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第318話 死神ちゃんと寝不足さん⑤

 死神ちゃんがダンジョンに降り立つと、そこはアルデンタスのサロンの前だった。彼のサロンの〈ベッドの上〉は安全地帯となっているため、サロン滞在中はどれだけ長い時間を過ごしても〈死神罠が発動するまでの時間〉にカウントされない。だから〈サロン前〉なんていう場所に降り立たせられるというのは、とても珍しいことだった。
 これから退店する者か、それとも今まさに来店しようとしている者が〈担当のパーティー(ターゲット)〉なのかと、死神ちゃんは地図を確認しようとした。すると、それを行うまでもなく、少しばかり離れたところに見知った顔の者が姿を表した。彼は柔和に微笑むと、恭しくお辞儀をして挨拶をした。


「これはこれは、お嬢さん。お久しぶりですね」

「おう、定期施術の日なのか?」

「ええ、そうなんですよ。……せっかくですから、お嬢さんも何かお受けになられますか? いつもお世話になっておりますし、お代は私が出しますから遠慮なさらずに」


 そう言って笑うと、彼は死神ちゃんの頭を撫でた。

 彼は、とある貴族のもとで執事として働いている。その貴族は〈呪いの宝珠を手に入れて、それを用いて王家から権力を奪おう〉と企んでおり、三男坊にダンジョン探索をさせていた。しかし、これがとても使いものにならなかった。三男坊は探索もそこそこに、自分の特殊な性癖を満足させることに注力したのだ。そして、親や使用人たちの目の届かない場所で羽根を伸ばすことを覚えてしまった三男坊は、家でも変態性を発露させた。そのせいで起こった問題の数々はこの執事の彼が抱えることとなり、おかげさまで彼は常に寝不足になっていた。
 彼は質の良い睡眠を確保するために、定期的にアルデンタスの施術を受けていた。本日はその定期施術の日だという。彼はサロンに入り「いつものメニューで」と声をかけ前金を払うと、服を脱ぎアルデンタスの触診を受けた。


「あら。鉄板よりも硬かったのが、大分柔らかくなってきたわね。執事さん、ようやく眠れるようになってきたんじゃあない?」

「ええ、おかげさまで。あなたの施術を受けて、あなたオススメの香でストレスを和らげて。お茶で体調を整えて。――それをご主人様含め、使用人一同で積極的に行っておりますから」

「これならもう少し深部にアタックしていけそうだから、少しばかりメニューを見直したいんだけど。大丈夫かしら?」

「もちろんです。追加でお代が必要なようでしたら、あとでお茶や香を購入するときに一緒にお支払致しますね。それから、そこのお嬢さんにも足湯か何かをお願い致します」


 アルデンタスは目を瞬かせると、呆れ顔を浮かべて死神ちゃんをじっとりと見つめた。


「やだ、渋ダンディー。あんた、死神だって認識されてないの?」

「いや、何度か伝えてはいるんだが、冗談だと思われてるみたいでな……」

「そうですよ、アルデンタスさん。こんな可愛らしい子が、死神なわけないじゃあないですか。冗談が過ぎますよ」


 カラカラと笑う執事に、死神ちゃんは苦笑いを返すしかできなかった。アルデンタスも苦笑いを浮かべると、スタッフの女の子を呼びつけて死神ちゃん用に足湯を準備するようにと指示を出した。
 執事が施術を受けている間、死神ちゃんはその傍らで薔薇の花弁の浮かぶ足湯をパチャパチャとさせた。執事は至福の息を漏らしながら、体に溜まった疲れだけでなく心中に溜まった(おり)も吐露した。きっと彼が最近そこそこ眠れるようになってきているのは、こうやって定期的に愚痴を吐く機会を得られているからなのだろう。
 しかしながら、死神ちゃんはその〈吐き出される愚痴〉を聞いて頭を抱えた。内容の大半が例の三男坊関連だったからだ。思わず相槌以上の反応を示した死神ちゃんに、執事は〈共感してもらえた〉と言わんばかりに嬉々とした声で捲し立て始めた。普段はよっぽど誰にも愚痴れない環境にあるのだろう、彼は大いに愚痴ることでみるみる元気になっているようだった。


「はあ。こんなに話せて、すごく気分が楽ですよ……。すみませんが、お嬢さんにお茶やお菓子をサービスしてあげてくれませんか?」


 うつ伏せ状態で解されながら、執事は満足げな声でそうスタッフに注文した。死神ちゃんは思わぬもてなしに「何だか悪いな」と言いながらも、満更でもなさそうに笑った。
 施術が終わり、お土産として購入した大量の香や茶葉をポーチに詰め終えると、執事は次の予約を入れてから店をあとにした。店を出て死神ちゃんが奢ってもらったことに対して礼を述べると、彼はにこやかな笑みを浮かべて言った。


「いえいえ、本当にお気になさらず。――ところで、実は、今日は施術以外にも目的があるんですよ。お嬢さんも、ついて来られますか?」


 死神ちゃんが不思議そうに首を傾げると、彼は笑顔のまま話を続けた。


「ウィル・オ・ウィスプというモンスターを知っていますか?」

「ああ、あれだろ? いわゆる〈鬼火〉ってやつだろう?」

「そうです、それです。私、前にも〈寝かしつけの上手なモンスター〉を探していましたけれど、ウィル・オ・ウィスプも寝かしつけが上手いんだそうです」

「ああ、じゃあ、この前みたいに〈寝かしつけ術〉を学ぼうってことか」


 執事はうなずくと、蓋つきの空瓶も用意してきたとつけ加えた。どうやら、可能であればウィスプを持ち帰りたいらしい。前にもバクを持ち帰ろうとして何度も失敗し、〈ダンジョンのモンスターは何故だか連れ出せない〉ということを経験しているというのにだ。諦めの悪い彼に苦笑いを浮かべた死神ちゃんは、唐突に「あ」と声を上げた。目の前にはチカチカと揺らめく鬼火が、ふよふよと漂っていた。


「おや、さっそく現れましたね。さて、寝かしつけ術を見せてもらいましょうか。今日は施術を受けてきてスッキリした状態ですからね、きっとすっきりと眠れることでしょう。身をもって体感させて頂きますよ!」


 彼が意気込んで鼻息を荒くすると、ウィスプは仄かに明滅した。すると、執事はたちまちウトウトと船を漕ぎ始めた。しかし、彼はすぐさま痙攣するようにビクリと身を跳ねて目を覚ました。


「うーん、何なんでしょう? こう、気持ちよくなってきて『あ、落ちる』という瞬間に目が覚めて。モヤモヤするといいます、か……」


 言いながら、彼は再びウィスプの明滅に合わせて船を漕いだ。しかし、やはりまたビクリと身じろいで彼は目を覚ました。


「何なんですかね。先日の〈平手打ち〉よりも浅いと、ころで……。……フッと意識が戻、され……て……。逆に、ストレスが溜まって疲れま、すね……」


 ウトウトとハッを繰り返しながら、彼は頭を垂れた。そして幾度かめの覚醒をした際に、とうとう頭にきたのか、問答無用でウィスプを薙ぎ払った。


「駄目ですね。噂を全て鵜呑みにして期待してしまうのは。こうも期待を裏切られると、せっかく施術で癒やした心もすっかり元通りささくれ立ってしまいますね」

「だったら、そろそろ諦めて帰ったらどうかな」


 苦笑いを浮かべる死神ちゃんに、彼はしょんぼりとうなだれて「そうですね」と返した。しかし、その場をあとにしようとすると、再び鬼火がふよふよと近づいてきた。それはウィスプではなく別のモノで、執事は興味深げに目を見張った。


「もしかして、私が噂に聞いたものはウィスプではなくアレですかね? ――うわ、何なんですか!? おっさんの顔がいっぱいですよ!」


 執事は一転して顔をしかめた。その鬼火が、ひとつひとつがおっさんの顔をしていたからだ。おっさんはどいつもこいつも表情が豊かで、泣いたり怒ったり笑ったりと忙しかった。
 おっさん顔の鬼火の集団は執事に近づくと、何とも言い難い声で子守唄を歌いだした。執事はうつらうつらとしながら、苦しそうに顔を歪めて歯ぎしりした。


「眠りたいのに……大量のおっさんが一心に見つめてくるのが、何とも……。そんなに見つめられたら、落ち着いて眠れやしませんよ!」


 執事が怒りを露わにすると、おっさんは寝ることを強いるかのように詰め寄ってきた。彼は辟易とした表情でそれを追い払おうとしたが、おっさんは動じることなく威圧していた。
 執事はおっさんと攻防を繰り広げつつ、夢と現の間を彷徨(さまよ)った。ふわふわとした足取りでどこかへと追い詰められていった執事は、最終的には霊界へと誘われた。死神ちゃんは表情もなく頭を掻くと、首を傾げながら壁の中へと消えていった。



   **********



 待機室に戻ってきた死神ちゃんは、グレゴリーに近づくと、彼を見上げて首をひねった。


「アレ、なんで、おっさんなんですか?」

「ああ、あれは〈ダンジョン内で朽ち果てた冒険者の亡霊〉という()()の鬼火だからな。冒険者人口は、男のほうが多いだろう? でもよ、設定とか置いておいても、〈鬼火〉というものは総じておっさんなんじゃあねえかと、俺は思っている」

「はい……?」

「だって、お前、ジャック・オ・ランタンもウィル・オ・ウィスプもおっさんだろう」


 ジャック・オ・ランタンは〈ランタン持ちのジャック〉という意味であり、ウィル・オ・ウィスプは〈松明持ちのウィリアム〉という意味である。つまり、どちらも〈灯りを手にした男〉を名前の由来に持っているのだ。
 グレゴリーはケラケラと笑うと、おもしろおかしそうに言った。


「ジャックさんに、ウィリアムさん。そして小花(おはな)(かおる)さん。このダンジョンは〈ふよふよと漂う、()っこいおっさん〉率が高いな!」

「何でそこに俺を混ぜるんですか! やめてくださいよ!」


 死神ちゃんは素っ頓狂な声を上げて憤慨した。そして心なしかいじけモードに入ると、死神ちゃんは本日の〈残りの勤務時間〉をふよふよと飛行せずに、全て徒歩で過ごしたという。




 ――――なお、今度こそ〈ダンジョン内のモンスターに〈寝かしつけ〉を期待するのは無理だ〉と悟った執事とその貴族は、野生のバクをペットにすべく、珍獣ハンターの募集することにしたそうDEATH。

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