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【七】ブラックタグ




 今日は午後から半休だった。

 首元の黒いマフラーに手袋で触れながら、亘理は雪道を歩く。この通りには、既に戦禍の傷跡はない。けれど、正面に建つ、再建された時計塔を目にする度に、嫌な気分になる。その向こうに見える母校の大学を視界に捉えると、尚更だった。

 爆弾がこの街で炸裂したのは、亘理が大学院生の時だった。
 無差別テロだったと言われている。
 だが実際には違うと、亘理は知っている。犯人の狙いは、亘理自身だったからだ。

 ――脳だけを取り出して、水槽に浮かべて、電極に繋ぐなんて、非倫理的である。

 神に対する冒涜だという脅迫文を、それまでに幾度も貰っていた。
 仮想現実を終末医療に用いるという計画は、別段亘理が立案したものではない。
 たまたまそれを実現するための技術の一部を研究対象にしていただけだ。

 そう言う意味では、研究者に対し、無差別に脅迫状が届いていたとは言える。

 だが、自宅で爆弾が爆発したのなんて、亘理一人きりだ。その爆弾が、さらには歩道、というより街ごと吹き飛ばしたから、亘理が狙われたのだと公言する者はいなかったし、周囲は家族が被害にあった亘理を慰めてくれたものである。亘理は、何も悪くないのだと、そう言ってくれた。多くの〝他人〟は、だが。

 事件の知らせを聞いた時、亘理は大学院の研究室から、遇津総合病院まですぐに走った。

 移動途中で、家族が搬送されたと耳にしたからだ。聞く前から、この街には救急病院は、そこしかないのだから、足は病院に自然と向かっていた。

 到着して、すぐに周囲を見回した。
 ――医師の数が圧倒的に足りず、医療用ロボットが忙しなく動きまわっている。
 玄関どころか駐車場まで、怪我人が溢れかえっていた。

 確かに医療は進歩している。大抵の事では死なない。

 けれど、けれどそれはあくまでも、きちんと診察及び治療の時間がある事や、設備がある事、医薬品がある事が前提だ。効果的な止血剤や鎮痛剤、強制的に鼓動を維持する簡易生命維持装置などの普及は、一昔前に比べれば著しいとはいえ――そして医師の代わりに手術可能なロボットが多数いるからといって……生存を絶望視された患者の体に、治療放棄を知らせるブラックタグが与えられていく現実は、一昔前と何も変わってなどいなかった。

 亘理は、まず何よりも先に、妹の姿を探した。

 ――この病院に搬送されたという連絡は父からきた。だから、父の無事は確認していて、母の事も、父は見つけたと言っていた。けれど妹の沙月の場所が分からなかった。院内の何処にもいないと父は話していた。

 ならば院外だ。
 院外には、比較的軽症の患者が多い。
 同時に……もう助からないと判断された人間も多いと分かっていた。

 ブラックタグが次々と患者の体にはり付けられていくからだ。タグをはっていくのは、ロボットだ。ロボット達は、勿論怪我の治療、そして――延命措置をしている。けれど、その上で、カードを容赦なくはり付けるのだ。たとえ助からずとも最低限の治療をする事がプログラムされているからにほかならない。

 ブルーシートの上に横たわっている人々。軽症患者達が座り込んでいるテントの合間をすり抜けてから、そちらに妹の姿が無い事を確認し、震える体を叱咤しながら、亘理は重症患者が並べられている方へと向かった。

 一人一人、静かに見ては、再び正面の地面を見た。

 そこに横たわっている者達は、最早怪我人と言うよりも、すでに遺体だったり、負傷度が酷すぎて一見しただけでは人間だと分からないような姿をしている。

 必死で右手を握りしめ、左右に並ぶブルーシートを一つ一つ確認しながら進む。

 本当はこんな大惨事の悲惨な状況を目に焼き付ける事など耐えられなくて、今すぐ走り出して逃げ出したかった。だが、妹がいるかも知れないというその思いだけで、必死に前へと進んだ。

 そして大分歩いた時、一目見て通り過ぎようとした瞬間――亘理は足を止めた。
 目を見開き、息を呑んだ。

 自分の妹だなんて一切気がつかなくて通り過ぎようとしていた――だが、左手に横たわっている存在を視認した瞬間……嫌な予感に全身を襲われた。

 冷や汗が浮かんでくる。それはいつしか大粒になり、髪をこめかみにはり付かせた。震えてしまった。信じられない。いいや、信じたくない。見間違いであって欲しい。
 そんな思いで、緩慢に左手を一瞥する。

 そこには、右耳を上にして横たわっている人物がいた。
 その耳朶に、星形のピアスがあった。

 それは、紛れもなく亘理自身が、研究の一環で渡欧した際に土産に購入してきたピアスだった。見覚えがありすぎた。気に入ってくれた妹は、ここのところ、そればかりを身につけていた。同じ品物は存在するだろうが……少なくともこの街に偶然にもあると考えられるほど、ありふれた品ではなかった。

 黒く焼けこげた芋虫に、人体模型の顔の部分をくっつけたような物体。

 ここが怪我人を収容している病院でさえなかったならば、醜悪で怖ろしい化け物だと感じてしまうような異形。本能的に気持ち悪いと思ってしまうような姿で転がっているモノ。

 そんな存在が、自分の妹と同じピアスを身につけている。非常に滑稽に思えた。
 しかし亘理は、すぐに現実把握に努めた。
 咄嗟になんて言う事を考えたのかと自分を戒める。

 それとほぼ同時に、左手のブルーシートの上に膝をつき、声をあげた。
 亘理は、泣きそうな目をし、顔を歪めた。

「沙月……?」
「……ちゃ……お兄ちゃん」
「沙月!」

 掠れた小声が、確かに返ってきた。やはり、妹で間違いがなかった。

 既に医療用ロボットの処置後であるらしく、沙月の体には黒いタグがはり付けられている。全身の止血もなされているようだったし、恐らく痛み止めの注射も打たれているのだろうとは思う。冷静にそう考えながら、妹に手を伸ばそうとして、亘理は宙でその指先を震わせた。触れる勇気が無かった。

 沙月は、全身に大火傷を負っているらしい。

 頭髪もほとんど残っていなくて、自慢だった彼女の長い髪は、僅かに残っているだけだった。火傷のせいで両目が開かない様子だ。

 顔の中で火傷を負っていない場所を探す事の方が難しかった。

 それは、顎も、喉も、かろうじて身につけている焼けこげた衣類の下も同様だろう。きっと服は、一緒に皮膚がはがれてしまうから、着せられたままなのだ。

 苦しそうな呼吸、そして掠れた声を聞いた限り、気道熱傷をしている事だって間違いない。炭の黒と、はがれた皮膚の茶色と、血に染まっている体。

 それを直視する事だけでも、亘理にとっては辛く衝撃的だといえた。
 だが、沙月の体は、それ以外の怪我もおっていたのだ。

 沙月の両手両足が無くなっていた。彼女は四肢を欠損していた。

 恐らく負傷が激しく失血死の危惧をした医療用ロボットが、綺麗に切断していったのだろう。左足は、膝から上しかない。膝から下はどこにもない。右足は、太股の中程で切断されていた。右腕と左腕は、二の腕部分で切断されている。そうして残っている四肢も全て酷い火傷で爛れている。

 そんな妹を直視しているだけで、亘理は気絶しそうになった。

 けれど脳裏を過ぎる妹の笑顔が、それを許さなかった。どんな姿になったとしても、沙月は紛れもなく自分の妹なのだからと、理性が必死に訴えた。怯える感情の存在など、認める事は出来なかった。

 唾液を嚥下し、亘理は大きく二度深呼吸をする。

 ブラックタグがはられているのだから死期が近いとはいえ、妹はまだ生きているのだ。全身火傷の場合、皮膚が無くなるに等しいから、感染症で死ぬ危険性が高い。生命維持装置が心臓と呼吸を補助している内に、一刻も早く無菌室に運ばなければならない。そうしなければ妹は死ぬし、あるいは運ぶ事が出来たならば、助かる可能性もある。

 振り返って病院の建物を睨め付つるように見た。

 ――怪我人が溢れかえっているこの病院で、ブラックタグをはりつけられた妹は、果たして無菌室に入れてもらえるのだろうか?

 それが無理だと言う事は、考えるまでもなく分かった。

 ――ならば、どうすればいい?
 ――どうすればいいというのだ。このまま妹が死ぬのを見守るのか?

「亘理依月さん?」

 その時声がかかった。名を呼ばれた亘理は、膝立ちのまま顔を向けた。

 そこに立っていたのは、薄手の茶色いコートを着た青年だった。高級そうな革靴とネクタイ。一目で医療従事者ではない事も分かった。

 正確に言うのであれば、相応のステータスを持つのであろう、裕福層の人間だろうと直感した。冷静に観察する余裕があったわけではない。だが、瞬時にそう考えてしまっただけだ。それだけの身なりをしていたからだ。

「亘理さんですよね? もしかしてそちらは、ご家族の方ですか?」
「……妹です。俺は確かに亘理ですが……貴方は?」
遇津雪野(あえづゆきの)のと言います」
「遇津……?」
「ああ、この遇津総合病院の経営者の一人でもあります。そうですか、妹さんですか。まだ息がある。特別室に運びましょう。助かるかもしれない」
「特別室?」
「亘理さんのご家族ですから、特別です。この病院の最上階は、ワンフロアが、特別室になっているんですよ。最先端の医療を保証します。特別な方に対してだけですが。いついかなる時であっても――たとえば、こうした悲惨な事件の場合であっても。亘理さん、貴方は大変優秀な研究者だ。勿論貴方は特別だし、そのご家族ならば受け入れに否はない。さぁ、急ぎましょう。助かるものも助からなくなる」

 そう口にした遇津は、柔和な笑みを浮かべて頷くと、迷い一つ見せずに、沙月の体を抱き上げた。実の兄である亘理すら困惑し、そして認めたくはないが死臭が誘う恐怖から、触れる事が出来なかった妹の体を、遇津は抱き上げたのだ。

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