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第十一話 豪商の子

「煉さん、どうして僕だけを同行させたんですか?」

 日が傾き、すっかり影の中に沈んだ街を歩きながら、才吉は煉にそう問い掛けた。

「交渉を上手く運ぶためです。男だけの方が、あちらの望む条件に合うので」

「というと、相手は女性?」

「いや、男ですよ。この第二州都でも指折りの商家の子息で、名前は前田政(まえだまさ)といいます」

 煉が返してきた言葉に、才吉は首を傾げる。

「それなら、ディアーナさんが直に窮状を訴えた方がいいんじゃありませんか? 人間族の男は困っている美人に弱いですから」

「それが、彼には女嫌いなところがありまして」

「え? ひょっとして、同性が好みとか?」

 才吉の問い掛けに、煉は珍しく驚いた表情を見せた。

「はは、すごい発想だ。でも違います。彼のような大金持ちの跡継ぎには、言い寄ってくる女性が後を絶たない。まあ、一種の女性不信みたいなものですね」

「ああ、そういうことか」

 失言を誤魔化すかのように笑う才吉に、煉はさらにこう話す。

「それと、才吉くんについてきてもらったのにはもう一つ別の理由があります」

「何ですか?」

「政は大変な歴史好きでしてね。財力にものをいわせ、世界中の文献や書物などを買いあさり研究するのが趣味なんです。そんな中で、一番のお気に入りは各地に伝わる英雄譚。当然ながら拳聖伝承もその一つで、才吉くんなら彼の興味を引けると思ったのです」

「へ、へえ。なるほど」

 才吉は少し不安を感じた。母親が活躍したのは別の大陸、しかもおそらくはずっと昔のこと。それを知ってからはすっかり油断していたが、ここに来て当時の出来事を詳しく知る人物に会うことになるとは。
 現代の地球ほど記録が定かではない世界。そう侮り、転移前は安易に誤魔化しが利くと考えていた。だが実際にやってみると、出自を偽り続けるというのは思った以上に骨が折れる。果たしてこれから先も正体を隠し通すことができるだろうか? そんな心の動きが顔に出たのか、煉は才吉にこんなことを言った。

「なに、心配はいりません。少しだけ趣味の話に付き合ってあげれば、彼も気を良くするでしょう。交渉は私がやりますし、きっと聞き入れてもらえるはず。商人気質ですが、根は親切で面倒見のいい男ですから」

 そんな会話を交わしながら、やがて二人は富裕層が多く暮らす中心街へと到着した。立派な家々が建ち並ぶ中、ひときわ大きな建物の前で煉は足を止める。

「さあ、着きました。ここが政の家です」

「うわ、すごい豪邸。使用人とかいそうですね」

「ええ、大勢いますよ」

 煉はあっさりとそう言うと、躊躇なく開け放たれた門をくぐる。才吉は遠慮がちにその後に続いた。玄関に吊るされた呼び鈴を鳴らすと、すぐに使用人らしき男が顔を出した。

「これは狩野様、ようこそお越しくださいました」

「突然にすみません。政いますか?」

「はい。どうぞこちらへ」

 男に促され、二人は屋敷へと足を踏み入れる。才吉の予想通り、中は豪華な装飾や調度品できらびやかに飾られていた。特に目を引いたのは、玄関ホール中央に飾られていた魔導具(まどうぐ)と呼ばれる古代文明の遺産。各地に残る遺跡から発掘されるこの道具は、今では失われた技術によって作られている。その多くは富裕層が好む装飾品として扱われているが、中にはいまだに稼働する魔導具もあり、それらは魔生石を凌ぐ高値で取引されるという。
 客間に案内された二人が出されたお茶を一口飲んだ頃、ようやく煉と同じくらいの年の男が姿を見せた。屋敷の雰囲気とは打って変わって、さっぱりとした風貌。金持ちが好みそうな装飾品などは一切身につけておらず、服装も地味な印象であった。

「よう、煉。意外と元気そうじゃないか」

 そう言いながら、男は煉の向かいに腰を下ろす。

「ええ、落ち込んでいる暇はないもので。政も元気そうで何より。こちらは那須野才吉くん。かの有名な拳聖の子孫です。政が興味あると思いましてね」

「初めまして、那須野才吉です」

 才吉は煉の紹介に合わせて立ち上がり、挨拶をした。

「ほう、拳聖の子孫ね。俺は前田政だ。よろしく頼む」

 政は才吉に座るよう促すと、すぐに煉の方へと視線を戻す。

「それでいったいどうした? あんな事件の後で、落ち込んでいる暇がないとはどういうことだ? そんなに領主の仕事は忙しいのか?」

「いや、実はですね――」

 煉はそう言って、これまでの経緯を掻い摘んで話し始める。ダークエルフの要求、才吉との出会い、事件に対する自身の推理、柳家の調査報告など、政は時折頷きながらじっと彼の説明を聞いていた。
 一方の才吉は、期待された役割を果たせていないことに少し戸惑いを感じていた。だが余計なお喋り抜きで本題に入れたのだから、それはそれでよかったのだろうと思い直す。

「――そんなことになっていたとはな。しかし水臭いじゃないか。なんでもっと早く俺に相談しなかった?」

「友人を巻き込みたくはなかったもので。でも、そうも言ってられなくなってしまった」

「柳先輩はすぐに頼ったくせに」

「それは仕事としての依頼ですから。まあ、優先的に対処してくれたのは事実ですけど」

「ふうん。それで、俺にどうしてほしい?」

「船と船員を一晩お借りしたい。確か政名義の商船がありましたよね? それと商人ギルドの伝手で、エルフ会に荷を卸している商人の情報を探ってほしい。手に入れたいものがあるんです」

「手に入れたいものというのは?」

「闇ギルドが揃いで身につけている仮面とフード付きの外套を三セット。外套は刺繍入りのやつです。それと生長した人食草(ひとくいぐさ)の花びらを一つ」

「なるほど、仲間の振りをして忍び込む作戦か。声でバレそうな気もするがな」

「それがそうでもないのです」

「どういうことだ?」

「エルフ会の商売は奴隷の仲買。つまり商品を自前で用意するのではなく、あちこちの仕入先から買い取るといった形態です。そのため島には様々な組織の人間が訪れます」

「必ずしも面識があるわけではないと?」

「そう。だから奴らは仲間の証として特殊な目印を用いる」

「それが人食草の花びらというわけか?」

「ええ、その通りです。あれで魔光石のランプを覆うと、独特な紫色の光を発します。それを掲げずに島に近付く舟の末路は、矢を射られるか火のエレメントに焼かれるかのどちらかでしょうね、きっと」

「わかった。だが少し時間が掛かりそうだ。引き渡しの期日まで四日となると……、ギリギリで悪いが、三日ほど時間をもらえるか?」

「ええ、無理を言ってすみません。助かります」

 そんなやり取りを黙って聞いていた才吉だが、ふと疑問を感じて口を挟んだ。

「あの、煉さん?」

「ん? 何ですか、才吉くん?」

「その仮面と外套ですけど、四セットの間違いじゃありませんか?」

「いや、三つでいいんです」

「はあ、そうですか」

 腑に落ちなかったものの、何か考えがあるのだろうと才吉は引き下がった。煉はその様子を確認すると、再び政の方へと向き直る。そして彼が口を開きかけた瞬間、政はすかさずこう言った。

「念のために言っておくが、代金はいらないからな」

「えっ? いや、しかし……」

 困った様子で返す言葉を探す煉に、彼はさらに言い放つ。

「俺を誰だと思っている。前田家の跡継ぎだぞ」

 普通なら親の七光りと言われそうな発言だが、才吉にはそう感じなかった。若くして自分の商船を持つ彼は、おそらくすでに己の裁量で商売をしている。彼の言葉は前田家という商家の誇りを示すもの、そう才吉は思った。

「わかりました。では、お言葉に甘えさせてもらいます。ありがとう、政」

「別にいいさ。俺とお前の仲だ。それに、狩野村の領主に恩を売っておくのも悪くない」

 政は前かがみだった身を起こすと、長椅子にもたれかかりながらこう言った。

「さて、じゃあ俺は拳聖の話でも聞かせてもらうとするか。煉、お前はもう一か所行く予定があるんだろう?」

「察しがいいですね。それだけ頭が回るのに、どうして勉強は苦手なのか……」

「好き嫌いがはっきりしているだけさ。嫌いなものはやる気が出ないもんでね。とにかく、そっちの件も動くなら早い方がいい」

「そうですね。では、私だけ先に席を外させてもらいます。才吉くん、宿までの帰り道はわかりますか?」

「あ、はい。大丈夫です」

「心配するな、煉。いつもの議会堂の近くの宿屋だろ? うちの使用人に送らせる」

「助かります。それでは、これで」

 そう言って煉は席を立つ。

「リヒャルトによろしくな。俺からも頼むと伝えてくれ」

「ええ、わかりました。本当にありがとう、政」

 煉が部屋を出るのを見届けると、政は才吉を鋭い眼光で射抜いた。

「才吉とかいったな。お前、本当に拳聖の子孫か?」

 予想外な問い掛けだった。彼は興味がなかったのではなく、単に素性を疑っていただけ。才吉はようやくそのことに気付く。

「俺が調べた記録によると、拳聖はある日を境に突然消息を絶っている。それから百五十年、彼女の技を継ぐ者は歴史の表舞台には出てこなかった」

「おっしゃりたいことはわかります。でも僕は、間違いなく拳聖の血を継いでいる。それだけは嘘偽りない事実です。そのことは煉さんも信じてくれました」

 それでも政は身を乗り出し、さらに才吉に詰め寄る。

「こう見えても、俺はあいつを気に入っていてな。色々と恩もある。騙してうまい汁を吸おうっていうなら、ただじゃおかないぜ」

「そんなつもりはありません。僕だって、煉さんには恩があります」

「そうかい。まあ、あいつが簡単に騙されるとは思えないし、それなりに納得のいく証拠はあるってことか」

 そう言うと、ようやく政は引き下がった。才吉は小さく息を吐き出すと、こう尋ねた。

「あの、訊いてもいいですか?」

「なんだ?」

「そんなに煉さんのことを気に掛けているのなら、どうして闇ギルドを止めないのです? 前田家の財力なら奴らを動かせるのでは?」

「それは無理だ」

「なぜ?」

「第一に、俺が自由にできる金には限りがある。親父は煉のために大金を動かすような真似はしないだろう。第二に、そんなことをすれば連中に弱みを握られることになる。うちは表の取引だけでここまでのし上がってきた商家でな。あいにく裏と繋がりを持つ気はない」

 政はさらに続ける。

「第三に、闇ギルドは非合法ながらも一応はプロだ。一度受けた依頼を途中で放り投げるようでは、評判や信用を落とすことになる。裏の世界にも仁義やルールってやつがあるのさ」

「なるほど。そういう事情なら、仕方ありませんね」

 そのとき、才吉の頭にある疑問が浮かんだ。

「しかし裏との繋がりがないのなら、どうやって煉さんの話していた物を準備するつもりです? 闇ギルドに関わりが知れれば、報復を受ける可能性だってありますよ」

「もちろん直接的なやり取りはしない。幾重にも人を介して、慎重に事を運ぶつもりだ」

「なるほど。それで時間が掛かるわけですね」

「まあ、そういうことだ。さて、引き留めて悪かったな。約束通り、宿まで使用人に送らせよう」

 政は立ち上がると、廊下に向かって使用人を呼ぶ。そして部屋を出て行こうとした彼は、二、三歩進んだところで立ち止まった。

「うちの家系は生まれつき魔法が使えない。かといって武の心得もなくてな。煉に力を貸したくても、これが精一杯だ。俺が言うのも変だが、あいつをよろしく頼む」

 そう言って部屋を出ていく彼に、才吉は「任せてください」と言葉を返した。

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