第3話 異世界生活の始まり
事情聴取が終わった俺は、しばらく住むことになるという部屋に連れていかれた。そしてその部屋の入り口には衛兵が立っていた。
タイガーは俺の警護の為と言うが、本当は監視なんだろうな。でも今の俺には何もかも分からなさ過ぎて脱走なんて考えられない。逃げ続ける生活なんて俺には無理だ。今はもっと話を聞いて日本に戻る手がかりのヒントを掴んだ方が良いと思う。
この部屋は元々近衛隊長用の部屋だったそうだ。
だがこの砦ができてから50年経つそうだが、一度も戦争が起きていないらしく、ずいぶんと昔に近衛隊は解散されたそうだ。
そして街を守る衛兵隊が結成されたが、その時の初代隊長が訓練場に近い場所に隊長室を作って移ってしまったので、そこからほぼ空き部屋になっていたそうだ。だからこの部屋は戦時を想定しているので見通しが良く街や街の外が良く見える、らしい。今は外も暗く街の灯りが見えてくるくらいだ。そして街の外と思われるところは真っ暗だ。
「他に何かあるか？」とタイガーから聞かれた。しかし今の俺はまだ頭が混乱していて質問すら思いつかない。
「いえ、特には。」
俺がそう答えるとタイガーは満足そうに頷いた。
俺はこの世界や国について学び、市中での生活に問題がないと領主から判断されたら、この部屋を出て街で生活できるそうだ。とにかく悪い評判が起きるようなことは避けるように言われた。
この部分だけを切り取ると、この国の人たちの故意では無く、俺は偶然この世界に来たことになるんだけど……。そう思ってタイガーを見るが、表情からは考えてそうなことを一切読ませてくれない。
俺に質問が無いという事でタイガーはティアや衛兵たちを引き連れて部屋を出て行った。鎧が擦れる騒々しい音が遠ざかっていくとだだっ広い部屋に静寂が訪れた。
……逃げようと思ったら逃げられるかな？
俺は窓から下を覗いたが、暗い中で何とか確認できる地面までの高さを見ると、とてもじゃないが逃げるのは無理だと思った。
ま、普通そうだよな。
俺はため息をついて、ふと空を見上げるとそこには見たことも無い程の無数の星や月がとても綺麗に広がっていた。むしろ星が多すぎて日本で見ていたものと比較ができない。
せめて家族揃って異世界に転移してたらなぁ……と星空を見ながら思う。
今頃、妻や息子はどうしてるんだろう。家族のことを考えるとため息が止まらない。
俺は今後のことを考えるためにも風呂にでも入って頭を整理しようと思った。
手元にあるランプをかざして部屋を見回す。この部屋はうちのマンションよりも広いと思う、ではなく広い。マンションの専有面積が70㎡なんだけどここは倍くらいありそうだ。
そんなスペースにベッド、小さな丸テーブルと椅子が2脚、それからタンスがあるだけの簡素な部屋だった。物は良さそうなのだが古いので埃っぽい感じがする。
そして肝心の水回りの設備はトイレだけのようて、肝心の風呂が無い。それってどうするんだろう？
早速見張りの衛兵に風呂について質問しようと思い、部屋の内側からドアをノックしてから声をかけた。
「すみません。お風呂に入りたい時はどうするんですか？」
「風呂なんてものは貴族の屋敷にしかない。俺たちは川に行くか、魔術で水をぶっかけるかだ。そのために端っこに排水溝あるから探してみるといい。俺は川派だ。ついでに魚を捕まえると妻が喜ぶからな。」と冗談めかして答えてくれた。
「川……ですか」
俺は想定外の答えに戸惑いを覚えながらも、お礼を伝えドアの前から離れた。
川で水浴びとか……。アウトドアとは縁がほとんど無かった俺にはその生活習慣は想像ができない。それに今の季節はまだ良いけど、冬とかどうするんだ？というか季節はあるんだろうか？
俺は固いベッドに腰かけてため息をついた。
さっきからため息しか出ない。何も分からない世界、今までの生活とのギャップ。俺はこの先どうなるんだろう。
「入るぞ。」
扉が開いて衛兵が入ってきた。
食事と水差し、それから着替えが入ったカゴを届けてくれた。
俺は礼を言って受け取った。脱いだものは着替えはカゴに入れて渡せば又洗濯されて戻ってくるそうだ。……やっぱり俺への扱いは良いよな。
俺は机の上にパン、スープ、肉料理を並べた。スープや肉料理には野菜も添えられており栄養のバランスも取れてそうな食事で安心した。
「気を落とさずにな。ここの生活だって悪くない。治安は良いし、食事だって不味くない。まぁ、お前の希望するような風呂は無いけどな。」
色々気を使ってくれているのだろう。ありがたいことだ。
「ありがとうございます。でも、まだ気持ちが整理できていなくて……。」
「俺だって急に異世界に飛ばされたら同じだ。飯を食ってゆっくり寝て、元気出してくれ。」と肩を叩いた。
「はい。いただきます。」
衛兵は部屋にあるランプに火を点けてまわった。
薄暗い部屋がぼんやりと明るくなった。そして、ゆらゆらと揺れる火が壁に映し出した影を踊らせる。ここは本当に電気も無い世界なんだと、改めて思い知らされる。
俺は衛兵が出ていくところを見届けて、食事に向かった。
「食欲無いな……。でも食べとかないと。」と呟いた。
固いパンを少しかじり、スープを飲む。スープはほんのりと温かく、そして塩味が強かった。
パンをスープに浸しながら食べると丁度良い塩加減に感じる。肉はバターと塩で味付けされている。こちらはシンプルな味付けだが美味しい。
一度食べ始めたら、お腹空いていたことを思い出したかのように食欲が湧いてきて、結局全てを平らげた。
ふぅ……
俺はそのままベッドに横になった。
「今日は疲れた……。」
独り言がこぼれた。静かな空間に耐えられなかったからだ。そしてポケットから家族写真を取り出してしばらく眺めていた。
このままこの世界から帰れなかったら……
そう思うと強烈な不安が襲ってきて吐き気を催した。俺は急いでトイレに駆け込み、食べたものを全て吐き出してしまった。しばらくトイレに籠もった後、俺はベッドに戻って横になった。そして枕元のランプの火に息を吹きかけて消した。
そのまま目を閉じて、今日の出来事が夢であることを願って眠りについた。
その夜、夢を見た
家族3人で初めて旅行をしたときのことだ
ドライブで見た綺麗な景色
息子を湯船に落っことしてしまったこと
寝ぼけた息子が俺の上に乗っかり、おもらししたこと
幸せな時間
―――
差し込んできた朝日で目が覚めた。
起きたら自宅のベッドの上でした、というオチは残念ながら無かった。見知らぬ異世界の固いベッドの上だった。
いてててて……
固いベッドに俺の体が悲鳴を上げた。
俺は目を開けたものの体が動かない。正確には体を動かすための気力が全くと言っていいほど湧いてこない。ベッドに横になったまま、何を考えるでもなく空虚な時間が過ぎるのをただ待っていた。
しばらくすると扉が開けられ、昨夜とは違う衛兵が朝食を持って入ってきた。
「おはよう。眠れたかい？」
俺は無理をして体を起こし、ベッドに腰かけた。
「おはようございます。眠れましたが気分はあまり良くありません。」
衛兵は軽く息を吐き出して、こちらに歩み寄って俺の肩に手を置いた。そして柔らかな口調で話しかけてきた。
「お前がショックなのは分かるぞ。俺も同じ立場ならきっとショックを受けて落ち込んでると思うしな。」
「はい……。」
俺はそれに呟くように返事をすることが精一杯だった。
衛兵は肩をポンポンと2度ほど叩くと、食事の準備や洗濯物の片づけなどを始めた。俺は昨夜食事を全部吐いてしまったからか、食事の匂いを嗅ぐとお腹が鳴ったが、食べたいとは思わなかった。
「お前は元の世界に戻りたいんだってな。でも落ち込んでるだけじゃ前に進めないぜ。」
そういうともう一度肩に手を置いて、そして力を込めた。俺が顔を上げると衛兵と目が合った。その目からは強い意志が感じ取れた。
「お前には立ち上がって前に進むしか無いんだぞ。しっかりしろ。」
衛兵はそれだけ言うと部屋を出ていった。俺は衛兵の後ろ姿を力のない目で見送りながら、前に進むしかないという言葉を反芻した。
はぁ……
ため息しか出ない。体を動かす気力も湧いてこない。立ち上がってご飯を食べないと、と思っても体はピクリとも動いてくれない。
はぁ……
昨日から何十回目かのため息をついた時だった。
「入るぞー」
ドアが開いてタイガーとティア、2人の衛兵が入ってきた。タイガーが俺を見た途端に飽きれた声を上げた。
「どうだ、調子は……と聞こうと思ったが、こりゃダメそうだな。」
ティアが俺の方へとツカツカと向かってきた。
「全くだらしないわね。命があっただけで幸せなのよ。森に転移してたり空に転移してたら今頃どうなってたと思う？生きてないわよ。」
……生きてない？
そう言われて俺はゆっくりと顔を上げた。ティアは続ける。
「戻れる可能性が無いと決まったわけじゃないのに、いつまでそこで座り込んでるつもり？立ち上がってやる事をやりなさい。」
ティアの言うとおりだと思った。俺はゆっくりと立ち上がった。
正直まだ彼らを信用した訳では無い。やる気が出た訳でもない。ただ前に進まなければと思い、とにかく立ち上がった。
「ご飯を食べます。」
俺は力の入らない足でフラフラとテーブル席まで歩いた。食事を目の前にしても、やっぱり食べたいとは思わない。でも食べたいとか食べたくないではなくて、食べないとここから一歩も前に進めない、そう思って押し込むようにして食事を済ませた。
その様子をじっと見ていたタイガーは外に居る衛兵に向けて「ジュラル！」と声をかけた。外に居るジュラルは「はっ！」と返事をして部屋に入ってきた。
「すまんが、食事を片付けてくれるか。」
「分かりました。」
ジュラルが俺に近づいてくると「食べられたんだな。」と笑いかけ、食器を片付けて出ていった。俺も薄い笑顔で反応した。
ジュラルが去っていく姿を見送ってからタイガーが口を開いた。
「今日はお前さんの身体検査や魔力の適性を見る。お前さんがこの国で暮らしていけるように習得させる技能を見極めることが目的だ。最終的には領主様の意向も踏まえた上で決まるがな。」
俺は黙って頷いた。
「魔力に適性があれば良いわね。魔術は火、水、風、土、光、生物、心、空間に分けられるの。人によって適性が違うから、私は火、風、生物が得意なの。特に火はSランクなのよ。」
ティアが俺のすぐそばまで来て立ち止まった。
俺が見上げると、そこには片手を腰に当てた黒いローブ姿のティアが、ニコッと笑顔で俺を見下ろしている。すると、おもむろにティアが俺の目の前に手のひらを突き出した。
俺は何だろう？とその手のひらをじっと見つめた。
ボワッ
突然、ティアの手のひらに直径10cmほどの火の玉が浮かび上がった。
「うわっ！」
俺は反射的に叫んで後ろにひっくり返ってしまった。「大丈夫？」とティアは心配したようなことを言うが、その場にいたみんなと一緒に声を上げて笑っていた。
でも目の前の手のひらの上に浮かぶ火の玉から目を離すことができなかった。これが魔術なのか。明らかに俺の住んでいた世界とは違う。
ボフッ
ティアの手のひらから火の玉が消えた。
「これがファイアーボールよ。魔術に関しては全くダメなシンも、これの小さいものならできるのよ。」
「がははは。あいつのは豆粒みたいなファイアーボールだよな。」
「シンがおかしいのか、異世界の人はあんなものなのかコーヅで分かるわね。」
「確かにそうだな。まぁ俺はシンがおかしいだけじゃなくて、異世界人全体の問題だと思うけどな。」
「賭ける？」
挑発的な目でティアはタイガーの方に一歩踏み出した。
「ほぅ？」
タイガーも受けて立つという目でティアを見返した。俺の頭の上で賭け事が始まろうとしていた。
「Bランクが1つ以上、もしくはCランクが2つ以上、Dランクが4つ以上よ。」
「衛兵の資格と同じか。いいだろう。」
タイガーは余裕の笑みを浮かべる。
「ふぅん。それならアランのお茶ね。」
「アランのお茶か。高いぞ？」
「丁度お茶葉が切れててね。」
「貰うのは俺だけどな。」
「あら、タイガー隊長はそこまでコーヅに魔術の才能が無いって、断言しちゃうわけ？」
「まてまて、違うぞ。コーヅ、そういう事じゃないからな。な？」
慌てたタイガーが俺の方を見て必死に取り繕おうとした。
ぷっ
俺は吹き出してしまった。ここがどこの世界かは分からないけど俺は生きてる。そしてここには気の良い人たちが居る。今はそれで充分じゃないか。
「何笑ってるのよ。」
「ごめんなさい。でもお陰で気持ちが少し晴れました。」と俺は立ち上がった。
さっきまでの体の重さは嘘のようだ。タイガーとティアはお互いの顔を見合わせて不思議そうにしていた。
「そしたら魔術適性を調べるわよ。でも、その前にあなたの魔力を開放しないと。後ろを向いて。」
俺は言われたとおりにティアに背を向けた。するとティアの小ぶりな右手が俺の腰に触れた。
「少し苦しいかもしれないけど我慢して。あなた達は魔力が閉ざされているの。だからそれを解放する必要があるのよ。」
そこまで言い終えるとティアは右手に魔力を込めた。
腹の真ん中辺りに何かの塊ができた感じがする。そしてそこから体の中に熱いものが流れていく。
「うっ……」
その影響か息苦しくなり思わず声が出る。これが魔力なのか。俺の閉ざされていた魔力らしきものが徐々に解放されて全身に行き渡る。手足の先まで魔力が流れた頃にティアの手が離れた。ティアの手が離れても魔力らしきものは体の中を駆け巡っていく。
「もう少ししたら体が魔力に慣れて落ち着くはずよ。」
数分経っても、まだ息苦しい状態が続いている。それでも最初の苦しさに比べればマシで、少しずつ落ち着いてくる感じはある。
「はぁ……はぁ……。なんか……体に何かの塊が入り込んだような感じがする……」
「それが魔力よ。私たちは生まれながら魔力が解放されているから、こういう事をする必要がないのだけれど。あなた達の魔力は閉ざされているので、外から魔力を注ぎ込んで開いてあげる必要があるの。」
「これが魔力……」
なんとなく手のひらを見てみるが、まぁ特に変わった点は無い。腕を組んで見ていたタイガーが衛兵に指示を出す。
「よし魔力測定だ。おい、魔力測定具を準備しろ」
「はっ」
衛兵の１人が魔力測定具を机の上に置いた。魔力測定具は板の中央から放射状に線が引かれていて、線の先には魔力属性がそれぞれ書かれている。
火、水、風、土、光、生物、心、空間の８つだ。
「それじゃあ早速始めましょうか。魔力測定具の真ん中に手を置いて。」
ティアに言われた通りに魔力測定具の上に手を置いた。
置いた途端に、体の中から何かが引き出されていった。この引き出されているものが魔力で、この感覚が魔力を放出する感覚なのかもしれないけど。
魔力が引き出される感覚がいつまでも止まらない。そして胃の中がかき回されているようで気持ち悪くなってきた。
「うっ、うぅぅぅ。」
