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「来たわ」ハピアンフェルが告げた。「アポピス類よ」

 私たちははっと窓の方を見た。

 なにかが光っているわけではない。

「四匹……いえ、五匹はいるわね」祖母が唇にひとさしゆびを当てて気配をさぐる。「畑の上空まで来た」

「姿は、消してるの?」私は祖母にきいた。

「わからないわ……でもおそらくはそうでしょうね。まずはピトゥイをかけておきましょう」祖母はそう言い、右手をひらいて肩の上にまで持ち上げ、それからきゅっとその手をにぎりしめた。「ポピー」私を呼ぶ。

「はい」

「マハドゥをかけておきなさい」祖母はうなずきながらいう。「防御魔法を」

「はい」私はリュックからキャビッチを取り出し、右手に乗せた。「マハドゥーラファドゥークァスキルヌウヤ」唱えると、キャビッチはしゅるん、と消えた。

 さっき、ユエホワにうながされておさらいしておいてよかった、と思った。あれをしていなかったらたぶん、今みたいにすらすらっと呪文は出てこなかっただろう。



「出て来い、穢れた人間のおんぼろ魔女」



 突然そう怒鳴る声が聞こえた。

 祖母のキャビッチ畑の方からだ。

 はあ、と祖母が大きくため息をついた。「なんて下品な呼び方をするのかしら。まったく」

「光使いたちは森の中へ逃げていったわ」ハピンフェルが報告した。「いまアポピス類たちは、姿をあらわしているはずよ」

「わかったわ」祖母がうなずく。「じゃあ、ひさしぶりに投げてくるわ」テラスのガラス戸を、いきおい良く開けはなつ。

「おばあちゃん」思わず呼びとめる。

「ポピー、ここで皆を守っていて」祖母は背を向けたまま私にいった。「万一あのおんぼろ鬼魔が攻めてきたら、遠慮せず投げつくしなさい」

「はい」私はうなずいた。

「気をつけて、ガーベランティ」ハピアンフェルも声をはり上げる。

「ユエホワ、俺たちどうすれば」ケイマンがあせったような声でいう。

「――」ムートゥー類は、出て行く祖母の背中をじっと見ていた。「まずは、様子を見よう」つぶやくようにいう。

 本当をいうと――いや、いうまでもなく、私も祖母といっしょに戦いたかった。祖母といっしょに、キャビッチでおんぼろアポピス類をやっつけたかった。

 きっと、あっという間にその戦いは終わるのだろうけれど――ピトゥイで姿が見えるようになっている今こそ、今度こそ、リューイとエアリイの同時がけを思いっきりあびせてやりたかった。

「ガーベラさんがやつらを引きつけてる間に、やつらの死角へ回りこんで攻撃するのもいいんじゃねえか」ルーロが早口で作戦を提示する。

「いや、その死角にたどりつく前にこっちがやられるリスクの方が高いだろ」ユエホワは首をふる。

「ていうか、ガーベラさん一人でだいじょうぶなのか」ケイマンが心配そうにいう。「アポピス類五匹を相手になんて」

 自分と同類の鬼魔を“匹”で数えるのも、私にはふしぎな感じがした。

 この人たち、本当にアポピス類なのかな?

 まさか、本当は人間なんてこと、ないよね?

 うん、人間だったらそもそもユエホワと小さいころから友だちだったなんてこと、ありえないもんね。

「――」ユエホワは少しだけ考えこんだ。「……見て、みたいよな」小さくつぶやく。

「ああ」ケイマンも。

「さいでございますね」サイリュウも。

「クドゥールグ様を倒した伝説のキャビッチスローをな」ルーロも。

「お前は見たことあるのか? ポピー」ユエホワが私にきく。

「なにを?」私はききかえす。

「だから、お前のばあちゃんが鬼魔と戦うところをだよ」ユエホワが口をとがらせる。

「うーん」私は自分の記憶をたどり「ううん、ない」と首をふった。

 そういえば、そうだ。

 母が戦うところは見たことあるんだけど。

 祖母のほうは、私にお手本としてキャビッチを投げて見せてくれるところしか、見たことがなかった。

「――」ユエホワはしばらく私をじっと見ていたが「行くか」とまた小さくつぶやいた。

「どこへ?」私はきいた。

「お前のばあちゃんの畑へだよ」ユエホワは眉をしかめる。「伝説の魔女の戦いを見に」

「えー、でも」私は反対をとなえた。「じゃまになるし、危ないよ」

「でも見たいだろ、お前も」

「うん、見たいはずだよ」

「さいでございますですよ」

「実の孫でも見たことがないんだな」鬼魔たちはすっかり見にいく気満々だ。

「えー、でも」私はさらに反対した。

 まあ、たしかに祖母が鬼魔をどう退治するのか、見てみたい気はする。

 私が投げるのよりずっと早いんだろうし、同時がけや成分魔法や、もしかしたらまだ私が一度も見たことのない知らない技とかも出してくれるのかもしれないし。

 けど私はそれよりも、もしこの鬼魔たちをつれてのこのこ畑へ出ていったら、ぜったいに私だけが祖母にしかられる、というカクシンがあったのだ。

 だから、行きたくなかった。

 私が怒られるもん!

「やめといた方がいいよ」なので、反対した。

「大丈夫だって」ユエホワが、なぜか自信たっぷりにいう。「なにしろポピーが守ってくれるもんな、俺たちのことは。ぜったい敵の攻撃なんかくらったりしねえよ」

「えー」私は顔をしかめた。「なにそれー」ぜったい何かたくらんでるな、こいつ。

「大丈夫大丈夫」鬼魔たちは私のいうことなどまるで聞く耳もたず、テラスのガラス戸へ向かった。

 そういえばそのガラス戸は、祖母が開け放ったままになっていたのだ。

「ちょっとちょっと」あわてて呼びとめるあいだにも、四人の鬼魔たちはぞろぞろとテラスへ出て行ってしまった。

 なので私も急いで彼らの後をおいかけ、外に出た。

 テラスからすぐには、畑は見えない。

 でもとくに何の物音――キャビッチがぶつかる音や鬼魔の叫び声なんかも、聞こえてこない。

 いったい、どうなってるんだろう?

 私たちは不審に思いながら、テラスから下り畑の方へ向かいはじめた。

「薬持ってきてるな?」向かいながらユエホワが確かめる。

「うん」私はポケットの上から小瓶のあるのを確認してうなずく。「そういえばさ、ユエホワ」

「ん」歩きながらユエホワが私を見る。

「さっきの、シルキワスの回避方法って、いつ知ったの?」私も歩きながらきく。

「いつ、って」ユエホワは歩きながら考える。「こないだ鬼魔界へ戻ったとき」

「じゃあ、うちのパパの書庫に忍びこんでたときにはもう知ってたってこと?」

「忍びこんでたって人聞き悪いな」口をとがらせる。「まあ……知ってたけど」

「そんなら、なんで回避しなかったの? あたしがユエホワにシルキワス投げたとき」

「へ」緑髪鬼魔は歩きながらとぼけたように私を見た。「あれ……なんでかな」歩きながら、考える。「まあ、お前が本気で投げてくるわけないしな、俺に」

「なんで」

「兄ちゃんだから」

「変なの」私は歩きながら肩をそびやかした。

「何がだよ」ユエホワはまた口をとがらせる。



「では地母神界の王として、私はユエホワを推薦するわ」



 そのとき、祖母が誰かにそう話す声がきこえ、私たちは全員、ぼう然と立ちすくんだ。

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