一頁目――『来訪者』
少し前、私の庭園に来訪者がやってきた。
ざっと、千と十年ぶりくらいのお客様だったわ。
丁度、庭園の白いテーブルで、今からティータイムという時だった。
暇つぶしに飾り立てた盛大で広大なフラワーガーデンに、彼はフラフラとやってきた。
全身傷だらけで、服はボロボロで、ビシャビシャと浅い水路を踏み鳴らして。
きっと、フラワーガーデンを飾るために作った水路に流れる透明な水が、だくだくと泥に濁ったに違いないわ。
おぼつかない足取りのまま、彼は庭園をさ迷いはじめた。
私は、庭園の侵入者にすぐに気づいた。
この庭園と森の一部は、私が管理している空間であり、結界だもの。
その内部は、私の神経その物のように知覚できる。
そんな希有な状況を察して、
「あら……?」
私は、飲もうとしていた香茶のカップを止めて、そう声を上げた。
約千年ぶりのお客様に、私の傍らに佇む『従者』も、同時に気づいた様子。
フリルの可愛らしい服を着た従者は、凛とした姿勢のまま、気配の方向を見据えて、淡々と、心無いことを言う。
「侵入者です。すぐに掃除いたします」
その言葉を言い終わらないうちに。
嘶くような鋭い金属音が響く。
従者の手にはいつの間にか刀剣の鞘が握られ、刃が引き抜かれていた。
真っ白な鞘には、金銀の装飾が豪奢に煌めき、刃紋の浮く刀身が美しい一振りの曲剣。
私はそれに見覚えがある。
だって、それは私が作った粗製品《なまくら》の一つだったはずだもの。
従者には、私の倉庫の管理を任せている。
彼女はそこから、空間接続で武具や薬品を自由に出し入れする権限がある。
けれど、その権限は元々私のもの。
「待ちなさい、ペルミ」
私は、今まさに、飛び掛かろうとしていた従者――ペルミを、一声で制す。
ペルミにとって、私の命令は絶対。
だから、ペルミはピタリと動きを止める。
理由すら尋ねずに。
「剣を倉庫に仕舞いなさい。ちゃんと元あった場所によ」
私はそう言いながら、席を立った。
侵入者の様子を見に行くために。
その前に、チラりとペルミの顔色をうかがう。
私はペルミよりも背が低いから、見上げるような形になる。
従者の表情は何も変わらない。
いつも通り、仮面のような、美しい無表情だった。
ペルミの可愛らしい服は、袖が長く、脚も股下までの長い靴下で覆われている。
ロングスカートが翻らない限り、関節はまず見えない。
長くきめ細かな金色の髪も、美の理想をかたどった顔立ちも、全高145センチの小柄で華奢な体格も、私が持てる美意識の体現と言ってもいいでしょう。
なにせ、ペルミは私が作り出した機械人形《オートマータ》なのだから。
その魂も錬金術で生み出した代物。
そんな作られてから数年の人工物には、まだ感情が気薄なようにみえる。
でも。
了解、と返事をしなかったのは、新しい反応に思えた。
仕舞いなさい、と言った剣も鞘に納めはしたが、まだ手に持っている。
私はそれが嬉しかったのだろう。少し口元を緩めた。
「心配しているの? 私の事」
だから尋ねてみた。
でも、言葉は帰ってこない。
少しだけ動きを見せた瞳は、きっと困惑の意味ね。
自分の心のことも、まだ理解できないのでしょう。
なにせ、産まれてからずっと私しか知らないのだもの。
ま、この結界から出たことのない私も似たようなものだけれど。
気を取り直し、私は、侵入者の元へ歩き出した。
すると、ペルミも付き従うようについてくる。
やはり心配してくれているの?
侵入者は、ふらふらと庭園をさ迷っていた。
そうして、侵入者の姿は、私達がたどり着く直前、どさり、と音をたてて倒れこんだ。
どうやら、力尽きたようね。
死んだかしら。
そう思いながら、傍に寄ると、まだ息があった。
気を失っただけのようだったわ。
「生命力感知に反応健在。マナ様、この不作法者は、まだ生きているようです」
不作法物なんて、酷い言い方ね。
久しぶりのお客様だというのに。
私は、警戒心の抜けない従者より1歩前に出て、倒れた身体の傍らにしゃがみこんだ。
どこか格式ばったような白っぽいジャケットとズボンを身に着けている。
外界の住民というのはこんな衣服なのかしら、と思っていると。
「あ、ああ……」
気を失ったと思った侵入者がうめき声をあげた。
すぐさま剣を抜こうとする従者を視線で制す。
亡者のようなうめき声には、強い念のようなものが感じられる。
たとえここで力尽きるとしても、最期に言い残すことがあるかもしれない。
うつ伏せの身体に手をかけて、侵入者を起こそうとするけれど、なにせ私は筋力がない。
必要な時は魔力等でサポートしなければならないほど、パワーがない。
困っていると、横から靴底が突き出された。
がっ、と物凄い雑な扱いで、侵入者の身体が蹴り転がされた。
それで仰向けにすることはできたけれど。
「もう、乱暴ね」
ペルミが蹴ったのだ。
機械人形《オートマータ》とはいえ、見た目は少女だ。
淑女らしからぬ不作法さは、今後の課題かしら。
ところで、倒れていた侵入者だけれど。
その顔は、そこそこの美少年だったわ。
一見女性にも見える色白の少年は、長めの白髪を後ろで纏めて、短髪に見せている。
けれど、今はその整った顔に、重度の疲労が滲んでいる。
苦しそうな表情と青い瞳が、私に向けられる。
そこには、何かを伝えようとする明確な意志の力があった。
「何か、言いたいことがおありかしら?」
「――……!」
よく聞き取れない。
いや、もうまともに言葉を発する余力もないということでしょうね。
おそらく、このまま放っておけばまたすぐに気を失うに違いないわ。
そう思いながら。
――私は少し考える。
この者をどうするかという思案。
もしかしたら何か面倒事を持って来たのではないかという危惧がある。
このまま結界の外に放り出そうか、とさえ思う。
少なくとも、幸福を運んできたわけではなさそう。
とはいえ、ここまでボロボロになってまで、魔の森をさ迷っていたのには理由があるでしょう。
そうね。
その頑張りに免じて、聞くだけ聞いてあげようかしら。
そう思って、傍に咲いていた草花を引きちぎって、根っこごと少年の口に突っ込んだ。
うごがが。
突然のことに少年が驚き、眼を見開く。
それは当然の反応。
その草の味が最悪なのは私が保証するわ。
思わず、むぐ、っと吐き出しそうな少年の口元を、私の手で塞ぐ。
「悪いけど頑張って飲み込んで頂戴」
少年は、苦しみながらも、その草をむぐむぐと咀嚼して飲み込んだ。
私が手をどけると同時に、少年はゲホゲホと咳き込む。
そしてがばっと起きあがった。
「な、何するんですかぁ!」
良かった。
ほら、元気が出たわ。
「普段はちゃんと加工して薬にする所なのだけれど、そのままでもそれなりに、効果があるのよ」
そう、実は、私の庭園に咲き誇る草花は、すべて私が研究し、改良し、栽培している薬草たちだったりする。
少年に効果が出るかは解らなかったけれど、これで、外界の人型にも効くのだと証明出来たわ。
良い実験動物になってくれたわね。
「効果って……げほっ、うぇ」
まだ咳き込み、えづく少年の態度とは裏腹に、さっきまでの死にそうだった顔色はかなり良くなった。
本当に薬草が効いたのでしょう。