第三十九話
それから。
未だ緊張感はあるが、しかしウェルノさんの言葉通り、こちらを襲う気配すらない、無数の魔物たちの視線を受けつつ、船は穏やかで賑やかに進む。
一方でおれっちたちは、最初に現れた魔物の攻撃? の現場に来ていた。
それは、当然ごしゅじんの意思であり、ごしゅじんにも思うところがあったからだろうが。
あの白い三角の魔物の一撃は見た目より威力がなかったらしく、甲板の木板が数枚剥がれただけですんだらしい。
それでも入り込んできた海水により、流されたり水をを飲んだりして、軽い怪我を負った人たちが何人かいたのだが……。
「ティカ様~っ」
そんなごしゅじんにかかる声は、一度聞いたことのある少女の声だった。
しかし、ぱっと見その姿が見えない。
きょろきょろと辺りを見回せば、ごしゅじんの肩口に羽飛ばし降り立つウミネコが一羽。
「ファイナ……さん?」
ごしゅじんが驚いたように呟く名前。
それはこの世界で最初に出会い、ろくに話も出来ぬまま消えてしまった、白い髪の臆病な少女の名前である。
(初めごしゅじんはファイカと呼んでいたが、世界間の時間の進み方の違いに気づき、その人の娘さんであると修正したのだ)
「あの時はごめんなさい。急にティカ様は帰っていらっしゃったのもそうですけど。アスカ様と勘違いをしてしまって、びっくりしてしまって。……その、あの。いまのわたしも、あの時のわたしも、魔力で作った分体なんですけど、衝撃に弱くてですね。お墓参りにきたのに本人がいる、なんて思ったら動転してしまいまして」
まさしく見た目通り、せわしない小動物のごとく。
ティカとおれっちにだけ聞こえるくらいの大きさで、身振り羽振りまくしたてるその様は、話もできないままに消えてしまった初めの出会いと、随分とギャップがある気がした。
「それにその、使い魔さんにもびっくりしましたっ。この子は向こうで?」
「うん。……こっちに来るのに、一緒に来てもらったの」
同じように小さな声で頷くごしゅじんに、触れてもいいですか、なんて問いかけ。
率先して身を乗り出してやると、雪のように白い羽が、そっと額にかかる。
できるのなら、人間の時に触れてもらいたいものだが。
その様は、ごしゅじんが大事に扱ってくれていることを理解していたためか、とても優しい羽触りであった。
くすぐったくて思わすくしゃみしていると、ファイナちゃんはウミネコであるのにも関わらず、器用に楽しげに笑みをこぼし、改めてごしゅじんを見つめる。
「わたしも、ステアも待っています。歓迎しますよ、ティカさま、おしゃさま」
それはまるで、これから向かう先のあるものの、主のような物言い。
名を名乗ったつもりはなかったが、おそらくお犬様のステアさんから話を聞いていたのだろう。
となるとつまり、このファイナと言う少女は、海の魔女の関係者、あるいは本人と言うことになるわけで……。
今考えれば、あの白い三角頭の魔物が現れ、水しぶきが覆う時に一瞬見た白い影は、ウミネコなファイナちゃん自身のものだったのだろう。
本来なら、依頼に参加している人や、船員以外の人というか使い魔がいれば、誰何されそうなものだが。
それでも声がかかることがなかったのは、思えば彼女の素性を知っていたからこそ、自由にさせていたのかもしれなくて。
海洋生物の道が途切れ、浮かぶ小さな島が見えてきたのは、それからすぐのことだった。
島自体はそれほど大きいものではないが、その中心に立つ館は城と言っても差し支えないくらいに大きなものだった。
どことなく暖色系の色使いが、佇まいが、ステアさんと会った屋敷に似ているのも仕様なのだろう。
懐かしく感慨深げに目を細めるごしゅじんを見ていると、やはりここがごしゅじんにとっての幼少時代を過ごした場所なのだと実感させられる。
「私たちは、船に残りますので。これからの陣頭指揮は、ウェルノさんにお願いします」
「私? そうね、了解したわ。それじゃお邪魔しましょうか」
それは、最初から決まっていたかのように。
先頭に立って皆を引き連れ、上陸を開始するウェルノさん。
その後に、それぞれがそれぞれの緊張感を持ちつつ続いてゆく。
女性ばかりが列をなす様は、見た目には悪くないが独特の空気がある。
これから、討伐を行なうのだから殺伐するのはしょうがないだろうが。
何ていうかこう、様々な情念が渦巻いている感覚があった。
それこそ、下手に心の匂いを嗅ごうとしたら、すぐさま馬鹿になってしまうくらいには。
そんな中、おれっちはごしゅじんの腕に抱かれ、ごしゅじんがかつて幼少のみぎりを過ごしていたという場所をつぶさに観察していた。
ごしゅじんはその間、レンちゃんやベリィちゃんに挟まれるようにして、楽しげに会話していたりする。
表情はさほど変わらないが、嬉しそうなごしゅじんの姿を見ていると、この少ない期間で頑張ったんだなぁってしみじみ思う。
それこそ、おれっちと言う生を留め置く枷など、必要なくなってくるくらいに。
(まぁ、いらんと言われてもくっついてくけどな……)
だからと言って、言い訳してその背中を見送るつもりは毛頭ない。
たとえ、この後ごしゅじんが人と触れ合うことを覚え、その果てにヨースと想いが通じ合ったとしても、邪魔して居座ってやる。
そんな風に、自分の世界に入り込んでいた時だった。
辿り着いたのは、城のごとき屋敷の入り口。
なるほど確かに、ここもごしゅじんの家なのだろう。
ごしゅじんの、正確には現在妹ちゃんが暮らす屋敷によく似ている。
極めつけは、中心にでんと立つ炎のような緋色煉瓦の時計台。
そのてっぺんにある、十字架ならぬ三角架の存在。
『火(カムラル)』の根源を表すそれは、しかし海の魔女と暮らす家としては、いいのか悪いのかと言った感じだ。
最も、海を司る『水(ウルガヴ)』と『火(カムラル)』は、一見真逆に見えても、反発し敵対し合っているわけでもないので、これはこれでありかもしれない。
と言うより、こっちにも根源を祭るものがあったとは。
改めて見ると驚きではあった。
まぁ、でなけりゃおれっちの妙技も発動しないわけだし、分かっていたことではあるのだが。
さて、それはともかくとして。
おれっちたちは一応討伐の名目でここに来ている。
そのつもりな人物が、ここにどれだけいるのかは甚だ疑問だが、それでも馬鹿正直にベルを鳴らして真正面からみんなで、と言うわけにもいかないだろう。
これだけの人数でぞろぞろやってきていれば、館の主も気づかないはずもなかろうが、それでも裏口勝手口等に別れて、お邪魔すべきだろう。
最早討伐隊のリーダーとしてこなれてきたウェルノさんも当然、似たようなことを考えていたに違いない。
故に頷きあってその算段をしようとした、その瞬間。
がちゃりと開け放たれる玄関の扉。
観音開きのそれが内から解放され、交わすようにそれぞれが間を取って離れようとする。
はたして、開かれた扉から現れたのは。
ついぞ見たばかりの空色のカールがかったもこもこの毛並み……ではなく。
同じ色のくせっ毛を持ち海色の瞳持つ、給仕服姿の少女だった。
お犬様のステアさん。
おそらくその正体と言うか、本物。
瞬間、おれっちはその考えに確信を持った。
さらに、海の魔女とも等号で繋がるのだろうか、なんて思ったが。
しかしそれは、ステアさん自身が否定した。
「ようこそ、海の魔女の館へ。私は給仕長のステアと申すもの。歓迎会の準備は整っております。どうぞお入りください。会場の方に案内いたします」
その言葉に、ざわつき波紋が広がる。
それもそうだろう。
討伐しに来たと言うのに、歓待されるなどとは思っていなかっただろうから。
「歓迎会ですって。ドレスか何か、持ってくればよかったかしら」
「ちょ、ちょっと。何のんきなこと言ってるのさ! 罠かもしれないのにっ」
だが、それに対し緊張感の欠片もなく、本気でそう呟くウェルノさん。
そんな彼女に、さすがに食ってかかったのは、キィエちゃんだった。
お付きのベリィちゃんもクリム君も、ウェルノさんの余裕ぶりに唖然としている。
「まさか、今更それはないでしょう。この地に足がついた状況で罠に嵌めるくらいなら、海上で襲ったほうがよほど効果的よ。あれだけ魔物がいたのだし、海の魔女なのですからね」
「あ、貴女随分余裕なのね。何か知ってるんじゃない?」
何だか、ひどく動揺しているように見えるも、ある意味聞きたかったことを聞いてくれるレンちゃん。
「ええ、これでも結構博識なのよ。でも、理由を口にするより中に入って確かめてみたほうが早いんじゃないかしら」
対するウェルノさんは、どこまでも余裕を崩さない。
玄関口の段数の少ない階段に足をかけ、少しばかり煽る……挑発めいた表情を浮かべ、こちらを振り返ってみせて。
「それでも不安な子は船へ戻ってもらって構わないわ。ごちそうを食べ損ねてもいいならね」
「私が怖気づいてるとでも? っ、行くよ、キィエ、ジストナっ」
「……ええ」
「まぁ、お昼たべられないのはやだもんねぇ」
発せられるはベタな挑発、ベタな反応。
そのあまりにも紋切型な展開に、緑一点(おれっちはのぞく)で不機嫌であったクリム君の仏頂面にも、笑みが浮かぼうというもので。
「討伐依頼って、何だったのかしらね」
そんな風にぼやきつつ、ごしゅじんと連れだって屋敷の扉をくぐるベリィちゃんの言葉が、何だかとても印象に残って……。
(第四十話につづく)