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第316話 死神ちゃんと神様②

 ポンと壁から飛び出した死神ちゃんは、その瞬間に誰かに抱きとめられた。視界にはケツあごが広がっており、死神ちゃんは思わずげんなりと苦い顔をした。


「そんなに急いでダンジョンに降り立たなくとも、我は逃げも隠れもせぬというのに」

「いえ、別に急いでいたっていうわけでは――」

「それとも、何か。そんなにも我に会いたいと思うてくれていたのか。そうか、つまり筋肉神就任を――」

「断じて違いますから」


 死神ちゃんはケツあごの言葉を遮ってそう言うと、両手で頭を抱えて深くため息をついた。
 ケツあごは上機嫌で死神ちゃんを抱きかかえ続けた。死神ちゃんはケツあごを見上げると、面倒くさそうに尋ねた。


「何で、また冒険者として下界に降り立ったんですか」

「うむ。たまには()らと戯れるのも悪くはないと思うてな」

「神様なんですから、この〈黒い糸〉、切れますよね?」

「うむ。ソフィアちゃんの手を煩わせずとも、切ることはできるな」

「だったら、切りましょう? そしたら、俺、次の現場に行きますんで」


 死神ちゃんが薄っすらと笑みを浮かべると、ケツあごは満面の笑みを浮かべて「否」と返した。
 このケツあごのおっさんは、この世界の神様だ。しかも、このダンジョンを創設した魔道士と同格らしく、魔道士を気安く〈ちゃん付け〉で呼ぶほどの大物だ。さらには彼はソフィアが裏の世界に住めるように手を回した張本人でもあり、死神ちゃんを筋肉神としてスカウトすべくダンジョンや裏世界に顔を出すようになった。これが自称であるならば死神ちゃんも適当にあしらえて良かったのだが、本物だというのだから(たち)が悪い。
 本日は何やらお戯れのために下界に顕在したそうだが、それならばとっとと解放してくれてもいいのにと死神ちゃんはふてくされた。すると、神様は嬉しそうに笑いながら言った。


「ぬしは元の世界では冷徹なスナイパーだったが、こちらの世界に来て灰色ちゃんマジックにかかってからは人が良くなったと聞く。あまりの人の良さに、おだてれば簡単に乗せられ、頼み込めば断れないそうであるな。もはや〈中年の殺し屋〉の面影など無いではないか」

「いや、本当に嫌なことはすっぱり断りますけど。あと、昔の面影がないのは、大体はこの姿(なり)のせいでもあるんで。俺自身、一時期ずっと気にして落ち込んでいたことなんで、蒸し返さないでもらえますかね」

「まあ、とにかく。そんな人の良さにつけ込み、外堀から少しずつ埋めていこうと我は思い立ったのだ。つまり、ぬしと楽しい時間をともに過ごすことで、ぬしが筋肉神就任を断れぬようにしようと――」

「今、はっきりと〈つけ込む〉とか神様らしからぬことを言いましたよね」

「はっはっは、何のことやら」

「何のことやらじゃあねえよ! はっきりとそう言われて『分かりました。仲良くしましょう』と言えるほど、俺は馬鹿でもなければお人好しでもないからな!」


 怒りを露わにして暴れまわる死神ちゃんを諌めながら、神様は極寒地区へと踏み入った。
 さすが神様というべきか、彼は他の冒険者が行うような防寒対策――物理的、もしくは魔法を用いての――を行うことなく吹雪の中を平然と歩いていった。途中何度かモンスターと出くわしたのだが、レプリカに組み込まれているプログラムはこのケツあごを〈触れてはならぬもの〉ときちんと認識しているのか、彼が微笑みを向けるだけでそそくさと離れていった。
 しばらくして、死神ちゃんたちは温泉のある辺りへとやって来た。すると突如目の前に裸のドワーフが踊り出て、死神ちゃんは絶句した。飛び出してきたドワーフは嬉しそうに雪の上を転がっていた。気が済むまで雪の上をローリングしたドワーフは側にひっそりと佇むケツあごに気がつくと、目を輝かせて起き上がった。


「おお! 剛土(ごっど)さん! 本当に来てくれたのか!」

「うむ。約束は違わぬのが我の信条であるからな」

「嬉しいぜ! ――そっちの小人族(コビート)は、もしかして連れかい?」

「かの若人(わこうど)は我いち押しの将来有望株でな」

「ということは、この嬢ちゃんも温泉好きなのか! いいね、歓迎するぜ! ――さあさあ、突っ立ってないで。裸の付き合いといこうじゃあないか!」


 ドワーフは快活に笑うと、飛ぶ鳥のようにもと来た道を去っていった。死神ちゃんは口をあんぐりと開けると、神様を見上げて眉根を寄せた。


「えっ、何、どういうこと……」

「彼らは温泉同好会だそうだ。先日、偶然出会って、気がついたら勧誘を受けていた」

「神様がうっかり勧誘されるとか、どれだけトークスキル高いんだよ、あのドワーフ。ていうか、剛土さんって……」

「我にぴったりのネーミングであろう? とてもハイセンスであろう?」


 カイゼル髭を撫でながら、神様は得意気に胸を張った。死神ちゃんは呆れ顔を浮かべると「そのまま過ぎて、どうかと思う」と辛辣にダメ出しをした。

 死神ちゃんと神様は温泉に辿り着くと、さっそく衣服を脱いだ。温泉はすでにドワーフがひしめいており、その光景を見て死神ちゃんは〈温泉に浸かるカピパラの群れ〉や〈猿山の猿〉を連想した。
 ドワーフたちは筋骨隆々のカイゼルケツあごがその裸体を惜しげもなく晒して佇んでいることに気がつくと、嬉しそうに「剛土さん、よく来たな!」と口々に言った。そしてケツあごが恭しくうなずいて返すのを眺めながら、ぼんやりとため息混じりに言った。


「剛土さん、今、揺らめく湯気に光が反射して、それがまるで後光のように見えたよ。まるで神様のようだったぞ」

「まあ、神であるからな」

「小人族のお嬢ちゃん、入れるところが無くて困っているの? だったら、こっちにおいで。そんな、おっさんだらけのところじゃあなくてさ。――ほら、温泉卵もあるよ」


 出し抜けに声をかけられた死神ちゃんはギョッと目を剥いた。しかし、よくよく見ると、そのドワーフは女性だった。死神ちゃんは以前遭遇した成人前の可愛らしいロリロリなドワーフを思い出し、何となく心が痛くなりながら、もうすっかりとおばちゃんと化した女性ドワーフのお膝にお邪魔した。
 神様はというと、男性ドワーフたちと楽しそうに酒を酌み交わしていた。時おり会話が噛み合っていないようだったが、お互いそんなことは気になっていないようだった。そんな彼らをぼんやりと眺めながら、死神ちゃんは温泉卵を頬張った。

 突如、男性陣は勢い良く立ち上がると素っ裸のまま雪の中へと繰り出していった。まるで乙女のような声を上げながら雪をかけ合い、転がる彼らを死神ちゃんが表情もなく見つめていると、女性ドワーフの一人が当然とばかりに笑顔で言った。


「時々ああやって体を冷やすと、血行が良くなってより一層健強になれるそうなんだよ」

「ああ、たしかに……。そういえば、北欧辺りでああいう光景見たことあるわ……」


 男性陣は、とても楽しそうに雪遊びをしていた。ひとしきり遊び終えると、水分補給と言って持参していたビールを煽った。至福の声を漏らしながら、彼らはほっこりと相好を崩した。


「……アーッ! うまいッ! この一瞬のために生きてると言っても、過言じゃあないな! 神様、このようなひとときをお与えくださり、本当にありがとうございます!」

「うむ」

「このビール、収穫祭のときにも奉献したんだがさ、神様に届いてっかなあ。――あ、剛土さん、もう一杯どうぞ」

「うむ、苦しゅうない。――なお、きちんと頂いている。豊穣神も喜んでいたぞ」

「おお……。さっきは湯けむりで全然分からなかったが、剛土さん、ご立派なモノをお持ちで……。まるで、ご神木のようだな……」

「うむ、神であるからな」

「剛土さん、あんた、本当におもしろい人だな! 俺、あんたのことがますます気に入ったぜ!」

「うむ、我もであるぞ」


 死神ちゃんは神がかり的なほどすれ違っているようで、稀に噛み合っている珍妙な会話に頭を痛めた。周りの女性陣は心配そうな顔を浮かべると「湯あたりでもした?」と死神ちゃんを気遣った。
 男性陣は満足のいくクールタイムを終えて温泉に戻ってこようとした。するとそこに、酒瓶を持った猿が一匹乱入した。猿は軽やかに笑うと、男性陣の尻を叩いて回った。悲鳴を上げた男性陣はそのまま戦闘態勢に入った。猿としては単に祝福の魔法をかけただけなのだが、ドワーフたちはそれに気づいてはいなかった。猿は武器を向けられて激高すると、しわがれ声で「雪崩」と言い犬のような吠え声を上げた。直後、辺りに地鳴りが響き渡り、近くの山から雪が雪崩れてきた。


「おお、神よ! 我らをどうかお助けください!」

「すまない。これは灰色ちゃんの与えた試練であるため、我は手出しができぬのだ」

「剛土さん! 何、悠長に突っ立ってるんだ! 早く逃げ―― ああああああッ!」


 男性ドワーフたちは雪崩に飲まれていった。神様も、一緒になって雪の餌食となった。女性ドワーフたちはつかの間呆然とすると、何事も無かったかのように「さ、湯冷めしないうちに着替えて帰りましょう」と言った。
 死神ちゃんは、ドワーフたちが帰っていったあともどうしたらいいか分からずに温泉に浸かっていた。すると、腕輪がメール受信の通知をチカチカと放った。辺りに誰もいないことを確認してからメール画面を開いてみると、送り主不明のメールが一通届いていた。そこには「体が変に冷えて風邪を患ったようなので、本日はもう帰る。タオルは置いていくので、好きに使うと良い」と書いてあった。思わず、死神ちゃんは「おい、神よ!」と腹の底から怒号を飛ばしたのだった。




 ――――神出鬼没に現れて去っていく。とても迷惑なので、できたらもう少し〈神対応〉して頂きたいのDEATH。

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