バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

暗 影.2


 買い物は手に入れた銅環(どうかん)で対処した…――
 連れがこの通りなので、(くし)だ、(かがみ)だ、洗髪洗剤の好みがどうだと、かなりまで消費されたが……それはそれとして。
 金融および両替を(あきな)いとしている建物に足を向ける。

 少し提示する《法貨》を銅の単位で複数にするか、上位単位にして一枚で済ませるかで迷ったセレグレーシュは、この先、通る予定の人里の価値観……相場(そうば)比較(ひかく)予想するにあたって、この街である程度、まとまった額を両替しておいたほうが(とく)だと判断した。

 とはいえ、あまり多くを見せるのも危険なので、たまたま法貨が手に入ったというように、景気よさげな上機嫌顔をよそおって、水晶貨(すいしょうか)を二枚だけ手頃な形に変えてもらう。

 そして、後回しにし続けていた遅い昼食をとることにした。
 食事の前に()を増やすなど、いささか段取りが悪いが、現場の流れである。

 その頃には、かなりおなかを空かせていたらしい女稜威祇(いつぎ)は、ほかより清潔そうだという理由で素材厳選の高級店を選んだ。

 この街には、(くだ)いたテカテカのタイルが壁に(ほどこ)されたパステル調の建物群がところどころにあるのだが、そちらと様式をおなじくする店だ。

 使われているタイル片は、ばらばらのようでも統一感のある同系色で組まれ、上にむかうほど、より淡く、実際の高さより高層に見えるよう工夫されている。

 カンテラをひっかける部分や扉の取っ手のちょっとしたところに、陶磁器(セラミックス)による螺鈿(らでん)風の細工がみられるシャミールの建築様式。

 うわ薬のきいた陶器製の窓枠のむこうに、白い陶器(焼き物)のミニチュアがあるのが見えた。

 男の子が上半身をのぞかせている森の泉のほとりで、甲冑を着た騎士や支配階級と思われる一家(もしくは旅行者)が晩餐(ばんさん)しているようすだ。

 模型のテーブルとしてそえられている倒木のかたわらには、人面の仮面をかぶった前足が二(つい)ある六足の魔獣のミニチュアもある。

 店の名は《バナスパティ》。

 おそらくは、シャミールのそうおうの階級人・御用たしの店だろう。

〔ここ、見るからに高そうなんだけど……〕

〔のぞいてみたら白身魚のソテーが美味しそうだったの。《キーリク》の《ワイン》もあるし。お昼は、それにする〕

 闇人の言うことである。どうやってのぞいたのかはさておいても……
 その人は、お金で苦労したことがないのに違いなかった。

 自身の嗜好(しこう)の前には、散財(さんざい)することにためらいがなく、計算して言っているようにも見えない。

 こういった店は清潔で設備管理がいき届き、サービスが過剰なほどなので、安心して馬をあずけられるという特典――どれもこれも、恵まれた有力者に対応する上で磨かれたクレーム対策にして気づかい(配慮)――があったりするのだが、とにかく一品、一品が高いのだ。
 上層クラスの店にも、いろんなタイプがあるが、女稜威祇(いつぎ)の反応から予測するに、目の前にあるのは、その典型のように思えた、のだが……。

 …――。

 差しだされたメニュー表には、(しゅん)で変化する定番の品が書き連ねられていた。

(…――……。安くはないけど、ほどほど良心的な価格かも……)

 セレグレーシュが、お品書きをのぞきこんで意外そうな表情(かお)をしている。
 それをよそに。
 女稜威祇(いつぎ)が、この状況に慣れてでもいるかのような(おもむき)で口頭をきった。

〔《ワイン》は、《キーリク》産の白にして。白身魚のソテーと……。あと、パンにいろいろ(はさ)んだあれは、どんな料理なの?〕

 テーブルをおとずれていた男性スタッフは、聞きなれない言葉の連ねを耳に、ひくりと表情筋を(こわ)ばらせた。

「キーリクの…――ワイン? でございますか?」

 すぐにも日ごろの接客姿勢をとりもどし、唯一ひろえた単語から、それと連想された憶測をもとに確認の言葉を繰りだす。
 こころなしか、女稜威祇(いつぎ)の反応の変化をうかがうその男の視線が鋭い。

「そちらのワインでしたら、ただいま六種類ほどそろえてございます。年数はそれぞれで……赤が二種、赤紫()とルビーでございます。さらに、白、黄金。そして稀少な(あお)が手に入りまして――…葡萄(果実)をもとにした(あお)のコンフィチュールも……」

〔白と言ったでしょう? 聞いていなかったの?〕

「失礼ですが、お客さま。どちらのご出身……いえ、ご使用のそれはどちらの言語でございます?」

「話せるんだから、通じる言葉使えよ」

 テーブルを訪れていた男性従業員がとまどうのをかたわらに。ため息まじりに注意したのは、彼女とむき合う位置に同席しているセレグレーシュである。

〔どうしてわたしが合わせなきゃいけないの? わからないのなら、わかる人をよこせばいいのよ〕

「このへん、その言葉、通じるやつ、あまりいないから」

〔あなたは、わかるじゃない〕

「そんなの……。…オレは、教わったからな」

 言葉をつまらせながらもセレグレーシュは、無難そうな(うそぶ)きで受けながした。

(まさかとは思うけど、この人、知らないのかな? 習う習わない以前の問題で…――闇人の言葉には霊的な(いん)があって、正確に聴きとるにも使うにも適性がいるのに……)

 周辺の耳を気にしながら、こっそり腹の内で思案する。
 離れた席で、お茶している者の姿もあったが、食事時を過ぎていたのは、(さいわ)いだったかも知れない。

〔そうみたいね。得意って聞いたわ。じゃあ、あなたが橋渡(はしわた)ししてちょうだい。わたしは、こっちの方が使いやすいの〕

 そうするのが当然と言わんばかりの主張だった。

 そこでセレグレーシュは、表情をあらためて慎重に問いかえした。

「それ拒否したら、減点されるの?」

〔減点?〕

 女稜威祇(いつぎ)は、不可解そうに彼を見たが、ふっと、合点がいったような顔をした。

〔ぁあ、試験のことね〕

 返された呟きは、かろやかに響いて深刻さがまるで感じられない。

〔あなた……。まじめに試験、受けるつもりなの?〕

「ふざけてたら落ちるだろう。やるだけやって、ダメだったらしかたないけど……」

〔…そう。なら、そういう(ゆう)手もあったわね〕

 弱みを手玉にとるような、逆らいがたい発言である。

(墓穴……掘ったみたいだ…)

 審査役に抜擢(ばってき)された人物が、そういった事情や節度を理解していないとは思えないのだが、結果として、力関係を自覚させることになったのかも知れず……。
 セレグレーシュは、うっかり口を滑らせたことを後悔した。

 その後は、連れと店員が使う言語の違いを(おぎな)いとり持つことで、彼は、やたらくたびれてしまった。

しおり