第356話 死神ちゃんと農家⑪
「さすがにそれだけは容認できん。それだけは駄目なのだ」
「は? 何なんですか、いきなり」
いきなりやって来たと思えば、突然鼻先にまで詰め寄ってきたビットから静かに身を引いて離れながら、死神ちゃんは顔をしかめた。すると、ビットが間合いを詰めてきた時そのままの姿勢で、目をチカチカとさせ始めた。
「あの角が、またやらかしてくれているぞ。
〈あの角〉とは、お騒がせなノームの農婦のことである。彼女のせいで、ギルドを通じて〈勝手に耕すべからず〉〈栽培するべからず〉などの禁止事項が増えた。にもかかわらず、彼女は懲りることなくダンジョン内を好き勝手耕しまくった。
何度阻止しても諦めることなくやって来るというのと、彼女が作り出すヘンテコ植物が良い研究素材になるということで、長らく彼女の存在は黙認されてきた。しかし、とうとう見過ごせぬことをあの角はやらかしたらしい。
死神ちゃんは面倒くさそうに眉間のしわを深くすると、ビットに向かって尋ねた。
「何ですか、また不思議植物でも生み出しましたか」
「いや、それはまだだ。しかしながら、ヤツはきっとまたそれらのことをしでかすだろう」
「まだってことは、じゃあ今回は何をしでかしたんですか」
「ヤツはマンドラゴラやアスフォデルの手を借りて、ダンジョン内に活動拠点を作り始めたぞ」
思わず、死神ちゃんは根菜ばりに「そいつはいけねぇ!」と叫んだ。ビットは重々しくうなずくと、死神ちゃんに指令を出した。
「いいか、小花薫よ。あの角に何を言っても無駄だし、諦めることもしないだろう。だから、植物たちのほうから攻めるのだ。あいつらに、私が大層お怒りであるということを伝え、手を引かせるのだ」
死神ちゃんはうなずき返すと、さっそくダンジョンへと降りていった。
四階のとある部屋に降り立った死神ちゃんの目の前では、かぼちゃを被ったあの角がせっせとリフォーム作業に勤しんでいた。死神ちゃんが思い切り彼女の頭を
「ぎゃあああああッ! 私の素敵な別宅がーッ!」
「うるせえよ! ダンジョンに住まうべからずッ!」
農家はめちゃめちゃになった部屋の中を見渡しながら、ギャアギャアと喚き散らした。死神ちゃんが怒りを露わにすると、彼女は不満げに地団駄を踏んだ。
「何それ、初耳! そんな規約、ギルドからは言われてないよ!」
「ギルドが何も言っていなくてもだな、ダンジョンがお怒りなんですよ!」
「何で死神ちゃんが〈ダンジョンの気持ち〉なんか分かるのさ! 適当なこと、言わないでよね!」
「お前、忘れてないか? 俺、ダンジョンの罠なんですけど。つまり、俺はダンジョンの一部なんだよ!」
農家はハッと表情を固くすると、一転してニヤニヤとした笑みを浮かべた。そしてポーチから野菜やら果物やらを大量に取り出すと、何を言うでもなく死神ちゃんに差し出した。
「何だ、これは。賄賂のつもりかよ」
「いいから、ね? これでチャラにしよ? さあ、ほら。美味しいよ? ね?」
死神ちゃんは差し出されたうちのひとつを引ったくるように手に取ると、乱暴にひとくちかじった。そして皮肉たっぷりにヘッと鼻で笑うと、ライバル農家のもののほうが美味しいというジャッジを下した。農家はがっくりと膝をつくと、悔しそうに拳を地面に打ち付けた。
「どうして……ッ! 農耕神に愛されしノーム族の私が! あの
「〈美味しく作ろう〉よりも〈ビームの出るものを作ろう〉とか、もはや食べ物ではない方向に探究心を燃やすから勝てないんじゃあないのかな」
「おかしいよ! 絶対におかしいよ!」
「おかしいのはお前だよ! というわけで、とっととお帰りください」
死神ちゃんはシッシッと手を払って〈帰れ〉のジェスチャーをとった。農家は苦い顔で下唇を噛むと、絶対に嫌だと食い下がった。
何でもここ最近、この部屋を資材置き場にしていた者がいたのだそうだ。それを見て、彼女は〈ダンジョン内を私的に利用してもいいんじゃあないか〉と思ったのだという。そして、それならば今まで耕すごとに邪魔が入ったのは何だったのかと腹が立ったのだそうだ。
「だからね、私、ここを資材置き場にしているヤツがいない間を狙って、無理やりこの部屋を奪い取ったんです。だって、このダンジョンの中は弱肉強食の無法地帯でしょ? だったら、強者が権利を得るのは当然だと思うんですよ」
「はあ、そう……。だからといって、ダンジョンはお前の滞在を認めません。ですので、どうぞお引き取りください」
「何で!? さっき買収したでしょう!?」
「もらえるもんは喜んで頂くが、だからといって許可を出すと思ったら大違いだぜ」
「うわー! あげ損じゃん! だったら返してよ! ケチーッ!」
死神ちゃんが鼻で笑うと、農家は死神ちゃんの肩を掴んで全力で揺さぶった。そこに、マンドラゴラが現れて「こいつはいけねぇ!」と叫んだ。
「
「わーん、マンドラッち! 聞いてよ、死神ちゃんったら凄まじくケチなんだよー!」
農家は死神ちゃんを解放すると、根菜に泣きついた。根菜やアスフォデルがいると何故かモンスターが現れないそうで、そのため彼女は植物たちに部屋の番をお願いしていたのだそうだ。死神ちゃんが出現したときは、たまたま植物たちが席を外していたのだという。
彼女は〈根菜がいない短い間に何があったのか〉を大袈裟に話し始めた。死神ちゃんは彼らの間に割って入ると、根菜に向かって爽やかな笑みを浮かべた。
「おう、お前。ちょいとツラ貸せよ」
そのまま、死神ちゃんは農家に待機を命じると、根菜を部屋の外へと引きずり出した。しばらくして、死神ちゃんと根菜は部屋の中へと戻ってきた。根菜は何故か何かに怯えきっており、ブツブツと「こいつはいけねぇ」と呟いていた。農家が心配して根菜に声をかけると、根菜は青ざめた顔でブルブルと震えながら答えた。
「姐さん、すいやせん。我々マンドラゴラは、これ以上は姐さんの別宅プロジェクトに参加できやせん……」
「何で!? もしかして、お駄賃であげてる素敵肥料に不満があるの!? ここからなら〈小さな森〉も通いやすいから、耕し放題だって思ってたのに! どうしてなの!?」
「すいやせん! こいつばかりはいけやせん! これ以上はいけねえんです!」
ガタガタと震えるマンドラゴラから死神ちゃんへと視線を移すと、農家は苦々しげな表情で死神ちゃんを睨みつけた。
「死神ちゃん、一体どんなことを吹き込んだのさ」
「別に? ダンジョンの正直なお気持ちを伝えただけですけど」
「どうしてそう、余計なことを!」
「余計なことをしているのはお前のほうだろうが!」
農家は悔しそうに泣きながら、部屋を出てどこかへと走っていった。死神ちゃんと根菜があとを追いかけていくと、彼女は三階にあるアスフォデルのアジトへと入っていった。死神ちゃんが指示を出すと、根菜は恐る恐るアスフォデルに近づいていった。
アスフォデルは最初、根菜を邪険に扱っていた。しかし嫌々ながら耳打ちを受けたアスフォデルは、たちまち顔色を変えて農家に「お引き取りください」と言い出した。
「何でアスフォデルちゃんたちまで! やっぱり、私よりも生みの親であるあの人間のほうがいいのね!?」
「お姉様、これはお互いの幸せのためですわ。悪いことは言いません。別宅計画は諦めてくださいまし」
農家は愕然とした表情を浮かべると、泣きながらアジトを出ていった。彼女はそのまま一階の教会へと入っていき、ソフィアに死神祓いをしてもらうと死神ちゃんを恨めしげに睨みつけた。
「私は! 絶対に! ダンジョン菜園を諦めないッ! だから、呪いの宝珠を手に入れて、私がダンジョンのオーナーになってやる! そしたら耕そうが何しようが、問題なんてないでしょ!? そしたら死神ちゃんだって、私の農場の従業員になるんだからああああああッ!」
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死神ちゃんが待機室に戻ってくると、ビットが感謝の言葉を捲し立てて去っていった。その直後、同僚たちがニヤニヤと笑いながら近づいてきた。死神ちゃんが怪訝そうに顔をしかめると、彼らは死神ちゃんに向かって言った。
「筋肉神様が大豆畑を耕して、自家製プロテインを作る日も近いってことですかね」
「やめろよ。そもそも、あの角がダンジョンを踏破するかも分からないだろうが。だって、まだ六階中枢のリドルを解いた冒険者だっていないっていうのに」
「ていうか、農耕神に愛されているあの角のもとで従業員として働く筋肉神ってどうなんだよ。筋肉神は農耕神より下なだけでなく、さらにあの角よりも格下なのか?」
「だから、やめてくれよ。俺は筋肉神なんかにはならないんだから」
死神ちゃんが辟易とした表情を浮かべると、同僚たちは苦笑交じりに謝罪をした。そして「家といえば」と言い、死神ちゃんにお引っ越しの予定について尋ねた。この幼女はこう見えて、ご婚約中なのである。そのため、近いうちに寮を出るかもしれないと同居人たちに話していたのだ。
死神ちゃんは順調に事が進み、現在は物件選びをしている最中であると同僚たちに伝えた。寮を出ていくことが現実味を帯びてきたことに同僚たちが心なしか寂しそうにしていると、そこにどこからともなく現れたケツあごが割って入ってきた。
「そんな新居探しなどせんでも、我がとびきり素敵な神殿をプレゼントするというのに」
「ですから、筋肉神にはなりませんって! ていうか、その抱えている羊は何なんですか。ペットですか?」
ケツあごは大切そうに羊を抱えていた。羊はムームーと鳴きながら、何かを美味しそうに咀嚼していた。ケツあごはにっこりと笑うと、羊の頭を愛おしそうに撫でながら答えた。
「可愛いであろう? 農耕神のララちゃんである。あの角が散々迷惑をかけていると聞いてな、本日は直接謝罪しに来たのだ」
死神課一同はギョッと目を剥いて羊を凝視した。羊は死神ちゃんをじっと見つめると、小馬鹿にしたような表情を浮かべてムーと鳴いた。
「さあ、ララちゃん。そろそろ、あのビットとかという機械人形のあとを追うとしよう。我らの
羊はなおも死神ちゃんを小馬鹿にしたような目で見つめながら、ムーと煽るように鳴いた。死神ちゃんは待機室から出ていくケツあごと羊を苛立たしい表情で睨みつけながら、様々な怒りをふつふつと湧き上がらせて、わなわなと震えたのだった。
――――その日の夕飯は、当てつけのようにジンギスカンを食べに行ったのDEATH。