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異端.2


【※1《稜威祇(いつぎ)》=〝人間に協力的な闇人(やみひと)および、その類型の(この土地での)呼称〟になります。この物語における造語・かばん語です。――協力関係になくても、害のないものはこれに含みます】

 本文中(この項で)、およばずながら順々に解説をいれてまいりますが、するっと自然な感じに進めたくて……出した造語をしばらく放置してしまったので、冒頭で注釈する行為にいたりました。
 つたなくて申し訳ありません。

 《御稜威(みいつ)稜威(りょうい/いつ)》と《土地や国の神さま(~地祇~)》の混成語になります(尊重・敬愛する意味で頭に〝御〟を呼び戻して、《御稜威祇(みいつぎ)》呼びする者たちもあります)。

 御稜威(みいつ)稜威(りょうい/いつ)には、
 ()(きよ)められているもの((つつし)(きよ)められたものの意/ケガレの回避)、神聖さ、勢いの激しいもの、やんごとなき方面(天子や天皇、神さまなど)の御威光・その力などの意味があるそうです。
 〝御厳《みいつ》〟とも書くようです。
 (ひとつひとつの文字の意味を見比べた、好みによる選択・着手です)。


 当初は、違う呼称にしておりましたが……web上にあげはじめた初期に、とある事実に気づき、変更いたしました。

(ちなみに《威神》から→急遽《神威》へ→しっくりこなくて、考えたすえに《稜威祇》に固定化の流れです)。

 ともあれ、のぞいていただいて、ありがとうございます(長々と余談/すみません)。
 

 ▽▽ 以下、本文に入ります ▽▽



「…――おっかない闇人(やみひと)……魔神(まじん)には、《法印使(ほういんつか)い》を邪魔に思って消そうとする者があった。
 だけど、こっちは、いつも《稜威祇(いつぎ)(※1 ここの冒頭に記述)》といっしょにいるわけではなかったし、誰が誰を助けて守るって、決めているわけでもなかった。
 仲間の《稜威祇(いつぎ)》は、誰かが襲われていても《(きずな)》がないと気づけなかったりする。だから、お友達の《稜威祇(いつぎ)》がいても、契約(けいやく)して生まれる《(きずな)》……、その技がなかったころは、たくさんの《(しず)()》が倒されたり、つかまって、ひどいめにあったり、傷つけられたりしたんだ…――」

 そこは、()をえがく帯状(おびじょう)のテーブルが七つの(れつ)をなす学習室。

 教壇(きょうだん)に立って教えを説いているのは、どう見ても二十歳(はたち)前の若造。

 腰のあたりまである軟らかそうな白髪をそのままにおろした小柄な男性教師だ。

 いまその講義を受けているのは一〇歳にもならない幼子がほとんどだったが、その中にひとり、十二、三歳の少年がまざりこんでいる。

 最後列の(はし)で退屈そうにしているその子は、他の生徒の倍近く頭身が飛び出しているうえ、ぱっと見にも珍しい緑色帯びた青白い髪をしていたので、やたら目立っていた。

 四日前、《法の家》に迷いこんだセレグレーシュという名の少年である。

 新しい服を手にいれ髪も切り整えて、浮浪児(ふろうじ)のようだった身なりを一新(いっしん)した彼だが、人間(ヒト)として異質なその配色を誤魔化そうとまではしなかった。

 話題にされやすい()の身体特徴は、捜している友人に自分の居場所を知らしめるよい情報となる。

 そう思えば、どう言われようとかまわなかったし、いまの彼は、生まれもった配色を以前ほど(うれ)いてもいなかった。

 ただ、
 ここに捜している少年がいるなら、そろそろ接触してきてもおかしくない頃合いなのに、それはなく……。

 セレグレーシュは、もどかしさと苛立ちを隠しきれずに、むっつりした顔をして、まわりの人間が話しかけることをためらうような空気を背負っているのだった。

 こんなところでのんびりと時間を消費(しょうひ)(浪費)していられる心境ではないのに、講義に出なければ追い出されるというので、渋々、席についている。

 そんな彼の背後……。こそこそと忍びよった幼子が、金属の棒を両手でささえ、(かか)げていた。

 意識をより内にむけ、考え事をしがちだったセレグレーシュは、落ち着かなげに身じろぎすることもあったが、まだ気づいていない。

「それで《(きずな)》という一部感覚の共有……契約(けいやく)を結ぶようになった。だけど《稜威祇(いつぎ)》は、意地の悪い子や(なま)け者が嫌いだからな。いまからちゃんとしてないと、契約(けいやく)してくれないんだ。
 がんばって、自分のことも他人のことも考えられる、バランスのいい大人にならなきゃぁな――。
 さて、ここからが本番だ。
 君たちがこれを身につけられるのか、成長し、使いこなせるのかは、まだ、わからない。
 先の話だから、これもさらっといこうか…――」

(……子供のしつけだな…)

 セレグレーシュが思った直後、青磁色のその頭の後部に、ばふっ、べし、ずうぃいぃっと。

 さながら目の細かい網を頭に(かぶ)せられたような一撃をくわえながら、背中をずり落ちていった弾力のある硬い物体の感触があって。
 油断していたことを自覚したセレグレーシュは、ぱっと反射的に腰を浮かした。

「《法印士(ほういんし)》や《神鎮(かみしず)め》を目指す(になりたい)人……。これに関わる者が、この家で学び(おさ)めること。ここで勉強することは、大きく分けて三つ。
 《知識》《技能》……それにいろんな問題・事件をいい感じにまとめ(おさ)める《思考力》……考える力。なにをどうするのが適切な(いい)のかを判断し(考え)て、それをどう現実(かたち)にするか――物事を解決する能力(ちから)だ。
 どれも、ここでちゃんと学び、まわりを見て暮らしていれば、そこそこ身につくものだが……」

 教壇(きょうだん)で授業を進めていた師範(しはん)の視線が、いきなり起立した生徒に向けられる。

 その彼、セレグレーシュがいるテーブルは最後列なので、後ろに席はない。

 立ちあがった彼、セレグレーシュがふり向いたところには、六、七歳の小さな女の子が立ちつくしていた。

 胡桃(くるみ)色の髪と瞳。
 ぱっちりした目がかわいらしい色白な少女だ。

 彼女が両手でつかみ持っているのは、キャラメル色の(つや)をはなつ金属製の棒。

 (あみ)などついていなくても、いま、いっぽうの先端(せんたん)が床におりているそれで、背中を小突かれたらしいことは容易に想像できたので、セレグレーシュは、なんのつもりだと、ばかり、むっと少女を見すえた。

 視線が出あうこと、五秒ほどの沈黙……。

 見ただけで(にら)んだつもりなどなかったのに、そこにいた少女の瞳が、うるうるっと(うる)みだした。

 高い視点から見おろされると、ふつうにしていても、けっこう威圧感があるものだが…――これという目的を持って行動していたその小さな少女の場合は、それが理由ではない。

 ともあれ。

 セレグレーシュが、まずいと思うともなく、その子は、幼い顔をゆがめ、ひっくひく……ぐし…と、しゃくりあげた。

 対処を迷ったセレグレーシュが、周囲に視点を散らす。

 不穏(ふおん)擬音(ぎおん)を耳にした生徒たちの目が、ふたりのもとに集まりはじめていた。

「ユネちゃん、どうしたの?」

 声をあげ、前方の席を後に、すたすたと()けてくる者もある。

 そんななか、さまよったセレグレーシュの双眸は、教習室後方の出入口付近に(およ)いだところで、しばし、(とど)まった。

 自分と同い年(おないどし)くらいの少年が、扉横(とびらよこ)壁際(かべぎわ)に立っている。

 いつからいたのか……。

 街ひとつをまるごと庭園や山里に仕立て上げたようなこの家の敷地を歩いていると、ちょくちょく見かける顔。

 双子。あるいは、兄弟がたくさんいる可能性も考えたが、日によって身なりが統一されていたし、複数でいる場面を見かけたこともない。

 琥珀や(あめ)色、紫など。たまに瞳の虹彩の色が違うこともあったが、そのありよう、雰囲気はいっしょなので、同一人物の可能性が高い。

 自然に見えても、天然の巻き毛とは(おもむき)が微妙に異なる、意図的にセットされたような癖毛(くせげ)

 部分部分の表層の毛先のみ数センチが、頭部の輪郭にそいながら、(ゆる)やかな弧を描いて流れる金茶の髪は、さして長すぎることなく、野卑(やひ)に見えない範囲のまとまりをみせている。

 色の白い、すらりとした少年だ。

「そこ…。なんの騒ぎだ」

 師範(しはん)が教壇をおりてきたので、セレグレーシュの注意が、その方へ()れた。

 近づいてきた師範の赤色(せきしょく)の双眸が、彼が対峙している少女を映し、()いでその子が持っている棒におりる。

「……。どうしてここにいるのかな…。これは君には必要のない講義だろう。まぁ、それはいいとしても。
 法具(ほうぐ)をおもちゃにしちゃダメって、いつも言われてるだろう。
 おまえ——なにかされたのか?」

 追及の矛先(ほこさき)がこっちに移行したので、セレグレーシュは、「う〜ん…」とうめいて、事態をうやむやにした。

 背中をたどられた時の感覚が微妙に残っていておかしな感じでもあったが、これと主張するほどの被害があったわけでもない。

法具(ほうぐ)は使い方を間違えると怖いんだ。そのお兄さんは、きっと、おおらかで、やさしーから、そんな事で怒らないだろうけどさ。
 そうだな?」

 肯定(こうてい)しろとは言わないだけだった。

 瞳の中心――瞳孔(どうこう)群青色(・・・)をした赤色(せきしょく)のまなざしで威嚇(いかく)されたセレグレーシュは、うんうんと大げさにうなずきながら少女に背をむけ、席に座りなおした。

「ユネ。授業を見学したいなら、いてもいいが、おとなしくしているんだぞ。――ところで……。
 なくなったものはないか?」

「え? …――別に」

 不意に問われたセレグレーシュが、自分の身の回りに目を(くば)りながら、とまどいのもとに答える。

「うん、ならいい」

 師範の赤色の視線が彼から離れ、いまも少女の手の中にある細身の棒におりた。
 なにやら、伏せめがちに納得したようなしぐさを見せると、現場を後にする。

亜人(あじん)には、変わった色をしているものがよくある。
 ときには、羽根が生えたり、毛深かったり、つかみたくなるようなふさふさのしっぽがあったりな。みんなも知ってるだろう? だけど、だからって、つついたり、ひっぱったり、捕まえよう(・・・・・)としちゃあ駄目だろう?」

(…ん? つかまえる?)

 わずかばかり。論じ手の発言に気になる部分があったが、セレグレーシュは後にひくほどには意識しなかった。

「ちょっと目についたからって、いつまでもそんなことする子は《神鎮(かみしず)め》にはなれないんだ。
 《(しず)め》は、(ほう)の……平和の守護者。調停者(ちょうていしゃ)。管理人だ。いつだって公平な目で物事を見ることができなくちゃならない――」

 ひとりに対する注意が、全体への説法(せっぽう)に変わってゆく。

 少し距離があるが、例の少女は友人らしい子といっしょに、()いていた右手前の席におちついた――後ろの二、三列は、人気がなくて、()いているのだ。

 不平そうに顔をゆがめながら、じっと、未練がましい視線を彼、セレグレーシュの方にそそいでいる。

(……。オレ、なんでこんなことしてるんだろう?)

 セレグレーシュの口から憂鬱(ゆううつ)なため息がこぼれた。

 少女の方は、もう視界に入れないようにして――右後方。
 出入り口付近に立っている少年をちらと意識して見たが、すぐに()らした視線を手元にもどす。

 セレグレーシュの予想では、その少年は《闇人》だ。

 この土地では《稜威祇(いつぎ)》とも呼ばれるもの。

 彼には、その種類・係累(けいるい)にかかわると、ろくなことがないという認識があった。

 他にはあまり見かけないのに、何度もおなじ個体に遭遇(そうぐう)している現実が、ひっかからないこともなかったが……。単純(たん)に、ここに住みついているその者の行動圏に入りこんでしまっただけのようでもある。

 過去や未来()がどうであれ、現在(いま)は、その種族と馴れ合うつもりなどないセレグレーシュは、その少年を見かけても気にしないようにしようと意識した。

「さてと…。どこまでいってたかな……」

 師範が教壇にもどってゆく。

 🌐🌐🌐

 …——
 その講義は、昼食時を前にきりあがった。

「はらっぱのような毛色の君。少し聞きたいことがあるから来なさい」

 教鞭(きょうべん)をとっていた白髪の師範(しはん)、スタンオージェは最後にそう告げると、返事を待つことなく教壇を後にした。

(はらっぱ…?)

 セレグレーシュが目を向けたとき、その師範は、うすっぺらなバインダーを片手、教習室を出ていこうとしているところだった。

「はらっぱって、だれぇ?」

「あの大っきい子じゃないぃ?」

「えー、でも、青いよー」

「わたし、ああ(あー)いう(ゆー)色の草、知ってる! あるんだよ? たくさん!」

 はせた視線より近い下方……年少の頭がちょろちょろしてるあたりで、思い思いの言葉が交わされている。

 空や泉や海、妖威(ようい)やインコなど。
 髪の色で呼ばれたことがあっても、野原や草原のように言われたことはない。

 行動を迷ったが、それらしい形容詞もつかなかったので、冬期の立ち枯れした草原の色彩を表現したわけでもないだろう。明るい茶色や赤毛、金色系統の頭なら、いくつかあるので、そうであったら特定するのも(むずか)しくなるのだ。

 そういった判断のもと。

 セレグレーシュは誤認を覚悟しながら、四つある講堂の出入り口のうち、師範の背中が消えた右手前方を目指した。

 先へ行ってしまったように見えた白髪の男は、講堂から出たあたりで、ちゃんと彼を待っていた。

 伸びざかりのセレグレーシュより、わずかばかり背が高いだけの痩身(そうしん)だ。

 白皮症(アルビノ)のような外見なのに、そこに起こりがちな困難をまったく感じさせない男で、明るい赤色(せきしょく)の瞳が愉快そうな光をたたえている。

 そこに来てみただけの対象……セレグレーシュには、理由のわからない笑いだった。

 口には出さなくても《はらっぱ》という表現で通じた現状をおもしろがっている――赤い虹彩の中心にあるその瞳孔は、やはり、人の眼球に定番の黒ではなく、濃く鮮やかな群青色をしていた。

「つまらないのだろう。だからって、あまり(たる)んでいると、ここを追い出されるぞ」

「……オレ、人を捜しにきたので」

「ぁあ。それは聞いている。短期の滞在(たいざい)としても、学んでおいて(そん)はないだろう。他で修めようと思えば代償(だいしょう)をとられる。知識はもとより、教材のていども知れている」

 思い入れがなさそうに話していても、師範の目は理解できないものを見る表情(それ)だ。

「これでも、そこそこの素養・裏付けがなければ入れない(せま)き門…——と、言っても、こっちの道に興味がなければ意味のない話だが」

 (たしな)められようと、セレグレーシュの(ほう)に心を動かされたようすはなかった。
 そんなことかとばかりに、その場から(のぞ)める中庭に目をむける。

 家の敷地には、円や多角形の陣を描いた絵文字や放物線……螺旋や文字とも思えない紋様など。
 肉眼ではうかがえない霊的構造物……力場が、地面や低空、物体などに、ありふれた装飾品のごとく組みこまれている。

 東では恐々と身を(ひそ)めていた人間たちが、のんびり、せかせか生活を謳歌(おうか)しているところに出たあたりから、ちらほら見かけるようになったもの。

 人里や野原、時には壁や道、空気中にモニュメントやシンボルのごとく(きざ)みつけられていて、樹木、杖や花瓶、装飾品などの雑貨にまでおよんでいる。

 それは、この家でしっかり学べば最終的に築けるようになるという幾何学構造。

 空間の裏っかわに隠れて人の目には映らないのに、現象に(さと)い者の感覚にはひっかかるもの。

 他に目的を抱え、学習意欲の方がさほどでもないセレグレーシュだが、意図的に隠されて見えるその構造には、いたく好奇心をくすぐられていた。

 捜している友人に「素人(しろうと)が触らない方がいいよ」と忠告されたものだろうと、気になるものは、やはり気になってしまうのだ。

 《法具》とかいうものが、いくつも組みこまれているという模様。次元構造。

 より単純な護符のようなものならセレグレーシュが生まれた土地にもあったが、二次元的で、念や印象がもたらす効能(こうのう)以上のものは感じられない、うすっぺらな様式ばかりだった。

 どういった効果があって可能になったのか、いまの彼にはわからないが、それがこの地に人間主体の社会を開花させたのだという。

 その言葉を立証するように、その造形を見かけるようになってから闇人や妖威の影をあまり見なくなった。

 中間種である亜人はわりと見かけるが、その上をゆく存在は、ほとんどいないのではないかと思えるほどに……。

「そのへんに置かれている……《ホウイン》っていったけ?
 道具……飾りみたいなのは別として、中になにか居そうな感じがするのがあるけど、なにが入っているの?」

「――うん。ここには、封魔方陣(ふうまほうじん)が少なくないからな。妖威(ようい)とか、稜威祇(いつぎ)だ」

「っ……闇人(やみびと)って、こっちじゃ、あんなふうに隠れているのか?」

「存在を封じる組みあげは、一度はいったら、容易(たやす)く出られるものじゃない。外から働きかけるなら方法がないこともないが、まぁ、そのへんは仕様(しよう)や、造り手の趣向(しゅこう)にも()るか……」

 《法印》という技術は、闇人を凌駕(りょうが)するものなのだろうか?

 セレグレーシュが目をぱちくりしていると、赤い眼をした師範は、ひと呼吸おいて意味深な微笑を浮かべた。

「ひとつ、聞いてもいいだろうか?」

「内容による」

「存在を封じる印と知らなかったんだよな? それなのに中に〝居る(・・)〟ものと〝居ない(・・・)〟ものがあることに気づいたのか?」

 師範の(その)追及には口を閉ざして。セレグレーシュは、出方をうかがうように相手を見た。

「なるほど。フォル氏が目をつけるのもうなずける」

「オレ……。そうだなんて言ってない」

「我々は構成から予測するが、その知識もなく見ぬける素質をそなえた者は、まず、いない。中の存在に気づけるなんて、すごいことなんだよ? なんで隠すんだ?」

 若い師範は不思議そうにたずねて、伏せた視線を右へ流した。

「学びたくないなら好きな時に出ていってくれていいんだ。どんなにもったいない資質の持ち主だろうと、強要はしないさ。ここは意欲のない者を必要としていない」

 そんな相手の(さと)しなど、どこ吹く風のセレグレーシュは、自分の胸中に芽生えた疑問の方を見すえていた。

「……。閉じこめられたりするのなら闇人は、どうして人を守るの?」

「非社会的な魔神や魔物――妖威は別として。眠っている稜威祇(いつぎ)は、望んで閉じこもったんだ。《(しず)め》をめざす技能者に、しょっちゅう眠りを邪魔されるがな」

「自力で出られないようなところに、なんで……」

「それはここにいれば、おいおい解かることだ。すべての稜威祇(いつぎ)が封じられることを望むわけではないし、閉じこもる稜威祇(いつぎ)は、ごくわずか。
 事情によっては意図せず閉じこめられる例もあるが……。
 いずれにせよ、理由はそれぞれだ。チリも積もればというやつだよ。
 出たくなれば、(コナ)をかけられた時にでも申し出れば契約なしにも出られる。
 時が止まっているようなものだから気が変わることなんて、そうはないがな」

「キズナかなにか知らないけど……。闇人が人に縛られるのもわからない。裏になにか、あるんだろ?」

「それは隠すようなことじゃない。私は幼い頭にあわせて《鎮め》と《稜威祇(いつぎ)》の関係を話しただけだ」

 白髪の師範の言葉は、しごく淡白な響きをそなえていたが、黙ってさえいればクールな女性のようにも見える彼のおもては悠々(ゆうゆう)と、ほころんでいた。

 手応えをおもしろがっていようと、くりだす言葉は、どこまでもたんたんとしている。それゆえ、目を合わせて話しているとなんとも言い表しにくい違和感をおぼえるが……。

 この師範。口調や発言――言葉選びより、表情に本音が出るようだった。

「初期の使い手は《(きずな)》を持たずに行動したから、多くの法印使いが天寿をまっとうすることなく逝った。
 技術はもとより、道具も材料もさして足りてはいなかっただろうし――(いまも充分とは言えない)……稜威祇(いつぎ)のなかには平和主義者もいる。
 正面から(ガチ)相対(あいたい)すよりは、平穏・秩序(ちつじょ)をもたらすかもしれない技能と目をつけて、契約を受けいれた奇特者(きとくもの)もあったのさ……。
 そういった稜威祇(いつぎ)のほとんどは眠ることを望み、もう、めったなことでは契約しない…――というのも、いま生きていればの話で……。
 今日(こんにち)。彼らが人に縛られる理由は、それぞれだ。
 のぞきやおせっかい(せんさく)を趣味にしてでもいないかぎり、そんなのは当事者の問題だ」

 なにやら思うことでもありそうな煮え切らないようすも見せていたが、白い髪の師範は、その表情を実務的なものにあらためた。

「それより私は、確認したいことがあって、おまえを呼んだんだよ。おまえの現在(いま)を考えよう」

 説明にもの足りなさを覚えていたセレグレーシュは、複雑な面持(おもも)ちで赤色(せきしょく)の視線をうけとめた。

「文字はだいたい読めるんだろう? 年少者あわせの講義をなまぬるく思うなら、いわれ(・・・)(たぐい)は、文献――書物で学んだ方がしっくりくるんじゃないかと思ってさ。
 いまは君くらいの年や年配の入門者もいないし、このていどの滞在理由で、想定されたその知識量では、どうしても下に混ぜることになるが…――おまえ自身はどうしたい?」

「オレはまだ、ここにいるって決めたわけじゃない。だけど……。どうせ、やらなきゃならないなら、もう少し、なんとかならないかとは思う。けど…――」

「うん。そんなところだろう。
 だが、筆記(ひっき)につまずいていたのじゃ、ついていけない。
 多少手ボケでも感覚と制御力が突出していれば、けっこうどうとでもなるが……。術者にとって、作図力・筆記力・語学・数学・理学・鑑識・空間認識力は重要課題。基礎中の(かなめ)だ。
 法印の構成を理解し表す上で必要となる記号、表記法もある。
 まぁ、そのへんは、順をおって覚えてゆくとしても……いきなり上にまざっても(つら)くなる。読みに問題がないなら上達も早いだろう。
 ここはチビどもにまじって集中的に手習(てなら)いしていくのが一番だ。
 生活する上で不自由しないくらいに読めるとしても(語学オタクでもなくば)、日常的に使う単語・隠喩(いんゆ)、表現。言いまわしすべてを網羅(もうら)しているとまでは思えないからな。つまづいたら、いくらでも質問に答えるよ――(君のいうように)内容にもよるがな。
 あせらなくても実力さえつけば、上にあがらせてやる」

 そこまで聞いたところで、セレグレーシュが少しばかり思案しながら問いを返した。

そういう(そうゆう)本があるの?」

「ここをどこだと思ってる。南の図書棟には行ったか? 行くだけじゃなく、本を手にとってみろ。あそこは外部(よそ者)の期間滞在者にも開放されている」

「暇があったら読んでもいいけど……。その分、べつの講義に出ろってこと?」

「そんなところだ。長居する気がなくても、学べる機会は貴重だ。午後は遅れるな。みっちり文字を仕込んでやる。その時、何冊か貸してやろう」

 気軽にうけおいながら、白髪の師範スタンオージェは、ふふんとほくそ笑んだ。

(入ったばかりなのに《稜威祇(いつぎ)》を《闇人》と呼ぶか。まぁ、単純に力あるものとして、混同しているだけなのかも知れないが――…)

 《闇人》の中でも、友好的な者、温厚な者、(かしこ)く、平和的な交流が成りたつ理性の確かな者を《稜威祇(いつぎ)》と呼ぶ——それは東の方や圏外(けんがい)にはない、この《神鎮め》が活動する土地に生まれた慣習だ。

 むかしの習慣性も抜けきれていないので、魔神や(はた)迷惑な人型の妖威を《闇人》と表現する場合はあるが、その種族のことに(うと)い(《法の家》勢力範囲の)市井にあっては、稜威祇(いつぎ)とされる存在を闇人と呼ぶ人間は、まずいない。

 往年(おうねん)の弱肉強食・適者生存的な流れから《闇人》という呼称には、どうしても加害者的なイメージがつきまとうのだ。

 くわえて法印がどんなものなのか、その認識も薄いようである。

 人間に闇人の遺伝子がまじれば《亜人》と呼ばれ、色彩や外見、資質など、人間の型にはまらない特徴をみせることも珍しいことではなかったが、中間種である亜人は、大体において、法印使いに向かないもの。

 それなのに純粋な人間には生じない変わった色調をしたその子供は、技を修めるのに有益な素養を備えているようだった。

 発音に不自然なところはないが、言いまわしに東の癖を感じさせるところがないこともなく、
 その少年を指導するようになってから、頻繁(ひんぱん)に姿を見せるようになった稜威祇(いつぎ)――人型で特に被害を出さず穏健(おんけん)な行動をとっているうちは、未知の存在であろうとその認識――がいることにも彼は気づいていた。

(また、毛なみの変わった野郎()が入ってきたものだ……)

 白髪の師範は、去ってゆく少年の背中を(さかな)に、愉快(ゆかい)そうに笑っていた。



 いっぽう。
 セレグレーシュは、というと……。

 建物の内部を抜けてしまおうと教習室へ足をもどしたところで、外周にめぐらされている通路を利用しなかったことを少しだけ後悔していた。

 建物を回りこむことで、いくらか回り道にはなるが、留意(りゅうい)するほどの歩数(もの)でもない。
 室内へもどり、進もうと考えていた方向に目を向けたとき視界に入った存在が、とかく気に(さわ)ったのだ。

 人少(ひとすく)なになっても、おなじ場所にいた例の闇人――。

 いつも、なにをしているというふうでもないのに、ちょくちょく、そのへんにつっ立っていたり、うろついていたりするのを見かける。

 それがその闇人の日常なのかも知れなかったが……。

 セレグレーシュがいぶかしく思っていると、その視線にさらされた闇人()は、なにを思ってか、軽く身じろぎしたあと、唇の両端をにっこりともちあげた。

 にこにこ、にこにこ……

 とってつけたような反応で微笑みだしたのだ。

 適度なまとまりを見せる特徴的な癖毛に、端正(たんせい)(おも)ざし。そして、存在としての印象――…
 記憶違いかもしれないが、やはり数日前、この家の代表に会ったとき見かけた個体かもしれないのだ。

(たまたまだ……。たまたま笑っただけ。目が合ったひょうしの条件反射とかいうやつ。ターゲットにはされていない…――されてない……と、思いたい…。……)

 気圧(けお)されて、ひきかえすことも考えたが、その闇人の横には授業が終ったことで開放されている室外への扉がある。

 室内を縦断(じゅうだん)するつもりでもどったのに、ここに来ておいて不用意にひき返し避けることは、相手を意識している事実を認めること・敗北することと同義(のよう)に思えたので……
 セレグレーシュは、気障(きざわ)りな少年の方を見ないよう強行な姿勢を維持し(無視を決めこみ)ながら、その右側を素通りして、《第一》と名のつく講習室を後にしたのだ。

 🌐🌐🌐

 その(あと)の彼の予定は混み合っていた。

 出入りが激しい食堂でいるともかぎらない友人を目と耳で探しつつ、昼食をすませ、家長(いえおさ)がくれると言っていた受講生のリストを《リセの家》とか呼ばれる建物にもらいに行く。

 それから手に入れた手がかりを活用する間もなく、また、指定された講義で時間をつぶされるのだ。

 学びたくないわけではない。

 ここには彼が欲する知識がふんだんにある。
 いまの彼の認識では不要と思えるものも少なくなかったが……。

 それを(さず)けてくれるともいう。

 情報や知恵があれば生きてゆくのに有利――セレグレーシュは経験から知っていた。

 けれども人を捜している彼には優先したい行動がたくさんあって、それが自身を磨くことより、はるかに重要だった。

 セレグレーシュにとって大概(たいがい)のことはゆずれてしまう、その友人の存在は相応に大きいのだ。

「…――あっ! あのあたまが青いのだよ」

 《リセの家》に向かう道すがら、

 (むね)(つな)ぐ渡り廊下を歩いていると、自分の特徴(とくちょう)(しめ)すような声が聞こえてきた。

 空気と相性の良い、透きとおるような幼子(おさなご)声音(こわね)だ。

 事実、自分のことなのかもわからなかったが、セレグレーシュは声がした方面を意識した。

「ユネ。人じゃないか……」

 わずかに遅れて届いたもうひとつは、ひそめられがちな男性高音。(さと)くスマートそうな印象の響きだった。

 声があがった方へ泳いだセレグレーシュの目が、丸太椅子が配置されている()(だち)(かげ)にとまる。

 そこにあったのは、ふたつの人影。

 講義中、セレグレーシュの後頭部を小突いた小さな少女が、年が一〇もはなれていそうな少年と立ち話をしていた。

「うん。あれがほしいの。きっと、あのあたまには、お花がさくのよ。きれいなきれいなお花がさくの。ユネね、さくまえにつかまえるの。ちゃんとお水あげて、栄養あげて、さくところ見るの」

「ユネ。あれは葉っぱじゃないだろう。植物の芽や葉、(かぶ)じゃなく、人間の頭だから花は咲かないよ」

「うぅん。ぜったいさく! まんまるのおっきな種とかきゅうこんとか飴玉みたいなキラッキラの《ほういん》、あるもの。きっと、いろんなことがおこるのよ」

「法印?」

 庭の木陰にいる少女が真剣な目をして、少年にうったえている。
 相手の少年は、いささか、もてあましているようだが……。

(――花? 誰の頭にだよ。オレ、そのへんにあるような構造()……法印(ほーいん)とかいうものなんて、持ってないんだけど)

 通りすがりにも気力を根こそぎうばわれてゆくような現場に居合わせてしまったセレグレーシュは、向かおうとしている動線の先――その人たちの視線から(のが)れられそうな方面に視点を転じた。

 すぐそこまでせまっている小ぶりな建物の扉の横には《使用中》の札がある。

 使っているとき点灯するシグナルは別にあったが、その上で関係ない者・用のない者の流入を避けたい時、強調する意味で表示されるものだ。
 
 数日前(ここに来た日)(のぞ)こうとして注意されたことのある彼の足が、瞬間迷った。

 避けたい方面から死角となる庭におりてもよかったのだが……。そのあたりの地面には法印が敷かれている。

 なにか中にいる感じのするものだ。

 行く先の建築物の露台(ろだい)の下にまで(およ)んでいるその構造を(じか)に踏んで進むことに強い抵抗を覚えた彼は、建物の逆の側面に築かれている通路(縁側)をめざした。

 彼と対象の(あいだ)には、近いようでも、声を大にして話さなければ細部までは聞きとれなそうな、中途半端な距離がある。

 気の(さわ)る会話を展開する二者を避けたい意思が働くなか――話されている内容が気にならないこともなく、そのようすを(うかが)えるのも、さして長い行程ではなさそうだった。なので、そちらの動向をこっそり横目に見るともなく意識しながらその過程を邁進(まいしん)することにする。

 少女の相手をしてる黄褐色の髪の少年が、建物の縁をゆくセレグレーシュの動きを目で追いながら、疲労を感じさせるため息をついている。

 初めて見る顔だった。

 十代半ば……十五、六歳くらいで、すらりとしたその立ち姿には、成人に達しない男子の可能性を予感させる過渡期(かとき)の未成熟さ、しなやかさが見てとれた。

「ユネ。捕まえるのは、昆虫とか、そのへんに咲いてる花でいいだろう。あの青い頭は、あのお兄さんのなんだ」

「やだ、ぜんぶ。あたまだけじゃなく、ぜんぶなきゃ、さかない……きっと、死んじゃうの。まんまるだけど、人で、あの子なの。だから、ユネ、ぜんぶほしいの。それで、お水あげるのよ。この棒で、つかまえられなかった。はじかれちゃったから……。アントイーヴ(※2)、もっとちゃんとした《ほうぐ》ちょうだい!」

【※2 相手の少年の名です/主にアントニウス(ラテン語で〝大変貴重なもの〟の意だそうです)と、彼の母親の名前から一部エヴァ(解釈は〝命〟の方で)を組みこんで、書き手(わたし)が感覚的にもじってつけた命名です(てか、ほとんどそのまま(かばん語)ですが、どうか響き優先の固有名認定でお願いします)。《蟻さん》は想像しないように(笑)】

「ユネ……。ダダこねるなら法具はあげられないよ。いたずらしないって約束だろう?」

「チョウチョもお花もいらない……あれがほしい…。いたずらじゃないもん……」

 毅然(きぜん)と主張していた少女の声が、泣き出しそうなほど、かぼそくなった。

「ひとのもの、欲しくなることがあるのはしかたないとしても…――()ったり(ぬす)んだりするのは、いけないだろう」

 話題の種とされている方の彼としては、早々、退散(たいさん)したい場面だ。

 この先の角を曲がれば建物の陰になり、(たが)いの姿を人の視覚では確認できなくなるが……しかし。

 彼にすれば、一度は、泣かせてしまった気もする少女だ。

 あの時は、なぜ泣いたのかもわからなかったが、彼の半分ほどの年齢の子供である。

 また、泣いてしまうのだろか? 

 うかつにもそんな懸念を覚えてしまったセレグレーシュが、後ろ髪ひかれるように投げた視線が、少女の相手をしていた少年の瞳とかちりと出会った。

 すると、見るからに(かしこ)そうなその少年の双眸がユーモアを秘めて青くひらめいたのだ。

「いいこと思いついたよ、ユネ。それは大きくなってから考えよう」

 こころなしか、そう告げる彼の声が高くなった。

「やだ。どうして、いつも大きくなったらなの? ユネは、いまほしいの。
 いまつかまえなきゃ、お花、さいちゃうんだよっ?
 どんなのさくか見るーぅ。見たいのおぅ」

「咲いてからでもいいじゃないか。強くなって、ユネを守ってくれるかもしれないよ」

「いやっ! いーまっ! ユネ、ちゃんとおせわする!
 おやつ我慢して、それで、ごはん、たくさんあげて、お水あげて、ぴらぴらふわわって、さくとこ見るのぉー」

 その方角で盛大な泣き声があがったが、セレグレーシュは、白々しくも〝なにも聞いていないぞ〟という顔を装い(して)、死角となる建物の陰へ逃げさった。


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