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 Ⅲ 生命の泉と守り神

 
「――ぁぁぁぁあああ!?」
「あら。すごい」
「アイリスちゃぁん。ちょっと、羽を小さくしてくれないかしらぁ。マリアが降りられないわぁ」
「むりむりむりむりむりぃ!!」
 私は知らないうちに羽を広げて、お母さんごと持ち上げていた。大きな、大きな羽。それは、黄金に輝いてて。なんだろう、重いはずなのにとても軽い。
「ホバリングを覚えましょうか」
「ボバリング?」
「ホバリングよ。鳥さんが花の蜜を吸うときに止まって飛んでいるでしょう?」
「う、うん」
「ゆっくり、ゆっくり羽ばたくの。閉じたら、浮いて。開いたら落ちる」
 閉じたら、ふわっと浮いて。
 開いたら、ひゅんって落ちた。
 身体がぐわんぐわんってなって目が回りそう。というか。
「お母さんおもいー!」
「あらぁ」
「アイリス。もう一度言ってみて?」
「ぴぇ……! ご、ごめんなさい! かるいです! 羽みたいにかるい!」
「ふふふふふふふふふ」
「マリア、それぐらいにしといてあげましょうよぅ」
「そうね。クライミングローズ」
 お母さんがクライミングローズを下の方に伸ばす。ちゃぽん。と音がして、そこから花弁が私たちを受け止めて。ゆっくり下に降りていく。
「さいしょからこうしてよー」
「それじゃあ、あなたの練習にならないでしょう?」
「そうだけど……」
「重いマリアを抱えたままじゃ難しいわよねぇ」
「ふふふふふふふ。クララ。すべて花たちの栄養にしてあげましょうか」
「あらあらぁ。怖いわぁ」
「お母さんおこらないでぇ。ごめんなさいぃ」
「ふふ。もう怒ってないわよ」
「ほんと?」
「ほんと。よく頑張ったわねアイリス。いいこいいこしてあげる」
「ん……」
 薔薇の、香りに包まれながら頭をなでられる。クララさんは、私の背中。ふたりのお母さんに優しくしてもらって。私はすっかりとろん、としてしまった。温かい、お胸とお腹。やっぱり、こうやって甘えているときが一番落ちつくなぁ。
「お母さんとの赤ちゃんが生まれたら、いいこいいこしてくれない?」
「そんなことないわ。できる限り、してあげる。安心して」
「ん……」
「私もいるわよぉ」
「……その時は、よろしくね。クララ」
「えぇ。その約束だけは。違えないわ」
「ん……」
「あらぁ、アイリスちゃんおねむねぇ」
「しばらくはつかないから。眠っていいわよ」
「う、ん……おやすみ……なさい……おかーさん、くらら……さん……」
「おやすみなさい。私の愛おしい子」

 ✾

 ――夢を、見たの。私は地上で羽をもらった。その羽はさっきみたいに背中についていなくて。手にくくりつけられていた。羽ばたくと、飛べた。だから、どんどん。どんどん上へ行くの。でもね、途中でその羽は溶けていってしまう。わかってるの。このままだと、落ちてしまう。でもね、私は羽ばたくのをやめないの。そして、大好きなあの人の手をとろうとしたその瞬間。気づくの。手、手がないの。もうドロドロに溶けた羽といっしょに。私の手も、溶けてしまった。あの人の、悲しそうな顔。それを見て。腕のない私はまっさかさまに落ちていく。そして、海にざぶんと入って。下の、下の、下。海の底で魚になって――
「ふげぇ!!」
「おはよう。アイリス」
「んげふ……ん……どこ……ここ……」
「こちらがぁ、名所『生命の泉』になりまぁす」
「ふぇ」
 知らないうちに、クライミングローズの花が、蓮の花に変わっていた。お母さんたちはその上でお茶会をしていて。その中には、つくもんもいた。
「やっと起きたね。アイリス。さっきぶり」
「つくもんだ」
「……その呼び方は変わらないんだね」
「ふふふ。ユグドラシルをユグちゃんって呼ぶ子だから」
「それでもいいけど。さて、それで生命の泉をどうするつもり?」
「どうするの? クララ」
「水を抜く。つまり、この山ひとつ、死ぬことになりますわ」
 つくもんの雰囲気が変わった。楽しそうな女の子だったのが、急に神聖な神様みたいな、感じ。私は少し怖いと思った。
「それを、容認しろと?」
「ふふふぅ。認めなくてもよろしいのですよぅ。代償としてぇ、彼女を救いますぅ。これは条件提示。交換条件ですわぁ」
「懺悔のために命を捨てよと? この山ひとつ賭して」
「認識が間違っていますわ。山姫様。その大罪を山ひとつ程度で赦すのです。安い贄でしょう」
「来ん『数多大蛇(あまたのおろち)』」
 蓮の花の上。ぼとぼとぼと、とたくさんの蛇が落ちてくる。うぞうぞぐよぐよ、私たちの周りを取り囲んで。舌をしゃらしゃらしてる。
「ひぃっ! へびぃ!」
「あらあら。大変ねぇ」
「相も変わらず、其らはペテンよの。錬金術師ども。朗らかに成すことは神殺しかえ」
「あらあらぁ。人聞きが悪いわぁ。なにかを掬う時、容れ物がいるのは当然の摂理じゃないかしらぁ?」
「私に、器の役目をせぇと?」
「えぇ。山姫様ならば、この山ひとつ失ったとて他の場所で生きるでしょう?」
「話にならぬ。行け」
 蛇たちが、一斉に飛びかかってくる。クララさんも、お母さんもなにもしなくて。わたわたしてるのは、私だけ。もうだめ!って目をつぶる。最期にレーズンを食べながらお母さんになでなでしてもらいたかったなぁ。なんて思ってたんだけど――
 
「――あれ?」
 
「アイリス。目を開けて」
「だだだだだだ、だって。目を開けたら蛇が飛んでくるよ!」
「ふふふぅ。だったらもう飛んできてるわよぅ」
「あ、そっか」
 お母さんとクララさんに言われて目を開けると、辺り一面が金色に光っていた。お母さんのひまわりの力かな。それとも、クララさん? わかんないけど。蛇たちは下で小さくなっていた。
「敵うはずもなき、か。知っておった」
「山姫様。この子の力がなくとも、クララが水を枯らせ。私の花たちが山を食い潰すことも、造作もないことです」
「そうか。ならば潔く。ただ、ここに生ける子らをどこかに移してはくださらんか」
「……できません。それは住む者にとって、脅威となりましょう。ですが、朽ちた山から去りゆく者を追うことはしません。それは自然の理のひとつですから」
「ならば、よい。赦そう。願わくば伝えたもれ『私を赦せ。イケリア』と」
「伝令。任されました。あなたの親心、痛み入ります」
 山姫様って呼ばれた人はするすると小さくなって。水瓶になった。
 でもその周りはずっと金色に光っていてまぶしかった。早くしまってほしいなぁっ、て思ったんだけど。お母さんがしゃがんで。私と目を合わせる。ほっぺを両手で包んでふにふに。きもちい。
「ふみゅ、にゅ、にゃに、おかあひゃむ(なに? お母さん)」
「もういいわよ。アイリス。蛇さんは消えたわ」
「……? うん。消えたね」
「えっとぉ、アイリスちゃん。権能を、抑えてほしいわぁ。お水が干上がっちゃう」
「けんのう?」
「太陽の権能よ。ヘルメスを介したその力を、抑えて。アイリス」
「けんのう、へるめす、おさえる……?」
「ふふ。まだ、できないのね。少し、がまんしてね」
 お母さんが、私の背中に触れる。じゅぅって音がして。お花が焼けた匂いがする。
「お母さん!?」
「大丈夫よ。これくらいでは、私は死なないから」
 嫌な、音と匂い。でもお母さんは私を抱きしめるのをやめてくれなくて。私の背中、そう。私の知らないうちにまた生えていた金色の羽を掴んで、ずぶずぶと私の身体の中に押し込んでいく。
「んっ……あぁ!」
「少し、がんばってね。アイリス」
 むずがゆくて、痛くて、でもなんだか気持ちが良くて。背中が熱い。なんだろう、わからないけれど。これは、とても大切なことのような気がした。
「……はぁ……もう……片方、あるからね……がんばれるわね……アイリス……」
「お母さん! もう……やめて……腕、焼けちゃってる……」
「まだ一本あるわ。すぐに作ればいいから」
「でも痛いんでしょ!?」
「大丈夫よ……母は強しって言うでしょ……」
「だめ!」
 さっき、お母さんがしてくれたことを。自分でやればいいって思って。やってみたの。すごく、熱い。太陽が背中に入って来るみたいに。熱くて。
 ――でもこれは、私がやるべきこと。
 さっきお母さんはこんな熱いのをさわってたんだ。私だって。できる。そう思って、肩甲骨を何回も、動かして、羽をしまった。
「あぁ……すごいわ、アイリス。良い子ね。ほら、こっちおいで」
 倒れ込む、お母さん。なくなった片腕からは蔓が出ていて。少しずつ直そうとしているのが判る。まだ残っている片方で、私の頭をなでてくれるから。私は泣きながらお母さんのなくなったうでに手を添えると、さっきよりも直るのが早くなった。
「だめ……よ……分配を止めて、アイリス……放っておけば治るから」
「やだ! 私もなおすの!」
「アイリスちゃん。大丈夫。私が巡らせるから」
「くら……らさん……」
「あなたまで倒れてしまうわ。しかし、マリア。どうしてあなたはそうも自己犠牲的なのでしょうね」
「聖母の性(さが)よ。仕方がないの。私たちは自らを切り売りすることでしか、だれかを救えないわ」
「本当に、死なない身体というのは、心を壊すわね」
「私が壊れて、この子が救われるのなら」
「その発想がもう、破滅的なのよ」
「それは元からです。あなたは知っているでしょう。クララ」
「えぇ。まぁ、いいわ。ほら、アイリスちゃん。マリアが回復するまでに終わらせちゃうわよぅ」
「ぐ……ぐず……なに……するの……くらら……さん……」
「『ちびゆぐちゃん』にあげる水を瓶(かめ)に。そして、あなたの中を水で満たすだけよ」
「ふぇ……」
「少し不思議な感覚だと思うけれどぉ。がまんしてねぇ。『我、水の錬金術師也。【生命の泉】としての生命の水。其を混沌と定義し、形相を水瓶の中の水へと変容せん』」
 お母さんの腕を治しながら、クララさんを見ていた。水色がぱぁっと光って。右手の指先を、下の水に。そして左手の指先を水瓶に。そうすると、下の水が、ぱっと消えた。そして、ざぁぁぁぁぁぁという音が水瓶の中で鳴っていた。
「なになになに!?」
「その水瓶の中はねぇ。【永遠に清浄の生命の水】なのぉ。常に流れ続けて、常に満ち続けるからぁ。その中の水を汲んでぇ、ちびゆぐちゃんにあげてね。あ、他の植物にあげたらだめよ」
「なんで?」
「いきすぎた生長になるからよ。アイリス」
「お母さん! もうだいじょうぶ?」
「えぇ。ありがとう、まだ、少しかかるけれど。お口は動くわ」
「おかあぁぁさぁぁん。むりしないでぇ」
「本当に、あなたはもう少し、器用にならないといけないわ」
「肝に銘じておきます。それで、行きすぎた生長とはつまり。生命の崩壊。ふつうの植物は栄養をあげすぎると過生長となり、死んでしまうの。植物だけじゃないわ。生きとし生けるもの、器に見合った容量でないと身を滅ぼすのよ」
「それは誰の事かしらねぇ」
「身を以て知っているの。あまり責めないで。クララ」
「アイリスちゃんに心配かけたらだめよ」
「うぇぇぇぇ……」
「はぁ……聞いてないわね……これは大切なことなのに……」
「ふふ。理解しているわ。伝令の子なのだもの。今のうちにやっちゃうわね」
「よろしく、クララ」
「えぇ。『我、水の錬金術師也。【生命の泉】としての生命の水。其を混沌と定義し、形相を【虹の女神アイリス】の体内へと変容せん』」
「え」
「アイリスちゃん、身体の組織がほどけないようにするのがコツよぅ」
「え、えええええ!」
「あなたの体組織は花でできているわぁ。だからその花弁たちを密集させてぇ、水を溜める」
「んぐ!?」
 身体の中に水が湧いてきた。よく分からないけどそういう表現しかできなくて。内側からあふれ出しそうになる水を、必死に抑え込む。なんとか、耐えているけれど。これじゃ、ふつうに生きられなくなっちゃう。クララさんは、詠唱を続けていて。お母さんは手を握ってくれる。肌の隙間から出て行きそうになると、お花でふさいで。私はそれを真似して。繰り返す。
「もう少しの辛抱よ。がんばって。アイリス」
「んん……!?」
「『【虹の女神アイリス】の中の【生命の水】よ。其らは清浄。其らは明鏡止水也。静まり給へ。静まり給へ』」
「ふ、ふううぅぅぅぅ……」
「収まった?」
「う……ん……」
「よくがんばったわねぇ。ほら、いいこいいこぉ」
「うぅぅぅぅぅ! おかあぁさぁん!」
「ふふふぅ。赤ちゃんに戻っちゃったわねぇ」
「おがぁさぁん」
「あぁ……アイリス……かわいいわ……よしよし……」
「さて。いよいよね」
「えぇ」
「マリア。もう後には退けないわ。ひとついいかしら」
「えぇ」
「マリあなた問うわ。ここから先に進むことへ、あなたの意志が知りたいわ」
「シスタークララ、なにが言いたいのかしら」
「アイリスちゃんと過ごす大切な時間を捨ててまで、叶えたいの? ということよ」
「私だって、捨てがたいわ」
「ずっと、そうしていればいいのに。どうして大それた事を、しようとしているの」
「停滞は、衰退。ただ歩き続けるだけではこの子はヘーラーから逃れることはできない。ならば、走る……いいえ。飛び続けるしかないの。私たちは永遠でも、この子はまだ、永遠ではないから、かしら。小夜啼鳥ナイチンゲールはまだ鳥籠の中だから」
「そう。そして、もうひとつの目的は?」
「あの子を取り戻すのも、同じくらいに大切なの」
「止めても聞かないのでしょうね」
「えぇ。私は、頑固ですから。知っておいででしょう。シスタークララ」
「おかぁ……さぁん……」
「ふふふ。ほら、もっと甘えていいわよ」
「うぅん……」
「はぁ……あぁん! ほんとにかわいいわぁ! アイリスちゃぁん。私もひとり作ろうかしら」
「やぁ……くららさんやぁめぇてぇ」
「その必要はないですよ。ひとり、お世話をしなければいけない子が増えるから」
「ふふ。それも、そうね」
 お母さんのお胸にぐりぐりと甘えていると、蓮の花の下。クライミングローズが支えていたところが光だした。白い、白い光。
 私はなんだか、不安……というよりは、楽しくなりそうな気がしていた。

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