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第282話 死神ちゃんとキックボクサー⑤

 死神ちゃんはダンジョン内の水辺地区に降り立つのと同時に、汗臭い男の香りと引き締まった筋肉のぬくもりを感じて顔をしかめた。


「うおおおお! 筋肉神様ご降臨! これで、勝てる! 勝てるぞおおおおお!」

「うるせえな! 耳元でデカい声出すんじゃあねえよ! 暑苦しい、離せ!」


 歓喜の雄叫びを上げる男に、死神ちゃんも怒号で返した。男は抱き締めていた死神ちゃんを名残惜しそうに一層強く抱き締めて、グリグリと頬ずりしてから渋々腕を解いた。


「筋肉神様よ、久々の再会だってのに、ちょっと冷たすぎやあしねえか」

「俺にだって、選ぶ権利があったっていいだろうが。裸同然の男に抱きつかれてもな、ちっとも嬉しかないんだよ」

「裸同然なのは仕方ねえだろう。キックボクサーはこれが戦闘スタイルなんだからよ」

「ていうか、どうせ男しか選べないなら、お前みたいな〈(しな)やかに偏りすぎて細い〉のはご免だね。たしかにお前は良いキレの持ち主だがな、もっと赤と白がバランスよく鍛え上げられた〈速度も攻撃力もアゲアゲ〉の〈ある程度ガッチリ〉としたののほうが、俺は好みなんだよ」

「かーっ! 可愛い顔して、言うことキツいお嬢ちゃんだぜ! ていうかお嬢ちゃん、その言い草はまるで男みてえだな。なんだ、もしかして百合思考なのか?」


 死神ちゃんは表情を無くすと、抑揚無く「我は神であるぞ」と言った。すると、男は目を白黒とさせながら腕を組み、首をひねった。死神ちゃんは辟易とした表情を浮かべると、続けて言った。


「そもそも、話してたのは筋肉の好みについてだろうが。よけいなこと考えるなよ」


 納得する彼を見て、死神ちゃんは〈冒険者にはする必要のない面倒くさい説明〉を適当にごまかせたことに安堵するとともに、深いため息を漏らした。
 彼は、力試し目的で度々ダンジョンを訪れているキックボクサーだ。ケイティーのレプリカに〈格闘家としても男としても、彼女に惚れてしまった〉という彼は、ケイティーの激しいラッシュに色々な意味でビビビッと来たというM気質である。また、彼の所属するジムには酒屋の元ヤン嫁・まさこも通っており、彼女の拳にもビビビッと来て恋心が揺れ動いていた時期が彼にはあった。そんな彼は初心に返ってケイティーのレプリカである〈女闘士〉を再び追いかけ回しているそうなのだが、中々うまいこといかずに〈快感が得られるかどうかのギリギリラインで殺される〉という日々を送っているらしい。


「しかしだな、そんな日々も今日までよ」


 そう言って、キックボクサーはニヤリと笑った。眉根を寄せて首を傾げた死神ちゃんに、彼はもったいぶるかのような口ぶりで話を続けた。


「お嬢ちゃん、さっき〈赤だ白だ〉言ってただろ? ――今日はだな、赤と白を倒しに行きます。有袋類のほうはまだ勝利の道筋が見えねえが、そっちのほうは何とか勝てそうな気がしてきたんだよ」

「ああ、だからさっき〈これで勝てる〉とか喚いていたんだな」

「喚いてって言い方、ひでえな! 筋肉神との触れ合いは、我ら筋肉教徒にはご褒美なんだぜ!? なのに、ハム先輩やちてきん様ばかり享受して! ずるいだろ!」


 死神ちゃんは適当に相槌を打ちながら、ハムとちてきんは元気にやっているだろうかと思いを巡らせた。
 何やら考え事をするかのようにぼんやりとする死神ちゃんの様子に、キックボクサーは地団駄を踏みながら声をひっくり返した。


「今は俺のことだけ考えて!?」

「あー、はいはい。頑張れ。そしてとっとと灰になってくれ」

「だから! どうして俺には心なしか冷たいんですか、筋肉神様!」


 死神ちゃんは、取り合うことなく白いアイツの出没する地点にスタスタと歩いていった。キックボクサーは慌てて、死神ちゃんの後を追いかけた。目的地につくと、死神ちゃんは冷めた表情であごをしゃくった。


「ほら、いたぜ。白いアイツ」

「よっしゃ。じゃあ、ちょっくら戦ってくるか」

「おう、行ってこい。レッツファイッ!」


 死神ちゃんは、レフェリーが行うような試合開始の合図をしてやった。するとキックボクサーは自身の両頬を叩いて気合いを入れ、勢い良く走っていった。彼は大きくジャンプをすると、自信たっぷりにニヤリと笑って拳を振り下ろした。


「イカはッ! 目と目の間ッ!」


 眉間に鋭い一撃を叩き込まれて、イカボクサーは一発でKOした。死神ちゃんは、意気揚々と帰ってきた彼を驚嘆顔で出迎えた。頬を染め上げて素直に賞賛の言葉を口にした死神ちゃんに、彼は得意げに「魚介類の()()()()を地元の魚屋に聞いてきた」と言った。


「ただ闇雲に拳を繰り出しても勝てないのなら、ココを使わねえとと思ってな」


 指でトントンと頭を叩きながらニヤリと笑う彼に、死神ちゃんは感心するようにうなずいた。その後ろでは、赤いアイツがザパアと音を立てて姿を現した。キックボクサーは拳と拳を打ち合わせると、再び走り出した。
 自分とすれ違い何処かへと走っていく彼を、死神ちゃんは目で追った。死神ちゃんが完全に振り返ったころには、彼はエビに技を仕掛けていた。彼は今度は、キックボクシングではなく、プロレスの技でエビに挑んでいた。逆反りさせられたエビボクサーは、ボッキリと体が折られたままの状態で地面へと沈んだ。キックボクサーは拳を振り上げると、勝利の雄叫びを上げた。


「うおおおおお! 俺はとうとうッ! 魚介を制したぞおおおおおお!」

「すごいな、お前! よく頑張ったな!」

「うおおおおおおおん! ようやく筋肉神様が俺にも満面の笑みを向けてくれたぞおおおおおお!」


 キックボクサーは笑顔で走り寄ってきた死神ちゃんの脇の下に手を差し入れると、そのまま死神ちゃんを持ち上げて嬉しそうにクルクルと回転した。地面に下ろされた死神ちゃんは、彼と拳を打ち合わせて目を輝かせた。


「お疲れ! 次は? このままの流れで有袋類にチャレンジか!?」

「紅白とおめでたい色合いのが続いたからなあ。俺の勝ち組人生も、これを機に始まったと思われるしなあ。せっかくだから縁起良く景気良く、事始めと洒落込んでみるってのもいいかもな。……というわけで、女闘士ちゃんと姫始めとか――」

「そういうのは、どうかと思うが」


 デレデレと身を捩りながら阿呆なことを言い出した彼の言葉を食うように、死神ちゃんは無表情で切り捨てた。彼は首や腕を小刻みに振ると、慌てて「俺のプリンセスと〈新しく生まれ変わった、強い俺〉が初顔合わせっていう意味だから!」と弁明した。
 出没情報を頼りに、二人は女闘士の元へと赴いた。女闘士を見つけると、キックボクサーはファイティングポーズをとる彼女に話しかけた。すると、彼女は戦闘態勢を解除して〈話くらいは聞いてやろう〉という態度を示した。彼は顔を真っ赤にすると、恥ずかしそうに顔をクシャクシャにして口を窄めた。


「ボッ、ボクと! つっ、つきあってください!」


 女闘士は無反応だった。闇落ちした者とは意思疎通がとれないと思い込んだ彼は、思いを伝えようと「つきあってって、意味分かります?」とさらに捲し立てた。彼は、必死に腰をクイクイと動かしながら「こういう意味じゃあなくて」と言い、正拳突きをしながら「こっちの意味ね!」と(せわ)しなく身振り手振りで話しかけた。そして再び腰を動かしながら「こっちの意味でも、もちろん良いけれど」と笑うと、女闘士が反応を示した。彼女は、無言でファイティングポーズをとった。
 ちょっと待って、と言って慌てると、彼は甘い愛の言葉をアレコレと並べ立てた。すると、彼女は再び戦闘態勢を解除した。キックボクサーが期待の篭った目で彼女を見つめていると、彼女が頭巾で覆い隠された口をモゴモゴと動かした。耳を澄ましてみると、どうやら彼女は〈寒い〉と言っているようだった。キックボクサーは静かに振り返ると、表情もなく死神ちゃんを見つめてポツリと尋ねた。


「俺は寒いのか? なあ、筋肉神よ。俺は寒いのか?」

「正直言って、最初の下品なギャグも次の浮ついた愛の言葉も、寒々しかったな」

「ちくしょおおおお! 愛の言葉なんて囁いたことなんかねえもん! 浮ついて寒くなっちまうのも仕方ねえだろう!?」

「別に、ストレートにお前の気持ちを伝えたらいいじゃあないか。そしたら、浮ついて寒いってこともないだろうよ」


 彼は死神ちゃんのアドバイスにハッとすると、勢い良く女闘士に向き直った。そしてギラギラとした目でニヤニヤと笑いながら、大きな声で言った。


「どうか! ボクを程よく(なぶ)ってくださ――」

「ダメ人間!」


 女闘士は彼に最後まで言わせることなく、グーパンひとつで彼を消し炭にした。降り積もる灰に再び「ダメ人間!」と吐き捨てると、彼女は暗がりに消えていった。



   **********



 死神ちゃんが待機室に戻ってくると、ご本人が頬を引きつらせ、全身に鳥肌を立ててモニターを見上げていた。ケイティーは死神ちゃんが戻ってきたことに気がつくと、苦い顔を浮かべたまま死神ちゃんを見つめてボソリと言った。


「ねえ、小花(おはな)。今日の勤務明けすぐにでも、パフェ奢らせてくれない?」

「何でだよ。お前、今日は中番だろ?」

「いや、こんな薄ら寒い気持ちのまま勤務なんてできないよ……。私は、あんな変態のS女王をするよりも、お前みたいな可愛いのが一生懸命パフェを頬張ってるのを眺めているほうがよっぽど幸せなんだけど。休憩取らせてもらうからさ、どうか私を癒やして」


 死神ちゃんが苦笑混じりにうなずいたそばで、あべこべな世界から来た〈二人のクリス〉が何やら言い合いをし始めた。どうやら彼らもモニターを眺めていたようだった。


「ねえ、クリストス。僕らもせっかくだから姫始め、しようか。つい最近、僕の〈新たな人生〉は始まったばかりだし。こうやって再会もしたことだし。景気づけに、ね?」

「何、馬鹿なことを言っているの!? ていうか、(かおる)がいるところでそういう変なこと言うの、やめてよ!」


 クリスは顔をしかめ目を見開いて精一杯の〈あり得ない!〉という表情を浮かべると、死神ちゃんに助けを求めるかのように背後から抱きついてきた。一班クリスは不服そうに口を尖らせると、目を細めて死神ちゃんをじっとりと見つめた。


「薫、薫って。この前からそればっかり。小花先輩は、本当は()なんだろう? しかも、ガチムチ渋ダンディー系のさ。だったら、君の恋愛対象外じゃあないか。それに僕は、渋系よりは君やマコさんみたいなキレイ系が好みだね」

「あんたの好みなんてどうだっていいよ! それにね、あんたは知らないと思うけど、薫は私の理想が具現化したような、それはもう素敵で素晴らしい王子様の姿にだってなるんだから!」

「幼女姿から大人の姿にもなるってこと? だとしても、〈本当は()()()()〉ということには変わりないだろう」


 なおもキーキーと反論を捲し立てるクリスの様子に、一班クリスは大層機嫌を損ねた。彼女はおもむろに死神ちゃんの頬に手を添えると、身を屈めて頬にキスをした。顔を青ざめさせたクリスを無視して、一班クリスはニヤニヤと笑いながら死神ちゃんを抱きしめた。


「とりあえず、()にちょっかいを出せば、君が僕を見てくれるということだけは分かった」

「ひどい! 私だってそんなことさせてもらったことないのに!」


 クリスが声を裏返させてわななくと、怒り顔のケイティーが一班クリスからひったくるようにして死神ちゃんを抱き寄せた。


「私だって! 許されるならこのぷにほっぺにかぶりつくのに!」

「ちょっと待ってよ、小花っちはあちしのツバメだよ!? 新入り、何勝手にチューしてんのさ!」

「別に良いだろう? だって、薫は〈みんなのアイドル〉なんだろう? だったらこのくらい、軽いスキンシップだよな?」


 どこからともなく湧いて出たピエロも混ざり、彼らは姦しく騒ぎ立てながら死神ちゃんを取り合った。そんな彼らの合間を、突如何かが飛んでいった。それはガッという大きな音を立てて、後方にあった木製の掲示板に真っ直ぐに突き刺さった。青い顔を浮かべて〈綺麗に突き刺さったボールペン〉をつかの間眺めると、彼らは軌道を辿ってそろそろと視線を動かした。起点と思しき場所には、涼やかな表情を浮かべたマッコイが立っていた。
 マッコイは前側へと垂れた緩い三つ編みを後ろへと払い除けると、ニコリと笑った。


「勤務中なんだから、破廉恥禁止」


 彼は笑顔を浮かべていたが、その目は一寸も笑ってなどはいなかった。死神ちゃんとその取り巻きたちは一層顔を青ざめさせると「はい、すみません」と言って小さく声を震わせたのだった。




 ――――下心があるのは致し方ない。でも、たとえそれが率直な思いだとしても、オープンにするのは考えもの。破廉恥は、当人同士でこっそりとお楽しみ頂きたいものなのDEATH。

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