二十五話 ぬいぐるみは柔らかい
「うー、納得いきませんこんなのっ。どうしてボクがっ。どうしてこんなことにっ」
真っ暗な夜の街。ふよふよと浮遊しながら文句を垂れるのは猫型ぬいぐるみ、名をパティ。現在人型である彼は、ゆるふわな髪の毛を風に遊ばせながら、夜の空を飛んでいる。
ふよふよ。ふよふよ。
浮く姿はまるで風船。しかしながらその体は人のもの。
げんなりと落ち込むパティに、屋根伝いに移動しながら、スーツを着込み、顔に猫型の仮面をつけたビビが文句を垂れた。「グチグチと喧しいですねぇ」と紡ぐ彼に、パティは短い悲鳴をあげている。
「その口縫い合わせてあげましょうか? どうせぬいぐるみなんですから糸通しても問題はないでしょう? あ、折角なので瞳と同色にしてはどうでしょう! 右と左で色分けしてー」
「結構です!!!」
咄嗟に口を塞いでそう叫んだパティは、ふと、そこで前方に進むのを止めた。何事かと彼を見たビビも、なにかに気づいたようだ。視線を己の前へと向けている。
「……見えますか、ビビの旦那」
「僕を誰だとお思いで? 見えてるに決まってるじゃないですか」
そう。見えている。
彼らの向けた視線の先、そこには一人の子供がいた。両腕に大量の玩具を抱えたその子供は、なにかに操られるようにひたひたと前に進んでいる。
「主様は子供を追えと言っていましたね」
屋敷を経つ前、主君に言われたことを思い出す。
子供を追え。怪しい子供を。きっとそれが敵のいる場所へと導いてくれる。ただし警戒は怠るな。子供はなにかに守られている存在だから。
「いいですねぇ。追うのは得意ですよ」
ひょい、と屋根と屋根との間を跳んだビビがそのまま駆け出す。パティが慌ててその後を追うも、なかなか追いつけない。普通の人間に魔法使いが劣るとはこれ如何に……。
なんとも言えぬ顔で前を走るビビを見るパティは、そこでハッとしたように横を見た。瞬間、凄まじい音をたて、その小柄な体が吹き飛ばされる。
「おや? ぬいぐるみくん?」
足を止めたビビは、その視界に黒い生き物を捉えた。
影ではない。しかし影によく似た巨大な生き物。
闇の中だからこそわかる。小さな縫い目が目立つそれは、一見すれば巨大な人形。
なるほどらこれが報告された玩具か。
納得したビビは、砂煙のたつ方を見る。
破壊された壁の目立つそこは、今しがた吹き飛ばされたパティが叩きつけられた場所だ。
「……あれなら大丈夫ですかね」
元より仲良しごっこをする気なんて端からない。死ぬ時はみんな死ぬ。助けるなんて時間を無駄にする行為、やる必要は無いのだ。
「そんなわけでぬいぐるみくん! 僕は先に行きますね! 検討を祈っております! どうかご無事でー!」
清々しいまでの薄情さである。
パティを見捨てて駆け出したビビを、黒い生き物はゆるりと見つめる。そうしてその手を伸ばそうとしたところで、どこから発生したのかも分からない、眩い光の輪に体が拘束され、謎めいた悲鳴をあげた。輪は徐々にその大きさを変え、生物の体を締め付けていく。
「うわっ、ぺぺっ! 口に砂入った! はー、最悪ですよもう。ボクがぬいぐるみじゃなかったら死んでましたよ、絶対」
ぬいぐるみは体が柔らかいものですから、と頭の上の魔女帽子を正したパティが悲鳴をあげる生き物の目の前へ。ふわりふわりと浮遊し、軽く目を細める。
「コレがボクと同じ……いえいえまあまあ、似ていると言われれば似ていますね。そこらじゅうツギハギだらけ。見た目は完璧、縫われたモノのそれだ」
だが容赦はしない。やる事はきっちりやって、そして帰って褒めてもらわなくては。
太ももに巻いたベルトよりチョークを取り出したパティは、「怨まないでくださいね」と一言。なぞるように、宙にミミズが這ったような文字を書き、カッと大きく目を見開く。
「ボクは天才なので。あなたなんてひと捻りです」
その言葉が発されると同時、文字が蠢き、巨大生物の体を締め上げた。ただでさえ光の輪にその身を細められていた生物が、痛みを訴えるように鳴く。
「玩具はかわいらしくあるべき。あなたもそう思いませんか?」
パチンッと軽やかに指が鳴らされ、その音に呼応するように巨大生物の体が弾け飛んだ。黒い粒。粒子になって消滅したそれに、パティはやれやれと言いたげに鼻を鳴らし、視線をビビたちが消えた方向へ。「頼みますよぉ」と呆れたような顔で願いを発す。
「失敗なんて許しませんからね、ビビの旦那」
まああれが失敗するとは思えないが、という言葉は飲み込んだ。