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 Ⅵ 確かに動く時間の中で

「ふげぇ!」 
「起きたの。さぁ。食事にしよう」
 お母さんはまだ、ずっと眠っていた。
 私は、ふわふわとした気持ちのままベッドから起き上がると。うまく立てなくて。おばあちゃんがおんぶしてくれた。
「まだ力が入らんだろうから。しばらくは私でがまんせい」
 そう言って、木の実や、果物を食べさせてくれる。もちろん、レーズンもある。ただ、一つ気になることが。
 ――木の器に入ったスープに丸く切った木が浮いている。
「木……?」
「おっほっほ。食べられる木じゃ」
「うぅ……そんなわけないよぅ……」
「つべこべ言わずに食べい! お前さんのためにに甘い、味付けがしてあるわ」
「う……」
 許してくれなさそうだったので、それをかじってみる。『しゃくっ』といい音がして。簡単にかみ切れた。もぐもぐしていると、ふわぁっと良い香りがしてくる。なんだろう。りんごみたいな食感で、パンみたいな。そんな味がする。
「これはわしがお前さんのように作ってみた『パンノキ』じゃ」
「パンノキ?」
「あぁ。マリアが再三言うもんでな。アイリスはパンが好きだから、と」
「そ、そっかぁ。んぐ、むぐ。ありがと、おばあちゃん。おいしい」
「それは良かった。たぁんとお食べ」
「んむ。これ、どうやって作ったの?」
「難しい話をすると、木というのは繊維がぎゅうぎゅうに詰まっておるんじゃ。だからふつう、噛んでも布のようにきしむだけで繊維がちぎれん。そこで、じゃ。繊維を脆くして空洞を増やし、小麦と同じ香りの成分を木に付与する。それに関しては、構造上の話じゃ。いずれ分かるようになるが、錬金術における『抽出と還元』の分野じゃな。『分解と再定義』とも言う。これが安定すればいずれ種が生まれる。土壌に根付くかは分からんがお前さん達にも分けてやろうな。なに、ケレスの祝福があれば。作物はみな育つじゃろうて」
「わ、わかんない」
「おっほっほ。じゃから難しい話だと言うたろうに」
「お勉強しないと……」
「そうじゃ。お前さんには素質がある。無いのは知識と器官だけじゃ。それをマリアとともに求めるのじゃ。それが探究というものであり、お前達のあるべき姿じゃて」
「で、でも。パンがあればパンノキはいらないよ?」
「人はいずれ滅ぶ。しかし、植物はそこにあり続けるだろう」
「そのときに……私はいるのかな」
「察しの良い子だね。そうだよ。私やマリア、ありとあらゆる存在が消え去っても。アイリスだけは存在し続ける」
「うぇー、やだなぁー」
「まぁ、安心せい。どんな形にしろマリアの側からは離れさせんよ」
「……なんか。おばあちゃん最初のイメージと違う」
「おっほっほ。そりゃそうじゃろうて」
「やさしい。すき」
「マリアとどっちが好きかの?」
「えっと……」
「おっほっほ。ただのいじわるじゃよ。お前はマリアだけを愛しておればいい」
「もう!」
「……それで、いいのだ。お前は余計なことを知らなくていい。子はただ朗らかであればよいのじゃ」
「……?」
「して、今お前の目に私はどう写る」
「え? おばあちゃん。だけど、見た目は……。お姉さん。お母さんと同じくらい」
「なら、老婆を演じることもなかろうの――それが、真実だよ。アイリス。老婆の姿。それはあくまで私の趣味に過ぎん。話し方もな。お前は本質を見るようになった。世界樹の再構築を経て。ひとつ学んだのだろうな」
「そうなの?」
「あぁ。そうだ。そしてお前はホムンクルスから神へ、そして錬金術師。果ては『ある何か』へと変わっていくのだ。虹には『須(すべから)く総(すべ)てとして』という意味もある」
「むずかしいことばっかり言わないでよぅ」
「あははは。あの時はあんなに凜々しかったのにな。まぁ、そんなお前も良い。お前はただ、お前らしくありなさい」
「うーん……」
「ほほほ。悩みなさい、若き新芽よ。マリアが目覚めるには、しばしかかる。ゆっくりしていくがいい」
「うん。騒がしくて、ごめんね。おばあちゃん」
「あぁ。たまには、悪くないさ」
 おばあちゃんはどこかに行ってしまった。
 ぜんぶが木でできた家にぽつんと取り残される。お母さんは寝てるけど。ちょっとだけ、見に行きたいな。
 身体をゆっくりと動かして、ベッドの隣に行く。
 いつも、私より遅くに眠って。早くに起きるお母さん。だから、寝顔を見るのは初めてで。すごくキレイだと思った。でも、ちょっとだけ寂しくて。お顔の横に寄りかかって。匂いをくんくんする。優しい香り。甘くて、ふわふわで。気持ちが良くなる、香り。
 なんか、たくさんのことがあったような気がする。お母さんが、死んじゃう。お母さんがどこかに行ってしまう。そんな気がして。少しだけ怖くって。
 お母さんの子どもは、ほしいけれど。本当に、赤ちゃん作らないといけないのかな。ずっと、アトリエでお母さんとふたり、暮らしていた方が幸せなんじゃないかな。そんな気持ちが、もやもやと私を包む。
『それでもあなたは望むのでしょう』
「……だれ」
「ユグドラシル。そう呼ばれているものです」
「ユグ……ド……らしる……むずかしい……えっと、ユグちゃんって呼んでいい?」
「ユグ……ちゃん……? ふふ。ふふふふ」
「な、なにぃ?」
「ふふ。ごめんなさい。そんな呼び方をされたのは初めて。嬉しくなってしまいました」
「だめかな」
「いいですよ。虹の女神」
「私ね、アイリスっていうの。そんな名前じゃないよ」
「……そうね。では、あなたをアイリスとして問いましょう【母なる自然】を如何なさいますか」
「えっと、賢者の石のことだよね」
「えぇ」
「……お母さん、子どもを作るのに必要だって言ってた」
「ならば、それに用いるのですか」
「えっと、わかんない」
「迷ってらっしゃるのね」
「大切なもの、なんだよね。木の元素の錬金術師さんがいっぱい集まって、お母さんを傷つけてまで守るくらい、大事なものなんだよね。だから、簡単に決めちゃだめだと思うの」
「ふむ……では、もうひとつ問いを」
「な、なに」
「『枝の』は死にました。それについてはいかが?」
「そう、だよね。すごく不思議だったの。お母さんは死ねないって言ってた。でも、どうして『枝の』さんはいなくなっちゃったの?」
「そうですね。私から説明するのも筋違いのような気がしますが、良いでしょう。概念的な死。という意味なのです。例えば、枝というのはどこから生えていますか?」
「木だよね」
「えぇ。ですから、木に依存して存在しています。言い換えると、その存在は木なくして存在できない。それを『二次的な存在』と定義します」
「う、うん」
「ですから二次的な存在において、一時的な存在、つまりはダフネの支配下ではなくなれば、すなわち存在としての死です。本来ならば別の枝へと存在を移すことによって死なずに済むのですが、詠唱がエスのものとなれば話は別です。彼女は妖樹として木の神。木元素における最高神ですから。現存するすべての枝を手折ることは可能です」
「あたらしく、生まれないの?」
「もちろん生まれますよ。しかし、過去に存在した『枝の』という人格自体は既に消失しているため、新しい概念としての『枝の』が生まれます。また、マリアたちのように固有名称を保持していませんでした。ですから、再定義もできないのです」
「ど、どうして名前をつけなかったの……」
「定義したものは、いつか失われます。今回が最も分かりやすい例でしょう。もし『枝の』に名があったとすれば、ニュクスのゆりかごへと至れず、ダフネに対して執着や呪いと言った形になってしまいます『枝の』はそれを避けたかった。飽くまで彼女はダフネのために、存在したかった。それもひとつの愛の形です」
「そ……っかぁ……」
「名称定義の件は、理解しましたね」
「うん。たぶん」 
「よろしい。では、二次存在について。『花の』に関しても同じ事が言えます。しかし花は、土、木、空、水などのあらゆる元素の中で生きることができます」
「木の元素以外でも生きられるってこと?」
「そうですね。世界樹に祝福されたあらゆる花々は咲くところを選びません。ですから『複数に帰属する第二元素』なのです。もちろん、すべての錬金術師や神、元素体系から関係を切られれば消滅しますが。基本的には考えにくい」
「どうして?」
「元素というのはあらゆる面において相互依存的だからです。花は光を受け、酸素を創り出します。そして生物に帰属し、その生物が排出した物質で花は潤います。依存的ではあるのだけれどある意味でダフネと同じくらいになくてはならない存在になっています」
「むぅ……じゃあ『枝の』さんもそうだよね?」
「そうとも言えます。繰り返しの説明になりますが、枝に関してはすべての木に依存しています。ダフネが代替を命じ。依存下であった『枝の』を切り離せば、すべて死す、それもまた、当然の道理。妖樹エス。あれは、錬金術師ひとりを消すことなど造作も無く。彼女が存在をかけて呪いを行えば『母なる自然』すらも消滅可能です。木々の根源ですから。摂理としてはそのようなものです。しかし私が問いたいのは、あなたがそれに対してどう思うか。です」 
「えっと……ごめんなさいって思うの。でも、ごめんなさいだけど、ごめんなさいじゃだめだと思う」
「ふふ……ふふふ。言わんとすることは分かりますが。きちんと言葉にすることも大切ですよ。創られた子、アイリス」
「えっと。『枝の』さんは、最後におばあちゃんに『あなたのためなら慶んで』って言ってた。だから、私がごめんなさい。って思ったら、死んじゃったのが、価値がなくなる気がするの『枝の』さんは、私たちのために。っていうのもあるけれど。おばあちゃんの役に立ちたかったんじゃないかなぁって思うの。私がお母さんのために。って思うのと同じで」
「そうですか。過った正解を導き出せる子、アイリスよ。これからあなたが導き出すのは正しい犠牲であることを理解しなさい。その罪悪感に押しつぶされることを私は望みません。あなたはあなたの中で正しくありなさい。世界はすべて表裏一体であり生死一如。目的を果たすとき。生まれる犠牲を悔いることなく、しかし屠らず生きなさい」
「今まではわかんなかった。でも、新しいあなたを創る時に。ケレス、メルちゃんが助けてくれた。そういう、ことだよね」
「えぇ。良い子です。アイリス。虹の女神アイリス。試すような真似をしてごめんなさい。赦してくださいますか?」
「うん。ユグちゃんとも友だちになりたい」
「あら……。分かっているのか、いないのか。本当にあなたは不思議な子ですね」
「そうかなぁ」
「では、あなたさえ宜しければ加護を授けたいのですが」
「カゴ? パンを入れるの?」
「ふふ。違いますよ。あなたたちを護り、助ける。それが加護であり、錬金術師の世界では祝福ですね」
「うん。ほしい。それって、ユグちゃんといっしょに生きるって事だよね。みんなみたいに!」
「えぇ、時間も無いので始めます。では『我が名はユグドラシル。世界に住まう生きとし生けるもの総ての根幹の世界樹である。エス、人々の悪辣から生まれしエスと対極。我が名において守護せん。アイリス。そしてメルセデス。マリア=メルセデス・フローレンスに。樹木の根源の加護を』」
 私の手の上に小さな苗が表れた。まだ、芽も出ていないけれど。なんだろう。すごく暖かい、苗。
「それは『根源の樹木』名前をつけてあげて。アイリス」
「じゃあ、ちびゆぐちゃん」
「ふふ……。ふふふふ……」
「も、もう! 笑わないで!」
「ふふ、今はそれで良いと思います。あなたが生長したとき、いずれ新たに名を授けてあげて。ねぇ。愛されるべき子、アイリス。最後に一つ聞いて良いかしら」
「最後……? もっといっぱいお話しよう」
「えぇ。きっと来る、未来でね。して、なぜあなたはエスを憎まないのでしょう」
「なんだろう……きっとこれは私とお母さんのわがままだから……誰が悪いとか、じゃなくて。あとね、えっと。憎むっていうのが、私には分からないの。ホムンクルスだからかな?」
「優しい子、アイリス。それは違います。あなたは、憎悪を理解している。涙を流したあなたは、憎悪することもできるのです。ただ、あなたがあなた自身から発することを望まない。つまり、他者を憎むという定義を避けているの。涙を流したホムンクルス、アイリス。あなたの中に、感情はもう存在していますよ」
「え……」
「お別れの時間です。アイリス。私はいつも、あなたの側にいます。朗らかに。ただ優しく、あなたらしくありなさい」
「う、うん……」
「またね、アイリス。私と同一である存在(あなたの大好きなお母さん)が目覚めますよ」
 クライミングローズが鉢をひょいっと持ち上げる。ぼーっとしていた私は知らないうちに、お母さんに抱きしめられていた。ちょっとだけ重いお母さんの身体。その腕は、痛いくらいにぎゅっと私を抱きしめて。お母さんの柔らかい肌が、とてもきもちい。お花の香りがふわりと私を包んでいく。
「おか……さん……」
「あぁ、アイリス……。良かった……。あなただわ。温かい身体」
「ん……くすぐったい……よ……」
「少しだけ、がまんしてね」
「え……」
 お母さんが創ってくれた、服がするりとほどけた。ぜんぶが、花の繊維になって。お母さんの身体から広がっている花びらと混ざり合う。お母さんの、力。それがぜんぶ流れ込んできて。身体の奥底、隅々まで巡っていく。
「足先、すね、太もも、股関節、お腹、胸、脇、腕、手。首、顔、耳、髪。あぁ……。すべて。アイリス。アイリスだわ……」
「おか……さ……んっ!」
「少しだけよ。ほんの少しだけだから。がまんして……私たちのアイリス……私たちの」
 
「真愛(まな)」
 
「ひっ!」
 私の身体に、なにかが入ってくる。おへその表面を花びらがなでると。お腹の中、ずぷずぷとなにか、強い、熱い、なにかが……。
「マリア! なにをしてる!」
「は……あ……おば……ぁちゃん……」
「あぁ……真愛……まなぁ……」
「『命ず。花よ眠れ』」
 おばあちゃんがそれを唱えたけれど。何も起こらなくて。すごく驚いていた。
「受け付けない……!? マリア……お前……」
「あぁ……アイリス……。がんばったわね……良い子よ……私のアイリス……」
 そして、そのなにかは私の意識とともにお母さんの温かい胸の中に溶けていった……。

 ――木と花と賢者の石と END――

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