第十三話
「あっ」
誰何の声すら追いつけぬほどの早業。
もふもふを追い求める紳士として逃がすわけにはいかない。
ここ最近は無警戒の来る猫拒まずよりも、猫が苦手で近づくと涙目になって避けようとする、猫の残虐性をそそるものの方が病みつきになっているおれっちを前に逃げの一手を打つなどとは下策もいいところだ。
望み通り割り増しで泣くまでもふってやろう。
おれっちは馬鹿正直なままに欲望のままにキィエちゃんを追いかけていって……。
「……っ!」
森の雰囲気を変える、何かがおれっちの全身を撫でたのはその瞬間だった。
ふと顔を上げれば、木々の枝葉が、橙に染まり始めた空を覆い、闇を近づけさせている。
いつの間にやら随分と森深くまで来ていたらしい。
だが、変わったと感じたのは、その周りの変化のせいだけじゃないようだった。
それは、世界を構成する魔力の変化。
元よりただの森とは一線を画していたそれが、より濃くなってゆく感覚。
(誰かの『領域(アジュール)』にでも入ったか……?)
『領域』。主に魔法に長けたものが扱う、自分に都合がよくなる世界。
ユーライジアでは、それこそ世界を救う英雄クラスの魔法使いか、『神型』の魔精霊、世界を創る根源魔精霊など、ごく限られたものにしか扱えないものだ。
まぁ、そこまでのものではないのかもしれないし、ごしゅじんもヨースも扱えたので、そうそうびっくりする事でもないのだが……。
「わ、追いかけてきたぁっ!」
おそらくキィエちゃんには初見だったのだろう。
あるいは、それほどまでに気が動転していたのか。
よりにもよって、その領域の中心へ中心へと進もうとする。
「……っ」
これはふざけて追いかけるべきではないと、おれっちは一瞬躊躇って。
まるでその隙をつくみたいに上空、森の枝葉を縫うようにして聞こえてきたのは、何か大きなものの高速の羽音。
明らかに、領域に足を踏み入れんとするキィエちゃんを狙っている。
おれっちは、止まりかけていた四肢に、もう一度喝を入れ、キィエちゃんを追いかける。
だが、そんなキィエちゃんを捕らえたのは、その羽音の正体の方が一足早かった。
「えっ!?」
流石に第三者の横槍に気付いたらしく、キィエちゃんは体勢を低くし、上空を見上げる。
そこにいたのは、虹色の羽をぶれるほどにはばたかせた人型の妖精か、天の使いか。
それらを模したぬいぐるみだった。
だが、その手に持つ小さな槍のようなものは、本物に見えた。
ボタンでできたうつろな瞳は、侵入者であるキィエちゃんただ一点を向いていて。
振り上げられる槍。
だが、キィエちゃんもそれに対すべく気付けば構えを取っていた。
おれっちが今まで見てきた中でも、そこそこの実力者であろう、キィエちゃんの雰囲気。
その拳に集まるのは、『雷(ガイゼル)』の魔力か。
キィエちゃんは、直線的で単純な槍の攻撃をいとも簡単にいなしてみせ、返す刀でその拳を打ち込む。
バチィッと乾いた音がして、声もなく吹き飛ぶぬいぐるみ。
おれっちが介入する隙さえない素早さ。
やるねぇ、なんて思わず口笛吹きそうなおれっちであったが。
とたん、不快なほどの羽音の大群が生まれる。
「うわっ」
驚きの声をあげるキィエちゃんの視線の先には、夥しい数の羽と槍をもったぬいぐるみたち。
「数で攻めるって? 上等だぁっ」
だが、キィエちゃんは怯まなかった。
むしろ楽しげな笑みすら浮かべ、更に魔力を高めようとする。
「……っ」
いけない。
その瞬間、おれっちは彼女を止めなければいけないという衝動に襲われる。
それは、七つあるおれっちの特技のひとつ、『猫のしらせ』だ。
故郷が平和になってからは、とんと使わなくなったもの。
ごしゅじんと出会ったばかりの頃は、しょっちゅう危険な目に遭うごしゅじんに辟易しつつも、随分と重宝したものでもあった。
まぁ、自分の意思で操れるようなものでもなかったけど。
従っておれっちは、今度こそとばかりにキィエちゃんに向かって突貫してゆく。
おそらく、この群れなすぬいぐるみたちは、数が多くともキィエちゃんの脅威にはなりえないだろう。
だが、止めなくてはいけない。
しらせてくれたのはそのこと。
それは、言い方は悪いがキィエちゃんのためじゃなかった。
何故なら『猫のしらせ』は、おれっちの使える主、ティカに対して発揮されるものだったからだ。
「みゃぉんっ!」
「え? ちょ、こんな時にやめっ、ひゃぅんっ」
おれっちは、ぬいぐるみたちに意識を集中させていた一瞬の隙をついてキィエちゃんの首もとへ抱きつくように飛び込んでゆく。
うなじのくすぐったい部分に顔を寄せれば、可愛い悲鳴。
おれっちはそれをじっくり堪能……じゃなかった、そのまま『猫の隠れ家』を発動。
見た目が闇色の幕に見えるものが、おれっちが飛び込んだ勢いで倒れこむキィエちゃんをもれなく覆っていって……。
ぬいぐるみの大群たちは、辺りをきょろきょろと見回すような仕草を見せた後、それぞれがそれぞれの持ち場に帰るかのように、霧散してゆく。
「く、くすぐったいよ、は、はなれてっ、ボク猫だめなのぉ、じんましんがっ」
「みゃぅ?」
だが、キィエちゃんはそれに気付く余裕すらなくなっていたらしい。
もうほとんど涙目でそういう彼女に、おれっちは無垢な子猫らしく小首をかしげてみせる。
何故なら、キィエちゃんの言うじんましんなど、どこにもないからだ。
ふふふ。高潔なるオカリー一族のお猫さまであるおれっちを甘くみるなよ。
そんな弱点(女の子に嫌がられること)などとうに克服ずみよっ。
子猫なおれっちを怖がる子をいじめたくなるのは性だが、かといって傷つけたいわけではないからな。
でもまぁ、これ以上もふり続けるのも、かわいそうだろう。
おれっちは『猫の隠れ家』を解除し、すぐさまキィエちゃんから離れる。
「あ、あれ? なんともない。なんで?」
「みゃみゃん」
起き上がり、不思議そうにおれっちを見てくるキィエちゃん。
それにそうだろうそうだろうと得意気になっていると、おれっちの気配を辿ってきたのだろう。茂みをかき分け顔を出すごしゅじんがそこにいた。
「キィエ今こっちに魔物が……って、あらまぁ」
「涙目に尻餅って。始めてみたよきーちゃんのそんな姿」
「うぅ~、そんな目でみるなぁっ」
ニヤニヤと笑みを浮かべる友人二人に対し、真っ赤になってうめくキィエちゃん。
それに釣られるようにおれっちも笑みを浮かべていると、いきなり猫もち点を掴まれ掻っ攫われる。
冷たくて細くて、だけどやわらかい。
おれっちはその手がごしゅじんのものだと分かっていたので、されるがままだらんとなって、そのまま低位置につく。
「駄目だって言った……」
少し、すねた様子のごしゅじん。
それが、勝手に離れたことなのか。
勝手に他の女の子をもふりにいった事へ対してなのかは分からなかったけれど。
ぎゅっとされるその感覚は、何度味わっても生きていてよかったなんて思い知らされるのには十分な威力を持っていて……。
(第十四話につづく)