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第6話 兎たちの生存戦略

「そりゃあ、ウサギと暴食竜(レマルゴサウルス)とでは、立ち位置が全然違うからな」
 暴食竜(レマルゴサウルス)の扱いと比べて、ウサギを狩るのはいいのか。そんなレオの問いに、まず教授はそう答えた。

「まず言っておくぞ。生き物の世界には食う食われるという種の間のつながりが存在する。食われるものがいるからこそ、それを食うものが命を繋ぐことができるのじゃ」
 これまでにない真剣な表情で、教授はレオを諭すように言葉を紡ぐ。

「例えば、草をウサギが食う。そのウサギをオオカミが食う。そして、オオカミをレマルゴサウルスが食う。このような生き物同士のつながりを食物連鎖と呼ぶ」
 その言葉は、レオもどこかで聞いたような気がしていた。ただこれまで、ほとんど考えないようにしていた。獣の犠牲となった家族のことを思い出してしまうから。

「だが、ウサギたちもただ食われているだけではないぞ。奴らの最大の武器は、その繁殖力」
「はんしょくりょく?」
「そうじゃ。ウサギたちは一度に六頭から八頭、最大で十頭程度の子を産む。しかも、妊娠期間は短く、決まった繁殖期もない。それゆえに一年に何度も出産が可能となる」
「…………」
 長くなりそうな話を、あくびを噛み殺しながらレオは聞いていた。
 孤児院でも基本的な勉強はしていたが、本格的な学校は初めてなのである。
 とはいえ、これも仇討ちにつながる話なら、慣れておかなければならないのだろうか。

「もちろんウサギたちは、食われるために子を産んでおるわけではない。しかし、自分たちを襲う肉食獣がいるから、生き残るために食われた以上に数を増やそうとするのじゃ。それが、子孫を残すために奴らが選んだ道であり、手にした武器でもある」
 しかし、こういう話になると、眠気は吹き飛ぶ。彼にも思うところはあるが、うまく言葉にまとめられない。

「ここは街の近くだから、中・大型の肉食獣はあまり寄りつくことはない。おまけに、畑があるから餌は食べ放題。ウサギたちにとっては楽園のようなところじゃ。放っておけば、あっという間にウサギだらけになるぞ」
 講義を受ける生徒のように、レオは黙って教授の話を聞き続けた。
 ウサギに自分たちの家族を重ねても仕方がない。
 それに、レオだってこれまで肉を食べて生きてきたのだ。

「農家からみれば作物を食い荒らす害獣以外の何物でもないが、肉は食用に、毛皮は衣類の材料となる。それゆえにウサギ狩りは、学生の仕事としてはかなり割りのいい方じゃな」
「そうか……」
 そう言うとレオは、気合を入れるかのように両手で自らの頬を叩く。

「おれも、行ってくる」
「おう、気を付けてな」
 リチャードの時と言い方が違うのが少しだけ気になったが、レオはすぐに逃げる兎を追うのに気を取られ、すぐに忘れてしまった。

「ま、待ちやがれっ!」
 身の丈ほどもある斬竜刀を肩に担ぎ、逃げるウサギの後を追いかける。当然、そう簡単に追い付けるようなものではない。

「あれを担いで走り回れるのは大したものじゃが……ただ追うだけでは狩りにならんぞ」
 そんな教授のつぶやきは、すでにレオには届いていなかった。

   ◇

 しばらく走り回った後、なんとか一頭のウサギを射程圏に捕えることに成功した。
 といっても、考えて追い詰めたわけではない。
 たまたま草むらから飛び出してきて、状況が理解できていない運の悪いウサギがいただけだ。

「おらあっ!」
 気合の声と共に、レオは斬竜刀を地面に叩き付けるように振り下ろす。一跳びでそれをかわし、ウサギは彼の足下へと滑りこんだ。

 その瞬間、レオはウサギの鼻の上に、角のような短い突起があるのに気が付いた。
 そのまま、ウサギは頭からレオの脛にぶつかって来た。硬い角の感触が、痛みとなって全身を駆け巡る。

「いてぇ!」
 それは制服のズボンを貫くほどの鋭さはないが、鈍器としての強度ならば十二分に持ち合わせていた。
 ウサギの脚力を生かした体当たりにバランスを崩したレオは、斬竜刀を支えにしてかろうじて倒れずにすんでいる状態だった。

「なんだこいつら!? 孤児院で飼ってたウサギと違う!?」
「言い忘れておったが、この地方のウサギは一味違うぞ」
 レオは特に誰かに問うでもなく叫んだだけだったが、答えはすぐに教授から帰ってきた。

「先に言ってくれよ! そういうのは!!」
「ウサギといっても色々いるぞ。人に飼われているウサギは、大陸北部の草原に住む灰穴兎(ヒアトラゴス)という種を家畜化したものじゃ。そして、こやつらは――」
 そんなレオの叫びを無視して、教授の解説が続く。

「学術名を有角兎(ケラトレプス)。外敵と戦うため、角を生やしたウサギの仲間じゃ。その鼻先の角は、ウシやシカのような骨からなる角と違い、角質、つまり毛と同じ成分でできておる」
 レオが足の痛みで動けない間に、ウサギたちは周りから姿を消していた。

 ようやく歩けるようになったときには、太陽はそびえる西の山々の向こうに隠れ、色彩を失いつつある景色と冷たさを帯び始めた風が、夜の訪れを告げていた。

「あ、そう言やあ、ランプも何も持ってこなかったな」
「何を言っておる。そんなものを()けておっては、ウサギが警戒して出て来んではないか」
「何!? ウサギが見えねえのに、どうやって狩るんだよ?」
「獲物の気配を読む力は、訓練するうちに鍛えられるもんじゃが……」
 そう言うと教授は、右手の人差指と中指だけを立て、レオの顔に近づけてきた。

「仕方がないのう。今回は特別サービスじゃぞ」
「ごべっ!?」
 伸ばされた指が、レオの両の眼をかすめる。

「てめェ、いきなり何しやがる!?」
「すまん、加減を仕損じた」
 左手で目を押さえて悶絶するレオに、教授は軽い調子で詫びる。

「じゃがこれで、視界は開けたはずじゃ」
「んんっ? ……な、なんだこりゃあ!?」
 教授の言葉に一瞬首を傾げたレオであったが、すぐに異変に気づいた。
 夜闇に沈み、黒と灰色に染まりかけた世界に、色が戻っていた。

「これは……?」
「それはわしの魔法じゃ。一時的に視神経を強化し、わずかな光を強く感じることができる」
「これが魔法……すげえな」
 驚きに満ちた表情で、レオはあたりを見回す。

「それより、急いだ方がよいぞ。ウサギの来る時間は限られておる」
「なんだ、爺さん……もう眠くなったのか?」
「わしじゃない、ウサギの方じゃ」
「ウサギ? あいつらに門限でもあるって言うのか?」
「肉食獣の多くは、主として昼に活動する昼行性と、夜に活動する夜行性に分けられる。そして、ウサギなどの一部の種は、その隙間を縫うように朝夕に活動するのじゃ。あまり遅くなると、奴らはねぐらに隠れてしまうぞ」
「そうなのか……じゃあ、急がねえとな」

「ところで、お主、飛び道具は持っておらんのか?」
 再びウサギを追おうとしたレオを、教授は呼びとめる。

「いや。暴食竜(レマルゴサウルス)に効きそうにないものは持っていない」
「仕方がないのう……」
「飛び道具って、ないといけないものなのかよ」
「普通、逃げるウサギに追い付くのは至難の業だからな」
「ああ……」
「じゃが、思い出せ。ここのウサギは、捕食者に抗《あらが》うために角を生やしておる。逆に(・・)そこが狙い目じゃ(・・・・・・・・)
「……っ! そうか!」

 今度こそウサギを狩ってやる。決意を胸に歩き出したその時――

「……依頼のウサギ十頭、確保しました」

 槍使いの少年が、戻ってきた。

 槍使いの少年は、血を抜いて縄をかけた五頭のウサギを槍の先にぶら下げ、さらに五頭を左手に持っていた。
 レオがウサギを追うのにもたついている間に、リチャードは依頼された十頭をあっさりと手にしていたのだ。

 そしてリチャードは、左手の五頭をレオの前に差し出した。
「……これは、君の取り分です」
「……!?」
 レオは驚きの表情を見せたのち、険しい顔で首を横に振る。

「……どうかしましたか? 遠慮をすることは……」
「そういうんじゃねえよ」
 レオは不機嫌そうな口調で、同級生の言葉を遮った。

「おれはずっと孤児院にいたが、ある程度大きくなったら孤児院の経営を助けるために、働くようになったんだ。本当は、傭兵隊とかで戦いの仕事もしたかったんだけど、先生は今はだめだって、許してくれなかった。それで、だいたい荷運びや倉庫整理なんかの力仕事をやってたんだが……」
「…………」
 レオは、自分の中から言葉を探すように、ゆっくりと話す。

「最初は、働くのなんて嫌だったさ。疲れるばっかりでよ。ただ、先生から褒められるのも、孤児院のチビたちから感謝されるのも、悪い気がしなかった。でも一度、仕事場でイヤなことがあって、サボるようになっちまってな」
 リチャードだけでなく教授も、黙ってレオの話に耳を傾けていた。

「その時、孤児院の先生と、同い年の奴にえらく怒られてよ……仕事とか、金とかがどんなもんか、みっちり教えてもらったんだ」
 そこまで話して、レオはうめき声を上げて頭をかきむしる。

「……!? レオ君!?」
「とにかく、おれは教授みたいにうまくしゃべれねえんだけど……!」
 心配して駆け寄ってきたリチャードを、もどかしげにレオは押し留める。

「何が言いたいかって言うと……自分は何もできてねえのに、駄賃だけ貰うわけにはいかねえんだ!」
「……それは……」
 リチャードは返す言葉を見付けられず、助けを求めるかのように教授を見た。

 教授は彼にうなずいて見せた後、レオに語りかける。
「そうか。それで、この後どうするつもりじゃ? 報酬を諦めて帰るのか。それとも、ウサギが捕れるまで狩りを続けるのか」
「もう少しだけ、やらせてもらってもいいか? このまま帰ったら、狩りの練習にもならねえ」
 わずかな間だけ考え込み、レオはそう答える。
「うむ、わかった。じゃが、あまり時間もないぞ」
「ああ」
 レオは短く答え、時間が惜しいとばかりに教授たちに背を向ける。

 そしてリチャードは、斬竜刀を担いで大股にあるいてゆくレオの後ろ姿をじっと眺めている。
「なあ、リチャード」
「……はい」
「お主は先に戻っていいぞ。後はわしが見ておこう」
「……いえ。お言葉ですが、そういうわけには参りません。これは僕が受けた仕事ですので、最後まで見届けたいと思います」
「そうか」
 教授は穏やかな表情で、一言だけ答えた。

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