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暗 影.1


 たほたほと馬を進めること、四分の一日ほど。

 青磁色の髪の少年と、お嬢さま然とした碧い眼の女稜威祇(いつぎ)は、流れる川の両岸に居住区を広げるにぎやかな市街にはいった。

 真昼をかなり過ぎてから、たどりついたその都市の名は、

 シャミール領リーデン・シュルト——

 直線で結ぶと、《法の家》から南の方角にある人里として、もっとも近くに位置する都市だ。

 森の道を知るものは多くない。
 通常であれば越えることが困難なその森を迂回(うかい)し、《千魔封じの丘》の北に敷かれた単一の主用路を利用するものなので、行路(こうろ)上は、最短(の街)でもないのだが……。
 街道ぎわに位置するため南方や東方面(その方面)から《法の家》を目指す者がよく足をよせる中継ポイントにはなっている。

 小国家シャミールの最北の飛び地でもあるこの街は、今日(こんにち)宗主国(その国)のかけ離れた関所として機能しているが、それ以前から《法の家》と交流の浅くない産業都市でもあった。

 淡いピンク系の建物が多い地区も少なくなく、遠方から迷いこんだ者が、神鎮めの本拠地と勘違(かんちが)いすることもあるその街の歴史は、いま従属(じゅうぞく)している国家よりも古く、神鎮め文化が生まれた頃にまでさかのぼる。

 ずっと独立しているようなかたちで存在していたその都市は、二〇年ほど前――。某王国の御家騒動にまきこまれたことで、混乱の中に併合(へいごう)されたのだ。

 そのおりシャミールは、生活物資などの交易で、この街と交流のあった《鎮めの家》をも配下におこうとして、周辺諸国の失笑と反感を買っている。

 力ある種族の後ろ盾のもとに。いまだ多くの空白地を残す大地に平穏をもたらした技能と知識——

 それを望み、行動したのは、シャミールが初めというわけでもなかったが、絶大な影響力を持つ組織を手に入れようとし、なおかつ失敗したことで、彼の王国には、ごく最近、法に逆らったものとおおっぴらに語られる賊軍的な汚点がのこされた。

 国家間の争いには、不用意に関与しないことを宣言している《法の家》は、懇意(こんい)にしていたこの街が併合(へいごう)されても傍観(ぼうかん)するのに(てっ)し、周辺の国々から『街を家に返すべきだ』という意見があがろうと、その時流の声に流されることはなかった――もとより、自治都市だったもので、法の家のものではない。

 どちらに味方するでもなく、『支えるものを(かろ)んじ、踏みつけにするものの治世は永くない』と、釘をさすように説いただけだ。

 それをきっかけにリーデン・シュルトは、支配国が持ちだした政策に不利益を感じるたび、《法の家》を頼るようになった。

 地理的な条件も手伝って、圧制的な暴挙はとおらず…――、
 いまも《法の家》の影響力(意見を口にするだけだが)が弱くないこの街は、シャミール王国にとって、遠く隔絶(かくぜつ)された最北の領地でありながら異国でもあるような、あつかいの難しい所領となっていた。

 権力と産業力がぶつかり、からみあい、ほどよい(なぎ)が生まれるところ。

 ヴレス川の南に築かれた要塞を軸に、軍事的な秩序(ちつじょ)規律(きせい)()くいっぽうで、川の北には、従来の市民区を残し、さらなる躍進(やくしん)を続ける街、リーデン・シュルト。

 それは監視者(かんししゃ)のごとき中立不動の龍と、豊かさを求め、影で爪を研いでいるような虎——両者を拒絶することなく()かすことで活かされ、急激な成長をとげた、利得者がはばをきかせる一大都市であった。

(…よさそうな街だ)

 政治的背景がどうあれ、いま、その街に住む気などないセレグレーシュとしては、そこそこ安全で物資が手にはいり(やす)ければ、いい街なのだった。

 馬を二頭連れながら、道なりに(ひら)かれている市場(いち)(あゆ)む彼は、青と灰と黄の斑点(はんてん)がひらめく赤ワイン色の瞳を物見高く輝かせている。

〔羽根をのばしている暇などないわ。食事したら、すぐに出るわよ〕

〔ここで足を止めておかないと野宿することになる〕

 いまも馬上にある女稜威祇(いつぎ)は、青々としている空を見あげた。

〔まだ、お昼すぎよ。天気もいいし、陽が落ちるまでかなりある。進めるわ〕

〔オレは、どっちでもいいけど〕

〔行くわよ〕

〔行くなら必要になるものもある。食料……買っていくだろう? 考査前から、オレが独力で現地調達ってことはないよな?〕

〔そうね。おなかも()いたし、退屈してたの。おやつくらいは、持ち歩いてもいい〕

(おやつ…)

 そのような贅沢(ぜいたく)とあまり縁がないセレグレーシュは、風変わりなものを見るような感覚でふりかえった。

〔あれがいいわ〕

 目にとまるものがあったらしい。

 身軽な動作で馬からおりた女稜威祇(いつぎ)は、それと目指した店先で、クリームの上にスライスした木の実と果物がのった食べきりサイズの焼き菓子をゆびさした。

〔それを、ふたつちょうだい〕

「ん?」

 陳列(ちんれつ)された商品の奥の一郭(いっかく)で串ざしの肉に香草の粉末をまぶしていた中年の男は、ちらと彼女を見たあと、()布巾(ふきん)で手をぬぐいながら人好きのする笑顔をみせた。

「おう、これはきれいなお嬢さんだ。なにか()りようかい?」

 女稜威祇(いつぎ)はというと――。

 相手の問いかけなど気にかけるようすもなく、そそくさと腰のベルトに固定されているバックを探って、中央に穴があいた銀色の硬貨を取り出した。

 これと店の男に差しのべられたのは、彼女の手のひらの二分の一ほどの大きさになる扁平(へんぺい)な円だ。

「…。小銭はありませんか?」

〔これでは買えないの?〕

「まさか、このへんの店をまるごと買い占めるおつもりで?」

〔そんなこと言ってないでしょう? そこのフルーツが乗ったタルトふたつよ。ほかは()らないわ〕

「お嬢さん。ここの言葉はダメなのかい?」

 むっと眉を(ひそ)めた女稜威祇(いつぎ)だったが、さほど語気を強めることなく、()めた表情で言い返した。

〔あなたこそ。言葉もわからないの?〕

「ちょっと、待て」

 馬を二頭連れたセレグレーシュが両者のやりとりにわって入る。

〔小銭がないなら、先に両替商に行ってくずしてもらおう〕

〔こまかいの? こっちのこと?〕

 ごそごそと腰のバックをあさった彼女が、これかとばかりにとりだした赤茶色の小箱をあけてみせた。

 そこに、穴のない直径二五ミリほどの銅色と無色透明の貨幣が、合計六列。整然とつめこまれている。

〔もうひとつあるわ〕

 さらにとりだされた同サイズ・色違い――きなり色(エクリュ)の小箱には、きっと銀と金の小銭がつまって――…
 と、そこまで考えたセレグレーシュだったが、

〔……いや〕

 彼はため息まじりに軽く手をふって、連れの過ぎる行動を(せい)した。

〔そっちはいい〕

 連鎖的(芋づる式)に想定された単位は、市民感覚では、めったにお目にかからないものなので、それはないようにも思われたのだ。
 あってもあつかいに困る額なので抵抗をおぼえて、とっさに目にすることも拒否した。

 小銭があるのに一般にはくずしにくい大金を使おうとしたり、闇人の言語で話しかけたり……。どうやら彼女は、このへんの文化にうといようだ。

 世の中、金に困っている人間がどこにいるともわからない。
 稜威祇(いつぎ)の彼女には、目をつけられても容易(たやす)()られない自信があるのかもしれないが、こんな往来で大金をちらつかせて歩いては、いらぬ面倒を呼びよせるだけである。

()して。オレが対処す(かたす)る〕

〔くすねないでよ〕

〔誰が盗むって? ……じゃなくて。君、お金の使い方、教わらなかったの?〕

〔…。なにか説明していたけれど……(価値(かち)とか(あたい)とか、順番とか…)。なにか起きても、これなら、だいたいどこでも通用すると聞いたわ。旅費で……これで食事とか必要を満たせって〕

(ちゃんと聞いていなかったんだな)

 相手のようすから容易(ようい)に予測できて、セレグレーシュは、そっと視線をおとした。

〔ここの言葉、話せないの?〕

〔家で使われているものと、ほぼ同じね。わかるけど、使ったことはないわ。必要ないもの〕

 知っているのなら、下手でも通じる言語を使えばいいのに、それをしない。
 通じなくても必要ないと断言するあたり、《家》の中しか知らない世間知らずのようである。

(人選ミスじゃないのか?)

 考査の審査役にむいた人材とは、とても思えない。

 セレグレーシュは自分の試験の先行きが不安になった。

 さらりふわりと。左右で躍動(やくどう)する金色の髪にかばわれている闇人には、()をとおしている自覚もないのか、意固地(いこじ)な表情もみせない。

 立ち食いにむいた軽食や惣菜のかたわらに、少しばかり。あまり日保(ひも)ちしない菓子が隔離されて並べ置かれているのを見おろしている。


 ――単価(ひとつ)銅環(どうかん)(ひら)※……—―(※〝まい〟も併用(へいよう)しますが、このタイプの貨幣の正式というか、一般的な数え方になります💦)


 ()の表示を見たセレグレーシュが連れに疑問をなげた。

〔カッパー・トーラスはいくつ持ってる?〕

()の形をしたものは、十(まい)よ。銀色は三(まい)。金色のは一(まい)しかくれなかったけれど〕

〔なら、ひとつにしておかない?〕

〔いいえ。ふたつよ〕

〔じゃあ、いいよ。小銭で(はら)うから〕

 そっけなくうけ負った彼が、店のほうに向き直る。

「そこの上段のタルトを、二個」

「へい。ありがとうよ、兄ちゃん。どうしようかと思ったよ」

 (どう)()が十枚では、ふたつは買えない。
 不明な部分を確認まではしなかったので、金と銀、水晶も含めた《()》の総数が一〇なのかもしれないが、いずれにしても()りないので、小箱の中から《水晶貨(すいしょうか)》を売り手に一枚さしだす。

 彼が手にしているそれは、一般のものとは比べものにならないほど純度の高い石英ガラスによ る合金貨幣(もの)だ。

 法具としても転用可能なそれは、容易(たやす)(くだ)けることもないし、とても軽量に仕上がっていて、見た目が似ていても一般製造の水晶貨の十分の一の重さもない。

 貨幣を受けとった店の男が、微妙な顔をしている。

 水晶貨に限らず、《天藍(てんらん)理族(りぞく)》が生産する貨幣――《法貨(ほうか)》は全般に軽量に仕上げられているのだ。
 それゆえ、その価値や素材の真偽(しんぎ)を疑われがちだが、軽いのにもかかわらず、多少の風で吹かれたくらいでは飛ばされないので、息を吹きかけて動くか(いな)かが《法貨》が偽物であるかどうかの判断基準となる。

 あんのじょう、店の男は、ひらいた手に乗せた貨幣に呼気を吹きかけた。

 二度、三度と(ため)して、本物と認識したようで、にんまりしている。

 ちなみに、その純度の高さ・軽量さにかかわらず、多少の風圧では不動という《法貨》の特徴を再現するだけの技術は、《天藍(てんらん)理族(りぞく)》にしか無いと言われている。

(それにしても……金の()の単位まで出すなんて…――あの《家》、金銭感覚がどうかしていないか?)

 お金と交換するかたちで手わたされた小袋の中味は、ひとつひとつが厚手の小箱で保護されていた。

 材料は安価なものの寄せ集めでも、食感や味を重視して手間がかけられているぶん高価で、栄養も(かたよ)っている。
 なかには栄養豊富なアイディア商品も存在するものだが、菓子類は、生きていく上で、かならずしも必要な食物ではない。

「貴族様のファンもいる、うちの目玉商品だ。昨晩焼いたばかりで、保冷・品質維持の処理もばっちりだ。味と鮮度は保障するが、ここから出したら(いた)むのが早いから、今日明日中に胃におさめちまってくれ。味も落ちるしな」

 万全を保証した店主の言葉を信じる(そのまま受ける)なら、保冷維持用の法具を(もち)い、その方面――《法具》以外に、心力投資する者への報酬(ほうしゅう)にも費用がかかっていることになる。

 置かれていたケースを意識して見れば、その背面に心力投資された法具の気配もあった――となれば、さほど高い買い物でもない。

 本人にそこそこの心力があったり、無償で投資してくれる隣人や身内があれば、後者の経費は不用になるので、人為費をふっかけている可能性はあるが…――処理している事実に違いはないので、そういった事例(ケース)もめずらしい事ではないのだ。
 セレグレーシュが見たところ、少なくとも心力投資したのはそこにいる男ではないようだ。

 いずれにせよ、お祝いやお土産、進呈・返礼目的でもなくば、暮らしにかなりよゆうのある者が口にする嗜好品(しこうひん)である。

(無駄づかいだな。ここじゃ《法貨》は高く取引される…――往来(おうらい)で相場論争するのも物騒だ。やっぱり、換金(かんきん)しに行くか……)

 交渉なくしては、外観がそのもので純度や性質を(こと)ににする貨幣の価値差を無視しても問題にはされない。その点《法貨》は非常に不利になる。

 このへんで流通している貨幣と法貨の《貨》単位の形状は、まぎらわしいことにデザイン(と材料の一片(いっぺん)/純度は別)がいっしょなのだ。

 くわえて《法貨》には、裕福な者が持つものという先入観がつきまといがちで、提示者が声をあげなければ、差分はチップとして(ふところ)に納められてしまう流れが一般的になっている。

 市場(しじょう)で確固たる取引格差が生じているにもかかわらず、より高価にあつかわれる貨幣の製造元である《法の家(作成にあたるのは天藍(てんらん)理族(りぞく))》が、表だって意義を唱えることもしないので、そのあたりが曖昧(あいまい)なまま放置されている。

 拘泥(こうでい)するかは、通常、使う個人に一任されるので、外部における交渉事例そのものは、少なくないのだが……。いちいち個別に対応することになるので、そういった手順を回避したいなら、前もって手頃なかたちに両替しておくのが一番だ。
 かけあう手間も一度ですむ。

 セレグレーシュは、手に入れた菓子の小袋を連れの女性に渡したあと、けっこうな重量の(さび)が見えるお釣り――十枚単位が三つと端数(はすう)に小分けされ、(ひも)を通されたリーデン・シュルト製の銅環(どうかん)・計三九枚(一枚一枚にそんなに厚みはないが、枚数が枚数なので()の重みと、ものによってはゆがみがあり、純度もそんなに高くない)を受けとり、小銭のつまった箱を手にしたまま、(ほか)へ足をむけた。

 彼としては、いまさら言及(げんきゅう)して、行き交う人の注意をひきたくなかった。

 交渉しなくても、一枚、心づけがあったようなものだから良心的な方である――おそらく釣り(せん)間違いではないし、法貨と認識したのなら、向こう(相手)が得をしている。

〔どろぼうだわ〕

〔え?〕

 どんぶり勘定(かんじょう)を抗議されたのか? はたまた、彼女が誰かになにか()られたのか…――?
 (きょ)をつかれて足を()めたセレグレーシュだったが、次の言葉で、その女人の発言の方向性を理解する。

他人(ひと)のお金で買い物する気でしょう?〕

 泥棒認定されたセレグレーシュは、不快を隠さず、負けじと目を(いか)らせた。
 
 不愉快ついでに、うっかり手にしたままになっていた小箱を相手につっかえす――と。条件反射だろう。
 女稜威祇(いつぎ)が、もそっと腕をのばして、無言でそれをとりさった。

〔ついでに必要な(いる)もの仕入れようと思っただけだ。糧食(りょうしょく)、持ってきてないだろ〕

〔お店で食べるから、いらないわ。無駄づかいしないで〕

遠征(遠出)するなら備えはあったほうがいいし、旅費……。これで食べ物、買っていいんだろ? 君が欲しがったものよりは割安で、日保ちして、役にたつものを買う。いま理解できなくても、そのうちわかるよ。昼、食べたら街を出るんだろ? 道すがらに貨幣の(あたい)、教えるから、今日のところはオレにまかせて〕

 かなり不満そうだったが女稜威祇(いつぎ)は、それ以上、抗議することもなく、彼の背中を追って歩いた。

 そうしていて……。

〔……忘れた〕

 衣料を展開する露店(ろてん)の前を通り過ぎようとしていた時、連れの稜威祇(いつぎ)が不意につぶやいたので目をむける。

〔着替えを持ってくるの、忘れたわ〕

〔は?〕

〔忘れたの。何日もかかるのだから、必要だった〕

〔一着くらい持って来なかったの?〕

〔(いろいろ考えてて、いっぱいいっぱいだったから……)そこまで頭がまわらなかったわ…。…。……思ったのだけど…〕

〔なに?〕

〔衣類は()てていくの?〕

()ててって、なんで?〕

〔だって、洗ってる(ひま)なんてないでしょう? すぐには(かわ)かないし、場所だって、洗剤だって…。あなた、洗濯できるの?〕

(ありえない、この(ひと)……)

 感想は別として。深く考えるのをやめたセレグレーシュが、充分ともいえない解決方法を口にする。

〔洗うのは手作業になる――(たち寄ったところに、その(たぐい)の手段があって金銭的なよゆうがあれば、依頼するって手もあるけど……)――洗浄活用の法具はないけど、乾燥に使える法具は持ってる。(修士以下の門人が持ちだし許可されるのは、高性能なものじゃないから)――威力はそんなでもないけど、眠る時間があれば(かわ)かせるよ……〕

しおり