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一体どれほどの人が「時雨論」などと言うつまらないタイトルを見て読もうと思うだろうか。

きっと余程の暇人でもない限りこんなつまらなそうな話を読む気にはならないだろういや、暇人でもこんな話を読もうとは思わない。私だったら読まない。

何故「時雨論」などというタイトルにしようと思ったのか。どうせなら皆の興味を惹くようなもっと良いタイトルにした方が良かったのではないか。

私には思い付かなかった。考えるのが面倒くさかった。ただ、それだけの事である。退屈そうなタイトルではあるが、別に難しく退屈な話を書く訳ではない。

私には難しい話は書けない。だが、退屈な話になるかも分からない。もしかしたらもう退屈な話になっているのかもしれない。

さて、そろそろ本題へ移ろう。まず、自己紹介をしなければならない。私の名前はゆら。「時雨論」などというタイトルにしておきながら、何故私の名前がゆらなのか。

「時雨」とは関係無いではないかと思っただろう。だが、全く関係無い訳ではない。「時雨」はちゃんと関係がある。

ゆらの中に「時雨」という少女は生きている。ゆらの中でしか生きられない少女が
「時雨」なのである。意味が分からないだろう。

ならば私の事は頭のおかしい少女だと思ってもらって構わない。「時雨論」とはこういう頭のおかしい少女の話なのである。

因みにこの話で出てくる「私」とは
「時雨」の事である。いや、「ゆら」なのかもしれない。最早私にも分からない。

別にそんな事はどうでもいいのである。ただし、私は決して二重人格という訳では無い。「時雨」という人格ではない。

「時雨」という一人の全く知らない、会った事もない、本当にいるのかさえ分からないゆらが作り出した少女である。

上手く説明できず申し訳ない。私自身も書いていて意味が分からな過ぎて恥ずかしいとさえ思ってしまっている。

まぁ、とにかく私は頭がおかしく、恥ずかしい女なのである。

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