雰囲気の変わった青年の顔にソワソワしつつ、それ以上に、私が分からないまま話題が進んでいくのが嫌だった。
「ええ……? ならどういう意味なんです……?」
私が聞いても、青年はまるで私を弄ぶように軽い笑みを浮かべるばかりだ。
「分からないなら分からないままでいいんだよ、こういうのは。気になっても聞くな、察しろ」
「……意地悪な人」
青年の軽々しい態度を見るに、追及してまで聞き出すことではなさそうである。
それに、今日はこれ以上、好奇心に任せて青年に全て教えろ言って鬱陶しがられたくない。
なんとなくモヤモヤするが、いつか綺麗に察することにしよう。
 少し雰囲気も緩和されて、話しやすくなったことだ。
ここで、私と青年の立場を対等にしておこう。
つまり、私が一方的に青年の世界を踏み荒らしたのだから、私も弱点を晒すべきだ。
「……貴方のことを少しお聞きできたので、私の事も少しお話いたしますね」
「はあ? 別に俺は興味ねえ……」
私のその一言に、青年は一度口を開きかけた。
確かに何か言おうとして、その後口を噤む。
言おうとし直後に、発言とは別の事に意識を持っていかれたようだ。
私たちの瞳がばちりと合っている。
そう、私はあくまで、とても真剣に言っているのだ。
見ず知らずの人にありのままを話す必要は無いし、まして私は財閥の令嬢なのだから、身分も素性も分からない人に必要以上に自身のことを晒すべきではない。
どこでどう情報を繋げられるか分からないのだから。
しかしまあ、危なくなったらなったで、私も持てるだけの人脈を駆使して、青年の素性を調べて身を守ればいいだろう。
どうやら、簡単に人に言えない事情があるようなのだから、難しくはあるまい。
それに、私は久々に、私を知らない人に自分の話を聞いて欲しい気分なのだ。
「無視していただいても構わないので、話していいですか?」
私が言うと、青年は静かに目を逸らし、川の流れを見ながら言う。
「勝手にしろ」
膝を立てて肘をつきながら、青年はどうでもよさげに言った。
楽な姿勢でいるが、寝たり雑誌を開いたりしないということは、ある程度聞く意思があるということだろうか。いや、どうせ分からないなら都合よく解釈しよう。
青年は、聞いてくれる気になったのだ。
「ありがとうございます」
私も、不躾な視線を投げるのはやめて、せせらぐ川に視線を向けて語ることにした。

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