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第十六話 人狼

 愛喜の命令を受けた人狼(ワーウルフ)は安室には目もくれず、真っ直ぐ才吉に向かって飛び掛かって来た。この獣は最初から、自分に殺気を向け続ける青年に狙いをつけていたのだ。
 その雰囲気を察知していた安室は、あらかじめ拘束魔法(バインド)を発動するタイミングを計っていた。しかし発動時のわずかな揺らぎを察知され、その攻撃はサイドステップひとつで軽く躱されてしまう。
 驚異的な反射神経。才吉はこれまでのように力をセーブできる相手ではないことを悟った。マナを全開で燃焼させ、全身の感覚と機能を強化して動きを追う。人狼(ワーウルフ)は魔法を避けた後、すぐさまその鋭い爪で才吉の体を引き裂こうと間合いを詰めていた。
 才吉は、敵の左腕の一撃をギリギリのところで躱す。体の軸がぶれぬよう、決して大げさには動かず、最小限度を心掛けた動き。即座に放たれた右腕の二撃目がツナギをかすめ、一瞬で引き裂いていく。微かに痛みが走るが、そんなものは眼中になかった。
 彼が注視していたのは、人狼(ワーウルフ)の人間族に対する侮り。野性の獣でさえ回避不可能な攻撃を、人間の若造がかわせるわけがない。そういった驕りともいえる侮りであった。
 そのことは、まさしく人狼(ワーウルフ)の大振りな左右の連打に表れていた。才吉は空振り直後のわずかな隙を見逃さない。ガラ空きの脇腹に向け全身全霊のフックを見舞う。インパクトの瞬間、鉄のように握り込まれた拳が鋭く突き刺さった。鈍い音とともに骨が折れる手応えを感じるが、もちろんそれは才吉の拳の骨ではない。
 だが次の瞬間、予期せぬ衝撃が才吉を襲い、視界が大きく揺れた。

「ぐっ!」

 顔の右半分が痺れ、耳鳴りがする。どうやら空振りしたワーウルフの右腕が燕返しのように振り戻され、才吉の顔面にヒットしたらしい。両者とも一歩退き、それぞれ痛みに耐えながら身構える。
 徐々に痛みが広がり始め、才吉は口の中に血の味を感じた。まさかあの体勢から裏拳を返されるとは。
 そのとき、様子を見ていた愛喜が驚きの声を上げた。

人狼(ワーウルフ)と互角に殴り合うじゃと? お主、本当に人間か?」

 彼女の顔には、もはや嘲笑は浮かんでいなかった。
 才吉の後方では安室が魔法とメイスによる連撃によって狼たちを圧倒していた。才吉に飛び掛かろうとする狼もいたが、あえなく彼女の拘束魔法(バインド)の餌食となる。時折、才吉自身にも魔法の影響が及んでいたが、彼はそのことに全く意識を向けていなかった。拘束魔法(バインド)は土属性第一層レベル。才吉の体に触れても吸収されるだけで済む。別の見方をすれば、それほどまでに目の前の人狼(ワーウルフ)に集中しなければ対処できなかったともいえる。
 才吉がそんな安室の気配を背中に感じ取ったのも束の間、再び人狼(ワーウルフ)が彼に襲い掛かる。今度は先程のような大振りではない。痛めた右脇腹をかばうように左前に構え、直線的で鋭い攻撃を連続で繰り出してくる。
 才吉は体や首のひねり、回転、足捌き、両腕のガードなど様々な手段を駆使して敵の猛攻を躱す。時折鋭い爪が体をかすめ、ツナギを破りながら強化された肌に赤い傷跡を残していく。
 突如、才吉の視界から人狼(ワーウルフ)が消えた。

「下か!」

 そう直感し、才吉が両足で跳び上がるや否や、足元の床を滑るように人狼(ワーウルフ)の回し蹴りが通り過ぎた。
 間一髪、躱したと思いきや、才吉の両足は着地寸前に人狼(ワーウルフ)の尻尾にさらわれてしまう。
 受け身と同時に、続け様に来る攻撃を避けようと反射的に体を転がす。案の定、才吉が倒れた場所めがけて人狼(ワーウルフ)の爪が突き立てられた。
 才吉は即座に旋風のように体を旋回させ、両足の蹴りで敵を牽制する。そしてそのまま両手で体を跳ね上げた。
 だが、着地と同時に人狼(ワーウルフ)の攻撃が迫る。息をつく暇もないほどの連続攻撃。その速度はあばら骨が折れていることを疑うほどであった。
 しかし、才吉の起き上がり際を狙った人狼(ワーウルフ)の一撃は、ここぞとばかりに力を込めたせいか若干振りが大きかった。才吉はとっさに膝を曲げ、姿勢を低くしながら敵の右ストレートをかいくぐる。そして体全体で前方に踏み込むと、そのまま右肘を相手の脇腹にめり込ませた。
 折れた脇腹への容赦のない一撃に、さすがの人狼(ワーウルフ)も苦悶の表情で呻き声を漏らした。よろけて後ろへと下がる人狼(ワーウルフ)に対し、今度は才吉が攻勢に出る。
 ガードが下がった敵の顔面めがけ鋭い蹴りを一撃。人狼(ワーウルフ)は頭部にクリーンヒットを受け、一瞬顔が仰け反る。それでも人狼(ワーウルフ)はまだ諦めてなどいなかった。
 才吉の足の引き戻しに合わせて、低い姿勢で体当たりを見舞ってくる。しかし脇腹のダメージが自慢の足を鈍らせた。そのタックルは才吉の膝蹴りに迎え撃たれ、カウンターの衝撃によって何本もの牙が折れる。口から血が滴り落ち、ついに人狼(ワーウルフ)はガクッと膝をついた。

「くっ! 何をしておるのじゃ! こんな、こんな人間のガキが人狼(ワーウルフ)に膝をつかせるじゃと?」

 愛喜の表情にはもう余裕はなく、慌てふためきながら右手の魔法を発動させて火蜥蜴(サラマンダー)へ指示を送り始める。そんな焦りに追い打ちをかけるように、安室の声が響いた。

「那須野くん、こっちは片付いたわ!」

 才吉がその言葉に気を取られたほんの一瞬であった。彼の喉元に残された牙を突き立てようと、人狼(ワーウルフ)が大きく口を開いて飛び掛かって来た。
 とっさに左腕で急所を守る才吉。牙が前腕の肉にめり込み、血が流れ出た。思わず呻き声が口から漏れる。激痛が走り抜け、骨がきしんだ。マナによる身体強化がなければおそらくは食い千切られていたに違いない。
 痛烈な痛みの中、ほとんど無意識に才吉の体が反応する。何の躊躇もなく右手の二本貫手が人狼(ワーウルフ)の左目を突き、同時に左膝は右脇腹に更なる追い打ちをかけた。
 人狼(ワーウルフ)の口が悲鳴と共に開いた瞬間、才吉はすかさず後方へと距離をとる。即座に安室は魔臓器から大量のマナを絞り出した。
 再び膝を落とすワーウルフに対し、彼女の第二層レベルの落岩魔法(ロックフォール)が発動する。大岩の直撃を頭部に受けた人狼(ワーウルフ)からは、断末魔の悲鳴さえ聞こえなかった。

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