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第325話 十三のウキウキ★One day

「さあ、小花(おはな)(かおる)よ。スイッチを入れるのだ」


 死神ちゃんはゴクリと喉を鳴らすと、硬く目を閉じて恐る恐る左親指にはめた指輪のスイッチを入れた。そしてゆっくり目を開けて、視界に飛び込んできた〈自分の手〉に歓喜の声を上げると、ビットも満足げにうなずいた。――どうやら、実験は成功のようだった。
 しかし、まだ喜ぶのは早い。ビットはデスクに置いてあった未開封の飲料ボトルを手にとると、目の前の()に差し出した。()は再び喉を鳴らすと、意を決して封を切り、ひと思いに水を飲み干した。そして()は背中を丸めると、ふるふると身震いした。


「増えてない……! 増えてない……!!」

「うむ、今のところは成功といえるようだな」


 ビットは、感極まって声も出ない状態の()の肩をポンと叩いた。そして()の名を呼んだのだが、その声は心なしか嬉しそうだった。このプロジェクトにおいて、常に失敗続きだったのだ。きっと彼も、この結果に満足しているのだろう。
 ()が顔を上げると、ビットは言葉を続けた。


「しかしながら、まだ油断は禁物だ。ひとまずは、いつも通りに簡易検査をさせていただく。それから、これから二十四時間、バイタルを取り続け、効果期間終了後にはまた検査を行う。――よいな、小花薫よ」


 ようやく不具合なく元の姿に戻れたらしい死神ちゃん――十三は喜々としてうなずくと、いつもは嫌々入る検査用ポッドに進んで入っていった。

 死神ちゃんは元々、中年のおっさんであった。こちらの世界に死神としてやって来る際に、このダンジョンを創設した女神・灰色の魔道士に〈その名に相応しい死神に〉と(まじな)いをかけられた。死神ちゃんも魔道士も、そんな呪いをかけたからといって姿が変わるとは思わなかった。コードネームの〈東郷十三〉に相応しい、渋ダンディーなままでいると思っていた。しかしながら、実際は本名の〈小花薫〉に合わせた可愛らしい幼女の姿となってしまったのだった。
 元の姿に戻してもらうことも叶わず、幼女のままこの世界に放り出された死神ちゃんは、もちろん思い悩み苦労した。しかし、それも時間が経てば何とか開き直ることができるようになった。だが、それと同時に心が豊かになり、今までの人生では思うことすら無かった感情を経験することで〈やはり、元の姿に戻りたい〉と強く思うようにもなった。――このプロジェクトは、そんな死神ちゃんの思いに応え、さらにはそこで得た技術をダンジョン運営に応用しようというものだった。

 女神の力は強大で、もう幼女の姿にはならぬようにするということは不可能だったため、プロジェクトメンバーは〈一時的に元の姿に戻れるようになる指輪〉を作ることにした。しかしながら成功への道のりは遠く、失敗続きであった。成熟した女性の姿に変化してしまったり、水を飲んだ回数分だけ増えたり、おっさんと幼女が同時に存在したりしてしまったのだ。
 だが、今回はようやく成功と言えるようだった。これで二十四時間何事もなく過ごし終えることができれば、晴れて死神ちゃんは定期的におっさんに戻ることが可能となるのだ。十三は検査を終えると、足取り軽くウキウキとした調子で寮へと帰っていった。


「何だ、薫ちゃん。増えたり女性化したりしてないのかよ。つまらないなあ」


 帰寮した十三は、同居人に開口一番そのように言われて気分を害した。同居人は苦笑いを浮かべて謝罪しつつも、何かを期待するかのように水の入ったコップを差し出してきた。十三は仏頂面でそれを受け取ると、一気に飲み干した。同居人は驚嘆して目を瞬かせると、空のコップの返却を受けながら言った。


「おお、今回はちゃんと増えないんだな!」

「期待外れで、どうもすみませんね」

「いや、ごめんって。そんな拗ねるなよ。――いやいや、良かったじゃん! このまま何事もないと良いな!」


 祝福の言葉をいただいた十三は、嬉しそうにへラッと相好を崩した。そして夕飯までの間、リビングで同居人たちとボードゲームを楽しんだのだが、今のところ特に問題が起きていないということが心底嬉しいのか、常にウキウキそわそわとして落ち着きがなかった。
 夕飯は同居人たちと楽しく食卓を囲み、食後もゲームなどを嗜んだ。その間、十三は変に大人ぶった態度をとっていた。元の姿に戻れているということが本当に嬉しく、また幼女姿で毎日を過ごしていたことの反動もあるのだろう。まるで成人したての者が〈大人ってこういうものだろ?〉と背伸びするような感じの素振りを見せるおっさんに、一同はうっかり「可愛い」と思った。

 腹がこなれてくると、十三は男性陣と一緒に風呂に入った。ここでも、おっさんは年甲斐もなくひっそりとはしゃいでいた。他の男性陣も十三に感化されたようで、ウキウキとし始めた。気がつけば、彼らはマッコイに膝詰めで説教をされていた。女性陣から「あまりにもうるさい。お前らは、男子校の高校生か」というお叱りが何度も入ったのだ。それでも、おっさんと仲間たちは非常に楽しそうだった。

 風呂から上がったあと、十三はマッコイにツマミを作ってもらい、お酒をいただきながら映画鑑賞を楽しんだ。思考が鈍るようなものはやらないという方針のため、十三は生前、プライベートでは飲酒してはこなかった。しかしながら、以前もとの姿に戻った際に〈大人の姿でしかできないこと〉として彼は飲酒した。それが心の底から〈元の姿に戻ったのだ〉と感慨深い気持ちにさせてくれたということもあり、彼は今回も酒を嗜んだ。
 翌日仕事があるにもかかわらず、マッコイは遅くまで上機嫌なおっさんの相手をしたようだった。寮長室の奥から聞こえてくるおっさんの楽しそうな笑い声を、同居人たちは結構な遅い時間まで耳にした。

 翌日、朝食をとり終えた十三はサーシャの買い物に付き合った。大きな買い物の予定があるということを前々から聞いていたため、荷物持ちを請け負ったのだ。幼女の姿では飛行靴を履いていなければ絶対に持ち上げることのできない物を易々と運べることに、彼は大いに喜び、そしてやはりウキウキとした。
 昼食はアリサととった。アリサは目の前に自分の理想の渋ダンディーがいることに高揚感を覚えているのか、頬を朱に染め、常に瞳を輝かせていた。頬が落ちそうなほどに美味しいブラッドソーセージをいただきながら、彼女は十三にお酒を勧めてきた。


「ねえ、ジューゾー。私、このあとの予定は全てキャンセルするから。だから、二人っきりで、もっと大人の時間を過ごさない? お酒を飲みながら、こう、しっぽりと……」


 気恥ずかしそうにそう言って俯いたアリサに、十三はきっぱりと「否」と答えた。どうして、と追いすがる彼女に彼はにっこりと笑顔を浮かべた。


「この姿でやりたいことがたくさんあるんだよ。この実験が成功のまま終わるとは限らないからな。もし失敗となれば、次にもとの姿に戻れるのはいつになるか分からないし」


 そう言ってアリサと別れたあと、十三は浮足立ててある場所へと向かった。――そこは、社内にあるジム施設だった。

 死神課や修復課など、冒険者と戦闘を行う可能性のある課の者は定期的な戦闘訓練が義務付けられている。そして、訓練以外でも常に体を鍛えられるようにと、社内にはジムが常設されていた。もちろん、戦闘訓練必須の課に所属する者以外でもジムの使用は可能となっている。なので、常時様々な課の者がジムに出入りをしていた。
 着替えを終えた十三がジムに顔を出すと、受付のゴブリン嬢がトレーナー指示のもと、ストレッチスペースでティラピスを行っていた。彼女は十三に気がつくと、非常にゆっくりとした速度でやんごとなく手を振ってきた。十三は彼女に手を振り返すと、さっそく準備体操を行った。

 気持ちが逸り、早くトレーニングをしたくてウズウズしていたのだが、準備はとても大切である。それに、常に〈小さな体〉で過ごしてきたせいか、本来の姿であるはずのこの大きな体に彼は少しばかり違和感を覚えていた。そのため、要らぬ怪我を防ぐためにもしっかりと、身体が温まるまで彼は入念に動的ストレッチをした。
 体がきちんと温まると、彼はひと通りの筋トレマシンを楽しんだ。そしてウエイトリフティングのブースに足を運ぶと、ケイティーやオーガの男鹿さんたちと筋肉談義を堪能した。

 今でこそ大好きな甘いものを食べるなどすると相好が一気に崩れるほど幸せな気持ちになるのだが、生前は諸々あり感情が壊れていたため、喜怒哀楽を表に出すことも無ければ感じることもあまりなかった。しかし、そんな中でも筋トレを行っている最中は集中力が研ぎ澄まされ、快感にも似たすっきりとした気分を味わうことができていた。その感覚を味わっていたくて、オフの日はストイックに自己を鍛えるというのを彼は日課にしていた。甘いものを食べるのも、筋トレと同じく〈すっきりとした気分になれるから〉という理由で嗜んでいたのだが、今思えば、そこに救いを求めていたのだろうし、それ以前に、ただ純粋にそれらのことが好きだったのだろう。
 だからこそ、こちらの世界に来てからすぐに取り組んだことが、幼女の体でもできる〈自己を研ぎ澄まし、鍛えること〉である座禅や縄跳びなどだったいうわけだ。そして常々、十三はもとの姿に戻ることができた暁には好きなだけ筋肉をいじめたいと思っていた。つまり、こちらの世界にやってきてもうすぐ四年、ようやくその願望を彼は満たすことができたのだった。

 もちろん、それ以外にもやりたいことはたくさんあった。その一部は、初めてもとの姿に戻れた際にすでに叶えている。この〈思う存分に筋トレをする〉というのは、次にもとの姿に戻れたときに絶対にしようと決めていたことだった。それを無事に達成することができて、十三は感無量だった。筋肉を動かすたび、休憩で水分補給をするたびに満面の笑みを浮かべ、心の中では嬉しさのあまり男泣きしていた。
 ひとしきりトレーニングを堪能した十三は、幼女姿に逆戻りする前にもう一度、何かしらのトレーニング器具を用いて筋トレをしようと思った。そしてその栄えある〈ラスト筋トレ〉にラットプルダウンを選択した。頭上にあるバーを両手で掴んで引き下げることで、背部の筋肉を鍛えるという器具である。

 この器具でのトレーニングは重量よりもフォームが重要だった。そのため、十三は鏡張りとなっている壁に視線を向けながらトレーニングに取り組んだ。そして自身のフォームの完璧さにうっとりと酔いしれた。
 近くを通りかかったケイティーも、思わず足を止めてヒュウと口笛を鳴らした。十三はそれを誇らしい気持ちで聞いていた。そして気を良くした彼は〈幼女に逆戻りしてしまう時間〉が近づいてきていることも忘れて、トレーニングに勤しんだ。


「さすがは筋肉神。眷属からの筋肉的尊敬が篤いようだな。今すぐそれを活かさぬか?」


 そのような声がして、思わず十三もケイティーも顔をしかめた。すると、見慣れたケツあごがパッと横に現れた。にこにこと笑みを浮かべるカイゼル髭のケツあごのほうにゆっくりと首を振った瞬間、充実した〈もとの姿ライフ〉を心ゆくまで堪能し、ウキウキとしていたその気持ちに最後の最後で泥を塗られた哀れなおっさんは幼女の姿に戻った。
 死神ちゃんはラットプルダウンにプルアップされた。何とも言えない哀愁漂う表情でプランと吊るし上げられた死神ちゃんに、追い打ちをかけるように検査のための出頭要請の連絡がビットから入った。


「小花、大丈夫?」


 いまだ器具にぶら下がったままの死神ちゃんを、ケイティーは気まずそうに保護した。死神ちゃんが静かにうなずくと、ケツあごが不思議そうに首を傾げた。


「突如暗い顔をして、ぬしらは、一体どうしたのだ? 我に話してみるが良い。内容如何によっては、叶えてやらんでもないぞ。なにせ、我は神であるからな」


 死神ちゃんとケイティーは無表情で「じゃあ、空気を読んで」と声を揃えた。ケツあごは〈ああ、そう。それね! 了解!〉と言いたげな表情と大仰なジェスチャーをとると、スウとその場から姿を消した。死神ちゃんはため息をつくと、背中を丸めてトボトボとジムをあとにしたのだった。

 その日の夜、しょんぼりとしたまま気分の上がらない死神ちゃんは、友人や同居人たちから「実験は成功に終わったのだし、これからは存分に〈もとの姿ライフ〉を楽しめるじゃあないか」という慰めを受けた。そうは言っても、哀しいものは哀しいし、やり場のない思いは行き着く場所がないままだった。
 後日、ケツあごからお詫びという名の〈様々な世界の極上甘味〉が届き、死神ちゃんはようやく気を持ち直したという。




 ――――筋トレも勧誘も、呼吸とやり方、そしてタイミングが大事だと思うのDEATH。

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