〈a runaway child 〉
「家出が復讐になるの?俺の親は、俺がいなくなっても平気そうだけど。」
アリーシャの提案は、悪いけど微妙に思えた。そんなことで、あいつらにダメージがあると思えない。
「スロアが家出しても、親は何もしないと思う?」
俺は少し考えて、それから「うん。」と頷いた。
「何もしない可能性はあると思う。親父はあまり家に帰ってこないし、母親は俺に無関心だから…。」
言いながら俺は何ともいえない悲しい気持ちが湧いてきた。俺がいなくても平気ではないかと思わせるような親は、もはや親といえない。
「子供が家出したのに何もしないでいる親は、下手すると保護責任者遺棄罪に問われる。子供が家出してもちゃんと探そうとしているなら、親に迷惑は多少かかし…親を困らせるにはいい案だと思わない?」
アリーシャはしたり顔だ。
「ほごせきにんしゃいきざい…って何だっけ?思い出せない…。」
聞き慣れない言葉が出てきて、俺は戸惑った。アリーシャにそんなことも知らないのか、と思われるのが嫌だった。だから、知っているけど思い出せない体を装ってしまった。
「保護責任者遺棄罪っていうのは、保護が必要な人…スロアのような未成年の子供に対して〈何もしなかったこと〉が罪になるの。何もしないと言っても、状況によっては対象にならない。スロアの場合は、子供を養育する義務のある親が対象。」
「それは…つまり、俺が家出しても親が何もしなかった場合は、子供を養育する立場としての責任を果たしていないということになって…罪に問われるということ?」
アリーシャが言ったことをよく呑み込んで、考えながら喋った。
「まあ、大体はそんな感じかな。絶対に罪になる訳ではなくて、その可能性が高いという話。二日や三日ぐらいで帰ってくるようじゃ、家出だとも思われないかも。」
「…家出すればいいと言うけど、俺は特待生を目指している。この夏休みには、評価を上げるために夏期講習に参加する予定だ。あまり問題はおこしたくないし、講習もちゃんと出たい。」
家出して学校から問題児だと思われれば、特待生への道が消えてしまう。そしたら、今までの努力が水疱に帰してしまう。
「夏期講習っていつやるの?」
「一回目は八月の第ニ月曜日から水曜日まで。二回目は第三水曜日から土曜日までになっている。」
アリーシャは頷いた。
「それなら大丈夫だ。まだ七月だから。私が考えているのは、期間限定で家出する方法。」
「期間限定?」
「そう。あと一週間で夏季休暇が始まるでしょ。授業がないから学校に行く義務はない。クラブ活動や講習を除くとね。そのタイミングが良いのよ。学校に行く必要がないから、家出しても学校に連絡する意味がない。家庭の問題として処理される。家出する期間は、夏季休暇の始めから七月の終わりまで。二週間ぐらいが丁度いいかな。」
アリーシャは楽しそうだ。一方の俺はまだ迷っていた。
「勝手に話を進めないでほしいな。俺の予定もあるから…。」
「何か予定があるの?夏休みの始めの二週間ぐらいに。」
「…いや、特にないけどさ…。」
俺は若干、言葉が弱々しくなった。
「じゃあいいじゃん。帰りたくなったら、途中で帰っていいし。家出っていう言葉が良くないな。プチ旅行だと思えばいいよ。もし学校で何か聞かれるようなことがあったら、思い出作りで旅行していたら帰り方が分からなくなったとか連絡がとれなくなったとか、適当に嘘ついて誤魔化せばいいよ。」
アリーシャはあっけらかんとしている。その自由さは羨ましくなった。
「嘘つけばいいよって…家出先とか、どうするつもりなの。」
「それは私に考えがあるの。任せといて。泊まる場所も心当たりがあるから。」
アリーシャは何がなんでも実行する気でいるようだ。もしかして、俺と一緒に居たいから?ちらりとそんな考えが脳裏をかすめた。
「…帰りたくなったら途中で帰ると、約束してくれ。」
「もちろん、約束するよ。じゃあ、決まりでいい?」
「…ああ。」俺は渋々頷いた。不安はあるけど、アリーシャの言う通り、家出ではなく旅行だと思えばいい。何か聞かれても、思い出作りのための旅行だと言えばいい。
アリーシャは「やったー。」とはしゃいでいる。そんなアリーシャは可愛く見えた。
「それにさ。」
アリーシャはニコニコしている。
「ん?」
「もしスロアが居なくなって、両親が探していたとしたら…それはスロアのことを多少なりとも大事に思っているという証明になるよ。」
そしてあっという間に一週間が経ち、学校は夏季休暇に入った。メイミとリアには伝達を続けていて、この一週間は毎日会っていた。
アリーシャが与えた情報が一体どれくらい役に立っているのか、結局俺には分からないままだ。二人は知らない間にグループワークのまとめを作り出し、夏季休暇に入る前日に提出していた。
そのまとめには、俺がアリーシャに頼んで書いてもらった直筆のサインが載っている。
これでアリーシャは、ちゃんとグループワークに参加したことになるようだ。適当というか何というか、それでいいのかとは思うけど、この学校は元々自主性を重んじている。
自由度は高い方だけど、その代わり何が起きても自己責任。そういう校風だ。
そして俺は、バス停でアリーシャのことを待っていた。
約束の時間より早く来た。女子とどこかに出掛けることは初めてだし、家出という非現実的なことを今からしようとしている。それが俺をやや興奮させていた。
持ってきたのは、何着かの着替えと暇ができたときにやろうと思っている少量の課題。毎月渡されるご飯代の料金を多めに申告し、浮かせたお分をお小遣いにして貯めた金。
あまり荷物を増やすと重くて負担になる。これぐらいの量で止めて、大きめのスポーツバッグの中にまとめて詰めて来た。
「スロア、おはよう。待たせてごめん。」
肩を叩かれた。振り向かなくても誰か分かる。アリーシャだ。
アリーシャは白いオフショルダーのブラウスに動きやすいジーンズを合わせている。いつもの銀髪ではない。何故かセミロングの黒髪になっていた。黒のキャップを頭にかけている。ネイビー色の、大きいサイズのボストンバッグを肩にかけていた。
「じゃあ、行こっか。」
二人でバスに乗り込んだ。これから行き当たりばったりの、計画性も何もないない家出旅行が始まる。俺は緊張してきた。
「その髪、どうしたんだよ?」
俺は周りの乗客に聞かれないよう、声をひそめて聞いた。
「これ?ウィッグだよ。銀髪だとかなり目立つから。本当はこの赤い目も隠したかったけど…カラーコンタクトをしてみても、赤色が強くて変な色になったからやめた。」
「ああ、そういうことか。」
アリーシャがキャップを深く被っているからか、目元に影ができていた。これである程度は他の人から隠せている。
アリーシャの額にある、三日月型の模様も前髪があるおかげで見えなくなっていた。
「なあ、どこに行くつもりなの?」
「私の別荘。」
アリーシャは短く答えた。心なしか、アリーシャの顔が強張って見えた。アリーシャも緊張しているのかもしれない。
「別荘とか、持っていたんだ。凄いな、金持ちじゃん。」
「うーん。想像しているのとは、ちょっと違うかもしれないな。」
アリーシャが目線を少し落とした。
「もしかしたら、がっかりさせちゃうかも。でも、寝泊まりはできるから安心して。」
「ああ、施設が古いとかあまり手入れしていないとか、そういうの?」
「うん。それに近いかな。あまり行っていないから汚くなっていると思う。」
「お金はかからない…よな?」
「かからない。それは大丈夫。」
俺はバスから見える風景を眺めた。見覚えのある店や街並みが次々と流れていく。
これから俺は、どうなっていくのだろう。この旅はいつまで持つことやらだ。心細かったけど、アリーシャがいれば何とかなる気がした。
三十分ほど経ち、目的地に着いたのかアリーシャはここで降りると言った。
そこはこの小さな国の中で、交通網や商業施設が発達した都市部だった。おそらくこの国で一番大きい駅の中に、アリーシャは迷わず入る。
俺も後に続いて入ると、人でごった返していた。広いから迷いそうになる。
アリーシャは俺を置いてさっさと歩いていく。俺は人を避けながら、アリーシャを見失わないように追いかけることで必死だった。
アリーシャは自動券売機の所にいた。慣れたように機械を操作している。俺は邪魔しないように、少し離れた場所でアリーシャのことを待っていた。
用事を済ませたのか、アリーシャが券売機から離れた。俺のことを探していようで、きょろきょろしている。
「アリーシャ。」話しかけると、アリーシャはこちらを振り向いた。手にはチケットを二枚持っている。
「あれ、俺の分も買ってくれたの?お金返すよ。何円?」
「いいよ。気にしないで。私はこう見えて、お金持ちなの。」
「中学生なのに?」
「けっこう莫大な金額の、親の遺産を受け継いたから。」
俺は何と返したらいいか分からなくて、黙ってしまった。
「ほら、あと八分したら出発するから、早く行こうよ。」
アリーシャはチケットを俺に渡す。確かに、出発時刻は迫っている。俺たちは急いで高速鉄道の乗物に乗り込んだ。
席に座ると、アリーシャは疲れたのかあくびをした。眠気が移ったのか、俺も眠くなってきた。
いつの間にか寝ていたようだ。腕時計を見ると、現在時刻は午後四時。三時間は寝ていたことになる。隣にいるアリーシャはまだ眠っている。
アリーシャは寝顔も美しい。白くて陶器のようになめらかな肌だ。俺は少しの間見惚れた。
チケットを見ると、到着予定時刻まであと五分になっていた。俺は慌ててアリーシャを起こす。
「アリーシャ、もうじき着くぞ。」
肩を揺さぶったら起きた。目的地に到着し、俺とまだ眠そうなアリーシャは降りた。そこから更に駅を二つほど乗り継いだ。
気付くと、外国に来ていた。俺たちの国は小さいうえに陸続きになっているから、飛行機を使わなくても外国に来れる。
せっかく外国に来れたというのに、俺にはあまり実感がわかなかった。俺たちの国と違うところを挙げるとしたら、洗練された建物が多い。排気ガスの匂いがする。服装が派手な人が多い。そんなところだ。
「ここからは私に着いてきて。」
アリーシャに言われ、俺はアリーシャの半歩後ろを歩いた。アリーシャは迷う素振りもなく、堂々と進んでいる。
だんだんと薄暗い、人気のない道になってきた。鬱蒼とした森林の中に入っていく。流石に不安になってきた。
そしてアリーシャは、古めかしい洋館の前で立ち止まった。
「ここだよ!今日はここに泊まろう。」
アリーシャはドアを開ける。開ける際、ギイイと不気味な音が鳴った。俺のことはお構いなしに中へと行ってしまった。
俺も慌てて後を追う。洋館の中は人気がなく、何年も使われていなかった様な荒れ具合だ。タンスにはホコリがついていて、少しかび臭い。俺はこれを見て、ある予感がした。
「…ねえ、ここってもしかすると、廃墟じゃないか?」
「あ、ばれた?」
アリーシャははにかんだように笑う。やっぱりか、と俺は肩を落とした。
「…大丈夫なのか、勝手に入り込んで…。」
「大丈夫だよ!誰か来たら逃げればいい。ちょっと寝泊まりさせてもらうだけ。私、寝袋持ってきたよ。スロアの分もあるよ。」
「…どうもありがとう。」
アリーシャの自由奔放さや身勝手さはもはや羨ましくなるし、怖くもある。
ー何も考えていないのかな、アリーシャは。先のことを考えずに今が良ければいいと思っているから、こんなに度胸のある行動がとれるのか…。
俺はそう思ったけど、口には出さなかった。アリーシャに反抗することも面倒くさくなっていた。
それに、ここまで来てしまったら仕方がない。時計を見ると、もう夜の九時は過ぎている。他に行くあてもないし、今日はここで寝るしかない。
アリーシャが用意してくれた寝袋にくるまりながら、家出一日目は終わった。
家出してから三日が経った。アリーシャと俺は駅のデパートやショッピングモールでぶらぶらして過ごした。
ご飯はスーパーで売られている、賞味期限が切れた激安のお弁当で食いつないでいた。
二日目は図書館に行った。俺は課題をこなし、アリーシャは横で図書館に置いてある漫画を読んでいた。
三日目に、ようやくシャワーを浴びれた。市が運営しているスポーツジムでだ。五百円を払うとプールで泳いだり、備え付きの器具で体を鍛えたりできる。制限時間は一時間まで。
運動後にはシャワーを浴びることができた。俺たちはそのシャワー目当てでジムに来た。
銭湯だと、もっと値段が高くなるから、今後体を洗いたいときはこのスポーツジムを利用することにした。
そして今日が四日目。俺が持ってきたお金を計算すると、あと三日で無くなりそうだ。帰りの移動料金もふくめると、そのくらいが限界だ。
アリーシャにこのことを、あと三日たったら帰ることを伝えると決めた。
「見て。昨日漫画カフェのクーポン券を拾ったから、今日は奮発してここに行こう!」
それは確かに五百円引きの割引クーポンだった。クーポンがあると千円ぐらいで入れそうだ。
「行くのはいいけどさ、夜に行こうよ。夜に行けばここで寝泊まりできるから。」
寝袋があっても、この洋館から漂うかび臭い匂いや背中に虫が這っている感触には気が滅入っていた。
アリーシャは少し考え込んでいたが「ま、そうした方がいいか。」と了承した。
今日の昼間はまた図書館に行き、俺は課題を進めて、アリーシャは漫画を読み進めていた。時々、くすくすと笑っている。面白いのだろう。
アリーシャが漫画カフェに行きたいと言い出したのも、これの影響かもしれない。
そして、夜になった。俺たちはアリーシャが行きたいと言った漫画カフェに来ていた。
受付の順番を待っている間、俺はふと身分証明書を求められるのではないか、という不安に襲われた。
どうしうかと考えているうちに、受付の順番が回ってきた。店員はやる気のなさそうな大学生ぐらいのお姉さん。
どきどきしながら手続きをしていたけど、あっさりと中へ通された。
身分証明書については特に何も聞かれなかった。今日はきっと、運が良い日なのだ。
受付の際に、予約するとシャワーも浴びることができると聞いて、予約しておいた。
シャワーを浴びるときは受付まで行って、ドライヤーを渡してもらう。このときもどきどきしたが、やっぱり何も言われずに済んだ。
俺とアリーシャは交互にシャワーを浴びた。シャワータイムが終了すると、アリーシャはさっそく漫画を読み始める。
俺は部屋に備え付けられていたパソコンで、映画を見ていた。
しばらくすると、アリーシャが漫画に飽きたのか、俺と一緒に映画を観始めた。ちなみに、これは二本目の映画だ。
サスペンス映画だけど、途中途中に際どいシーンが流れる。アリーシャとこあいうのを見るのは大変気まずい。
だけどアリーシャは気にしていないのか、興味津々で観ていた。
ようやく映画がエンドロールに入った。俺はあまりの気まずさに、早く終ってほしいと思っていたから、あまり内容が頭に入ってこなかった。
「ああいうの、楽しいのかな。」
アリーシャが呟く。
「え、何が?」
「さっきのアレ。裸で抱き合っているやつだよ。」
俺は一瞬、呼吸が止まった。どう返したらいいのか分からない。
「…まあ、楽しい人は楽しいんじゃない。」
特に面白い返しが思いつかないまま、俺はようやくそれだけ言った。
「私、やってみたい。どういう感じなのか知りたい。」
「…え、本気で言っているの。」
アリーシャが冗談を言っているのか何なのか、俺には判断がつかない。
アリーシャが俺にすり寄ってきた。柔らかい感触がする。俺の心臓の鼓動が速くなる。
「アリーシャ、本気なのか?」
アリーシャは黙って頷いた。信じられない。俺は夢を見ているのだろうか。だけどアリーシャから漂う匂いや、感触は本物だ。
俺はアリーシャを抱きしめた。アリーシャは抵抗しなかった。
俺は天井を見ていた。横にはアリーシャが寝転がっている。体には気怠い感触が残っていた。まさか、こんなことになるとは思っていなかった。
アリーシャは美しいけど、そういう対象として見ていなかったから。アリーシャを美しいと思う気持ちは、綺麗な花や建物を見る気持ちと似ていたから。
そう思っていたのは、アリーシャが普通の人っぽくないからだろう。
俺はあえて、全然関係ない話をすることにした。そうすることで、気持ちを落ち着かせようとした。
「…アリーシャって、色々噂されてたけど、どれも嘘だよな。みんなよく知らないくせに、勝手なことを言ってただけで…。」
「噂?どんな噂。」
アリーシャの声が静かな部屋に響く。
「何だっけ…。アリーシャに嫌がらせした人の家で火事がおきて、その人は引っ越しせざるを得なかったとか…。他には、アリーシャが嫌った人は精神がおかしくなって精神病院に今もいるとか、そんな噂だったかな。」
もう、うろ覚えになっている。
「ああ、でも大体は合っているよ。」
「…え?」
「九割ぐらいはその通りだね。」
「冗談だろ?」
「冗談じゃないよ。本当だよ。」
アリーシャは無邪気にそう言った。俺はまだ信じられなかった。
「何で…本当なら何で、そんなことしたんだよ。」
「人助けだよ。」
「…は?」
アリーシャの言っていることが、理解できない。
「私に嫌がらせしてきた人は、実はあの街をでたがっていたの。だけど家が売れないと引っ越しできない。だからアリーシャはその人の家を燃やしたの。家が火事になったら、その人は家も無くなって火災保険でお金も入ってきて、念願の引っ越しができたんだ。」
「…もう一人は?」
「精神病院に入った人は、ずっとお母さんに会いたいと思っていたの。物心つく前からお母さんは精神病院に入れられてて、それでその人は、別の人に育てられた。お母さんに会いたいという願いを叶えるために、私はその人が精神病院に入れるような病気にしたの。…あ、私はその人のこと嫌いじゃないからね。そこは間違っているよ。」
アリーシャの言っていることは本当だろうか。俺のことをからかっているのか。
「アリーシャに火事をおこしたり精神をおかしくさせたりする能力とか、あるの?」
アリーシャは相変わらず、無邪気な笑顔を浮かべている。可愛いと思った。
「もちろん。アリーシャには神様が取り憑いているから。」