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第330話 住職はつらいよ

 年越しそばを食べ終えてすぐ、死神ちゃんはうとうとと船を漕ぎ始めた。みんなと年越しのカウントダウンができるように、あれだけお昼寝をしたのになどと言いながらグズり始めた死神ちゃんに、周囲にいた者は「ちゃんと起こしてあげるから」と請け負った。死神ちゃんが寝息を立て始めると、マッコイがにこやかな笑みを浮かべて、寮の住人たち全員に聞こえるように、しかしながら死神ちゃんが起きないように気を遣いながら声を張った。


「みんな、聞いてちょうだい。お楽しみの最中に、ごめんなさいね。お酒で出来上がる前に、大切なことを伝えておくわよー」


 楽しそうに酒を煽っていた者も、まだ蕎麦を食べている者も、住職に「早く新しい蕎麦打って!」と催促していた者も、そして住職も全員手を止めてマッコイに注目した。マッコイはリビングが静かになったのを確認すると、満足げに頷いて言った。


「さて、もうみんな知っていると思うけれど。アタシ、別の部署に異動することが決まりました」

「やっぱ寮からも出ていっちゃうんだよね? マコちゃんいなくなるの、寂しいよー!」

「えー! じゃあ、お料理倶楽部とか編み物サークルはどうするの?」


 一同が「やっぱりか」とどよめく中、女性陣がすかさず反応して悲しそうに肩を落とした。マッコイは苦笑いを浮かべると「定期的に遊びに来るから」と言って、話を続けた。


「ていうか、そんなすぐには出ていかないから、今からお通夜な雰囲気にならないで。――それで、大切なお知らせについてなんだけれど。異動にあたってアタシの持っている〈寮の管理権限〉と〈班長としての管理権限〉を次期班長に今後委譲していくわけなんですけど、まずは寮長職から委譲を開始します。三ヶ月かけて寮長の仕事を覚えてもらって、そしたら次の三ヶ月で班長の仕事も覚えてもらいます。……だから、アタシがここを離れるのは完全に委譲作業が終わる六月末になるわね。というわけで、あと半年は死神課の同僚として仲良くしてちょうだい」

「何言ってんだよ、異動したってずっと、お前は俺らの仲間だろー!」


 すでに酔っ払った同居人男性が声を上げると、寮民たちは同意するようにウンウンとうなずいた。マッコイは嬉しそうに笑って感謝を述べると、再び話し始めた。


「でね、ここからが本題なんだけれど。さっき、アタシ、〈寮の管理権限〉をまず先に委譲すると言ったじゃない? まあ、そういうわけで、本日付けで〈寮長〉の肩書きを手放します。新しい寮長には住職が就くわ。だから、もし何か寮のことで困ったことがあったら、明日からは住職を頼ってちょうだい。それで解決しなかったからといって、住職をすっ飛ばしてアタシのところに来たら駄目よ? じゃないと、住職が仕事を覚えられないから。もちろん、住職が立派に独り立ちできるように、アタシもビシバシ鍛えるから。だからみんなも、心を鬼にして住職を頼りまくってね」


 マッコイがにっこりと微笑むと、一同の視線はマッコイから住職へと移った。手ぬぐいで手を拭っていた住職は、気恥ずかしそうにはにかみながら「どうぞ、よろしく」と綺麗になった手で頭を掻いた。
 住職はそのまま、自分が長へと上がったことで空席となる副長職には、美容師が就くことになったとみんなに報告をした。美容師とは、よく死神ちゃんの髪の毛をいじって遊ぶ手先の器用な女性である。彼女もこれから数ヶ月、住職とともにマッコイについて仕事を教えてもらうことになるらしい。二人が再度「これからよろしく」と全員に頭を下げると、同居人のうちの一人が声を上げた。


「ていうか、明日付けで住職が寮長になるってことは、明日から住職が寮長室の奥の部屋に住むってことなのか?」

「ええ、そうよ。お互いの部屋を交換することになっているわ。ただ、荷物整理の兼ね合いもあるから、部屋の交換は冬季休暇中に行えればいいわよねって話に一応なっていて――」

「ちなみに、マコさんは荷造り終えてるの?」

「ええ」


 マッコイが不思議そうに首を傾げると、同居人の数名がニヤニヤと笑みを浮かべ始めた。すると、そのうちの一人が勢い良く挙手をしながら言った。


「はいはいはーい! あとニ時間ほどで〈明日〉になるだろう? だからさ、住職の荷造りを手伝ってやって、年越しのカウントダウンを〈引越し作業を終えた新寮長の部屋〉で行おうぜ!」

「はい……?」


 住職が顔をしかめると、他の同居人たちも「それは名案だ」だの「引っ越しを終わらせることで、ゼロ時ジャストから寮長としての責任を感じてもらって、プレッシャーで胃を痛めさせよう」だのと賛同し始めた。住職は血相を変えると、同居人たちに向かって苦い顔を浮かべた。


「いやいやいや、それってつまるところ、少しでも早くマコに寮長の座を退いてもらいたいって言っているようなもんじゃあないか。お前ら、さっきまであんな散々寂しいだ何だと言って――」

「あら、いいじゃない。じゃあさっそく、まずはアタシの段ボールをみんなで運んでもらえるかしら?」


 同居人たちは楽しそうに応と拳を振り上げた。にこにこと微笑むマッコイをじっとりと見つめると、住職は呻くように言った。


「おい、マコ。お前、何でそんなに乗り気なんだよ」

「あれだけ寮長になりたがってたのに、いざそのときが来たら辛気臭く『俺で務まるのかな』を毎日連呼し続けたのは、どこの住職かしら? このくらいしたほうが、アンタも肝が据わるんじゃない?」

「ひどいな。さっそくスパルタかよ」


 住職にひと睨みされながら、マッコイは楽しそうに笑った。そして寝息を立てている死神ちゃんを抱き起こすと、ドタドタと出て行く同居人たちに続いてリビングを後にした。

 死神ちゃんは目を覚ますと、マッコイに抱きかかえられていることにショックを受けた。死神ちゃんは悲嘆に暮れた表情でマッコイを見つめると、震える声をひっくり返した。


「カウントダウン前には起こしてくれるって言ったのに!」

「いやだ、(かおる)ちゃん。まだ年越ししていないわよ」


 苦笑いを浮かべたマッコイは、ふっと死神ちゃんから視線を外した。釣られて彼の視線を追った死神ちゃんは顔をしかめると、ポツリと呟くように言った。


「何だこれは。家宅捜索か」

「やだ、薫ちゃん。元犯罪者が集うこの寮で、その発言は笑えないよー」


 段ボールを抱えていた同居人女性が、眉を(ひそ)めて死神ちゃんを窘めた。死神ちゃんの視線の先では、同居人たちが次から次へと段ボールを運び出していた。
 一体何が行われているのかと死神ちゃんが尋ねると、マッコイが楽しそうに笑いながら「引っ越し」と答えた。


「目が覚めたときに周りに誰もいなかったら、薫ちゃん、さっきみたいにショックを受けるでしょう? だから、抱えて連れてきちゃったんだけれど」


 死神ちゃんは相槌を打つと、マッコイに降ろして欲しいと頼んだ。マッコイは死神ちゃんを降ろしながら「冷蔵庫は中身が入っているから、まだそのままでいいわよ」と室内にいた同居人に声をかけた。
 死神ちゃんは降ろしてもらうと、段ボールを追って住職の部屋へと向かった。まだ住職の部屋の中は物を運び出せる状態に無いようで、マッコイの荷物は廊下に積み上げられていた。「あんなに物を持っていないヤツだったのに、あれから結構物が増えたんだな」と思いながら段ボールを眺めていると、部屋の中から住職の羞恥に満ちた悲鳴が聞こえてきた。中を覗いてみると、茹でたこのように真っ赤になった住職がベッドの上でのたうち回っていた。


「何だ、住職、お前、全然荷造り終わってないんだな」

「お、薫ちゃん、おはよう。――そうなんだよ、こいつ、本当にやる気あるんだかなあ?」

「で、何騒いでたんだよ」

「あっ、こら、箱にしまったものをいちいち出さなくていいから! 薫ちゃんにわざわざ見せなくていいから!」

「……〈これで解決! 女ゴコロを掴むマル秘テクニック〉?」

「あとこんなのも……」

「あー! やめて! やめてください!」

「……〈図解で簡単! 惚れた女をオトす方法〉?」


 箱の中身を見せてもらうと、そこには女性を口説くためのマニュアル本がたくさん詰め込まれていた。死神ちゃんはゆっくりと顔を上げると、住職を無言で見つめた。


「やめろよ、薫ちゃん! そんな不憫そうな目で見るなよ!」

「お前、おみつさんをオトすために、こんな――」

「自分でも迷走してた感あるよ! 分かってるよ!」

「いやでも、これはさすがに、量が多すぎるといいますか……」


 マニュアル本のしまわれた段ボールはこれだけではなく、すぐ近くに〈マニュアル本〉とマジックで走り書きされた段ボールが二つ置かれていた。死神ちゃんが公開処刑状態の住職を憐れむように見つめると、住職は枕に顔を沈めてプルプルと震えだした。


「ねえ、住職ー。この机の上の写真は近くの封筒に適当にしまっちゃっていい?」


 同居人女性がそう声をかけると、住職は枕から顔を上げて小さくうなずいた。死神ちゃんはその写真とやらを見せてもらった。それは、ジャージ戦隊キントレンの主題歌CDのジャケット写真だった。


「あー、この前撮ったやつか。でも、これ、撮ったその場でどの写真を使うか決めたはずだよな? 何でお前がひと通り持ってるんだよ。――あ、でも、これ、ひと通りじゃあ無いな。カット数、足りないし」

「もしかして、自分的に〈かっこよく撮れたもの〉をもらってきたんじゃあないの?」

「うっ……!」


 同居人女性がそう言うと、図星とでもいうかのように住職が唸った。住職が意外とナルシストであるということが判明し、一同は「うわあ」と呻き声を上げた。
 あらかた箱に詰め込み終えた頃、マッコイの部屋で作業をしていたメンバーのひとりが「冷蔵庫を残したままだけど、とりあえず掃除が終わった」と声をかけてきた。住職の部屋担当組はうなずき合うと、ニヤニヤとした笑みを浮かべて勢い良く立ち上がった。


「さあ、みんな! それでは、今箱に詰めたものを元通り配置しに行こうじゃあないか!」


 彼らはわざわざ、作業前に住職の部屋を写真に収めたという。それをもとに、今度は荷解き作業をするらしい。


「ああ、よかった。すでに荷造りを終えた状態で。じゃなかったらアタシも、公開処刑を二回も受けることになっていたところだったわ」

「まるで他人事だなあ、おい。お前も荷解きしてもらえよ!」

「やだ、アタシはアンタと違ってビフォー写真がないもの。だから誰も手伝いようがないわよ」

「ああ、くっそ! ここの寮民、お前が来てから、やけにノリが良くなったんだよな! それさえなければ、こんなことには……!」


 悔しそうに地団駄を踏む住職に、マッコイはクスクスと笑った。


「でも、毎日が楽しくなったでしょう? 少なくとも、アタシはとても楽しかったし、受け入れてくれたみんなに感謝しているけれど」


 不服そうに口を尖らせながら、住職も「俺だって」と返した。マッコイは嬉しそうに笑いながら「これからもみんなが楽しい寮生活が送れるよう、頑張ってね。新寮長さん」と目を細めた。

 住職とマッコイが寮長室の奥にある部屋へと移動すると、すでに荷解き作業が始まっていた。


「わっ! おみつさんとのラブラブ写真が出てきた! リア充、マジで爆発しろよ!」

「あ、これ、みんなで遊びに行って、エルダが撮ったやつだな。たしか、このあと、みんなに囃し立てられながらパフェをあーんして、それも写真に――」

「何、余計なことを吹き込んでるんだよ、薫ちゃん! いじめか!? いじめなのか、これは!」


 住職が血相を変えて部屋に飛び込むと、すでに同居人が件の写真を見つけたのか、楽しそうにゲラゲラと笑いながら「本当にあーんしてるー!」と写真を掲げた。さすがに寮民全員が一室に入りきることはできないため、ほとんどの者が寮長室やさらに外のエントランスで待機していた。ラブラブ写真はベルトコンベアーのようにエントランスまで運ばれていき、ここそこから「住職、爆発しろよ!」という声が上がった。


「こういう写真が出てくるとさ、探したくなっちゃうよね。――プリクラ!」

「巷の若者のように、キスプリなんつー破廉恥なもの、撮ってないかねえ」

「馬鹿! 探すな! お前ら、元通りのレイアウトに配置することだけに専念しろよ! 何でプライベートお披露目しなきゃあなんねえんだよ!」

「そういう反応するってことは、あるんだ! やだー、破廉恥ー!」

「あーでも、そんなラブラブな恋人いるなんて羨ましいよ! なあ、住職、あの大量のマニュアル本の中からとっておきをセレクトして、俺に貸してくれないか?」


 ギャアギャアとかしましい住人たちをあしらうごとに、住職のライフと正気度はゴリゴリと削れていった。
 完璧な復元をし終え、年越しのカウントダウンと新年の挨拶を終えたあと、ようやく一人ぼっちになった住職は「これからは、俺がこいつらをまとめていかなくちゃあならないのか」と頭を抱えた。また、今までこんな一癖も二癖もある住人たちをまとめていたマッコイのことを、彼は改めて「すごいな」と思った。そして図らずも「ゼロ時ジャストから寮長としての責任を感じてもらって、プレッシャーで胃を痛めさせよう」という住人たちの思惑通りとなり、胃がキリキリと痛みだした住職はしょんぼりとうなだれながら愛しの恋人に無線連絡を入れたのだった。




 ――――住職の〈散々な話〉を聞いたおみつさんは、どんな状況だったかを想像して、珍しくお腹を抱えて大笑いしたそうDEATH。

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