(7) 試験
「試験?」
「わたしに敬語を使わずにいられたら、つき合ってあげてもいいよ」
あまりに意外な申し出に耳を疑った。
何だかんだ言ってもクリスマスにふられるのは嫌だから、今日のところはつき合ってくれなんて言わないようにしていたのに。どうしてこうなったのか。
「え、ほんとですか?」
「ほら、それ」
「あ、いや。えーと、……ほんとに?」
彼女は床暖房よりも暖かそうに微笑んで頷いた。
「そんなさ、敬語ばっかり使ってくる人とは対等につき合えそうにないもん」
「分かりまし……あ。分かった」
彼女はまたくすくすと可愛く笑う。
「じゃあ、いきなりは可哀想だから、心の準備をする時間をあげる。今から化粧落としてシャワーを浴びてくるから、わたしがここに戻って来たときからがスタートよ。それ以降は言い直しは認めないから。いい?」
また、はい分かりましたと言いそうだったので、黙って頷き返した。
「じゃ、テレビ見るなり、好きにしてて。あ、でも、あっちの部屋には行っちゃだめだからね。当然お風呂も覗いちゃだめよ」
一人になると緊張が解けて、何故かどっと疲れを感じた。無意識のうちに全身に力が入っていたようだ。明日は筋肉痛になるかもしれない。そんなことを思うほどに。
やがて微かに聞こえ始めたシャワーの音を聞きながら、いつの間にかソファの上で眠り込んでしまっていた。
どれくらい時間が経ったのか。
頬に柔らかくて温かいものが触れるのを感じて、目を覚ました。
すぐ目の前に、彼女の顔があった。
「おはよ」
「お、おはよう、」
危うくございますと言いかけた口を、彼女の唇で塞がれた。
いっぺんに目が覚めた。
ただ触れ合っているだけでじっと動かない唇は、それでもとても柔らかいことだけは分かった。そして、とてもいい匂いがした。
次に目を覚ましたときは、同じベッドの中にいた。入っては駄目と言われていた寝室のベッドだ。
腕の中には平和そうに寝息をたてている、小さな先輩がいた。
テニスをしている姿を見て、細くて華奢に見えるものの、女性にしては筋肉質な身体だなという印象を持っていた。それは間違ってはいなかったけれど、思った以上に彼女の身体はどこもかしこも柔らかくて、すべすべとしていた。
部屋は穏やかな朝の陽の光に満たされていた。
しばらくして目を覚ました彼女におはようと言うと、恥ずかしそうに小声でおはよと返して胸に顔を埋めてきた。
その姿があまりに愛おし過ぎて、鼻血が出そうだった。
「ねえ、奈央。サークルのときも敬語使っちゃだめってこと?」
奈央は胸の中で何度か首を横に振った。
「みんなの前ではわたしが先輩だから」
「分かった。じゃあ、二人きりのときだけだね」
今度は胸の中で何度も頷いていた。
若い頃の恋が実を結ぶとは限らない。そんなことは分かっていた。それでも、このとき手に入れた幸せはずっと続くものだと思っていた。
けれど、それも結局は勘違いだっということか——。
三か月後。奈央は姿を消した。
彼女を見つけ出したのは、そこから五年後のことだ。
けれど、そのとき、彼女はもうこの世の人ではなかった。