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第三話




 思い立ったが吉日ということで。夜もすっかり更けた頃。
おれっちの魔力を構成するその一つでもある月明かりの中、おれっちたちは『スクール』の裏山へと向かった。
一昔前までは、ここにはたくさんの魔人族がいて。
彼らが人間族と共生する形で、暮らしていた場所でもあった。

でも今は、そこで暮らすものは野生の魔精霊や魔物たちくらいだろう。
スクールでは、実践授業用の『グラウンド』、なんて呼ばれていたりもする。

その、傾斜のある山道を、赤仮面を先頭に頂上目指して登ってゆく。
せっかく、魔人族としての翼があるのだし、風の心地良い星の瞬く空の遊覧にもってこいじゃないかな、なんて思うのは、きっとおれっちに翼がないせいなんだろう。


それでも、ごしゅじんに抱かれたままらくちんなおれっちは、ほとんど労せずに目的地へと辿り着いた。
おれっちとしては歩いてもよかったのだが、赤仮面曰く、ごしゅじんに抑えていてもらわないとおれっちが何しでかすか分からないなんてその通りのことを言うもんだからやむを得ず、というやつだ。



「ここが……『風(ヴァーレスト)』の廃教会?」
「ああ。ただ、これは真実を覆い隠しているにすぎないがね」

問いかけるごしゅじんに、あえての作った、赤仮面のそんな言葉。
見上げれば、確かにそこには蔦に無造作に覆われ、ひび割れ崩れ落ちた煉瓦の散乱する、打ち捨てらてれた教会があった。

かろうじて折れないですんでいる時計塔のてっぺんには、『風(ヴァーレスト)』を象徴する、音符を掲げた十字架が見える。


「隠す……?」
「そう。かつて魔王の軍が世界を滅ぼすその引き金として狙っていた場所がこの下にはあるんだ。だから隠されている。今ではもうほとんど公然の秘密のようなものだがね」

それでも他のものには内密に、といった仕草をして、赤仮面はその扉を開け放つ。
軽い身のこなしで中に入っていく赤仮面に続けば、そこには月明かりに照らされたステンドグラス、細長く広い身廊。
中央奥に捧げられるは、世界を創りし十二の神の一柱、風の根源間精霊、ヴァーレストの像。
そして、その左脇にそれとなく存在感を放っている大きなパイプオルガンがあって。


赤仮面は、何の迷いも無くそのパイプオルガンに近づいていく。
魔人族のものは、俗に覆滅の魔法と呼ばれる、魔人族だけが使える、強大な力を秘めたマジックアイテムを持っている。

それは楽器に酷似していて。
だからといっていいのかどうかはわからないけど、総じて彼女たちは楽器の演奏がうまい。
かく言う赤仮面、というか『夜を駆けるもの』も、それで日銭を稼いでいるなんて話を思い出して。

一曲演奏でもしてくれるのかなとちょっと期待したが。
赤仮面は鍵盤に触れることはなく、そのままパイプの後ろに回って何やらごそごそと怪しい動き。

何をしているんだ、なんて問いかけるより早く。
轟音立てて開かれるはヴァーレストの像を挟んで反対側。
いつの間にやら、ぽっかりと四角い闇がそこにはあった。
ごしゅじんがそこへ歩み寄ることで見えてきたのは、地下へと続く石階段。



「世界の中枢へようこそ」

赤仮面は、まるで自分がこの場所の主であるとでも言わんばかりに、そんなことを言った。
まぁ、ほとんどそれに近いといっても過言ではないわけだが。

その石階段はそれほどの長さじゃなかった。
明かりの届かない、完全な闇に閉ざされたのはほぼ一瞬。
すぐに、階下からの光が石階段を七色に染めているのが分かって。

辿り着いたのは、屋根のない四阿、その真ん中に虹色の渦巻く光のある場所だった。
おれっちは、その虹色に光るものに見覚えがあった。


―――『虹泉(トラベルゲート)』。

広い広いユーライジアの、離れた場所同士を一瞬で繋ぐことのできる、世界髄一と呼ばれるマジックアイテムだ。

だが、それはおれっちがいつもスクール内でよく目にするものとは毛色が違う気がした。
大きさ、光の度合い、どれか一つとっても規模が違う。


「お察しの通り、これが異世界へと繋がる虹泉さ。優秀な『ステューデンツ』は、これを使い様々な世界へと派遣される。その世界を救う勇者としてね」


それは、スクールへ通うものの、憧れの的。
それを考えれば、ヨースがされた仕打ちは、逆に名誉なもののように思えたが。


「ヨースが向かったのは、どんな世界なんだ?」

単純に考えて、平和な世界ではまずありえないのだろう。
ヨースの安否というより、ごしゅじんのためにとおれっちはそう聞いてみる。
すると赤仮面は、どこか考え込むようにしばらくだんまりを続けていて。

「『ジムキーン』、という世界さ。かつて一人の強大な魔王が支配していた世界でもある。今は、どうなっているか分からないがね」
「ジムキーン……」

やがて吐き出したその言葉に、はっとなって反応したのはごしゅじん自身だった。


「ティカ、知ってるのか?」
「……父さんの故郷」
「なんと」

それはそれは奇妙な縁というかなんというか。
彼女たちの母は、魔人族でありながら、このユーライジアスクール、世界の中枢を守る重要人物だった。
だが、彼女はその重い使命に嫌気がさす形で、このユーライジアと袂を分かったのだという。

その裏に、夫の存在があったのは確かで。
生涯の伴侶となる人物とは、その袂を分かった先で知り合ったようだが。

まさか異世界であったとは思いもよらなかったな。
まぁ、それがきっかけになって人間族と魔人族の対立が始まり、姉妹である彼女たちがそれぞれ分かれ敵対する、なんて羽目になってしまったわけだから、おれっちから言わせれば迷惑甚だしいわけだが。


その対立が収まった今、世界の中枢を守る役目を負っているのは赤仮面の彼女だった。
ごしゅじんが、自分が幸せになる資格なんてあるのかと考え悩むのは、そんな彼女のこともあったのだろう。

まぁ、おれっちからしてみればそんな仮面なんぞかぶって外をぶらぶらしてる時点で、あんまり気に病むことでもないんじゃないのかなって思わずにはいられないのだが。

彼女は彼女で、宿命負いながらも決して不幸せなわけじゃないのだ。
なぜなら彼女には、世界で一番強い『ステューデンツ』の彼氏(つれあい)がいるのだから。

彼女専用の、彼女を守るためだけに存在する英雄。
その溺愛っぷりは、見ていて甘い砂で窒息死しそうな勢いで。
って、話が逸れたな。元に戻そう。


「それはそれは粋な話じゃないか。親の馴れ初めの地で待っていてくれてるなんてさ」
「……」

ちょっぴり、やっぱりおれっちって邪魔者の何ものでもないんじゃないかなって思ったんだけど。
さっきからおれっちの発言に対する二人の反応がおかしいというか、外してるって感じが否めなかった。

自覚のない失言をしてしまったかのような、そんな感覚。
おれっちがそれにさすがに戸惑っていると、それを察したのか、やさしく首回りを撫でるごしゅじんの手の感覚があって。

「だといいがね。ヨースのことだから他の女性を追いかけている可能性もある」
「……それは、ヨースの自由だけど」
「いででででっ、ごめん、ごめんなさいぃぃ!?」

話題を変えようとか、そういう意図もあったのかもしれない。
からかうような赤仮面に、言葉とは裏腹の絞られるかのような腕の力。
どこか自分が責められている気分になって、悲鳴を上げつつ謝り倒すおれっち。


「あ、おしゃ。ごめん」
「い、いや、べつにいいけど」

それにはっとなったごしゅじんが、じゃれるみたいにおれの自慢の一張羅をかき回す。
どことなく怒ってる風のその雰囲気に、おれっちはちょっぴり震えながらそう言うしかなくて。

「ふふ。愛されているじゃないか。……さて、準備がよければそろそろ出発してもらってもいいかな。この場所でも、長い時間私以外のものがいれば守り神がでしゃばってくる可能性がある」


意味深長にちょっと笑って。
赤仮面は気を取り直すようにしてそう言うと、虹泉の後ろにある大きな大きな扉(気付いたのはたった今だったけれど)を指し示し、そんなことを言う。

何でも彼女が言うには、世界の中枢と呼ばれる本当の場所は、その扉の奥にあるとのことで。
そこには虹泉のハザマに棲むといわれる、『クリッター』と呼ばれる魔獣がいて、おれっちみたいのなんか息吸う感覚でぺろりらしい。

そんな簡単にいくかよと鼻息荒くなるおれっちに対し、慌てたのはごしゅじんのほうだった。
用意した旅の道具を忘れていく勢いで泉に飛び込もうとする。

おれっちは、それをちょっと待ってくれって制すと、最後の餞、とばかりに赤仮面に聞いた。



「なぁ、結局その仮面つけたまんまだったけど、何か意味あるのか? まさか、正体がバレてないなんてお前さんだって思ってないだろうに」


そう言いつつも、おれっちの中にはもう答えがあった。
世界の中枢を守るというその立場上、たとえ妹とておおっぴらにおれっちたちの助けになるわけにはいかないのだろうと。
ならば何故聞いたのか。たぶんおれっちは、赤仮面が気の利いた言葉の一つも返してくれるって期待でもしてたんだろう。


「旅の水先案内人として形から入った、といいたいところだが。これでもこの国の姫と呼ばれる存在の一人なのだよ。特に夜はね、簡単にこの姿を晒すわけにはいかないんだ。外出時の正装といってもいいかもしれないね」


それは実に突っ込みどころの多い言葉だった。
たぶん嘘ではないのだろうが、となると急ごしらえの赤ペンキはなんなのだという話になるし、それを真に受ければ、おれっちを抱えるごしゅじんすらもそんなけったいな変装一式を身に着けなければいけなくなってしまう。

そもそも、今は草木も眠る真夜中なのだ。
事実、ここに来るまで誰一人会うこともなかったのだから、やっぱり意味がないような気がしたけど。


(おれっち……いや、ティカに姿を晒せない理由でもあるのか?)

おおっぴらに手助けできないって言う理由とは別のものが。
そんな風に考えて、何気に視界に入るは、赤仮面が守るようにしてそこにある大きな扉。


「……っ」

おれっちは、そこで初めて今まで失念していた大きなことを思い出した。
世界の中枢を守る役目を負うということは。これすなわち世界の中枢に座す人柱になることで。

本来なら、ごしゅじんがやらなければいけない宿命だった。
故にごしゅじんは自分だけ幸せになって良いのかと自答していたのだから。

となると、今ここで会話している人物は誰なんだ?
気配……その人を識別する魔力は、間違いなくごしゅじんの妹のものなのに。

物理的に彼女がここにいるのはありえないはずで。
それこそ魔力、魂だけの存在か、分身となる使いの魔精霊か。

色々なことが想像できたけど。
考えているうちに、おれっち自身の中でその答えが出てしまった。
それは、正体が何者であるにせよ、ごしゅじんのためなんだろう。
彼女は、少しでもごしゅじんの負い目にならないように、そんな曖昧で奇抜な格好をしているのだと。

《まったく、ティカの周りにはお節介やきが多いな》。

ごしゅじんにも、妹ちゃんにも分からないように。
おれっちは猫語でみゃぁみゃぁとそう呟いて。


「彼は、なんて?」
「……その格好、似合わない。可愛い顔隠すのもったいないって」

猫語が分かるのが当然だといわんばかりにそう聞いてくる赤仮面に。
ごしゅじんは迷ったあげく、そんな見当違いの、だけどごしゅじん自身の本音を口にする。


「か、かわっ」

すると、そのどこか芝居がかった口調も崩れ、あからさまにどうようしてみせる赤仮面。
確かにその通りだ。
ごしゅじんも言うようになったじゃないかって、更におれっちは声をあげる。

「素顔を見せるのは一人でいいって? ……ごちそうさま」
「……っ」

更に続くごしゅじん独自の解釈に、赤仮面ばかりかおれっちさえ息をのむ。
なんて言えばいいのか。
姉ぶっているごしゅじんが凄く新鮮に見えたんだ。
今こうして暗い牢獄から立ち上がったように。

ごしゅじんは変わり始めているのかもしれない。
ずっと傍で見てきたおれっちとしては、そんな益体もないことが何だかとても嬉しくて。


「それじゃあ、いってくる……」
「あ、うん」

それは、赤仮面の彼女にしても同じだったのかもしれない。
仮面越しでも、口をぽかんと開けて呆けている様子がよくわかって。

それに、ごしゅじんは僅かに笑みをこぼして。
おれっちを抱くその力が、僅かに強まって。
そのままごしゅじんとおれっちは、七色に輝きたゆたう虹泉の中へと飛び込んでゆくのだった。


「……頑張って、お姉ちゃん」

そんな、赤仮面の彼女の小さな小さな声援を、背に受けて。


               (第四話につづく)



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