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第3話 落下した先

女性の悲鳴を受けて座り込んでいた瑛子がビクッと身を震わせる。

「…よし、見てくるからお前はここで待ってろ。動くんじゃないぞ?危ないから」

「えっ、ちょっ、センパイ!」

野郎なら放っておくところだが、聞こえてきたのは女の悲鳴だ。ここがどこかもわからない混乱した状況で俺たちにも余裕はないが放置するのは寝覚めが悪い。
怯える気持ちが全くないわけではなかったが好奇心と義務感がそれを上回った。
俺は藪を掻き分けて声のした方へと向かう。












「ガルルルルル…グル…」

「いや、こないで‼︎なんで…?なんでこんな目に…うう…」

――――――――――
私は糸井真里イトイマリ、花園高校3年生。
今日は所属していた吹奏楽部のレギュラーを外される、という悲しい出来事がありました。パートを変更するならレギュラーに戻れる、という顧問教師からの提案がありましたが中学生の頃から担当していたトランペットパートには私自身深い愛着がありました。
返事を保留して、本日は練習を切り上げる許可を先生に頂くとその帰り道、いつもは素通りしていた公園へと足が向きました。なぜ?と問われると私にもわかりません。気の迷いとしか。
私の気の迷いは寄り道するだけに留まらず、公園を抜けその裏の林に足を踏み入れ気がつくと立ち入り禁止の立て札とロープを超えて奥の林道を歩いていました。私は今までこんな道を歩いたことなんかありませんでした。部活のことで私自身思っているよりダメージを受けていたのでしょうか。
そうしてさらに林の奥深くに歩みを進めている時でした。動物の唸り声と小さな悲鳴のようなものが聞こえてきたのです。
普段の私ならばその場を逃げ出していたでしょう。しかしその時の私の精神状態は私に通常とは違う行動を選択させました。なんと私は悲鳴の起こった方向へと足を向かわせたのです。
少し走ると林の奥には開けた場所があり、そこそこ広い池が水を湛えていました。こんな池があったなんて今まで気がつきませんでした。
私が辺りを見回しても何も異変はなくて、気のせいだったのかな、と思い始めた時でした。

「グルグルグルグルグルグル……!」

背後から不穏な音が聞こえてきたのです。
恐る恐る私が後ろを振り返ると、そこには犬ほどの大きさがある猫らしい生き物がどこからか血を流してこちらを睨みつけていました。
普通の猫であれば介抱をして、病院に連れて行ったでしょう。しかしその猫らしき物は目が血走り牙を剥き、今にも私に襲いかからんばかりでした。こんな生き物を間近にしたのは初めてでした。
漸くそこで私はその猫が恐ろしくなりその場を逃げ出しました。無我夢中で駆け出したのですが、背を見せたのがいけなかったのでしょうか。猫が唸り声をあげながら私を追いかけはじめたのです。
私は運動が得意なほうでなく、足の速さにも自信がありませんでした。ですからそれほど長い時間追いかけられてはいなかったとは思います。暫く繁みを駆けると私は段差に足を取られ転んでしまいました。この時はもうダメかと思いました。
しかし私が段差を転がり落ちた先にはさらに深い窪みに穴らしきものがあり、幸か不幸か私は更にその穴へと落ちていきました。




「うっ、うう…ここは…?」

穴に落ちて私は気絶していたようです。草原に倒れていた私はどれくらい時間が経ったのか腕時計を見て確認しようとしました。

「…?どこへいったんだろう」

腕にはめていたはずの時計がありませんでした。それどころか財布や他に所持していたものも懐から悉く無くなっていました。しかしそんなものはまだまだ問題ではなかったのです。

「あれ?あれ??こんな服着てたかしら」

よく見ると私が着ている服がまるで欧州風の装いに変わってました。さっきまで制服をきていたはずなのに。

「いったい私どうしちゃったんだろう……」

暫く呆然として立ち竦んでいると、少し手前の地面が何やらモゾモゾと動いているのに気がつきました。先ほどのこともあったので嫌な予感がした私は慌ててその場から離れようとしました。
しかしその時でした。動いていた地面が一気に盛り上がったかと思うと毛むくじゃらの生物が勢いよく飛び出してきたのです。

「……キャアアアアアアアアアアア‼︎」

今までに出したこともない声が出ました。無理もありません。さっきの体験と合わせて私の心は完全に乱れてしまっていましたから。

「グルグルグルグルグル……!」

低い唸り声をあげるその生物は両手に鋭い爪を持ち高さは私の腰ほどもあるモグラのような二足で歩く赤い目の怪物でした。
あまりの恐怖に私は腰を抜かし一歩も動けなくなってしまいました。

「ガルルルルル…グル…」

「いや、こないで‼︎なんで…?なんでこんな目に…うう…」

大きなモグラが動けなくなった私に近づきその爪を振り下ろそうとした時でした。

ガッシィィィン‼︎‼︎

「このっ…クソモグラがあっ‼︎」

思わず瞑ってしまっていた目を開けると男の人が私の目の前に立ち、怪物の爪をその手にした剣で受け止めてくれていたのです……

――――――――――









――なんなんだ⁉︎この生物は?

内心の動揺を隠しながら俺は女の子を攻撃しようとしたモグラの爪を剣で間一髪で弾くと、とりあえず横薙ぎの一撃を放った。正直剣の使い方なんて分からない。が、やるしかなかった。

「グルゥ‼︎」

しかしモグラは後ろに飛びながら仰け反り俺の攻撃を躱すと、そのまま地面を蹴り勢いよく飛びあがって鋭い爪の生えた両前足(両手か?)で蹴りを繰り出してきた。

「ぐっ‼︎」

モグラの蹴りを腹に受けた俺は後ろに倒れる。持っていた剣が俺の手を離れ地面に落ちてカラカラと音を立てて転がっていった。
攻撃は腹にそれほど効いてはいないが倒れこむのはマズイ。
モグラは着地するとすぐさま倒れた俺に向けて爪の攻撃を繰り出してきた。

「くっそ…鎧がおもい」

そう、当たり前だが鎧をつけながらの喧嘩なんてしたこともなかったからこんな変なクソモグラ相手に不覚を取ってしまった。
あーあ……瑛子泣くかなあ……ネズミーランドくらい連れて行ってやればよかったなあ…え、やだこれ走馬灯?

「センパイ‼︎」

聞き馴れた声が耳に入るとともに、俺に飛びかかってきたモグラが横へと吹っ飛んでいく。
見ると鞘付きの剣を握りしめた瑛子が涙目で立っていた。モグラを叩いてぶっ飛ばしてくれたんだろう。危なかったぜ。

「おう、エイコ。ナイス‼︎」

俺は身を起こし、手を挙げる。

「危ないのはセンパイっスよ‼︎バカ!置いてくな!アホセンパイ‼︎」

涙目で声を震わせ瑛子は俺を罵倒した。うーむ判断を間違ったかな?ごめんな瑛子。口には出さないけど。

「おいおいそんなこと言ってる場合じゃ……」

「グルルルルル……」

モグラが起き上がり低い唸り声で威嚇してくる。やはり撃退できてなかった。予想以上に凶暴だ。

「エイコ、どいてろ。俺がそいつに突っ込んだらその子を連れて逃げろ」

鎧が重いとか泣き言は言ってられない。俺は立ち上がりよろめきながら地面に落ちた剣を拾いあげる。瑛子にはあんな化け物と戦うことなんてできないだろう。男の俺がやるしかない。

「センパイ‼︎何言ってんスか⁉︎このアホ‼︎アホセンパイ‼︎」

しかし瑛子は涙を拭うと剣の柄に手を掛ける。

「センパイが……センパイが下がっててくださいっス‼︎」

そう言うと俺を突き飛ばし、再びその白刃を抜き放った。くっそなにすんだよ起き上がれねえ……

「バッカ‼︎やめろエイコ!あぶねーぞ‼︎」

いつもよりきつめの口調で瑛子を叱り飛ばす。ふざけてる場合じゃないのだ。
しかしこの女はもはやそんなこと聞いちゃいなかった。

「こっの……!モジャモジャーー‼︎センパイを虐めるなあーー‼︎」

そう言うと瑛子はモグラに向かって駆け出す。

「エイコォー‼︎」

「グルゥゥゥ‼︎」

俺が叫んだのとモグラが走る瑛子に飛びかかったのは同時だった。

――――瞬間

剣閃だったんだろうか?剣を掴んだ瑛子の手元が素早く動いたかと思うとモグラの体が縦に真っ二つに分かれた。
ドサッドサッと時間差でモグラだったものが二つ、地面に落ちる鈍い音が響いた。
誰も言葉を発しない静寂の時が一瞬だけ訪れる。
……やがてその静寂は創った主によって破られた。

瑛子は手にした剣を惚けた表情で見つめながら振り返る。

「――センパイ……これなんなんスか……?」

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